冗語法を考える

作成日:2005-10-09
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1. 牛の牛肉

私がよく見に行くサイトに、「牛の牛肉」という、ことば遊びのページがありました (http://ottotto.com/ushi/)。 このページは、主宰者の toss 氏が「昔からよくある物事を2重に説明してしまうミス」を集めていました。 つながらなくなってしまい残念ですが、気の利いたコメントと併せて、いつも楽しんでいました。

さて、私の尊敬する orataki 氏が、 重複言葉 (orataki.seesaa.net) という記事を書いていることに気づきました。 この重複言葉について、少し思うことを書きます。

なお、このページに限り、ですます体を使います。

2. 重複言葉、冗語法

「牛の牛肉」のようなことばの使い方は、修辞法の分野で冗語、あるいは冗語法と呼ばれます (エスペラント:pleonasmo、英:pleonasm、 仏:pléonasme、独:Pleonasmus)。 冗語法と同じ意味のことばとして、重複言葉、重複表現、二重表現、 重言(エスペラント:redundo、英語 redundancy)などでも通じます。 また、論理学では類語反復(エスペラント:taŭtologio、英:tautology) という概念があります。 冗語法と類語反復は、このページでは同一の現象を表すものとします。

問題は、冗語法は是か非か、仮に非の場合ならばどのように言い替えるのが正しいのかを考えることです。

3. orataki氏による例の検討

上述の orataki 氏の例をもとに、実例とその対応を考えます。

後で後悔する

後で後悔する、とか、後になって後悔する、と思わず言いそうです。 しかし、後悔とは、物事を行った後で悔いる感情です。事前に後悔することはありません。 事前の感情としては虫の知らせや不安などです。後悔先に立たず、という言い回しもあります。

言い替え方とすれば、後で悔いるとか、後で残念がる、後で残念に思う、でどうでしょうか。 単に、後悔する、でもいいと思います。

しかし、字面の重複だけで冗語法と決めつけ、正しい(と思う)語法を強制することには、 無理があるのではないかと感じるようになりました。そのあたりは後述します。

違和感を感じる

違和感という字に感情があります。違和感がある、違和感を覚える、違和感を抱く、 などが無難でしょう。

色が変色する

変色とは、色が変わることです。色が変わる、変色する、色が変化する、等の言い方があります。 場合によっては色の変わり方を限定して、退色する、色(が)あせる、という言い方も考えられます。

ハングル文字

ハングルとは、朝鮮半島で使われている朝鮮語、韓国語を表す文字のことです。 語義としては、ハンが大きい、正しい、クルが文字の意味です。 したがって、単にハングルといえばよいのです。

軽く会釈

辞書は「相手にたいする挨拶として、軽く頭を下げること」と説明しています。 単に、会釈で十分です。

犯罪を犯す

犯の文字が重なっています。冗語法として修正の対象になりやすい言い方ですが、 修正案を示すのは困難です。罪を犯す、犯罪をする、犯罪を実行する、犯罪を行う、等がありますが、 実際には使いにくいと思います。その理由を考えてみます。

まず、犯罪という言葉の使い方です。犯罪とは、「法律に違反する行為」と説明されています。 一方、罪とは、法律のみならず、道徳や宗教に照らして、してはならない、 あるいは違反する行為と私は認識しています(あくまで個人的な認識です)。 そのため、「犯罪を犯す」ことと、「罪を犯す」ことは、異なる意味となります。 英語でいえば、犯罪は crime、罪は sin です。

次に、犯罪という名詞の性質です。犯罪は、サ変動詞とは認められていません。 したがって「犯罪する」とは言えません。行為としては犯罪を行うことなので、 犯罪するが使えれば最もふさわしい言い方になります。しかし、 日本語としての標準に照らすと、「犯罪する」は逸脱した用法です。 もちろん、「名詞+する」の形は使い慣れれば正用として定着するでしょう。 しかし、まだ「犯罪する」は日本語としてまだ許容はされていません。

犯罪をする、犯罪を実行する、犯罪を行う、こういった言い方はできるはずです。 しかし、犯罪を犯す、に比べて迫力に欠けます。目で読まれる漢字の重複を取り除いた分、 耳から聞こえる事実の表現が弱くなっているからです。

前もって準備する

準備とは、当然事前に行うものです。したがって、単に「準備する」でよいのです。 「事前に準備する」はおかしいことになります。あるできごとより時間順序が前にあることを強調するのであれば、 準備の内容を具体的に示すといいでしょう。事前に協議する、事前工作をする、などが一例です。

