事件と裁判 追悼

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私が許せないこと

【1】刑罰の軽さ

加害の責任を免罪し、人の命を軽く扱う行政と司法

娘の加害者は、別記裁判記録にあるように、「前方左右を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、車内設置のカーラジオに視線を移して脇見をし、前方注視を欠いたまま漫然前記速度で進行した過失により、進路前方左側端の車道上を同方向に歩行中の前田千尋(当時17歳)に気付かないまま自車左前部を衝突させて同人を路上に転倒させ、よって同人に頚椎骨折等の傷害を負わせ・・・死亡させた」のであるが、判決は「禁錮1年、執行猶予3年」という信じがたい軽い刑である。

1999年10月1日付け「北海道新聞」には、「わいせつHP男に有罪判決」という見出しで、次のような記事が載った。「インターネット上のホームページ上に男女のわいせつな画像を掲載したとして、わいせつ図画公然陳列の罪」に問われた・・・・・に対し釧路地裁は『被告の行為はわいせつ性が高いが、本人も反省している』として懲役1年6か月、執行猶予3年を言い渡した。」

娘を殺した加害者の刑罰は、この犯罪より軽く扱われているのである。

【2】警察の対応

(1)事故の概要説明が初めてなされた場で直ちに遺族の供述調書をとられる矛盾

事故後の動転した状況の中であるが、私たちの「なぜ、どうして」という疑問に答えてくれず、警察からは病院での簡単な説明だけで、事故原因や加害者の処遇について何の音沙汰も無く、肝心な事故原因が知らされないまま葬儀を執り行わなくてはならなかった。
若し「前方不注視」という重大過失が原因ということを聞いていれば加害者側から香典など受け取ることはなかった。これが後の裁判で、加害者側の情状酌量の理由にされたことを知り、心底から悔しく思った。

ようやく警察から連絡があったのは、初七日も過ぎ事故から13日後の11月7日であった。この時初めて事故原因が加害者の前方不注視であったことを知るが、同時に被害者の心情や加害者への心情などを聞かれた。いわゆる供述調書を取られたのだが、その時初めて事故原因を知らされて、怒りと娘への不憫さで気が動転していた。その冷静に考えられない状況で、まだ考えもまとまらないうちに、半ば誘導尋問的に加害者への処遇についての意見などを求められ、答えさせられたという印象が強い。
 例えば加害者は「深く反省しているように見受けられます」とか、「事故自体は不注意で起こしたと思いますが」というくだりがあり、後に検察庁に出向いてこの時の事情と厳罰を望むと言う心情を改めて訴えなくてはならないことになった。

(2)当事者である被害者や遺族が当然抱く疑問に応える場が全くなく、「死人に口なし」で加害者側の言い分だけが尊重されるという不公正

このときの司法巡査の対応で忘れられないことがある。私が事故原因に関連して、スピードは何キロだったのですかと聞いたところ、「そのことは民事にかかわってくるので(加害者に不利になることもあるので)言えません」と言われたのである。

【3】検事と検察庁の対応

後に検察庁で任意供述をした際にその疑問を投げかけたが、担当の副検事は「(警察は)あなたに伝える必要がないと判断したからでしょう」と木で鼻を括ったような返答。
 また、私はその後加害者自身から、そのときシフトレバーは5速であったことを聞いていたので、時速40キロということが信じられず、そのことを取上げて欲しい旨述べたが、「それはあなたの考えでしょう」と、私が口を出すことではないとばかりにあしらわれ、全く取り合ってもらえない。さらには、出来上がった調書を確認する際に、嫌味のように「学校の先生は文章の間違いにはうるさいのでしょう」という始末。被害遺族の心情を逆なでし、こちらが悪いかのような信じられない検事の対応に、私の心はずたずたに傷つけられたまま帰路に着いた。

結局、刑事裁判は被害者ではなく国がその罪を罰するのだから、被害者や遺族であっても、第三者であり口をはさむことは不公正になる、ということであるらしい。この当然の帰結として、加害者だけの人権が擁護されることになるのである。

【4】裁判のこと

裁判当日、私は当事者である娘の遺影を大切に胸に抱いて札幌地裁に足を運んだ。傍聴席の真ん中に座り、お葬式で用意した大きな遺影を正面に向け開廷を待った。裁判長が現れ、間もなく開始と思ったがなかなか始まらない。暫く経って裁判長は検事を呼び、何やら打ち合わせをしていたが、次に検事は私を法廷の外に呼び出した。つまるところ、遺影をしまって欲しいとのこと。理由を尋ねたところ、被告への圧力になるという。
納得できなかったが、こうした事態に対する心の準備もなかったので、如何ともしようがなく、千尋に詫びながら膝の上に置いた。

裁判が終わってから、結局この遺影の件が、この裁判の性格ー被害者と遺族は蚊帳の外に置かれ、加害者の立場ばかりが尊重される司法制度ーを象徴していたことがよく分かった。

先ほどのスピードの件だが、案の定、裁判ではシフトが5速であった事実は取上げられることもなく、加害者の言い分どおりの40キロで事実確認がなされてしまった。

加害者は、自分を護ってくれる弁護士を立て、自己の「反省の深さ」と「過失の程度の軽さ」を「証明」する機会が与えられ、最大限それは生かされるが、被害者側には味方となってくれる弁護士は居らず、被害者の立場に立とうとしない検察官が半ば事務的に進めるだけなのである。

とりわけ、被害者への誠意の部分で、加害者は嘘の証言を繰り返したが、これについて私たち被害遺族は当事者であるにも拘わらず、この嘘を指摘する機会がなく、虚偽の証言が堂々と情状酌量の理由にされた。

このことは裁判記録のお粗末さにも表れている。裁判の中で繰り広げられた嘘や矛盾の供述などを、後に問題にしたいと、裁判記録を閲覧した。しかし記録は要旨のみの略式の記述で、事実確認は曖昧のまま。裁判記録の末尾には「この供述の要旨のみを記載することについては訴訟関係人が同意した」とある。遺族は訴訟関係人ではないので、このことも全く知らないままであった。

こんな不公正が許されるのか。担当の検察官がせめて加害者側の弁護士ほどに被害者の命の尊厳という立場で、遺族の心情を理解して事に当たることは出来ないのか。
声を大にして言いたい。

【5】加害者の不誠実極まる対応

一貫して自己保身を貫き、裁判でも嘘の供述をする (詳細は検察庁への「意見書」)という、不誠実な対応。さらに、裁判までは足繁く通い、仏前で頭を垂れていたが、3か月後の刑事裁判の判決後は一切姿を見せない。

【6】犠牲が報われず同様の事故が続発していること

※高校生へのメッセージ参照

【次へ】 裁判の記録

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