事件と裁判 追悼

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手記:裁判を終えて

裁判を終えて その1

「主文、被告人を禁錮1年に処す。ただし、3年間刑の執行を猶予する」
 2月20日、札幌地裁六号法廷に長島裁判長の声が低く響きました。(裁判記録はここをクリック)
ある程度の覚悟をしていたとは言え、「執行猶予」という言葉を聞いたとき、「千尋。こんなこと絶対許せないね」と、手許の小さな写真に向かって心の中で語りかけました。

裁判長は続けて量刑の理由を述べました。「前方注視という基本的な注意義務を怠ったことは重大である。しかし①歩車道の区別が無く、被害者が左側を歩いていたという不運 ②加害者側は事故後葬儀に20万円の香典をあげるなど、誠意をもって対応している ③任意保険にも加入しており、示談が期待される ④被害の遺族宅へ度々訪れているなど、深く反省している ⑤小学生の子ども二人がいるなど、事情もある ⑥前科が無い、ということから今回に限り執行猶予とする」
私はこの「情状酌量」の「理由」のメモを執りながら、何度も「ちがう、ちがう」とつぶやきました。歩車道の区別が無いところでの事故が運転者にとって「不運」であれば、運転者の歩行者安全義務は一体どこへいくのでしょう。道路は車のためだけにあって、歩行者は通行してはならないとでも言うのでしょうか。②~④は事実と異なります。示談の予定はありませんでしたし、何より加害者は誠意のためではなく、自己保身だけのために、反省の風をみせ対応していたということが、裁判での供述はじめその言動で明らかだからです。事実だったと仮定しても、これらは加害者が社会人として普通の常識をもっていればごく当たり前のことであって、殊更「情状酌量」の「理由」とする神経に、怒りを越えて呆れ果ててしまいます。さらに、⑤~⑥は何故取り上げられる理由なのか理解できません。

しかし、さすがに裁判長も良心の痛みを感じるのでしょう。次のように言葉を続けました。
「(この判決に際して)裁判所もいろいろ考えた。ただ、やはり数秒間のほんのちょっとした不注意であること。酒酔いとか、スピード違反とか、事後処置が悪かったとかそういうのでなく、往々にありそうな事である。被害者は家族新聞を出して成長を楽しみに見守ってきたそうだが、そうした被害者遺族の心情を考えると、被害者にとってはバランスがとれないという批判があるだろうが・・・」
 裁判長は「苦汁に満ちた選択」をしたとの心情を吐露したのでしょう。しかし私にとってみれば、「苦汁に満ちた選択」ではなく「矛盾に満ちた選択」に他なりません。胸が張り裂けそうに悔しいのは、裁判長の先の言葉「往々にしてありそうな」こととして、かけがえのない千尋の死を不当に軽く扱ったことです。

これまでの判例が、交通事故加害者に対して不当に軽い刑罰で推移してきたという現在の「定型」が、この許されざる、矛盾に満ちた判決を生んだものと思います。そこには一人の裁判長の力ではどうにもできない、日本の司法、刑法の大きな矛盾が横たわっているのでしょう。
このままでは千尋の犠牲が無駄になります。私は今日改めて誓いました。千尋の死を無駄にしないため私の持てる力の限りを尽くすことを。

私のほんの少しの安堵感は、私たちの思いを「被告人の処罰についての希望-特に被害者の気持ちについての意見-」という意見書の形で裁判長に届けることが出来たことです。これは、友人の弁護士からの助言があってのことですが、「公訴は、検察官がこれを行う」とされ、捜査から起訴、裁判と全ての過程で被害者側遺族は蚊帳の外におかれてしまう現行制度の中で、出来得る限りのことをやりきりました。若しもっとこうすれば良かったという思いが残れば、千尋にも申し訳がたちません。 (1996.2.25.)

裁判を終えて その2

判決から10日以上経ちました。独りになると、言いようのない悲しさ、寂しさに包まれます。私のたずさわっている教育という仕事には意欲も充実感も感じられるのですが、それ以外の私的な事での充実感がありません。二女の清香がいなかったらどうなっているだろうと考えると恐ろしくなります。きっとぬけ殻のような生活になっているでしょう。妻も同じだろうと思います。清香もまた残された家族の絆を支えに平静を装い健気に学校生活に打ち込んでいるのだと思います。

加害者の処罰が決まり、改めて千尋の死の意味を考えます。そして、堂々めぐりのように同じところで思考が止まります。このままでは千尋はあまりにも不憫だ。千尋の無念を晴らすにはどうしたら良いのか。

いろいろな疑問も次から次へと広がります。一体時速何キロメートルで千尋は轢かれたのだろう。本当に40キロメートルだろうか。その速度でフロントガラスが割れるほどの衝撃を受けるのだろうか。現場検証はきちんとなされたのだろうか。

この事故を担当した司法巡査は、私が「(衝突時の)スピードは」と尋ねたとき「そのことは民事にかかわってくるので、言えません」という主旨のことを言いました。その後、その時の疑問を検察庁で尋ねたところ、応対した検事は「(警察は)あなたに伝える必要がないと判断したからでしょう」という木で鼻を括ったような言。さらに私の「5速なら時速60キロは出ているのではないか」という疑問に、「それはあなたの考えでしょう(あなたが口をだすことではない)」と突き放すような言い方。まさに、取り付く島がない検事の態度に、私は一縷の望みとして、きっと裁判の中ではこの辺りの詳細が明らかにされるのだろうと期待するしかありませんでした。しかし、裁判の中で担当の谷口検察官が起訴事実として述べた衝突時の速度は40キロであり、シフトの5速問題は取上げられることもなく、40キロは「確定」されたのでした。

こんなずさんな現場検証や捜査に基づいての裁判結果にどうして納得がいくでしょう。娘を失った悲しみに加えて、納得のいかない判決に甘んじなくてはならない苦しみ、かけがえのない宝である我が子の命を軽く扱われたやるせなさ・・・。 (1996.3.3)

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