
新城 しんじょう
築城に関しての詳細は不明だが、16世紀頃に伊東盛恒によって築かれた山城と伝わる。現在は愛宕神社と墓地、および山林。▼遺構や見所
■ 主郭跡 ■
新城山の山頂に主郭跡があり、曲輪はやや長方形で山林と化しているが南東側に土塁がハッキリと残っている。北西側は一段降って二の曲輪に続いており、こちら側には土塁は無い。なお、北東部には虎口の跡が確認できる。
■ 枡形虎口 ■
主郭の北東部にある虎口で、画像だと判り辛いが枡形虎口の構造になっている。ここから出ると主郭一段下の帯曲輪に出ることが出来るが、山伝いに東に脱出できる場所のため、恐らく搦手口と思われる。
■ 愛宕神社 ■
主郭跡の南西隅には愛宕神社が祀られているが、明らかに廃城後に主郭を削って造った地形になっており、参道も急斜面に階段を付けた強引な構造の為、福良の町から一気に70mも登ることになる。なお、参道の入口は福良の町のL字カーブ付近にある。
■ 帯曲輪 ■
主郭跡一段下の北東から南西まで時計回りに帯曲輪が付随しており、主郭とは虎口で繋がっている。主郭同様に山林と化しているが、ここの一角には古い墓所がある。麓の寺からかなり離れている為、この墓所が出来た経緯が少し気になる。
■ 二の曲輪 ■
主郭北西側の一段低い場所に二の曲輪があり、尾根伝いに長方形の曲輪になっている。こちらも主郭同様に山林となっており、北西端に虎口が確認出来る。恐らく鶴山城へと続いている為、こちらが大手と思われる。
■ 末端部の曲輪 ■
二の曲輪より下の北西の尾根は長泉寺の墓地になっており、地形は大分改変されている。墓地の先には三十三観世音が祀られた一角があり、そこから一段降りた先に小さな社が祀られた曲輪跡らしき場所がある。ここより先には平場は確認出来ない為、ここが縄張りの末端部と思われる。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 16世紀中地と福良の領主だった伊東盛恒によって築かれた山城と伝わる。伊東盛恒
- 1589年伊達政宗の会津侵攻時に落城し、伊東盛恒は蘆名義広の元へと落延びた。伊東盛恒
▼詳細情報
最終訪城日 | 2020年12月6日 |
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別名 | - |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 16世紀 |
築城完了 | 16世紀 |
築城者 (設計者) | 伊東盛恒 |
分類 | 中世山城 |
規模 | 不明 |
標高 | 標高:600m、比高:約70m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 曲輪跡、土塁 |
標柱・説明板 | - |
現状 | 愛宕神社、墓地、山林 |
イベント | - |
注意事項 | 熊出没注意(付近で目撃情報あり) |
場所 | 福島県郡山市湖南町福良字東山 |