
滝沢城 たきざわじょう
1603年に滝沢政道によって前郷の台地に築かれた丘城で、最上氏家臣の滝沢氏の居城となった。1622年に最上家が御家騒動で改易となると廃城となった。現在は住宅地と畑。▼遺構や見所
■ 本丸跡 ■
本丸跡は訪問時は空き地となっており、何やら土砂が盛られていた。画像の標柱は本丸跡の西側にあり、この辺りに本丸表門があったという。
■ 内堀跡 ■
内堀は水堀だったが残念ながら全て埋め立てられてしまっている。それでも、本丸跡と二の丸跡の間の道路はハッキリ凹んでおり、ここが内堀の西側の部分だったことが良くわかる。
■ 二の丸土塁 ■
二の丸跡はほぼ住宅地になっており、西側の旧学校跡地付近に二の丸西側の土塁が残っている。
■ 住吉神社&八坂神社 ■
二の丸の土塁の延長線上に明らかに高くなっている場所があり、櫓台と思われるが記録には櫓は書かれていない。現在そこには住吉神社と八坂神社が祀られているが、パット見では民家か集会所にしか見えない。
■ 現存外堀 ■
外堀も内堀同様に水堀だったが、今はほとんど埋め立てられており、西側の一部だけが現存している。
■ 外堀跡 ■
埋め立てられた外堀は一部は住宅地になっているが、大部分は畑に変わっている。このため前郷の街の真ん中を畑が横切っており、なかなか異質な風景になっている。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1575年由利十二頭の滝沢政家は矢島満安に敗れて討死し、遺児を連れた家臣は最上義光を頼って落ち延びた。-
- 1602年慶長出羽合戦の後、滝沢政道は最上領となった由利郡の滝沢郷一万石を与えられ、再び故郷へと返り咲いた。-
- 1603年前郷の台地に新たに日野備中の設計で滝沢城の普請を開始する。-
- 1606年8月滝沢城が完成したため滝沢政道は居城を移した。滝沢政道
- 1609年滝沢政道が家臣に殺害された為、弟の政範が跡を継いだ。滝沢政範
- 1622年最上家が御家騒動で改易となった為、9月には滝沢氏は下野して浪人となった。城は10月に幕命で破却された。滝沢政範
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年4月28日 |
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別名 | 滝沢館 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 1603年 |
築城完了 | 1606年8月 |
築城者 (設計者) | 滝沢政道 (日野備中) |
分類 | 梯郭式丘城 |
規模 | 東西400m×南北200m |
標高 | 標高:18m、比高:約5m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 水堀、土塁 |
標柱・説明板 | 二の丸跡西側に説明板と標柱あり。本丸跡にも標柱あり。 |
現状 | 住宅地、旧学校跡地、畑、神社 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 秋田県由利本荘市前郷字滝沢舘 |