小倉城 おぐらじょう

1235年に束塚実恒が築いた平山城で、後に安積伊東氏一族の中地氏代々の居城となる。一時、新国氏が城主だった時期もあるがその後に復帰している。1589年の伊達政宗の会津侵攻時に落城した。現在は小倉神社と中野保育所。

▼遺構や見所

■ 小倉神社(主郭跡) ■

独立丘陵である小倉山の上が主郭跡で、現在は小倉神社の境内となっている。曲輪内部は広く、縁に土塁跡らしき高まりも確認できる。南西部に虎口がある。


■ 登城坂 ■

丘の東麓から南の斜面を通って主郭南西部の虎口へと続く坂で、恐らく大手道か。現在はこの坂の途中でショートカットするように階段が付属し、神社の参道として利用されている。


■ 出丸跡 ■

丘陵の北東側の麓に出丸跡があり、中地氏の平時の住処の根小屋とされている。現在の中野保育所のグラウンドとその西側の宅地?が曲輪跡とされる。なお、保育所の建物の方は堀跡を埋め立てて北側に拡張した場所に建っている。

▼歴史

▼詳細情報

最終訪城日 2019年12月15日
別名 鶴島城、中地城
前身 -
前身の築城年代 -
築城・普請開始 1235年
築城完了 1235年
築城者 (設計者) 束塚実恒
分類 中世平山城
規模 東西130m×南北130m
標高 標高:543m、比高:約15m
文化財指定 -
現存建造物 -
復元建造物 -
模擬・復興建造物 -
遺構 曲輪跡、土塁跡、堀跡
標柱・説明板 -
現状 小倉神社、中野保育所
イベント -
注意事項 -
場所 福島県郡山市湖南町中野諏訪前

▼アクセス

 上戸駅からバスで

JR磐越西線「上戸駅」から会津バスの「赤津」又は「勝田内」行きに乗り、「中野三森別」で下車。そこから徒歩2分で小倉神社の鳥居付近。

 駐車場

駐車場は無い。小倉神社の鳥居よりもやや北側に寄せれるスペースはある。

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