
亀山館 かめやまだて
築城に関しては不詳だが、平安時代に筑紫国から開拓のためにやってきた宗像氏の一族の居館と伝わる。現在は稲荷神社と雑木林で、周囲は水田と民家。▼遺構や見所
■ 斎藤稲荷大明神 ■
城跡とされているのは長さが100mほどの独立丘陵で、丘陵上の平場はせいぜい幅5mほどの空間しかなく、とてもじゃないがこの丘の上に建物があったとは思えない。第一印象としては大きな土塁である。現在、この上には斎藤稲荷大明神が祀られており、東側に階段が付いている。
■ 南西の残丘 ■
ハッキリ言って城館の構造が謎でしかないが、70年代の航空写真を見ると丘陵はL字型になっており、画像の現在民家が建っている南西の残丘と繋がっていた。なので、「昔は大きな丘陵がここにあった」もしくは「居館を守るために穴尾地区を塞ぐように防塁が築かれた」という可能性が浮かんでくる。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 平安時代筑紫国から宗像氏の一族が開拓のためにやってきて、この場所に居館を構えたとされる。宗像氏一族
- 1261年頃この頃の館主は宗像氏と伝わる。『会津古塁記』宗像氏
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年12月15日 |
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別名 | 亀山塞館、亀山塁、亀山城 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 平安時代 |
築城完了 | 平安時代 |
築城者 (設計者) | 宗像氏一族 |
分類 | 不明 |
規模 | 不明 |
標高 | 標高:535m、比高:約10m(丘の高さ) |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 塁壁? ※城址の丘なのか土塁なのか判断に悩む |
標柱・説明板 | - |
現状 | 稲荷神社、雑木林、水田、民家 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 福島県郡山市湖南町福良字高橋 |