
藤崎城 ふじさきじょう
築城に関しては資料によって違いがあるが、概ね11世紀に安倍高星丸、又は子の尭恒が築いた城で、藤崎安藤(安東)氏代々の居城。15世紀に南部守行に攻め落とされてからは南部氏の支城となり、後の津軽独立戦争後は大浦為則の居城となった。現在は大部分が藤崎の街に埋没。▼遺構や見所
■ 外構えの土塁 ■
主郭(東奥信金付近)や副郭は完全に街に埋没しており、主郭より東にあった外構え(新館、東郭とも言う)の土塁の一部だけがハッキリと残っている。
■ 藤崎八幡宮 ■
外構えの南東隅に藤崎八幡宮が鎮座しており、由緒によれば築城時に高星丸によってこの場所に勧請されたという。江戸時代の絵図にも描かれていることから古くからあったことは確かだが、安倍氏の仇敵の守護神(八幡太郎は源氏の氏神)を祀るのも納得がいかないので、安藤(安東)氏が鎌倉幕府に加わった時に勧請されたのではないだろうか。
■ 外構え東の外堀跡 ■
外構えの東側にあった外堀の跡がある程度残されており、周囲より一段低い地形が今は荒れ地や畑地になって帯のように残っている。
■ 外構え内部の堀跡 ■
江戸時代の絵図を見ると外構えは中央で堀によって2つに分断されており、この堀が今も同じ場所に水路となって確認できる。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1063年頃「前九年の役」で安倍氏が滅亡すると、安倍貞任の子の高星丸は乳母に抱かれて津軽の藤崎へと落延びた。『藤崎系図』-
- 1063年頃「前九年の役」で安倍氏が滅亡すると、安倍貞任の子の高星丸は鹿角郡高畑へと落延びた。『藤井蔵由緒書上帳』-
- 1079年安倍高星丸頼信は菅野、安塚、高畑の3名の家臣に守られて平賀郡の藤崎へと落延びた。『藤井蔵由緒書上帳』-
- 1082年安倍高星丸頼信は藤崎に館を築いて居城とした。『藤井蔵由緒書上帳』安倍頼信
- 1092年安倍高星丸は安倍十郎貞義を称し、藤崎城を築いて居城とした。『安倍家記』安倍貞義
- 1092年安東高星丸は藤崎城を築いて居城とし、八幡宮を勧請した。『安東氏顛末記』安倍貞義
- 1092年安倍十郎貞義の子の尭恒が藤崎城を築いて居城とした。安倍尭恒
- 1195年藤崎の安東尭季が鎌倉幕府から蝦夷管領に命じられる。安東尭季
- 1206~1224年鎌倉幕府の北条義時が安藤五郎を蝦夷管領に任じて派遣する。『保暦間記』安東氏
- 1229年藤崎の安東愛季が十三氏を滅ぼして十三湊一帯を手中に収める。安東愛季
- 1312~1317年安倍貞季(※北条貞時の被官の藤崎の安藤季盛)が十三湊に新城を築く。『十三湊新城記』安倍貞季
- 1322年蝦夷の蜂起に関連して安藤太郎季長と安藤五郎季久が争い鎌倉幕府に調停を求めた。『保暦間記』安藤季長?
- 1325年蝦夷の蜂起が鎮圧され、安藤太郎季長は蝦夷管領を罷免される。代わって安藤五郎季久が蝦夷管領に任じられる。『鎌倉年代記』安藤季長?
- 1325年安藤太郎季長は折曽関へと籠城して抵抗を続け、安藤季久は内末部から藤崎の隣の尻引へ本拠地を移した。安藤季久?
- 1326年7月鎌倉幕府から派遣された工藤貞祐によって安藤太郎季長は捕らえられ鎌倉へと送られたが、季長の一族が更に抵抗を続けた。安藤季久?
- 1328年安藤季長一派の反乱が和談により終息する。安藤季久?
- 1334年鎌倉幕府滅亡後、鎌倉残党が津軽へと落延びて持寄城に立て籠もる。後に降伏して安藤宗季が降人を預かる。安藤宗季
- 1336年建武政権から足利尊氏が離反すると安藤高季と家季は尊氏側に付き、藤崎の安藤氏は北朝として活動する。安藤家季
- 1339年藤崎の安藤家季は尻引館に立て籠もって南朝勢と戦うが敗れる。以後は南朝の拠点になったとも十三湊の安藤氏が領有したとも伝わる。安藤家季
- 15世紀津軽に侵攻した南部守行の攻撃を受けて落城する。安東氏は津軽から海を渡って松前へと逃れた。安東氏
- 15~16世紀南部氏は藤崎城に一時城代を置いていた時もあった。南部氏
- 1571~1585年津軽独立戦争にて大浦為信に占領され、為信の養父の為則や義弟が城代として入ったという。大浦為則
- 1585年津軽為信の義弟たちが川遊びで溺死し、これ以後は城は廃城になったという。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年5月1日 |
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別名 | - |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 11世紀頃 |
築城完了 | 11世紀頃 |
築城者 (設計者) | 安倍高星丸、もしくは安倍尭恒 |
分類 | 中世平城 |
規模 | 東西360m×南北800m |
標高 | 標高:22m、比高:- |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、空堀(水堀) |
標柱・説明板 | 主郭跡と外構えの土塁に木碑あり |
現状 | 商業施設、住宅地、神社 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 青森県南津軽郡藤崎町大字藤崎字舘岡、村岡、四本松 |