メビウスのことば

作成日:1998-11-03
最終更新日:

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1. メビウスのことばとは

私の部屋の「ことばに関する本棚」で、岡田光雄さんの本を紹介した。 この本には、「字面が反対なのに意味が同じ、 あるいは似ている例」というのがあり、 未だに忘れられない。 そこで、思い切ってこういった不思議なことばを列挙しようと独立したページを設けた。 「メビウスのことば」とは、あの「メビウスの帯」のもじりで、 裏表にある意味がいつのまにか連なっている、という意味をもたせた命名である。

2. 字面反対・意味類似の例

もとになった、字面反対・意味類似の例を挙げる。

お茶を入れる・お茶を出す

岡田さんの本にあった例で今でも覚えている。 「入れる」は「淹れる」のほうが正しいのではないかとの意見をふる氏から頂いた。 確かにそのとおりだが、対比の妙を明らかにしたかったのでこうした。
なお、「入れた手のお茶」で話題になったジャストシステムの見解では、 第一変換候補は「入れたてのお茶」になるという。ジャストシステムのホームページのどこかにあるはずだ。 また聞きで恐縮だが、ちょっと形容詞を追加すると「入れた手の厚いお茶」になるともいう。

とんだことになった・とんでもないことになった

同じく岡田さんの本から取った。 前者は後者に比べてあまり使わないかなとも思うが、意味は通じるし、何よりことばの不思議を感じさせる。

やる時はやって・ぬく時はぬきましょう!

VOW 10、p.135からです。説明不要だろう。

ぞっとする・ぞっとしない

ことばの師匠、ふる氏からの投稿作品である(1998-12-27)。「ぞっとする」は身の毛がよだつこと、 「ぞっとしない」は感心しないことで、意味が全く同じというわけではないが、 どちらも負の感じがする。さすが師匠だけのことはある。

技が入る・技が出る

ふる氏の師匠、言魔上人ことイカリ氏からの投稿があった(1998-12-28)。以下引用する。

柔道に限らず、スポーツ全体でしょうか...
「技が入る」
「技が出る」
どちらも使いそうですが、いかがなもんでしょうか?
これを技でなしに、かんがえれば、いろいろなバリエーションがあり、音楽でも
「感情が入る」
「感情が出ている」
のような対応ができそうな気がします。

なるほど、一本取られた。この「出し入れ」には(中国語における)「貸借」と同じ匂いがする。 この「貸借」の例は後に示す。

なお、森田良行さんの「日本語をみがく小辞典<動詞篇>」から、「出る」の章で似た例があったので引用する。

授業に顔を出すという意味でよく「教室に出る」という。 “出席する”の「出る」だ。授業を行っている場面へ外にいた者が顔を表すのだから「出る」というわけだが、 同じように“教室”に来るのに、「はいる」と言ったり「出る」と言ったり、反対語の動詞を使い分ける。 いや、日本語は実に奇妙で難しいものだ。

なお、否定疑問文(「塩をとってくれませんか」のたぐい)は、 単に依頼の感じをやわらげるためだから、ここに挙げるには及ばないと思う。 ところが、それほど甘くはなかった。イカリ氏からの次の投稿でわかった(1998-12-29)。

これ、おいしい・これ、おいしくない

以下イカリ氏からのメールを引用します。

「これ、おいしい」
「これ、おいしくない」

つまり、拙ページにてとりあげている若者用語そのものではありますが... 今の若い人は否定形を用いた英語の「否定疑問文」のバリエーションを使っていると思います。

上記の「これ、おいしくない?」というのはおいしくないという事象(?)を強調して発言しているのではないかと...

うーむ、確かにこの形の「ない」は強調の意味となっている。 イントネーションや場面でも変わるところが立派にメビウスだ。

なお、「ない」に関連して、肯定形と否定形で同一の意味になる言い回しがある。

「嘘つけ」「嘘つくな」

後者はともかく、前者はどのように解釈すべきなのか、未だに分からない。

また、次の例をふる氏が挙げられた。(1999-07-10)

「忙しない」(せわしない)

 耳で聞くとどうということもありませんが、 字で書くとヘンじゃありませんか?なんだか忙しく無いみたい。

これまた一本取られた。 「新明解」(第5版)には、 忙しい(せわしい)の強調表現が「忙しない」という説明があげられていた。 はなまるマーケットで取り上げられた例も参照のこと。

荷揚げ・荷下ろし

森田良行さんの「日本語をみがく小辞典<動詞篇>」からの例(「のぼる」の章)。 どちらも船の貨物を埠頭に移動する行為です。森田さんは解説の後、「いや、 どうも日本語はなかなか難しい」と書いています。

浮き沈み

言魔上人さんから、「不祥の後輩D」さんの作として次の例が寄せられた。

テレビドラマなどで頬に傷のある方が良くおっしゃいますが..
「東京湾に浮かべてやろうか!」
「東京湾に沈めてやろうか!!」
.......どっちも嫌ですが...

おもしろうて、やがて悲しき...
もちろん、わたしもどっちも嫌だ。
わたしのつれあいは「浮くのと沈むのとどっちが先かな」ととぼけていた。 (1999-04-10)

shameful, shameless

コトバ雑記(http://wedder.net/kotoba/)というサイトで 言葉に関するコラムをお書きになっている上田様から御便りを頂いた。以下引用する。

英語に「shameful」「shameless」という単語があります。 「shameful」は「恥ずべき」、「shameless」は「恥知らずの」、 「ful」と「less」なのにどちらもベクトルの向きは同じ。

恥という概念は洋の東西を問わず一緒のようです。日本語の訳も、ベクトルの向きは同じです。 (2003-02-15)

風がええ、風が悪い

広島弁に<風(ふう)がええ>ということばがあります。これは、カッコ悪い、という意味だそうです。 <風が悪い>も同じく、カッコ悪いという意味です。(2014-10-30)

