
和田城 わだじょう
詳細は不明だが、南北朝時代後期頃の和田四郎の居城と伝わる。現在は鶴寿苑がある丘付近。▼遺構や見所
■ 城跡付近 ■
画像左の丘の上が城跡とされる場所だが、鶴寿苑という福祉施設になっているため確認出来ない。秋田県遺跡地図によれば丘の下の方も城跡っぽいが、これといった遺構は確認できなかった。
■ 鶴ヶ池 ■
舌状台地先端の丘の上にある池で、自然に出来たとは思えない立地にあるが、中世には既に存在していたことが確認できる。菅江真澄の記録では「和田城沼」とも呼ばれており、池で鶴を飼っていたことから鶴ヶ池と呼ばれた。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 南北朝時代和田四郎が居城とする。和田四郎
- 18世紀末菅江真澄が鶴ヶ池を訪れて風景をスケッチし、和田城についての伝承を記録する。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年11月3日 |
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別名 | - |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 南北朝時代? |
築城完了 | 南北朝時代? |
築城者 (設計者) | 和田四郎? |
分類 | 中世丘城 |
規模 | 不明 |
標高 | 標高:135m、比高:約30m(※台地の麓から) |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 堀跡(※存在するらしいが未確認) |
標柱・説明板 | なし |
現状 | 鶴寿苑、鶴ヶ池公園、雑木林、住宅地 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 秋田県横手市山内土渕字鶴ヶ池 |