
尼子館 あまごたて
築城については不明だが三浦氏の浦城の出城とされている。「湊合戦」の時に女子供が避難した場所とも伝わる。現在は山林だが山道が整備されている。▼遺構や見所
■ 主郭跡 ■
城跡は主郭が頂上に1つあるだけで、後は腰郭で補強されたシンプルな構造をしている。高岳山と繋がっている北以外は急斜面だが、水の手も見当たらずあまり籠城に向いているようには思えない。
■ 腰郭跡 ■
主郭の南側には腰郭が雛壇状に5連続で設けてあり、今はこの腰郭を直登する形で山道が付いている。ただ、木製の階段は朽ちてしまって階段の意味を成していない箇所もあった。
■ 堀切跡 ■
主郭の北側は高岳山と繋がっている為、鞍部の箇所に堀切跡らしきものがあるが、浦城のように切断ではなく土橋状に繋げたまま両脇を削いだように見える。
■ 主郭から見た景色 ■
画像は男鹿半島方面を見た景色で、眼下に広がるのは八郎潟の干拓地。当時は八郎潟を行き来する船等を監視していたのかもしれない。
■ 登山口 ■
城跡への登山口は「尼子館碑」の裏側にあり、直登で高低差90mくらいを登るというなかなかハードな山道となっている。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 中世三浦氏が浦城の出城として築いたとされる。三浦氏
- 1585~1588年湊安東氏に味方した三浦盛永が浦城に籠城した際、女子供はここに避難したため、尼子館と呼ばれるようになったという。三浦氏
- 1742年三浦尼公(三浦氏所縁の女性)が庵を建てて住んだ為、比丘尼館と呼ばれた。『盲花見車』三浦尼公
▼詳細情報
最終訪城日 | 2018年11月24日 |
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別名 | 比丘尼館 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 不明 |
築城完了 | 不明 |
築城者 (設計者) | 三浦氏 |
分類 | 中世山城(単郭) |
規模 | 東西50m×南北150m |
標高 | 標高:113m、比高:約100m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | 櫓 |
遺構 | 堀切、郭跡 |
標柱・説明板 | 麓に城址碑あり。 |
現状 | 山林 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 秋田県南秋田郡八郎潟町浦大町小坂 |