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天平の僧・行基――異能僧をめぐる土地と人々
(千田 稔著 中公新書1178 1994年刊)
奈良時代、寺院建設はもちろん、道路や河川・池溝の整備や掘削、あるいは架橋と、多くの事業を行ったという行基の実像は俗説の奥に隠れて未だ明らかではない。
行基はなぜこれほど多くの事業を成し得たのか。
行基像、あるいはその背景を、文献資料だけでなく、事業の足跡を実地に検証するとともに、彼の行動の背後にある有力な渡来人と技術集団、また同時に彼らによりもたらされた神や神仙思想を、行基八十余年の生涯にとらえる。
1 はじめに top
行基という奈良時代の僧侶については、意外と知られていないようである。
なぜそのようなことを思うかといえば、私が勤務校に行くために利用する近鉄の奈良駅の前に行基像があるので、私を訪ねてくれる人に、電話で「行基像の前でお待ちします」といっても、「えっ、何という像ですって」という声が返ってくることが少なくないからである。
高校の教科書をひもといてみると、「(奈良時代の)僧侶の活動は、国家のきびしい統制のためもあって一般に寺院のなかにかぎられ、民間への布教はあまり活発ではなかったが、それでも行基のように、政府の取締りをうけながらも農民のための用水施設や交通施設をつくるなど、布教と社会事業とにつくした僧もあった」(『新詳説 日本史』山川出版社)と、要を得た説明かあるが、聖徳太子や空海と比較して、行基については古代仏教に関する授業において比重のかけられ方が少ないのではないかと思われる。
私にとっても行基はそんなに近い存在ではなかった。 というのも私は歴史地理学を専攻し、古代史や仏教史の専門家ではないからである。 |

この本が書かれた頃は奈良市では行基を知る人は少なかったようですが、今は近鉄奈良駅の正面に行基像がおかれ、市民に親しまれるようになっています。
なお、大仏そのものに興味のある方は『大仏建立物語』(神戸淳吉著)を見てください。行基は大仏には直接タッチしていません。 |
歴史地理学に携わるものが、探検家や旅行家といった地理学に関係のある人物についてならともかくも、宗教者を取上げることは、身のほどを心得ないというそしりを受けるべきであろう。
しかし、私が行基に関心をもつのはそれなりのささやかな理由がある。
それは右に引用した教科書の文章にあるように、行基の足跡は農業用水や交通の施設の建設といった地理的な問題に関わるということと、いま一つ、私が近年、地理学の立場から宮都(きゅうと)の立地などには日本古代における道教の影響があるのではないかと思いはじめ、それならば道教と仏教が、どのように交錯していたのかと考えはじめたということである。
道教についても私は知らないことが多いが、ある機会に福永光司先生(元京都大学人文科学研究所長)にお会いし、私の関心をよびおこしていただいた。
行基と私の出会いは、故藤岡謙二郎先生の指導を受けて修士論文に古代の港を取上げ、そのときに『行基年譜』という史料を扱った時である。
しかし、史学の研究者でなかった私は、口頭試問の際に、故岸俊男先生から「君は年譜に書いてあることがすべて史実だと思っているのか」と質問されて、答えるすべもなく戸惑ったことを今もよく記憶している。
その後、昭和五十七年(一九八二)に、環境文化研究所の「近畿圈における歴史の道の再発見と整備のための方策」というサブジェクトにおいて、上田正昭先生(現大阪女子大学長)を代表として「行基の道」の研究に参加させていただく機会を得た。
このプロジェクトには、足利健亮(京都大学)、和田萃(京都教育大学)や橿原考古学研究所の泉森皎、河上邦彦、菅谷文則の諸氏も参画され、私は教えられることが多かった。