3. 同一単語・意味反対の例

同じ単語・文章で反対の意味にとれることがある。 地域・時代・分野・世代によって180度変わる例はないだろうか。

3.1 日本語

適当

いい加減

以上、 「悪魔の修辞典」(www.geocitie.co.jp) 〜「両義性」の欄に既出。 ことばの師匠ふる氏の例による(1998-12-31)。

気がおけない

有名な例であり、国広哲弥さんの本(日本語誤用・慣用小辞典)に詳しく分析されている。 ここでは新明解国語辞典第5版の説明を引用する。強調はまりんきょによる。

  1. 気を許してつきあうことが出来る様子。
  2. 気を許してつきあうことが出来ない様子。 2.は、もと誤用に基づく。

まりんきょは、どちらの意味でも使うことがあった。 おまけに「気のおけない」とか「気がおける」とか言い出すこともあってめちゃくちゃだった。 今は国広さんに倣って、この表現は全く使わないことにしている。

られる

山崎浩一さんは「危険な文章読本」という著書で、 どこかの絵本にあったというこんな例をひいている。

ある動物Aが「ここでは食べられます」という看板を目の前にして、 どんな獲物が来るのかと心待ちにしていたら、大型動物Bに食べられてしまった。

山崎さん自身は、この例は「注文の多い料理店」にはかなわないと思っているようだ。

いいです、結構です

そう、「いいです」とか「結構です」ということばは、両方に使える。 悪徳セールスの勧誘を断るつもりで「結構です」と電話口でいったのを、 了解の意味にとられて契約されてしまった、という例があります。気を付けよう。 ちなみに、悪徳セールスの電話があったとき、私は「お断りします」とはっきり言う。 「男割りします」と危うく言いそうになったこともあるし、わざとそう言うこともある。

見直す

これは「レビュー」の意味でごく中立的な意味を持つと同時に、プラス義、マイナス義のどちらをも持つ。

  1. 「テストで解答を一通り書いたあと、時間があったので解答を見直した」
  2. 「俺、おまえのことを見直したよ」
  3. 「不良債権の見直しを進めた結果、○×銀行は債務超過に陥ることが判明いたしました」

ここで、1. は中立的、2. は「よい」見直しだからプラス義、 3. 結果が「わるくなる」見直しなのでマイナス義となる (1999-06-15)。

なお、中立・プラス・マイナスの位置関係については、 冗語法を考えるも参照してもらえるとうれしい。(2013-01-19)

彼は先が見えている

これはあるメーリングリストで取り上げられていた例である(1999-07-12)。 「彼」は将来を見ることができる有能な人材なのか、 話し手の主体が「彼」を見たところ「彼」の将来は既に行き止まりで先がないのか、 どちらだろうか。

見切る

「見切る」は「見終わる」という意味ならこれは中立的だ。 とはいえ、最近は「見放す」「見限る」というマイナスの意味で使うことが多いと思っていた。 「見切り発車」などというのはこのマイナスの意味である。 しかし最近では、「見極める」に近い、よい意味で使われる例をいくつか目にしている。 たとえば漫画「美味しんぼ」で、塩だけで澄まし汁を作るという場面で、 「腕のいい調理人は塩のさじ加減を見切ることができる」というように使われていた(2000-07-23)。

出所【しゅっしょ】

  1. その研究所・事務所・裁判所などへ勤めに行くこと
  2. 刑が終わって刑務所などを出ること

この説明は新明解国語辞典第5版から取った。 私は社会人になって最初の8年間は研究所勤めだった。この間、 帰宅時の感情がこの二つの混交で「研究が終わって研究所を出ること」という気分がぴったり来たものだった。 研究所からの帰宅をこんなにうれしがる研究者は研究所に勤務してはいけない、 と改めて思った。(2000-12-17)

後記:土屋賢二に「私が出所した日」というエッセイがある(「哲学者かく笑えり」所収、 講談社文庫)。 これは、自動車教習所を卒業した日、という意味である。(2009-12-12)

3-2. 日本語以外の言語:貸借の例

3-2-1. 貸借(1):英語

英語の lend は標準語では<貸す>であるが、 ロンドンの西の方のレディングという町の方言では<借りる>という意味である。
国広哲弥さんの本(日本語誤用・慣用小辞典)による。

3-2-2 貸借(2):エスペラント

私は、エスペラントでこんな例を見つけた。
「貸す」「借りる」に相当するエスペラントの単語はどちらも pruntiである。 この場合、貸すか借りるのどちらの意味になるかは、前置詞で区別できる。

prunti al だれそれ ならば、だれだれに貸す、 (al は英語の to に近い) prunti de だれそれ ならば、だれだれから借りる、 (de は英語の from に近い)という意味になる。

なお,pruntedoni, pruntepreniという、それぞれ「貸す」、 「借りる」に特化した形もあることを付け加える。(1999-11-03) 補足:doni は「与える」、 preni は「もらう、受け取る」の意味である。(2001-05-06)

3-2-3 貸借(3):古典ギリシャ語

上田かおり著「古典ギリシア語のしくみ」(白水社)の120ページに、 次の文例がある。

Φαίδρῳ πλοῖον μισθοῖ.

ファイドローイ プロイオン ミストイ

彼はパイドロスに船を貸す。

Φαῖδρος πλοῖον μισθοῦται.

