事件と裁判 追悼

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検察庁への意見書

札幌地方検察庁御中

被告人の処罰についての希望 ―特に被害者の気持ちについての意見―

前田 敏章/真紀子

私たちは1995年10月25日、千歳市北信濃770番地で交通事故死した前田千尋の父母です。事故に関する供述は11月7日千歳警察署において、そして12月4日札幌地方検察庁において、それぞれ行いましたが、事故を起こしたAさんの処罰等についてその後さらに考えるところがあり、また、前記供述の際の言い足りない思いも含めて、少し整理ができましたので申し述べる次第です。

【Ⅰ】加害者の処罰について

加害者Aさんの処罰については、法律に従い実刑を望みます。先の供述で「法律に従い公正な」処罰を、という主旨を申しましたが、このとき私たちは、過失が重大な業務上過失致死は実刑が必定と勝手に思い込んでおりましたので、そのような表現をしたのでした。執行猶予になるということは私たちの本意ではありませんので申し添えます。
実刑を望む理由は、一言でいうなら長女の死を無駄にしたくないからです。娘は歩行者、子ども、老人などいわゆる「交通弱者」の安全が軽視されている「クルマ優先社会」の犠牲になったと考えています。車道を作ってクルマには便宜をはかるが、歩道の整備は二の次にするという行政にも問題がありますが、ここでは運転者の安全意識、とりわけ歩行者等の安全を守る意識の欠如について絞って述べます。

私たちも運転をしますから自分の反省を含めて思うのです。一般のマイカー運転者の中で、いったいどれだけの人がプロ的意識をもって歩行者等の安全確保を最優先にした運転を励行しているでしょうか。例えば電車の運転手は、当然にも安全重視の運転を専門的に訓練され、勤務時間等も安全にとって無理なく配慮されて運転に従事しているはずです。しかし、レールがなく一般の通行者と隔離されていない生活道路を走る自家用車の運転者はどうでしょうか。レールがなく自由度が大きい分危険度も大きいはずですが、それに見合う安全意識は極めて低いのではないでしょうか。クルマは歩行者に対し莫大な運動エネルギーの塊として迫ってきます。人の体重の数十倍もの鉄の塊ですから、たとえ低速度であったとしても容易にその命を奪い、若しくは頭部などに重大な損傷を与えるのです。

このような恐ろしいクルマを操作する運転者は、安全に関してプロ意識をもっているでしょうか。子どもが急に飛び出したり、お年寄りがふらふらと車道に出て来ることを常に想定してハンドルを握っているでしょうか。子どもやお年寄りがそうした行動をするのはごく当たり前のはずなのに、多くの運転者は道路がクルマのためだけにあるような錯覚をいつしか持っているのではないでしょうか。そしてこの倒錯は良く整備され普及した各種自動車保険によっても助長されてはいないでしょうか。

娘の加害者であるAさんの場合が正にそうです。現場は加害者の自宅から200メートルもない通い慣れた道です。最寄りのJR長都駅利用の通勤通学者が多いことは熟知しており、通行者の多い時間帯で日没が早い晩秋、暗い上に雨と強風です。加えて歩道が設置されていないという悪条件が重なれば、尚のこと神経を集中して安全運転を心がけるのが常識です。
しかし急ぐあまりの「前方不注視」。ここには歩行者保護の意識は豪もありません。人格的に特別な問題も見当たらない加害者でありながら、ごく基本的な安全運転が実行できていないところに、現在の交通事故、とりわけ歩行者事故の根の深さがあるように思うのです。
そしてまた、この加害者の場合果たして単なる「過失」に留まるのでしょうか。このような悪条件の中、一瞬でも注意を怠れば、ましてや前方から目を離せば、取り返しのつかない重大惨事になることは十分予想できたはずです。加害者の行為は「過失」ではなく、危険を予知しながらもあえてその危険を冒して行為した「未必の故意」に他ならず、正に「重大過失」です。

問題は、こうした重大過失(未必の故意)をいかにゼロに近づけるかということです。娘の事故後も同様な歩行者事故が毎日のように報じられていますが、その度に胸がおしつぶされる思いです。最愛の娘を失ってなお、この種の「過失」が懲りなく生じているのです。このままでは娘の尊い犠牲は報われません。心ない人たちが言うように、娘は「運が悪かった」「運命だった」「早く(潔く)忘れなさい(諦めなさい)」ということになってしまいます。加害者に対しても同じように「運が悪かった」で済まされてしまいます。

