
浜館 はまだて
13世紀末に由利政重・政春親子によって仁賀保丘陵北部の山の上に築かれた山城。由利氏と敵対していた鳥海弥三郎に攻め落とされた。現在は「浜館公園」。▼遺構や見所
■ 主郭 ■
仁賀保丘陵北部の山々が連なる一角のピークに東西に長い削平地があり、ここが主郭とされている。削平地以外の遺構は見られないが由利氏の末裔によって「はまのたての址」と書かれた石碑が建てられている。
■ 北の郭 ■
主郭の東西には腰郭があり、北側は中腹の突き出た部分に比較的大きな削平地がある。ただ、公園を整備して桜を植えた時に出来た可能性もある。
■ 鞍部の郭 ■
主郭のあるピークと海側の三角点があるピークとの間の鞍部にも比較的大きな郭があり、海風が防げる場所のため建物があった可能性もある。
■ 浜館公園西側 ■
構造的に主郭から鞍部を挟んで海側のあたりも城内のはずだが、主郭付近と違って切岸が無く、ハッキリ曲輪と判る地形になっていないため判断に困る。
■ 城址からの景色 ■
城跡からは南方に西目ウィンドパークの風車越しに鳥海山が見えるし、海側からは日本海が見渡せるため絶景である。画像は微妙な天気だったせいで霞んでしまった鳥海山。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1291年「和田盛義の乱」の時に由利維久は所領を没収されたが、孫(甥の説あり)の政重の頃に許されて由利郡の旧領に復帰した。この時、由利氏は御前山の館を居城としたという。-
- 1297年浜館の城主の由利仲八郎によって御前山に熊野神社が勧請された。『熊野神社縁起』-
- 1298年浜館の築城が完成した為、御前山の館より居城を移した。由利政重/政春
- 1300年由利政重が亡くなり政春が跡を継ぐ。由利政春
- 1311年3月郡内で対立していた鳥海弥三郎の夜襲を受けて浜館は落城し、由利政春は鳴沢館へと逃れた。由利政春
- 1467年室町幕府の命で信濃国から出羽国由利郡へ地頭が数人派遣され、その一人の海野弥太郎は由利郡に入ると浜館に入った。海野弥太郎
- 15世紀海野弥太郎は潟保館の斎藤氏に婿入りし、以後は潟保氏を称して潟保館を居城とした。浜館がこれ以降も使用されたかは不明。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2018年4月21日 |
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別名 | 西目館 |
前身 | - |
普請開始 | 1291年? |
築城完了 | 1297年又は1298年 |
築城者 (設計者) | 由利政重 |
分類 | 中世山城 |
規模 | 東西300m×南北250m |
標高 | 標高:116.4m、比高:約100m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 郭跡 |
標柱・説明板 | 東の公園入口に説明板と標柱あり。主郭に城址碑あり。 |
現状 | 浜館公園、山林 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 秋田県由利本荘市西目町出戸字堀ノ沢 |