ファイドロス プロイオン ミストゥータイ

パイドロスは船を借りる。

同じ μισθοῖ (貸す)ということばで、なぜ借りるという意味になるのか、 著者の説明を私なりに要約して掲げる。

パイドロス Φαῖδρος は人名。正確には、パイドロス「が」の意味。 パイドロス「に」、の意味では Φαίδρῳ となり、語尾が変化する。 なお、ギリシア語の本来の読みはファイロドスだが、慣例でパイドロスと訳す。 πλοῖον は中性で、「船」「を」の意味。 μισθοῖ は「貸す」という意味の「彼(彼女)は」 の形。したがって、第1文は日本語の意味になる。 第2文では、パイドロス「が」の形になっている。 また、μισθοῦται という形は、受け身的な意味を表す語尾がついた、 「彼(彼女)は」に対応する形である。 その結果意味は「パイドロスは自分のために貸してもらう(借りる)」 ということになる。ところが、パイドロス「が」となっていることから、 「貸される」と訳さず、「借りる」と訳すことになる。 なお、「船」は中性の名詞なので、船「は」も、船「を」も同じ、πλοῖον である。

なお、アクセント記号について、私の環境である Vine Linux 5.1 では、 ^ 記号が ~ 記号に見える。問題ないとは思いますが注意のこと。 (2010-05-15)

3-2-4 賃貸(4) ドイツ語

ドイツ語の leihen は、貸す・借りるの両義がある。

Sie leiht ihm eines ihrer Bücher für kurze Zeit.

彼女は彼にちょっと(の間)本を貸す。

Ich würde mir gerne dein Auto für einen Tag leihen.

私は一日間君の車を借りたいんだが。(2013-06-02)

3-2-5 貸借(5) 中国語

さらに、こんな例がありる。国広哲弥さんの本による。

現代の中国語では、「借」も「貸」もともに<貸す・借りる>の両方を意味する

この事情は上記の本で説明されているのでここでは繰り返さない。 職場の同僚(中国人)に質してみると、 確かに言う通りだが「AからBに」 という情報はあるから混同のおそれはないということだった。

関係ないが、今でもわたしは「債権」と「債務」がごっちゃになってしまう。

3-2-6 貸借(6) ポーランド語

ポーランド語の例を挙げる。渡辺克義著「ポーランド語の風景」p.101 から引用する

例えば、pożyczać książki からは「本を貸す」「本を借りる」の両方の解釈が成り立つ。 したがって、伝達上の誤解を避けるためには、 「~に」「~から」の情報を追加的に示す必要がある。 ポーランド人日本語学習者(上級者を含む)はよく「貸す」と「借りる」の使用を誤るが、 これは母語の影響である。

3-2-7 貸借(7) 英語

3-2-5 貸借(5) 中国語 のところで、<債権と債務がごっちゃになってしまう>と記したが、 英語の debt がまさに債務と債権の両方の意味をもつ言葉である。通常 debt は負債であり、 またお金を返すべき義務でありこれは債務の意味である。しかし、立場を変えればこれは債権であるので、 文脈によっては債権である。たとえば、bad debt は「不良債権」である。 翻訳通信 死語の世界 (www.honyaku-tsushin.net) を参照のこと(2017-01-21)。

3-2-8 類似例:学ぶと教える

ラジオの「まいにちフランス語」で講師がこんなことが言っていた: 「フランス語の apprendre には、学ぶ、という意味と、教える、という意味と、 一見反対のように思える意味があるんですね。なぜそうなるか、というと、 apprendre の最初の a が、到達点を表わす、という意味なんですね。 その到達点が自分なら、学ぶ、という意味になるし、相手なら、教える、という意味になるんですね。」 そして、実際の使い方についてこのように説明していた。

J'apprends le français. 私はフランス語を学ぶ。

Je lui apprends le français. 私は彼にフランス語を教える。

私はここまで聞いて、これは、貸借の関係と似ている、と思った。(2020-01-30)

3.3 そのほかの例

3-3-1. 英語のscale

ある英和辞典によれば、 「うろこ(鱗)」あるいは鱗状のもの(水道管などの垢、金属板を覆う酸化膜など) という名詞の意味から「鱗を取る」という意味と「鱗を付ける」という意味の両方がある。 もっとも、「鱗を取る」意味では"descale"を使うのが普通である。 (2005-05-27)

3-3-2 英語の leave

郡司利男さんの本からの紹介である。 leave は「くっつく」と「離れる」という、相反する意味を持っている。 もっとも語としては別物であり、過去形、過去分詞形が違う。どちらも日常用語としてはあまり使わないとのことである。 (1999-10-16)

3-3-3 英語の sophisticated

ことばの師匠、ふる氏からの《これは悪魔の修辞典「好意と悪意」の項に書いています》 という情報である。

  1. 世ずれした
  2. 洗練された

3-3-4 英語の subtle

同じく、ふる氏からの例を掲げる。

  1. 微妙な
  2. 鋭い

sophisticated の例はまりんきょも前から気になっていました。 このことばは気取って使うので、 気取りをどちらに振り向けるかで違うのだと思います。 subtle に「鋭い」という意味があるとは知りませんでした。 用例を見てみたいものです。(1999-11-03)

3-3-5 英語の sanction

「認可」と「制裁」の意味がある。(*1)(2006-10-22)

3-3-6 英語の cleave

「裂けること」と「くっつくこと」の意味がある。(*1)(2006-10-22)

3-3-7 英語の bi-weekly

「隔週1回」と「毎週2回」の意味があります。 bi が修飾する対象が重要です。(*1)(2006-10-22)

(*1) Peter Morville:アンビエント・ファインダビリティ p.65 (オライリー・ジャパン/オーム社)

3-3-8 エスペラントの indiferenta と英語の indifferent

esperakira さんの「エスペラントな日々」のブログの学習ノート (blog.goo.ne.jp)から、興味深い例文を引用する。

  1. Akira estas ne indiferenta al Masayo.: AkiraはMasayoに無関心ではない。
  2.  
  3. Akira estas ne indiferenta kontraŭ Masayo.: AkiraはMasayoにとって無関心ではない。
  4.  
  5. Akira estas ne indiferenta por Masayo.: ?

無関心ということばの意味で、無関心を向ける人(主体)と無関心を受ける人(客体)が異なる、 第1文では Akira→Masayo であるのにたいし、 第2文では Akira←Masayo であるのになっていることに注意する。 ちなみに、第3文では第1文の意味にも、第2文の意味にもとれる。

気になって英語の indifferent を調べてみたら、ジーニアス英和辞典(初版)では次の記述があった。

He is indifferent to her. は文脈により 2 つの意味をもつ。

  1. 彼は彼女に対して無関心である.
  2. 彼女にとって彼など眼中にない.