もし加害者が実刑ではなく執行猶予がついた場合、こうした風潮はより加速されることにならないでしょうか。損害補償など各種保険が「整備」されている今日です。「初犯だから」「故意ではないから」「加害者にも家族があり事情も理解できるから」「十分反省しており遺族に対する誠意も尽くしているから」等々の理由で刑罰が軽く扱われるとすれば、歩行者等の命がクルマの利便さと引き換えに不当に軽視される「クルマ社会」の問題は改善に向かいません。実刑を免れ、保険で経済的な痛手も負わず、それまでと変わらぬ生活を続けられる加害者。これでは、かけがえのない命を結果として奪った加害者の犯罪性が社会的に制裁されることにはなりません。以後同種の事故を無くすることにもならないと思います。

日々伝えられる交通事故のニュースで、私たちの感覚は麻痺し、交通事故をごく日常的な事象と受け取ってはいないでしょうか。毎年1万人前後が犠牲になるという確率の問題としてとらえ、根本的に事故を減らす方策が置き去りにされていないでしょうか。私たちも、そのような感覚麻痺に陥っていたことを否定できないからこそ言いたいのです。取り返しのつかない過ちを犯した加害者には、やはり生涯をかけて償って欲しいと思います。ハンドルを握るすべての人に、このような重大過失にはそれ相当の処罰があることを事実の重みをもって示していただきたいのです。

実刑を望むのは、単に感情的発露からのものではありません。

娘の不慮の死を知らされ、悪夢のような信じがたい事実に向き合わされた時、私たちは娘の成仏ばかりを願いました。さらに、私たちには当初事故の詳細が何ら知らされず、後ろからきたワゴン車にはねられ即死としか把握できなかったため、暗くて雨が降り制服も紺なので、運転者が注意して走っていたにもかかわらず発見が遅れた、避けがたい事故だったのではないかと勝手に思い込みました。そのため事故の当日、加害者のご主人が謝罪にきたとき、私たちは「着ているものも黒っぽくて見づらかったのでしょう。私たちも運転をしますから」という思いやりの言葉をかけているのです。さらに加害者が直接訪ねて来た10月28日に事故の様子を聞いたところ、加害者の母親が本人に代わって「150メートルほど手前では歩行者の姿は見えなかった。何かがぶつかって、不審に思ってUターンした。通りがかりの車に救急車の連絡を頼み、自分は看護婦でもあるので生き返って欲しいと念じて人工呼吸を試みた」と説明しました。それを聞いた私たちは、やはり「前方不注視」など重大過失があったことも知らないものですから、その事後措置に感謝し「看護婦の仕事をやめることなく頑張って欲しい」旨を述べました。

当時は、交通事故への怒りは強くありましたが、運転者への怒りはさほど無かったのです。これに対して加害者の父親が感謝していたことを鮮明に覚えています。また、当時私(敏章)が加害者へ寛大な気持ちをもっていたことは、私の勤務校である千歳高校定時制の受け持ち4クラスで、娘の事故について話した中でも触れていることです。

加害者への寛大な気持ちが変わったのは、12月4日にも供述しましたが、11月6日に事故の詳細を知ってからです。担当の巡査から「運転者が普通に前を見て運転していれば、こんなことにはならなかった」という説明を受け、娘の無念さを思い、娘がたまらなく可哀想になりました。そして改めて加害者への怒りがこみあげてきたのです。さらに、加害者は私が指摘するまで、車のカセット操作のため前を見ていなかったという重大過失について述べようとはしませんでした。11月17日に刑軽減の嘆願に同意を求めてきた加害者の職場の同僚に対して、私が嘆願を断った旨を聞いて初めて釈明にくる(11月20日)有様です。本当に心から謝罪するのであれば、先ず事実を隠さず話すことが当然と考えるのですが、加害者は母親が代わって説明した10月28日の話だけで、前を見ていなかったということは11月20日まで触れずじまいだったのです。

このことからも、私たちの加害者に対する気持ちは大きく変わりました。すなわち、加害者は運転していたときがそうであったように、行動はあくまで自分本位です。運転しているときは、手数料のかからない6時までに銀行へ行かなくてはならないから、危険を冒して変則ギアを最大回転比の5速に入れ、前を確かめず疾駆させました。事故後は被害遺族の気持ちなど顧みず、自分と家族の都合で実刑を免れるために嘆願署名など八方手を尽くすのです。

私たちはそんな加害者の非常識がわかりませんから、つい最近まで娘の仏前へのお参りを拒否したことも、感情的になって罵倒したということもありません。娘の成仏を考え、加害者の気持ちも配慮しお参りしていただきました。しかし、49日も過ぎ、徐々に加害者の反省の度合いや処罰のことが気になりはじめましたので、12月26日、加害者にそのあたりのことを聞いてみました。すると、嘆願書を進めていることについて「もし、実刑を受けると看護婦の仕事が続けられなくなると言われました。そうなると家のローンを払うのに困るので・・・」という答え。そして、私が「娘には何ら過失がなく、あなたの重大過失によって引き起こされた事故である。私たち遺族の気持ちは正当な処罰を受けて欲しいことだが、私どもの気持ちを逆なでする嘆願書はいったいどういうつもりで行うのか」と問うたところ、返ってきた言葉は「交通安全を進めるためと言われました。署名をすることによって交通事故に注意してもらうことができるので」。

