
福島城 ふくしまじょう
築城時期は定かでは無いが14~15世紀に十三湊の安藤氏が使用していた城だとされる。現在は史跡整備された部分以外は畑と雑木林。▼遺構や見所
■ 内郭跡 ■
内郭はほぼ200m四方の正方形の曲輪で、発掘調査で掘立柱の御殿や池等が発見されており、15世紀中頃に造られたと判明している。このため、築城当初は内郭が存在しなかったようで、南部氏に駆逐された安藤氏が一旦復帰した時に築かれたものと考えられている。
■ 模擬城門 ■
内郭北側には模擬城門が建っているが年季が入っていてボロボロである。なお、発掘調査の記録を見る限りでは内郭は東と南に門跡が見つかっているが、北側には無かったようだ。
■ 内郭土塁と堀 ■
内郭の四方には土塁と堀があるが、堀については北側以外は埋まりかけていて明確でない。また、北側の堀も高低差がある場所に造られている為、元々は空堀だった可能性がある。
■ 外郭東土塁と堀 ■
外郭東側の土塁と堀は城内で最も規模が大きく、土塁は版築で出来ており高さは3~4mほどある。発掘調査で14世紀後半に造られたことが判っており、東の下之切道から来る南部氏に備えて築かれたものと思われる。
■ 外郭西土塁 ■
外郭西側の土塁は断片的にしかなく、東側と違って規模も小さい。なので、西側の防御は東側に比べると薄いように見える。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 10~11世紀発掘調査から古代の環濠集落があったことが判っている。-
- 平安時代奥州藤原氏の一族の十三氏の居城とする説もあるが裏付けるものは無い。十三氏?
- 1312~1317年安倍貞季(安藤貞季)が新城を築く。『十三湊新城記』安藤貞季?
- 14世紀後半外郭東土塁と堀が造られる。安藤氏
- 1432年安藤氏は南部氏の攻撃を受けて敗れ、蝦夷島(北海道)へと退去する。その後、室町幕府の調停で十三湊に復帰したとされる。安藤氏
- 15世紀中頃掘立柱造りの御殿を備えた内郭がこの頃に築かれる。安藤氏
- 1442年安藤氏は南部氏の攻撃を受けて敗れ、小泊の柴崎城へと退去する。『新羅之記録』安藤氏
- 1443年安藤氏は小泊から海を渡って松前へと逃れ、城は以後使用されることなく廃城となったとされる。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年5月1日 |
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別名 | - |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 14世紀頃 |
築城完了 | 14世紀頃 |
築城者 (設計者) | 安藤氏? |
分類 | 中世丘城 |
規模 | 東西1km×南北1km |
標高 | 標高:32m、比高:約30m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | 模擬城門 |
遺構 | 土塁、空堀(水堀)、曲輪跡 |
標柱・説明板 | 内郭北側と外郭東側に説明板あり |
現状 | 公園?、畑、雑木林 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 青森県五所川原市相内 |