つまり、エスペラントでは前置詞のみで主客を区別できるが、 英語では前置詞のみで主客を区別することはできないということである。 英語の場合は、無関心である対象を人ではなく抽象化することで区別することになる。 たとえば、He is indifferent her suffering. とすれば、彼は彼女の苦しみに関心がない、 という一意の意味になる。(2012-06-17)

3-3-9 アイヌ語の kar

知里真志保編訳「アイヌ民譚集」によれば、アイヌ語の kar という動詞は種々の意味に使われる。以下、 pp.235-236 から引用する。(2012-10-18)

 (イ)(省略)

 (ロ)作る( to make ).a-tek-e-kar-pe「我手ずから作れるもの」

 (ハ)ものす( to do).「ものすというのはいわば一種の代動詞(proverb) で一々の文章に当て嵌めて見なければ訳語は決らない.主語の意志を反映しているのである. 例えば金田一京助先生の「アイヌ聖典」p.263 に Nea okkaipo unihi patek a-kar koyaikush. (件の男子の家のみ我いかんともなし難し) という例がある. これは西南風の魔女神が人間の国土にありとあらゆるものを目茶目茶に壊し得たけれども, オイナカムイの家だけはどうしても壊すことのできなかった場合であって, この場合の kar は主語の魔女の意志を具現して「壊す」という意味になり (ロ)の「作る」とは全然反対の意味になる.

4. 上記混交例

みてる

つれあいは広島出身である。広島弁のこんな例を出した。

しょうゆみてたけん、かしてくれない?

これは広島弁で「しょうゆがなくなったから貸してくれないか?」という意味だ。 これを東京の人はみてたを「満てた」と解すらしく、なぜたくさんあるのに貸してくれないというのか、 といぶかしく思ったという。これは有名な例だ。

さげる

もうひとつ、広島弁から。(2000-08-20)

ちょっとその机、さげてくんない?

これは机を「持ち上げる」意味である。つれあいに言わせれば、 持ち上げるの意味で「さげる」をよく使うとのことです。この「さげる」は「手提げ袋」の提げるで、 ぶらぶらしているものを落ちないようにする、手許に引き寄せる、という意味だという。

「しあさって」と「やのあさって」

そういえば、日本でも「しあさって」と「やのあさって」では、 それぞれ指す期日が地域によって逆に解釈される。 東京都区内と西日本では、3日後が「しあさって」、 東京都区内を除く東日本では、3日後が「やのあさって」となる。 一方、4日後はこの関係が逆になり 東京都区内と西日本では、4日後が「やのあさって」、 東京都区内を除く東日本では、4日後が「しあさって」となる。 (2000-01-27)

カマキリとトカゲ

次は、都道府県別全国方言小事典(三省堂)からの引用である。 (2007-03-25)

関東地方ではかまきりのことをトカゲというところもある。 また反対に、とかげをカマキリというところもある。

「父親の父親」と「息子の息子」

次は、消滅する言語(中公新書) からの引用です。 (2010-04-22)

「父親の父親」と「息子の息子」に同じ語が使われるという循環用法が見られる場合もある。 たとえば、ピチャンチャチャラ語の tjamu は「祖父」であると同時に「孫」を意味する。 そのような言語は、 英語で用いるような「祖ー(グレート)」「曾祖ー(グレート・グレート)」 など単線的で際限のない連続性に匹敵するものをもたない。

この例の前には、ざっと次のような説明がある。 この理由は、「父」を示す語が、 社会的地位と責任において同等の男たちの一団を指すのに使われる言語があること、 この関係を適用するとこどもたちも「兄弟」や「姉妹」と呼ばれる可能性がある。

おそらく、「借りる」「貸す」の混交例でみたような、 相対性が重要とされて取り出された用法ではないだろうか。この場合は、 親子関係が繰り返された関係、というように抽象化される。 その例証が、上記引用部分の末尾の文である。

ベトナム語の「愛している」主語と目的語

田原洋樹:「ベトナム語のしくみ」 p.57 から引用する。

例えば,アイスクリーム店でデート中の若い男女の会話.

Anh yêu em.「愛している」
Em yêu anh.「愛している」

よく見てみると,文を構成している語は同じ,でも並び方が違いますね. 恋人同士,夫婦,あるいは兄妹のように親しい男女の友人同士では, 男性は「わたし=anh,あなた=em」, 女性は「わたし=em,あなた=anh」というしくみがあります。 (中略)この会話では,最初は男性のセリフ,あとが女性のセリフです.

5. 他の「メビウスことば」例

言語現象としての「メビウスことば」にはどんなものがあるだろうか。 何か新しい視点はないか。

例1:同一事象・態度に対する正負の評価

このような例は、ふる氏の師匠のイカリ氏主宰の「 言葉のよろずや」にある 「諺のパラドクス」(www2.famille.ne.jp)が宝庫だ。

例2:同一単語の(時間)尊敬度・好感度の逆転

これらは、尊敬のことばが侮蔑のことばに変わった有名な例である。この例をはじめとして、 たいてい、言葉はよい意味から悪い意味にずれる。一方で、悪い意味から良い意味が生まれた例も ある。「こだわる」がそうだ。

例3:対象の相違

「男好き」という言葉の解釈は2つある。

  1. 男に好かれる女
  2. 男が好きな(好きで好きでたまらない)女

つまり、好きになる対象の向きが違うというわけだ。 一方で、次の形もありうる。

  1. 男に好かれる男
  2. 男が好きな(好きで好きでたまらない)男

類例としてふるさんから次の指摘をいただいた(2000-01-31)。

 (1)賢治の『注文の多い料理店』がありました。
 (2)コーヒーを…砂糖は「一杯」(これは拙頁・個人的言語体験に英訳とからめて掲載済みですが)