あまりに身勝手な言い分です。加害者は刑を軽くしてもらうための「誠意」の証しとしてお参りに来ていたのでしょう。事故現場は先述したように加害者の家からすぐ近くですが、そしてそこには私たち家族と娘の友人たちがお花を供え、家族は日に2回犬の散歩の折に手を合わせているのですが、加害者がそこへ足を運んだ形跡がないことも、ようやく理解できるのです。そして「(周りの人が)こう言いました」などと主体性のない言動です。加害者も2児の母親であれば、子を失った親の気持ちを少しはわかっても良いはずです。償い方について自分なりの考えで行動することもできるはずです。

この加害者の例からも、娘の死を今後に生かし、歩行者の安全確保を貫くためには、交通事故加害者の量刑を重くして、命を奪うことの重大性を広くわかってもらうこと、そして免許取得の資格や、免許取得、更新の際に行われる安全教育の質を厳しく高めることこそ必要ではないかと痛切に考えるのです。

【Ⅱ】遺族の心情

最愛の娘を失った遺族の心情を重ねて述べます。

遺族の思いはもちろん当事者でなければわかるものではありません。私たちの娘は17歳と5か月でその全てを、そして未来を一方的に奪われました。子どもを先に亡くす事自体が稀有です。被害に遭わない人たちにとって、にわかに自分をその立場に置き換え、気持ちを測り知る事は困難でしょう。突然被害者という「当事者」になった私たちには、そのことが十分理解できるのです。そして、だからこそ、私たちは繰り返し、声を大にして述べなくてはと思うのです。

娘が亡くなってから、本当に辛く寂しい毎日です。日が経つにつれ悲しみはより深く重くなっていきます。娘が病魔に侵されたとか、自らの過失でというのであれば、これが娘に与えられた天命だったと何時か気持ちの整理のつく日が来るのかもしれません。しかし、私の娘は病とたたかったわけでもなく、避けがたい自然災害に巻き込まれたのでもなく、何か生命にかかわる過ちをおかした訳でもありません。自分の意志に反して、人為的な強制力をもってかけがえのない命を奪われました。仏前で手を合わせるたびに思うのは「無念だろう、悔しいだろう」という思いばかりです。いつまで経っても「安らかに眠って欲しい」という気持ちにはなれないのです。

事故の日、10月25日は朝から雨模様だったので、私は娘を長都駅まで車で送りました。「行ってきます」と明るい笑顔で別れた娘が、放課後も親しい友人数人と事故の直前まで楽しげに談笑していた娘が、友だちと別れ、電車を降りて十数分後変わり果てた姿になったのです。修学旅行を3週間後に控え、本当に楽しそうな青春真っ只中の娘でした。その日は友だちとの買い物の誘いを断り、「今日は早く帰って久し振りに母と妹と(私は定時制高校勤務のため夕食時不在)夕食を共にするの」と帰路を急いだ優しい娘でした。アルバイト先のラーメン屋のご主人と奥さんから「よく気がつく、優しい本当に良い娘だった」と自分の娘のように可愛がられた子でした。ボーイフレンドもいましたが、同性の友人も多く、みんなから「ちーちゃん」と呼ばれていました。事故後何度も大勢でお参りに来てくれ「千尋ちゃんの嫌いなところは一つもなかった」と懐かしんでくれていますが、本当に友だち思いの娘でした。「卒業したら同級生のいとこと一緒に、札幌のおばあちゃんの部屋を借りて、札幌で働くの」と生き生き語っていた娘でした。年頃になり髪や服装にこだわっていましたが、センス良く着こなすスタイリストの娘でした。思春期の親に対する反発も峠を越え、これから本当に良い母娘、父娘の関係ができると楽しみにしていましたが、もう二度とあの颯爽とした姿をみることも、優しい声を聞くこともできないのです。

