
白岩城 しらいわじょう
築城に関しては不詳だが、白岩氏代々の居城である山城。1354年に戸沢氏盛によって攻め落とされ、以後は戸沢氏の家臣となる。現在は古城神社が鎮座する山林で、山道が整備されている。▼遺構や見所
■ 本丸(古城神社) ■
本丸は山頂の広い曲輪と南側に階段状に繋がる3段の曲輪、そして北西側に一段低い曲輪から構成されており、山の上に広い平場を確保している。今はこの一番上の曲輪に古城神社の社があり、遺構としては土塁が確認できる。
■ 堀切 ■
本丸北東部には白岩岳へと続く尾根があるが、ここに堀切が設けられており、背後の山塊とはここで遮断されている。本丸側が急斜面のため、堀切の更に先の方まで遺構があるかは確認していない。
■ 本丸の曲輪群 ■
本丸から階段状に連なっている曲輪群は一つ一つが広く、恐らく居住施設や蔵などの重要な施設が全て本丸周辺に集められていたものと思われる。
■ 横堀 ■
本丸の西側側面に横堀が設けられており、通路と繋がっていることから堀底道、もしくは土塁を伴った帯曲輪と思われる。
■ 井戸の台 ■
山の中腹にはいくつか曲輪が設けられているが、西側の曲輪の一つは「井戸の台」と呼ばれており、名前からして水の手の井戸があった場所と思われる。ただ、井戸と思われる痕跡は見つけれなかった。
■ 燈火祭 ■
毎年2月に行われるイベントで、クライマックスになると山城の曲輪や山道に松明が灯される。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1057年伝承では白岩の城主として藤原有信(もしくはその家臣の宮藤正重)の名前が出てくる。『月の出羽路仙北編』藤原有信?
- 1087年?白太郎重康(下田重康)が源義家に従って「後三年合戦」で活躍し、仙北郡に居城を構える。白岩重康?
- 1212年白岩善左衛門(下田盛国?)が十六沢城を攻め落として宮藤六兵衛を降す。『秋田風土記』白岩善左衛門
- 1354年戸沢氏盛に攻め落とされ、以後白岩氏は戸沢氏の家臣となる。白岩氏
- 1430年頃白岩盛忠(下田盛忠)の娘が戸沢久盛へと嫁ぐ。『戸沢家譜』白岩盛忠
- 1450年白岩城主の白岩盛基によって雲巌寺が建立される。『雲巌寺由緒』白岩盛基
- 1529年戸沢秀盛が亡くなると幼少の道盛が跡を継ぐが、後見人の叔父の戸沢忠盛によって追放されてしまう。しかし、白岩盛任をはじめとする重臣たちは忠盛には従わなかった為、忠盛は本拠地の淀川城へと逐電する。白岩盛任
- 1541年戸沢氏は内紛により弱体化していた所を小野寺殖道に突かれて角館城まで攻め込まれるが、白岩盛任らの活躍もあって撃退に成功した。白岩盛任
- 1590年豊臣秀吉の戸沢氏への安堵状に従い、戸沢氏の三十五箇所の城(白岩城含む)が破却される。『戸沢文書』白岩盛正
- 2004年
9月4日市の史跡に指定される。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2020年2月1日 |
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別名 | 白岩館 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 平安時代頃? |
築城完了 | 平安時代頃? |
築城者 (設計者) | 藤原氏? |
分類 | 中世山城 |
規模 | 面積:東西350m×南北500m |
標高 | 標高:220m、比高:約120m |
文化財指定 | 市指定史跡 |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、空堀、曲輪跡 |
標柱・説明板 | 麓の駐車場に説明板あり |
現状 | 古城神社、山林 |
イベント | 燈火祭(2月) |
注意事項 | 熊出没注意 |
場所 | 秋田県仙北市角館町白岩 |