例4:同音反義、同音異義

同音異義の言葉はいろいろありますが、意味が反対になるまで高まった例がある。

4.1 偏在、遍在

偏在は「偏っている」、遍在は「至る所にある」ので困る。

4.2 拒食症、巨食症

あとのことばは、多分辞書にはないはず。ほとんど「三日坊主カレンダー」のノリだ。

4.3 異議、意義

「彼のことばにはイギがある。」さあ、どちらか。(2000-07-23)

4.4 恒温、高温、低温、定温

Sibazyun さん(d.hatena.ne.jp)から、次の例を頂いた。

ある、温度を一定に保つ装置に名前をつけようとして、 「恒温装置」としたら「高温」に思え、 「定温装置」としたら「低温」に思えて困った、という話を聞いたことがあります。

これは見事な例だ。実際にあって困ってしまっている様子が伝わってくるとともに、 失礼ながらおかしさもこみ上げてくる。 では、日本語としてどのように名前をつければよいか、 いい案が見当たらず。困ってしまった。(2006-03-03)

例5:世界観の相違

以下は実例である。

つれあいと一緒に寝床に入っていたときのこと。私はつれあいに鼻息を強く吹き掛けた。 私は以前にも何度もこういうことをして鼻水や鼻くそを飛ばしたりしている。 つれあいは当然怒った。

つれあい:「どうして、そういつも人のいやがることばかりするの?」
わたし:「だって、人のいやがることを進んでしなさいとしつけられたからさ。」

二人で大笑いした。 なお、これと同一の例が、 すでにある種の技術書で紹介されていた。 (2000-02-20)

例6:優柔不断

つれあいが次の例を持ち出した。「確か、ということばが最初につくと、 100 % 確実なことをいっているわけじゃないよね」。なるほど。

例:「確か、あの人から電話をもらったのはきのうだったと思います。」

この確かは、100 % 確かなことをいっているのではない(部分否定)、という意味だ。 その証拠に、文末に「思います」がつくと落ち着きがいい。 「たぶん」や「おそらく」に近いが、確信度はこれらより強い、ということだろうか。

100 % ならば、「確かに、あの人から電話をもらったのはきのうでした」とか、 「あの人から電話をもらったのはきのうだったことは確かです」となるだろう。 突っ込むと難しい。

なお、つれあいによれば、英語の "apparently" にも、「明らかに」という意味と、 「見たところどうもそうらしい」という意味の両方があるとのこと。 用法としては後者が多いが、日本語に訳す時は注意しないといけないそうだ。

例7:社会通念

イアン・アーシーさんの「怪しい日本語研究室」からの引用です。 (2001-05-20)

「十八歳? 若いね!」
この「若いね!」は相手が意外と若年であることに対して驚きを表している。
「八十一歳? 若いね!」
この「若いね!」は相手が意外と老齢であることに対して驚きを表している。

6. 笛吹きさんからのお手紙

掲示板で有益なご意見を寄せてくださる笛吹きさんから、メビウスのことばに関するメールを頂いた。 2通ありますが、私の責任で一つにまとめ、編集した。

濱田敦先生(直接、習ったので呼び捨てにできません)の 「肯定と否定」という論文をぜひ読んで欲しいとおもいます。 "http://aa2611b.aa.tufs.ac.jp/mtoyo/sjl/sjl-toc.htm" ここをクリック(注:現在はリンク切れ)すれば読めます。 『国語学』の第一輯(昭和23年10月)です。 けっこう、有名な論文ですよ。 (maruyama 注:現在は 雑誌「国語学」全文データベースリスト から「濱田敦; . 肯定と否定--うちとそと--」の[全文表示]をクリックすれば読めます。2013-02-23)

「けしからん」は古語「けし」(怪し)の打ち消しなので、 わるくないといった意味になるはずですが「けしからず」と「けし」はどちらも、よくないという意味です。 「けしゅうはあらず」「けしくはあらず」とい ういいかたが「けし」の打ち消しとして、わるくはないという意味でつかわれています。 このあと、いろいろ論考があったはずですが、 忘れたので結論にいきますが、 これは、否定というものはすぐれて情意的な表現であるということから説明できます。 たとえば「家が焼けない前」とか「父が死なない前」という言い方もしますが、 本来、「家が焼ける前」「父が死ぬ前」が正しいはずです。 この言い方は、フランス語の虚辞の ne のようなもので、「家が焼ける」 「父が死ぬ」という大変なこと、 あってほしくないことを、いやだと否定したい話し手の情意表現だといえるでしょう。 だから、 「けしからず」は「怪しき」ことや「怪しき」事態を打ち消したい話し手の心を表しているといえるでしょう。  というようなかんじの論文です。 和歌の世界(実際にうたを詠んでいる人たちでなく、国文で)でよくいわれますが、 見渡せば花ももみじもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ  という有名なうたは、桜もない、 もみじもないと詠んだとき、うたを聞いたひとの頭には、あかい桜、もみじの朱色があるのです。 だから、「ない」という表現は「ある」と同列ではないといえるでしょう。

 

笛吹きさんからは、次の例も頂いた。

最近、気になる言葉に「さりげに」というのがあります。私は「さりげなく」といいます。 これは、濱田式では説明できませんね。

 もうひとつ、盲導犬と獰猛犬 

7. はなまるマーケットから

2002年5月27日のTBSテレビ番組「はなまるマーケット」からの例を挙げる。 以下は、はなまるマーケットのホームページからの引用である。

せわしないは、せわしいという形容詞に「ない」という否定の表現がついた言葉ではない!