事故があってから数日は正にぼう然自失。これは悪い夢に違いない、早く覚めて欲しいと思いました。浅い眠りから覚めるたびに娘のいない現実に涙しました。それ以降一時も娘のことを忘れることはありません。朝起きるたびに娘のいないことが悔しく、仏前でお参りするたびに娘の無念さを思います。食卓を囲む度に椅子や食器が3人分しかないことに悲しくなるのです。娘がボーイフレンドから貰い受け朝早く散歩させるなど可愛がっていた犬を、娘に変わって散歩させるのですが、その散歩コースに娘が轢かれた現場があります。花を飾りそこで手を合わせますが、やはり無念さがまずこみ上げます。中学2年の妹が寂しげながら健気に学習に精を出し、台所の手伝いをする姿を見て、姉がいればこれからの人生ずっと仲良くお互いに支えあうことができるのにと口惜しさで一杯になります。車の運転をするたびに、車の前部に激しく打ちつけられた娘の姿が想像され、どんなに痛かっただろうか、どんなに苦しかっただろうかと不憫に思います。雨の日の運転は特に、「どうして」「何故」と事故のことを思い起こします。娘と同じくらいの背格好で歩いている女性を見たり、制服姿の女生徒を見かけるたびに、もしや千尋ではと、思わず見つめてしまうのです。

家族の誕生日が来ようが、クリスマスが来ようが、正月を迎えようが、楽しい気分には一向なれません。昨年の正月、祖父母の家でいとこや親たちと夢中になって百人一首をしたことを思い出します。家族4人で富良野へ2泊3日のスキーに行き、娘の友だちが一緒で、朝から晩まではしゃいでいたこともよみがえってきます。巡ってくる月日や行事のたびに長女がいた時の楽しい一こま一こまが思い出され辛くなります。家族旅行や夏休みに恒例になっていた家族キャンプ、揃っての外食など、もはやこれまでのように出かけることはできません。楽しいことを企画することさえできないのです。全ての楽しみや喜びは数千分の一になり、悲しみは、分かち合う家族が欠けた分、幾万倍にも大きくなっています。

私たち家族は4人が揃ってはじめて家族なのです。長女が奪われてもうこれまでの家族には成り得ません。長女の千尋が生まれてこのかた、どんな思いで育てたか、また私たち親と妹が千尋からその可愛いらしさや優しさなどからどんなに心を和まされ、幸せを感じ、生きがいとなってきたか。その一端を知っていただきたく、わが家で発行した家族新聞を12月24日に提出しました。家族新聞のほかにも楽しかった家族の記録は、八ミリ映画やビデオ、写真などたくさんあります。娘が事故に遭う3日前にも娘の小さい頃撮影した成長記録の八ミリ映画を家族4人で観ていました。2人の娘は自分の幼い頃の可愛らしい姿やしぐさを見ながら、両親の愛情や家族というものを改めて実感してくれたものと思っています。世の親、家族の全てがそうであると思いますが、この世で一番大切なものは我が子であり、家族です。かけがえのない子どもの命、家族の絆、これを失った悲嘆を推し量っていただきたいと切に思います。

私たち家族の気持ちが安らぐのは、千尋の死が無駄でなかった、千尋は今も立派に生きていると実感されることなのです。千尋の死後、現場に歩道が作られました。事故が起こる前に作られていたらと悔やまれますが、その歩道を通るたびに千尋が生きていると、ほんの一瞬実感できるのです。この北海道いや日本中に歩行者保護のための道路整備がされて、危険箇所がなくなることを願うのです。運転をする者が、歩行者など交通弱者の立場になり、その保護を第一にハンドルを握るように、免許付与時の教育やその後の更新時教育など恒常的で抜本的な安全教育の確立を願うのです。これらなくして娘は浮かばれません。娘の尊い犠牲が無駄になります。

【Ⅲ】付言

千歳警察署での11月7日の供述の中に、「もし娘が右側を歩いていたら、事故に遭わなかったかもしれません」という主旨の部分があったと思いますが、誤解を招くと困りますので一言付け加えます。
この供述は私の意思ではなく、担当の巡査が「そうではないですか」と私を促し、私が同意しかねる旨を述べたにもかかわらず、「もし、ということで一般論だから」と、調書に加えることを繰り返したために入れられたものです。その時私は、事故の原因が運転者の「前方不注視」という重大過失であることを初めて知らされたショックから大変動揺しており、冷静な判断ができる精神状態ではありませんでした。しかし、その後現場を通るたびに、この供述に対して後悔の念が大きくなりました。

あの状況で、もし娘が右側を歩いていたらという想定をすることは全く無理なことです。私も札幌への用足しに良く歩きましたが、現場は左側が広く、少ない街灯も左側にしかなく、加えて排水用の雨水桝も左側にしかありません。右側の車道脇は狭い上に水溜りがひどく歩けないのです。さらに現場から150メートルほど手前にある踏み切りにも歩行者用のスペースは左側にしかありません。こうした状況から現場は誰しも左側を歩かざるを得ない所なのです。

また、このあたりは全体が低く、雨水桝の効率も悪くなっていたため、少しの雨で車道脇はぬかるみ、舗装した車道しか歩けない状況でした。これについては五島千歳市議が、事故後道路管理者の市側にかけあって、雨水桝の掃除をさせたことからも明らかなことです。

以上申し述べます。

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