製造メーカー

私が読んだ「英和辞典うらおもて」という新書(忍足欣四郎、岩波新書)にも出ていました。 もちろん、製造会社、あるいはメーカーで十分です。

IT 技術

ITは、英語のInformation Technology(エスペラントでも Informa Teknologio) の略であり、T の文字に技術の意味が入っています。 もちろん、「情報技術」あるいは IT のどちらかでいいのですが、情報技術では堅苦しいし、 かといって IT だけでは座りが悪く、落ち着かない、そんな気持が、 IT 技術という言葉を選んでいるのだと私は思います。 英語では、"ATM Machine"という言葉があります。 蛇足ですが、ATM は Automated Teller Machine の略です。 さらに蛇足ですが、ATM Machine のように略語に元のことばを重ねて使ってしまうことを RAS 症候群 (Redundant Acronym Syndrome syndrome)といいます。 一読すればわかる通り、RAS 症候群ということばが、略語の S と症候群が重なって使用されていることで、 この用法の実例となっています。

別の考え方もあります。 IT という言葉が使われるにつれ、単なる技術だけでなく、 社会の変化やあるべき姿までを含む語義が生まれて来つつあるのではないでしょうか。 すると、ITという言葉がもともと持っていた技術に関する側面が薄れることがあります。 そこで、ITのなかで、技術的側面を取り出して「IT技術」と呼ぶのではないか、 私は、このような仮説を立てています。

高い目標

orataki さんの注釈では「目標に高いという意味が含まれている」ということです。 目標ということばの解釈に、解釈者の態度が現れるのではないかと思います。 というのも、目標ということばに高いという意味が含まれる、とは私は思っていなかったからです。 目標とは、定められた範囲を(定量的ではなくともよい)狙うもの、という考えでした。 ということは、低い目標、あるいは成行き目標は矛盾する語法ということになるでしょう。

さて、言い替えはどうすればよいのでしょうか。高い達成度、などでしょうか。 自分で言い替えておきながら変ですが、意味がぼやけています。 「高い目標」が最も適切と思います。

価値ある人材

orataki さんの注釈では「人材に価値が含まれている」ということでした。 辞書を調べてみると、人材とは、働きのある、役に立つ人物、という語釈でした。 しかし、その辞書には「優秀な人材を確保する」という用例がありました。 ひょっとして、辞書も冗語法を認めているのでしょうか。

さて、勤務先の経営者が言っていたことを紹介します。 誰の発明かはわかりませんが、ジンザイには4種類あるということです。

  1. 人財
  2. 人材
  3. 人在
  4. 人罪

最も価値が高いのが人財です。次に、人材、人在(存在だけしている人、の意味)と続き、 最も価値が低いのが、罪となっている人罪ということです。 つまりこれらを包括した言葉があてはまればいいわけです。

最近は人的資源(Human Resouces, HR)ということばが広まっています。 これなら上記の包括したことばとして当てはまると思います。 そこで、表題の例では、価値ある人的資源、が修正案です。 しかし、人的資源という用語では人を大事にしているという気分に欠けます。 私なら、冗語であることを承知の上で、価値ある人材、と言います。 すると、上の分類の2.にあてはまる人材と上記4種類を包含した人材との間には矛盾があるのではないか、 という反論が予想されます。 これについては、次の章で考えます。

4. トートロジーによる意味派生

国広哲弥氏の「理想の国語辞典」(大修館書店)の68ページに、 「余談3 トートロジーによる意味派生」という欄があります。 ここで、「実力」ということばをもとに、 「あの人は実力がある」という文がトートロジーかを検証しています。 論理は次の通りです。

まず、実力という言葉には、次の2つの意味があることを認めます。

  1. みせかけとか、外から推定されたものではなくて、実際の力量。「実力テスト」
  2. 普通以上に高い力量。「あの人は実力がある」

以降、上の1.の意味を中立義、2.の意味をプラス値派生義と呼ぶことにします。 次に、「あの人は実力がある」という文の、実力という言葉が上記1. の意味だとすると、 トートロジーになるかどうかを調べます。しかし、この場合は2.の意味にとるのが自然です。 その理由を、国広氏はある哲学者の示した「協調の原理」に求めます。協調の原理とは、 対話の意味内容を規制する大原則であり、次の内容です(私が多少表現を変えています)。