◆せわしない・・・「ない」の意味は否定ではなく強調
〜が甚だしい(はなはだしい)
せわしないは、せわしいよりも忙しさの度合いが大きいという意味で“基本的に”使われる。

<基本的に?>
◆せわしない・・・せわしいを強調+微妙なニュアンスの違い
忙しすぎるという、嫌な感じが混じった主観的な表現。

◆せわしい
誰が見ても忙しいという客観的な表現。

※基本的には“せわしい”の強調が“せわしない

はしたない 強調
味気ない 否定
情けない 否定
滅相もない 強調
あどけない 強調
おさない 否定

では練習問題。次の「ない」は、強調か、否定か。

8. 「読み」と「意味」

小生の師匠であるふる師から、 次の投書をいただいた。 もう2000年1月31日前は届いていながら、 今まで載せなかったことへの失礼をお詫びする。

同じ漢字熟語を使った同じ例文で、読みが変わると意味が変わる、 という例をいくつか思いついたので投稿します。類書、類HPが あるような気もするのですが。

 (1)人気 にんき/ひとけ
  例:〜のない映画館
  ※これは定番かと。

 (2)心中 しんじゅう/しんちゅう
  例:おだやかならぬ〜

 (3)工夫 くふう/こうふ
  例:この現場は〜が足りない。

 (4)入会 にゅうかい/いりあい
  例:慣例として〜が認められている。

 (5)一間 ひとま/いっけん
  例:〜ですか。ちょっと狭いですね。

 (6)最中 さいちゅう/もなか
  例:えも言われぬ味わい、あの〜

※同じ例文、意味の大きな変容ということにこだわらなければ
 もっとありますが、例文にこだわってみました。

※ちょっと違いますが、美人局アナ(びじんきょくあな/つつもたせあな)
 みたいに、誤読がもたらすお笑いについては、
 「しろくま君のホームページ」にありますね。

私も、手許の「最新日本語活用辞典」(現代用語の基礎知識 1999 別冊付録)にある 「読みの違いで意味の違う言葉 」(p.87)を参考に作ってみた。 あまりぱっとしない。

  1. 上手 じょうず/うわて
    例:あの野郎、悔しいが俺より〜だ。
  2. 大家 おおや/たいか
    例:あいつが〜だなんて、信じられない。
  3. 生地 きじ/せいち
    例:この〜をまじまじと見ると、胸が熱くなってきた。
  4. 生物 せいぶつ/なまもの
    例:世の中には〜がすべて嫌いな人がいる。

9. 意味のない付録 (2000-04-07)

日向の国と甲斐の国

日向の国と甲斐の国についての話である。 日向の国、宮崎県には、甲斐という名字をもつ方がたくさんいらっしゃるが、 日向という名字の方はほとんどいらっしゃらない。 一方、甲斐の国、山梨県には、甲斐の名字をもつ方は少ないが、 山梨県のある一角には日向一族がいるという。

甲斐日向さん

奨励会という、プロ将棋棋士を養成する機関に甲斐日向さんという方がいる。2013 年 5 月で三段となり、 2014 年 7 月現在奨励会の三段リーグに所属している。ちなみに、出身は埼玉である。 読みは、かい・ひゅうが、のようだ。

その後、甲斐さんは年齢制限で奨励会を退会した。今は将棋教室を開いているようだ(2018-10-15)。

10. 二重否定・二重肯定

「二重否定」はいろいろなところで現れ、肯定の意味にも否定の意味にもなる。 一方「二重肯定」ということばもありました。やはり何人かの方が取り上げている。 たとえば、「何か打開策はないだろうか?」という問いかけに対する次の例を御覧下さい。

二重肯定二重否定
あることはある。
あるにはある。
あるといえばある。
ないことはない。
ない(わけ)ではない。
ないということはない。

なお、別の方々は「二重肯定」を「牛の牛肉」を表すことばとして使っています。

11. 新聞に載った論考

毎日新聞2004年6月11日朝刊の12面に、「オトコのみかた」という連載で、 内田樹さんの「あべこべことば」という論考を見かけた。 外人から日本語の「適当」というのはどういう意味か、と尋ねられた体験を挙げた後、 この「メビウスのことば」で出ている例のいくつかを説明していた。その中で、 この「メビウスのことば」にはなかった、次の例があった。以下引用する。

関西に来て、いちばん混乱したのは、 ディープ大阪のみなさんが二人称に「自分」という語を使われることである。 「自分」は旧軍の用語では「私」の意味である。だが、「ジブン、騙されてんとちゃう?」 という場合は「あなたは騙されているのではないのか?」という意味である。

これには気付かなかった。その後で内田さんは、「どうやら言葉というのは、 ある意味とそれとは違う意味を同時に含意するという矛盾した性格を有しているらしい。」 と述べている。そして、これと同意見を持つ大学者、フロイトの説を紹介する。 以下は内田さんのことばです。

『フロイトによれば、古代の言語では(中略)対立概念は同一語で示されていて、 これは「太古的な思考」であると推察され、それは今も夢の中に残存していると道破された。』

うーむ、じつに奥が深い。(2004-06-13)

12. 冷房の例

勤務先でこんな会話を耳にした. 夏になり、部屋の冷房が効き過ぎて寒いくらいだ。そこである人が、 空調の管理者を呼んでこう言った。
「冷房を低くしてもらえませんか。」
私の向いの人はにやりと笑った。私も思わずにやりとして、
「うーん、冷房の能力を低くして室温を高くすればいいのか、 それとも能力を高くして室温を低くすればいいのか、迷ってしまいますね」
と呟いた。結局、室温は少し高くなった。

先の新聞記事の例にならえば、頼んだ人は、 もっとがんがん冷房を効かせて欲しいと思っているのかもしれない。 (2004-07-05)

13. 命令

広島にいる義父が、自分の運転する車で妻と私をある所へ連れていってくれた。 その帰り、買い物のためスーパーマーケットに寄った。 義父は車から降りてスーパーに向った。 私達二人も降りようか車に留まろうか決まらずにもぞもぞしていると、 義父は言った「おりんさい」。 二人が降りようとしたら、さらにこう言った「ここに居りんさい」。 広島弁の「居る(おる)」と共通語「降りる」の活用がたまたま一致した。 (2004-08-12)