本書の執筆にあたってこれら諸氏の成果から多くを学んだことと、井上薫氏の『行基』(吉川弘文館)と吉田靖雄氏の『行基と律令国家』(同前)から教えられたことが少なからずあったことを断っておかねばならない。
2 おわりに top
行基という僧侶について、私なりに精いっぱい構想の翼を拡げて書いてみた。
しかし、行基の実像とどれぐらいの距離があるのか、知る由もない。
実際、行基の顔を知らないのはもちろん、行基が自ら書いたものは残っていないし、行基がどのような風貌で、どのような足取りで歩いていたかも、私にはわからない。
強固な意志が行基の顔ににじみでていたのか、それとも柔和な表情をいつも浮かべていたのか、それもわからない。
だから、本書で試みた作業というのは、劇場で役者のいない舞台をながめているようなものである。
私の専攻する歴史地理学は、とりわけそのような一面をもっているのではないかと、時折思うことがある。
しかし、その舞台をできるかぎり忠実に復元できれば、役者の、この場合は行基の姿が、ほのかにでも見えてくるにちがいない。
とはいえ、私の筆力ではそれは難しい作業であった。
原稿の執筆は遅々として進まず、近鉄奈良駅前の行基像の前を、うつむきかげんで通りすぎる日が数年も続いた。
脱稿に至るまでの道程は多難であった。多くの人々のしのお言葉は身にしみてありがたかった。
とりわけ、薬師寺執事長安田護胤氏と、同夫人安田頽恵さんから賜った御恩を忘れることはできない。
故あって御両人に導かれて、私は「般若心経」を読む機会を与えられた。涙はとどまることなく流れ落ちた。
行基が薬師寺の僧であったことによる縁によるものと信じたい。
元々、中公新書編集部の岩田尭氏が担当してくださっていたが、ご退職となり、同部の本村史彦氏にご迷惑をかけることになった。
仕事がはかどらなかったのは私の勝手な都合であるにもかかわらず、原稿があがるのをじっと待っていただいた。
どんな感謝の言葉を捧げたらよいのか、私は知らない。 合掌
平成六年(一九九四)一月 千田 稔
3 参考文献 top
一章
井上 薫(一九五九)『行基』古川弘文館
井上光貞(一九六九)「行基年譜、特に天平十三年記の研究」竹内理三博士還暦記念会編『律令国家と貴族社会』所収 吉川弘文館
二葉憲香(一九六二)『古代仏教思想史研究』(第四扁)永田文昌堂
米田雄介(一九七一)「行基と古代仏教政策−とくに勧農との関連から)『歴史学研究』三七四
浅野清ほか(一九六九)『菅原寺』奈良県文化財報告第十二集
前園実蠅雄(一九九二)「生馬山竹林寺と行基の墓」『考古学と生活文化』同志社大学考古学シリーズV
伊達宗泰(一九九一)「上代の文化圏成立とその背景」『日本古代文化圏の形成と伝播』所収 学生社
米沢 康(一九九二)「土師氏の伝承と実態−『日本書紀』の所伝を中心として−」『日本古代の神話と歴史』所収 吉川弘文館
前川明久(一九六九)「土師氏と帰化人」『日本歴史』二五五号
好並隆司(一九七七)「中国古代における山川神祭祀の変貌」『岡山大学法文学部学術紀要』三八
二章
直本孝次郎(一九六四)「土師氏の研究−古代的氏族七律令制との関連をめぐって−」『日本古代の氏族と天皇』所収 塙書房
貝塚茂樹(一九七六)『貝塚茂樹著作集』第五巻 中央公論社
千田 棯(一九八七)「都城選地の景観を視る」岸俊男編『都城の生態』「日本の古代」九所収 中央公論社
米倉二郎(一九六〇)「古代および中世における日本の集落」『東亜の集落』所収 古今書院
藤岡謙二郎(一九六九)『国府』吉川弘文館
坪之内徹(一九八七)「土師寺考」『日本書紀研究』十六
井上光貞(一九八二)「王仁の後裔氏族と其の仏教」『日本古代思想史の研究二所収 岩波書店
三章
吉田靖雄(一九八七)『行基と律令国家』吉川弘文館
奈良国立文化財研究所飛鳥資料館編(一九八五)『天官大寺』(飛鳥資料館カタログ第八冊)
和田 萃(一九八四)「百済宮再考」『明日香風』十三
岸 俊男(一九七〇)「古道の歴史」坪井清足・岸俊男編『古代の日本』5近畿所収 角川書店