対話者は、対話が円滑に進むよう、互いに協力している。そのため、対話内容には次の性質が期待されている。

  1. 適量の情報を含む
  2. 真実のみを伝える
  3. 当面の話題に関連する内容のみが選ばれる
  4. 理解しやすいように明確な表現による

この協調の原理に立ち返ると、一見トートロジーと思える言い方でも、 そんな、情報量ゼロの内容が言われているはずはない、と聞き手は考えます。 その結果、意味のある内容を期待できます。 「実力」の意味が普通以上を表す意味に転化するのは、以上の理由によります。 なぜ普通以下ではなく、普通以上になるかということについては、 普通以上、すなわちプラス方向のほうが「目立ち度が高い」ということではないか、 と国広氏は考えています。結果として、「あの人は実力がある」という文は、 実力が2.の意味で使われていると解釈でき、結果としてトートロジーではない、 と結論できます。

私もこの意見に賛成します。

プラス値転義(というより付加)の例があります。最近(2012年)では、 「結果」ということばが、プラス方向の意味も表すようになっています。 これは21世紀によく使われる用法となったような気がします。 特に、スポーツ選手が試合を前にして「結果を出す」ということは 「優勝する」などを意味する表現になっています。 これは「優勝」ということばを言わないための遠回しな表現とも考えられます (この段落のみ 2012-09-22追加)。

今度は、逆のことを考えてみます。 「高い目標」はトートロジーになるかということです。 目標の意味は、次のようになると考えます。

  1. それからはずれまい、そこまで届かせようと狙うもの。「目標値」
  2. 普通以上に高い狙い。「あの人には目標がある」

前の議論に基づいて考えます。「高い目標」といったとき、 敢えてトートロジーであるように解釈して議論を複雑にすることはないでしょう。 私が、「高い目標」という用語法は適切である、と判断したのは、以上の流れにしたがって考えた結果です。 「価値ある人材」を適切と考える理由も同様です。

なお、 私の手元の辞書(新明解国語辞典第5版)を見る限り、 「目標」は中立義のみが、「人材」はプラス値派生義のみが記されています。 逆に、プラス値派生義のみから中立義が導かれることもある、というのが私の仮説ですが、 実際にこれに遭遇した例はまだありません。

国広氏が示している、トートロジーによるプラス値派生の例の一部を挙げます。 ただし、最後の例は、忍足欣四郎氏の例です。氏も「英和辞典うらおもて」で、 「健康」ということばについて同様の例を指摘しています。

風邪を引いたのか、熱がある/体温計で熱を計る
体重
体重のある恐竜は、体当りして木を倒す/体重を計る
天気
天気だったら出かけます/天気予報
人格
人格者/人格を判断する
健康
健康な青年/健康診断

5. 冗語法への対応

このページでは、徒に冗語法を非難したり笑ったりすることなく、 ことばの意味について考えてきたつもりです。 冗語法は、仮に誤用であるとしても意味の混乱や多義性に至ることはほとんどありません。 したがって、他の誤用よりは悪影響は少ないと考えます。 また、今後は誤用そのものを咎めることはしないつもりです (昔はけっこう冗語法利用者をからかっていました。反省しています)。 むしろ、その意味や背景にいたる成立過程をたどることによって、 言葉の意味をより深く追求するための足掛かりとしたいと思っています。

これからの私の宿題を最後に述べます。 それは、一見冗語法と見える言い回しでも、 範囲や条件を限った場合には「漏れなくダブりなく」の原則 (MECE, )に合致するのではないか、 ということです。どのようにすれば明確な形で提示できるか、 また要件定義の際にこの原則が応用できないか、ということをしばらく考えたいと思っています。

6. 日本で有名な冗語の文章

「馬から落ちて落馬して」は有名な冗語です。これは浄瑠璃『鑓の権三重帷子』から来ていると思われます。 この冗語の前後に名もなき先達がさらに多くの冗語をつなげて、面白い話に仕立て上げました。 Web で見ただけでもいろいろあります。きっと、言い伝えられるうちに変奏されたのでしょう。 ここではそれらをまぜこぜにした形で示します。

