著者が狩猟・取材したおならについての集大成。
著者は、屁の存在とは絶対矛盾的自己同一ではないか、という。 メビウスのことば参照。
各国語による屁について「ハ行」「バ行」「パ行」が多いという説が述べられている。 その例証を見てみよう。表記と発音を同書 p.189 から引用する
言語 | 表記 | 発音 |
---|---|---|
中国語 | 屁 | ピ |
フランス語 | pet | ペ |
エスペラント | pedo | ペッド |
英語1 | fart | ファート |
英語2 | breaking wind | ブレーキング・ウィンド |
ドイツ語1 | Blähung | ブレーフング |
ドイツ語2 | Furz | フルツ |
ラテン語 | flātus | フラートス |
韓国語 | 방귀 | パーングウィ |
ロシア語1 | bètep | ベエチェル |
ロシア語2 | гáзЫ | ガズウィ |
この記載には疑わしいところが残るが、はっきりしたことはわからない。 疑わしいと書いたのは、エスペラントで「屁」にあたる単語は、私の持っている辞典(日本語エスペラント辞典)では furzo とあるからだ。ちなみに「屁をひる」のはこの辞典では、furzi; ellasi (venton |gason); pui とある。 ellasi venton は「風を外に出す」、ellasi gason は「期待を外に出す」の意味である。 念のため、PIV という、最も権威のあるエスペラント-エスペラント辞典にあたってみても、 pedo はなく、furzi, furzo しかなかった。
仮に pedo という単語があったとしても、pedo の発音はペドまたはペードであって、 ペッドという詰まる音(促音便)にはならないことだ。 ともあれ、pedo が屁でなくとも、エスペラントでも屁は「ハ行」であることには間違いない。
この本から紹介したいエピソードは山ほどあるけれど、その中で私が一番好きなエピソードを掲げる。 pp.131-134 の記述を抜粋する。
作曲家、和田則彦氏は、作曲には雑音も取り込まねばならぬと考え、その一環として屁の音を集めた。
これらの屁のテープレコーダによって録音された音を編集して氏は「ウィンドロジー」と名付けて世に問うことにした。
1972 年のことである。このウィンドロジーのテープを流した音展が開かれた。
すると、テープが流れるにつれておならのにおいが小ホールに満ちてきたという。
著者、佐藤氏は三つの解釈が可能であるとしている。一つめは、実際には臭気はないのに共感覚で音だけで臭いが想起された、 という解釈である。二つめは、音に誘われ、便乗(悪乗り)して、実際に放屁した聴衆がいた、という解釈である。 三つめは、音に誘われたという点では第二と同じだが、便乗ではなく音に感動して思わずほとばしり出た、 という解釈である。
以上を受けて、佐藤氏は次のようにまとめた。
いずれにせよ、におい充満が伝説であるとしても、伝説が生まれるぐらいであるから、 初御目見得の「ウィンドロジー」は、大成功だったということにはなるのだろう。
関連して、「ウィンドロジー」には、同じ日本の作曲家である黛敏郎が唱えた「カンパノロジー」が下敷きにあったのではないか。 カンパノロジー・エフェクトについてはリンク先参照。 また、音展で臭いが想起されたという解釈は共感覚によるとされるが、 通常、共感覚とは特定の刺激にたいして通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚を生じさせる、 一部に人に備わった感覚を指す(ある音楽家が特定の音や調にたいして色が見えるというような)。 ここでは、共感覚というより、クロスモーダル効果を当てはめるべきなのではないか。
屁の成分はメタンであるから、屁は燃えるはずである。 だから、屁の燃焼に関して何か記載があるかと思ったら、あまりない。p.18 で、 藤本義一の「屁学入門」の紹介や、p.46 で 「おならのもとになる腸内のガスが電気メスの熱で爆発、腹部の手術を受けていた患者が死亡するという珍しい事故例」 などが挙げられている程度である。
この本には載っていない、屁に関して私が覚えている噂はこういうものだった。 <世の中には「ヘモスの会」という組織があり、そこでは屁を燃やす同好の士が技を競っている。> 私はそのころ中学一年生であり、屁を燃やすというのならば風呂に浸って屁をしたときに出てくる泡を瓶に受けて、 それを化学実験のように燃やすものだと思っていた。中学生の理科の時間で水中置換ということばを習い、 酸素を作って集めるときにこの水中置換をしていたような気がするので、屁に関しても同じようにするのだと思っていた。
中学生のころから数十年、私は「ヘモスの会」というのは都市伝説か何かと思っていたが、 インターネットで「ヘモスの会」とか「屁燃す」とかキーワードを入れると、 本当にヘモスの会(屁燃す会)はあったようなのだ。私が誤解していたのは、 屁を燃やすのは水上置換ではなかったのだ。 ヘモスの会の同士は、 空中に放った屁に火種を充てて実際に空気と屁の混合した状態を作ってその場で燃やすのだった。 これには驚いた(それでも、私はこの会が実在していたかは半信半疑というところだ)。 それにしても「ヘモスの会」という響きが、ギリシャ語っぽくていいではないか (2020-02-07)。
書 名 | おなら考 |
監修者 | 佐藤 清彦 |
発売日 | 1998 年 2 月 10 日 第1刷 |
発売元 | 文藝春秋 |
定 価 | 476 円(税込) |
サイズ | |
ISBN | 4-16-727603-8 |
その他 | 文春文庫 |
NDC | 049.1 雑著 |
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