上田正昭(一九九〇)「歴史の中の吉野」上田編『吉野−悠久の風景』所収 講談社
多川俊映(一九八九)『唯識十章』春秋社
深浦正文(一九六四)「唯識の日本初伝と玄奘道昭の関係について」『大和文化研究』九−十一
和田 萃(一九九〇)「道昭と宇治橋」『藤井寺市史紀要』十一
四章
高橋誠一(一九六六)「古代手工業の歴史地理学的考察−窯業を中心として−」『史抃』五十四−五
中村 浩(一九七二)「和泉陶邑の成立−初期須恵器生産の概観的考察−」『日本書紀研究』七塙書房
菅谷文則(一九八八)「行基開基伝示の寺院」上田正昭編『古代の道(河内みち・行基みち)』3所収 法蔵館
福山敏男(一九四八)『奈良朝寺院の研究』綜芸舎
吉田靖雄(一九八二)「妄説梵天経について」『続日本紀研究』二一九
佐伯有清(一九七〇)「律令時代の禁書と禁兵器制」『日本古代の政治と社会』所収 吉川弘文館
森 蘊(一九七一)『奈良を測る』学生社
五章
菅谷文則(一九六九)「奈良市大和田町追分の寺院遺構」『青陵』十四
坪之内徹(一九八〇)「平城宮系軒瓦と行基建立寺院」『ヒストリア』八十六
足利健亮(一九八五)「恭仁京プランの復原」『日本古代地理研究』所収 大明堂
木下良・水田義一(一九七二)「富坂庄について」『洛西ニュータウン地域の歴史地理学的調査――
発掘と歴史的景観・土地利用の変遷に関する調査報告』京都市都市開発局洛西開発室
高橋美久二(一九八六)「古代山崎駅と駅家の構造」中山修】先生古稀記念事業会『長岡京文化論叢』所収
和田 萃(一九八八)「行基道とその周辺」上田正昭編『古代の道(河内みち・行基みち)』3所収法蔵館
日下雅義(一九九〇)『古代景観刀復原』中央公論社
岡田隆夫(一九六七)「和泉国大鳥郡における開発と展開――灌漑よりみたる」宝月圭吾先生
還暦記念会編『日本社会経済史研究 古代・中世編』吉川弘文館
六章
岡田隆夫(一九六七) 前掲
日下雅義(一九八〇)「狭山池の変遷と西除・東除両河川の性格」『歴史時代の地形環境』所収 古今書院
坂井秀弥(一九七九)「行基年譜にみえる摂津国河辺郡山本里の池と溝について」『続日本紀研究』二〇四
浅香年木(一九七一)「律令期の官営工房とその基盤」『日本古代手工業史の研究』所収 法政大学出版局
井上 薫(一九五九) 前掲
服部昌之(一九八三)「大阪平野の条里制――河岸段丘と河内低地」大阪市立大学文学部『人文研究』三十五−十
栄原永遠男(一九七二)「行基と三世工身法」赤松俊秀教授退官記念「国史論集」所収
泉森 皎(一九八八)「考古学的にみた四十九院」上田正昭編『古代の道(河内みち・行基みち)』3所収 法蔵館
河上邦彦(一九八八)「摂津における行基の足跡」上田正昭諞『古代の道(河内みち・行基みち)』3所収 法蔵館
吉田靖雄(一九八七) 三章前掲
森 浩一(一九五七)「大野寺の土塔と人名瓦について」『文化史学』十三
七章
瀧浪貞子(一九九〇)「大仏造立への道程−聖武天皇の『彷徨五年』−」京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』
足利健亮(一九八五) 前掲
岸 俊男(一九六七)「県大養橘宿禰三千代をめぐる臆説」『末永先生古希記念古代学論叢』所収
黛 弘道(一九八二)「犬養氏および犬養部の研究」『律令国家成立史の研究』所収 吉川弘文館
栄原永遠男(一九九一)『天平の時代』集英社
中井真浙(一九九一)『行基と古代仏教』永田文昌堂
根本誠二(一九九一)『奈良仏教と行基伝承の展開』雄山閣出版
森田 悌(一九九一)『古代国家と万葉集』新人物往来社
以上のほか『守口市史』〈本文篇第}巻〉(一九六三)、『堺市史』〈続篇第一巻〉(一九七一)、『岸和田市史』〈第一巻〉(一九七九)を参照した。
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