藤崎城 ふじさきじょう

築城に関しては資料によって違いがあるが、概ね11世紀に安倍高星丸、又は子の尭恒が築いた城で、藤崎安藤(安東)氏代々の居城。15世紀に南部守行に攻め落とされてからは南部氏の支城となり、後の津軽独立戦争後は大浦為則の居城となった。現在は大部分が藤崎の街に埋没。

▼遺構や見所

■ 外構えの土塁 ■

主郭(東奥信金付近)や副郭は完全に街に埋没しており、主郭より東にあった外構え(新館、東郭とも言う)の土塁の一部だけがハッキリと残っている。


■ 藤崎八幡宮 ■

外構えの南東隅に藤崎八幡宮が鎮座しており、由緒によれば築城時に高星丸によってこの場所に勧請されたという。江戸時代の絵図にも描かれていることから古くからあったことは確かだが、安倍氏の仇敵の守護神(八幡太郎は源氏の氏神)を祀るのも納得がいかないので、安藤(安東)氏が鎌倉幕府に加わった時に勧請されたのではないだろうか。


■ 外構え東の外堀跡 ■

外構えの東側にあった外堀の跡がある程度残されており、周囲より一段低い地形が今は荒れ地や畑地になって帯のように残っている。


■ 外構え内部の堀跡 ■

江戸時代の絵図を見ると外構えは中央で堀によって2つに分断されており、この堀が今も同じ場所に水路となって確認できる。

▼歴史

▼詳細情報

最終訪城日 2019年5月1日
別名 -
前身 -
前身の築城年代 -
築城・普請開始 11世紀頃
築城完了 11世紀頃
築城者 (設計者) 安倍高星丸、もしくは安倍尭恒
分類 中世平城
規模 東西360m×南北800m
標高 標高:22m、比高:-
文化財指定 -
現存建造物 -
復元建造物 -
模擬・復興建造物 -
遺構 土塁、空堀(水堀)
標柱・説明板 主郭跡と外構えの土塁に木碑あり
現状 商業施設、住宅地、神社
イベント -
注意事項 -
場所 青森県南津軽郡藤崎町大字藤崎字舘岡、村岡、四本松

▼アクセス

 藤崎駅から徒歩で

JR五能線「藤崎駅」から徒歩5分で主郭跡、徒歩15分で外構えの端の藤崎八幡宮。

 弘前駅からバスで

JR奥羽本線「弘前駅」から弘南バスの「五所川原」行きに乗り、「藤崎船場角」で下車。そこから徒歩すぐで藤崎八幡宮。

 駐車場

付近に駐車場なし。

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