
横沢城 よこざわじょう
1213年に伊東祐行が横沢村を分与されて築いた平城で、横沢氏代々の居城となる。1589年の「摺上原の合戦」時に横沢氏は伊達政宗に恭順し、その後政宗に従って仙台へと移り住んだため廃城となった。現在は住宅地と畑。▼遺構や見所
■ 城鎮稲荷神社と土塁 ■
城は内館又は侍屋敷と呼ばれる主郭に相当する方形の曲輪と東館と呼ばれる副郭から成っており、現在どちらも住宅地等になってしまったが、内館北東の土塁の一部だけが現存しており、ここに横沢氏が祀っていた城鎮稲荷神社が鎮座している。
■ 岩上神社 ■
横沢氏が堂林の御札宮を城内に移した頃と同じ頃に岩上山から現在地へ遷宮させた神社。神社の周囲は正面以外全て土塁で囲まれており、画像には写っていないが水路もあってまるで出城のようになっている。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1213年伊東祐光の次男の祐行が横沢村などを分与されて横沢二郎を称し、村の近くに平城を築いて移り住んだ。横沢祐行
- 14世紀横沢尚広が南朝に属して所領を安堵される。これを祝って城の北西の土塁の上に小倉宮が祀られる。横沢尚広
- 1498年横沢氏が伏見稲荷より分霊し、城内に稲荷神社を勧請した。横沢氏
- 1503年横沢氏が堂林にあった遠州龍田の風神のお札を祀る御札宮を城内の鬼門に移した。横沢氏
- 1523年横沢持行が蘆名盛舜より横沢領境の証文を賜る。横沢持行
- 1546年横沢舜行が舟津から船に乗って会津の黒川に向かった際、崎川沖で暴風雨に会い転覆しそうになったが崎川薬師に一心に祈ったところ助かった。舜行はこれに感謝して薬師堂を修繕している。横沢舜行
- 1589年横沢広行は伊達政宗に恭順を示して蘆名氏から離反する。横沢広行
- 1590年横沢広行は伊達政宗に従って横沢を離れて仙台に移り、城は廃城となる。-
- 1601年城跡に周囲の集落が集まり、新たに検地を経て「舘村」が誕生する。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年12月15日 |
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別名 | 岩邊城、岩辺地城、横沢館 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 1213年 |
築城完了 | 1213年 |
築城者 (設計者) | 伊東祐行 |
分類 | 中世平城 |
規模 | 東西350m×南北300m |
標高 | 標高:518m、比高:- |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁 |
標柱・説明板 | 稲荷神社前に城址碑あり |
現状 | 住宅地 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 福島県郡山市湖南町舘 |