14. 流れた

広島にいる義母が、こんな話をしてくれた。 「自分が若い頃、テレビ局から話があって、 『松茸をとる風景を中継するから、ちょっと演技をしてほしい』と言われた。 収録は無事終わった。 後で、事情を知っている人に自分が映っていたか尋ねてみたら、 流れた、と言われた。お流れになったのかと落胆したら、 そうではなくてテレビで放映されて津々浦々に流れた、 ということだった」(2004-08-12)

15. みんなが大好き

NHKテレビを見ていたら、こんな用例を紹介していた。 アンパンマンの唄の一節である。
「みんなが大好き アンパンマン」
この文をどう解釈するか。

  1. 私たち皆が、アンパンマンのことを好きなのか
  2. アンパンマンが、皆のことを好きなのか

これは、どちらでもいい。 他にも、多義性のある例に、竹内まりやの「駅」、 河島英五の「酒と泪と男と女」が取り上げられていた。 「日本語なるほど塾」の講師、森山卓郎さんの話であった。

16. たちまち

広島では、「とりあえず」の意味で 「たちまち」ということばを使う。 たとえば、居酒屋へ行って「たちまちビール」などという。 標準語では「たちまち」を「すぐに」の意味で使うので、 「とりあえず」とは意味の隔たりが大きい。(2006-12-10)

17. 関連リンク集

先の shameful と shameless の例を下さった上田さんが、 否定語に関して、 ないないづくし(wedder.net)というコラムを書かれている。 英語の例が豊富にある。

何度も引用している 言葉のよろず屋(www2.famille.ne.jp) (リンク先は現在閉鎖されている。 直近には、 アーカイブあり。 (2006-01-14, アーカイブ追加は 2020-01-20) には数々のことばが採取され、力を得ている。特に「若者用語」や「諺のパラドックス」は、 このページとの関連が大きい。

ことばの同意と反意をおもしろおかしく扱ったページが 「牛の牛肉」(ottotto.com、現在リンク切れ)にあった。 アーカイブ(web.archive.org) )は残っているので参照されたい。 「牛の牛肉」はトートロジーを、「パラドクシカルワード」がパラドックスを扱っていて、 これら二つを捻じ曲げるとメビウスの輪ができるという次第だ。

レトリックに関しては、押しも押されもせぬページがある。 「悪魔の修辞典」 (www.geocities.co.jp 、リンク切れ)があったが、 アーカイブ (web.archive.org)参照できる。 ここでは、ここで再度紹介した「適当」、「いい加減」のほか、レトリックにまで高まったパラドックスが数々出ている。 最近これらのレトリックを身にしみて感じるようになってきた。

辺見さんの院長日誌補足 (h-dc.com)に、 異音異義語のページがある。

なお、このようなページもある。 Yahoo!知恵袋-英語のfastは、「速い」と「動かない」の両方の意味をもっています(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

18. ことわざにみるメビウスのことば

最近、文化庁が、誤って解釈されることわざや言い回しの例を挙げていた。 たとえば、「誤解多い慣用句、定着しないカタカナ語」 (www.crs.or.jp) を参照のこと。 確か、こんな例がまじっていた。

これらは、時代とともに元の意味が変わってきて、場合によっては正反対の意味になってきている。 では、次の例はどうだろうか。

ことわざ解釈1解釈2
転石苔むさず 職を変えるのはいいことだ 職を変えるのはよくないことだ
犬も歩けば棒に当たる チャンスを求めるのはいいことだ チャンスを求めるのはよくないことだ
秋茄子は嫁に食わすな 秋茄子は体に悪いので嫁には食わしてはいけない 秋茄子はおいしいので嫁には食わしてはいけない

これらの相反する解釈は、どちらも正当とみなされているようだ。 (「秋茄子は」の例は2006.1.14追加。) なお面白いことに「犬も歩けば棒に当たる」には第三の解釈もあるという。 幸・不幸は問題ではなく、ただ単に対象となるものに遭遇する意味としての用法だそうである。

上記のような用例を調べている内に、新解釈といえそうな例が出てきておかしくなりました。

かわいい子には旅をさせよ
可愛い子にはどんどん旅行をさせて、楽しませよ。
船頭多くして船、山に登る
みんなで力をあわせれば、不可能と思われることでも可能となる

これらの新解釈、珍解釈を極めたい方は、上記リンク集の「ことばのよろず屋」参照。

19. 反訓を考える

19-1 . 反訓とは

反訓ということばは知らない方が多いだろう。少なくとも私は 50 歳に少しなる前に初めて知った。 私なりにまとめると、「反訓」とは、同一文字が正反対の訓読みの意味を含むことである。 私が始めてこのことばを知ったのは、<「事務ミス」をなめるな>という本で紹介されたときである。

反訓の例として有名なのは、「乱」という文字である。 この文字は「叛乱(現代は反乱とも)」、「混乱」、「紛乱」 のように<みだれる>意味である。 ところが、古代中国では治理(日本語の「管理」、「統制」、「治水」などに相当)の意味で「乱」を使った史料がある。 このように、相反する意味が同一文字で表される現象を「反訓」と称する。

ところが、立教大学の樋口靖氏の検討によれば、世の中で「反訓」とされる文字であっても、 実質は反訓かどうか疑わしいとされる (樋口 靖 「いわゆる“反訓”について」、駒澤大学論集 5, 17-31, 1976-03)。 先の「乱」の字においても、 混乱をあらわす「乱」と、治理を表す「乱」は古代中国では声調(トーン)が異なっていた、という説を紹介している。 すなわち、混乱をあらわす「乱」は平声で読まれる一方、治理を表す「乱」は仄声で読まれたのではないか、 という説である。

私はこの説の是非を論じる資格はないが、樋口氏のこの検討論文の結論を引用する。

(前略) 語音と語義と字形は常に一対一に対応しているわけではなくて, 言語の歴史的過程の中で一定の矛盾を含みつつ転変しているのである。 その主要な矛盾には,同形異音同義があり,同形同音異議があり,同形異音異議があり, 異形同音同義がある。 このように複雑な言語現象を, もし,「声訓」だとか,「義訓」だとか, さらにはこれまで議論してきた「反訓」などという粗雑な概念の中に分類して, それが訓詁の方法であり,それでこと足れりとするならば,全く科学性に乏しいと言わねばならない。 (後略)