  1. いにしえの昔の
  2. 武士の侍が
  3. 道行く途中の道中で
  4. 白い白馬にまたがって
  5. 前へ前へと前進す
  6. 山の中なる山中で
  7. きれいな美人の
  8. 娘の女に
  9. うっとりしてみとれて
  10. 馬から落ちて落馬して
  11. 女の婦人に
  12. 小ばかにされて笑われて
  13. 赤い顔して赤面し
  14. 残念無念と悔しがり
  15. うちへ帰って帰宅して
  16. 仏の前の仏前で
  17. 短い刀の短刀で
  18. 明かりを消して消灯し
  19. 腹を切って切腹し
  20. 苦しい顔で苦悶して
  21. 死んであの世へ行っちゃって
  22. お墓の墓地に埋められた
  23. 老婆のばあさんが
  24. 仰天して驚いた

これらの読み方は「文選読み」と似ています。 文選(もんぜん)読みとは同一の漢語を漢字音と訓 (和語) で二度読む方式をいいます。 「文選」は、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集であり、貴族の教養として読むべき書物でした。 この文選を読むときに音と訓を続けて読み方が多用されたことから、この名前で知られています。

7. 官邸のことば

桜を見る会について、 同会を含む観光ツアーへの参加を募る文書が、安倍晋三氏の地元である有権者に送られていた。 これに関して質問した議員に対し、安倍氏はこのように回答して話題となった。
「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」
これに関する議論が高まっている。私の認識は後で述べる。

私が思い出した話がある。これは VOW に出ていた新聞の切り抜きである。 VOW シリーズはたくさんあり、VOW のどの巻に出ていたのか忘れたので、思い出した範囲で要約する。 野球で、ある投手が投げた球について、審判がこういったのだそうだ:
「危険な球だが、危険球ではない。」
これは自己撞着を起こしているようではあるが、実際には正しい文章だと思う。 以下は推測だが、野球でピッチャーが投げる球は打者に危害を与えかねないものがある。 したがって、危害を与えかねない球を投げたピッチャーに対しては、 罰を課すのが当然だろう。では、どのような球が危険なのか。 その危険は客観的な判断基準によって決められるはずだ。その、基準を満たすと判断された球を「危険球」と呼び、 主観的な「危険な球」と区別するのではないか。 以上の推測は、日本プロ野球の規約などを見ればわかるだろう。 日本のプロ野球アグリーメントには危険球の基準があるはずだが、 私は原文にあたったことがないので、ここでは断言を控える。

もう一つ、思い出した話がある。ある会社に勤めていたとき、私の同僚が話しかけてきた。 同僚は、ある装置を工場の特定の場所に置く必要に迫られていて、その場所に「装置を置いています」 という意味の立札を置かなければならなかった。そこで、装置を「置くこと」を、 どのような単語でいえばよいかと悩んでいたのだった。 私は「配置じゃないの」と提案すると、「配置だと、計画的にそこに置くというイメージがあるけれど、 そうじゃないんだよ」という答が返ってきた。「設置だと?」と尋ねると、 「設置だと、アンカーを打ってボルトで固定して、という工事が必要なんじゃないかな。 今回は固定はしないんだ。」という。それでは「仮置(かりおき)では?」と別の提案をすると、 「撤去予定だと仮だけれど、そのままそこに置くかもしれない」という返事だった。 私も意地になって「載置」だとか「静置」だとかいろいろ考えてみたけれど、結局、最良の案は出てこなかった。 同僚がくだんの立札にどう書いたかは、結局聞かずじまいだった。 おそらく、そのことばは「・置」という単語になるだろう。これがいわゆるサ変動詞となる名詞という前提で、 どんな単語があるか調べたければ、次のページが大いに参考になる。
特許用語(機械)【~置する】 (www1.odn.ne.jp)。日本語だけでなく、対応する英語やドイツ語の動詞もあるのがうれしい。

さて、桜を見る会で「募る」と「募集する」が同じではないか、という意見があるなか、 https://kibashiri.hatenablog.com/entry/2020/01/29/150508 という記事があったので、見てみた。要約すると、次のようになる。

雑多な思いをいくら「募集」しても、「情」にまでは決して昇華しません。
「募る」には「募集」には絶対ない「高ぶる」というニュアンスが込められているのです。

私が抱いた意見はどういうものだったか。後に述べる(2020-02-02)。

私が抱いたのは、違和感であった。というのは、高ぶる思いにまで昇華して募ったのであれば、 桜を見る会に参加する人を私情を交えて選定したことになるということである。 これは公平性に欠けてしまうことになり、 まさに桜を見る会を私物化してしまったことに他ならないからである。 このような意見を述べていたのはジャーナリストである北丸雄二氏である。 私は喝采を叫んだ (2020-10-01)。

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MARUYAMA Satosi