どうも私がしかられているような気がした。ちなみに、 「訓詁学」の Wikipedia によれば、 訓詁とは古代言語を解釈すること、声訓とは一致する音声で解釈を施すこと、 また「訓読み」の Wikipedia によれば、 義訓とは「文脈の意味に合わせてその場限りの訓をあてること」すなわち「当て字」を言う(2011-03-27)。

19-2 . 白川静における反訓の解釈

二畳庵主人/加地伸行による漢文法基礎という本がある。 当初は大学受験参考書として書かれたが、現在では漢文を読解するための学術書として再刊された。 さて、この本でも助字編の(12)で反訓が取り上げられている。 といっても、著者である二畳庵主人は反訓を現象として認めるまでに留めている。 反訓を「弁証法的統一」と持ち上げる学者に対しては、 著者は白川静の反論を紹介している。白川の反論とは次のとおりである。

「乱」の場合、もともとは<糸のみだれを骨ベラで調えておさめる>だったのに、 後であやまって「みだれる」という意味が加わったまでのことである。

これは「孫引き」にあたる。いつかは白川の原文に当たらないといけない。 おそらく、漢字百話などに書かれていると思われる。

この後、著者は、助字「寧」とその否定「無寧」が同じ意味になることを説明している。 英語で A と NON-A が同じ読み方、すなわち同じ意味というのでは矛盾律を犯すことであって、間違いではないか。 著者はここで、日常言語は理屈では解釈できないこと、A と NON-A が同じ意味になる理由が、 NON-A が反語をあらわすことを説明している。

この現象はまことに興味深いが、展開するには少し時間をいただきたい。

19-3 . 対異散同

同じく二畳庵主人の「漢文法基礎」から、対異散同という現象を取り上げる。 これは「たいいさんどう」と読むのだろうか。意味は、 二つの語で対立を意識すれば意味を区別するが、対立を意識せず「散らして」使えば同じ意味になる、 ということである。この本からの例を挙げよう。

君子和而不同、小人同而不和。 (君子ハ和スレドモ同ゼズ、小人ハ同ズレドモ和セズ)

意味は、<君子は協調するが、何でもすぐ同意したりはしない。しかし、小人は何でも同意するくせに、決して協調しない> ぐらいである。ここで、和は協調を、同は同意を表す。つまり、協調と同意とを意味を区別して使っている。

一方、対立を意識せずに使えば、意見行動を同じくするという意味になる。

天地和同、万物萌動 (天地和同シテ、万物萌動ス)

これは、(天地の運行の呼吸がぴたりと一致し、万物が動き始める)という意味で、散らして使う例である。 なんとも難しい話である。

20. 脱法ハーブと合法ハーブ

最近、脱法ハーブが流行している。新聞記事を見てみると、脱法ハーブは別名合法ハーブと呼ばれているとある。 脱法と合法は対立する概念ではないかと思うが、どちらも通用するところに問題のむずかしさがある。 もちろん、摘発する側からは脱法ハーブであり、大麻代わりに吸引したい側からは合法ハーブなのだろう。 (2012-04-26)

21. 偽装請負と偽装派遣

労働者の働き方として、派遣労働というタイプがある。派遣元である雇用会社とは異なる派遣先に出向き、 派遣先の指揮命令者からの指示で業務を行うのが派遣労働である。 この派遣労働を行うには法律上で数々の条件を満たさないといけないが、 この要件に満たさないにもかかわらず「常駐場所で非雇用会社所属の指示で業務を行う」ことが横行している。 このような状態を「偽装請負」または「偽装派遣」と呼ぶ。 請負と派遣とは全く異なる概念だが、実際には同一の状態を指す。 なぜなら、契約上は「請負」であるにもかかわらず実態が「派遣」であること、 言い換えれば、派遣業務を偽装してあたかも請負業務のように見せていることを指すからである。 だから、AをBに偽装することを偽装Aとも偽装Bともいえるわけだ(2016/06/10) 。

22. 屁についての哲学的考察

佐藤清彦氏の「おなら考」(文春文庫)で、 屁の哲学的性質について、ちょっと考察を加えたいとして次のように述べている。以下引用する(同書 p.45)。 (2016-09-15)

ある大学教授が学生に向かって、「君らは、私の話を屁とも思わないではないか」としかったところ、 すかさず、学生は、「はい、これからは屁と思います」と答えた。

ここで、「屁とも思わない」とは、いわばマイナス屁であり、「屁と思う」とはプラス屁である。 ところが、その意味するところは、多くの人が承認するように、等しく「問題にしない」ということである。 つまり、一般の常識に背いて、「屁」においては、プラスとマイナスは等号で結ばれるのである。 こんな不思議な性質をもった概念は、そうあるまい。 これを西田幾多郎にならって「絶対矛盾的自己同一」といおうではないか。

23. 数学の例

数学のように定義を厳密に扱う学問でさえ、概念の異同が起こりえる。以下はその例である。

台形と不等辺四角形

私の家ではつれあいがトイレに研究者の新英和中辞典(かなり古い版)を持ち込んでいる。 この英和辞典に次のような説明があった。

trapezium

アメリカでは不等辺四角形、イギリスでは台形

trapezoid

アメリカでは台形、イギリスでは不等辺四角形

なぜ?(2000-01-27)

同型と準同型

数学で、準同型写像 ( homomorphism ) とは、ある種の構造を保つ写像のことをいう(定義は省略)。 さらに、この準同型写像の条件を強めた写像を、同型写像( isomorphism )という。 数学者・言語学者の時枝正氏によれば、1920 年代まで、isomorphism, homomorphism の用法は時々あべこべだった、という (数学セミナー 2018 年 11 月号, p.51)。

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MARUYAMA Satosi