原博の音楽と著書

作成日:2001-03-19
最終更新日:

1. 原博の音楽と著書

私の掲示板で、原博の「24の前奏曲とフーガ」や、 同じく氏の著書「無視された聴衆」の話題が出ていた。 少し気になったので、楽譜や音盤、著書を手に入れようと試みた。 既に持っていた全音ピアノピース「トッカータ」 以外の楽譜は残念ながら見当たらなかったが(5年前には確実にあったのに)、音盤と著書があったので手に入れた。 以下これらを聞いたり読んだりした感想を記す。

2. 24の前奏曲とフーガ

私はバッハの平均率が好きである。特にどこが好きということはない。 なんといえばよいのかわからないのだが、音楽を物質にたとえれば、 平均率は空気や水のようなものに私は思える。

そんなことを考えながら前半の曲を聞いてみた(演奏は北川曉子)。氏の目指す「平均率第3集」 は成功しているように思える。 また、ある方のいう「フランス組曲の書法の平均率」というのもあたっている。 わたしなどは平均率+フランス組曲+インヴェンション(シンフォニア)+フーガの技法だと思うが、 全体に異論はない。ああ、こんなに素直な音楽があるのだと安心した。至るところで、 バッハのエコーが聞こえる。

しかし、である。やはりどこかバッハとは違う。それは私には「におい」あるいは「かおり」という、 嗅覚のことばでしか私は表現できないものである。私は、それを好ましく思う。 と同時に、なぜバッハの音楽に、平均率に徹しきれなかったのかという疑問をもつ。 氏の力量をもってすれば、明らかにそれが可能であったはずだ。

この疑問についての回答を掲示板で寄せられた方がいた。使っている和声が違うのでしょう、 ということだった。 なるほど、和声は違っていも、 機能調性であることには変わりないということなのかと自分の無知を嘆いた。 そういわれると、ジャズだってフリーをのぞけばテンションノートこそあるものの 機能調性の範囲内である。クラシックの意味での機能はないかもしれないが、 ジャズの範囲内での機能は確実にもっている。

3. 無視された聴衆

原氏の著書に「無視された聴衆」がある。手に入れて読んだ。本当にざっとしか読んでいない。 志の高いこの本をどのように読みこんでいけばいいのか、わからない。 以下、私が感じた疑問である。些末なものばかりであるので、解決の要もないだろう。

  1. p.36 「ヒンデミットの<ルードス・トナリス>もショスタコーヴィチの24曲も、 ラヴェルの一曲(=クープランの墓の「フーガ」)にも匹敵していないように思う。」とあるが、 その根拠は何か。わたしはショスタコーヴィチの24曲(前奏曲とフーガ)を、 その程度の差こそあれ、好ましく思っている。
  2. p.168 人間の長三和音や短三和音には感情的に対応する座が生得的に存在し、とあるが、 本当にそうなのか。生まれつきなのだろうか。 インドのある人たちは 3000 もの音階を区別するという。 現在の音環境が圧倒的に長三和音や短三和音を基調としているだけではないか。

この疑問について回答があったので、私なりに整理してみようとしている。

  1. 例に挙げられた作品は、機能調性で書かれていない、というだけのことである。 その作品の価値や好ましさとは切り離して考えよう、ということである。 だとすると、ショスタコーヴィチの24曲は、機能調性に則っていないのだろうか。 いくつかの作品は明らかに機能調性から逸脱しているだろう(第15番など)。 ただ、いくつかは機能調性のように聞こえる作品もある(第14番など)。 きちんとした機能調性の規則を私は知らないから、これ以上の憶測は避ける。
  2. 長三和音や短三和音と感情が対応するのは、私には後天的な要素に思える。 笙や篳篥で西洋の長音階や短音階に基づく音楽をやられると、非常に気持ちが悪い。 笙や篳篥固有の音楽を聞く分には、全く気持ち悪さは感じない。 長三和音や短三和音が静的に感情を持つのではなく、 これらの和音の連結、あるいは和音の連結の推移(転調など)が全体としてあるために、 結果として西洋音階/和声が優越的な地位にあるのだと思う。

4. 調性への回帰

4.1 調性回帰者

クラシックの延長線上としての音楽、いわゆるシリアスミュージックの一部に調性回帰への指向が見られる。 たとえば吉松隆に代表される聴きやすい音楽が注目されている。最近では佐村河内守の名前が聞かれる。 原博の再評価は来るだろうか(2013-07-14)。

佐村河内守とされる音楽を一度も聞いていなかったのにこんなことを書くとは。 今になって、影武者事件で話題になり、このまま残しておくのも恥ずかしいが、 どうせ生きていることが自体が恥ずかしいことなのだ。(2014-03-22)

4.2 原博の音楽

原博の音楽は Youtube などで聞ける。交響曲の終楽章はノリノリで、 中間部のパーカッションのソロにはたまげた。

ピアノ曲は残念ながらインターネットではそれほど聴くことができない。 せめてものなぐさみに、トッカータの冒頭26小節を MIDI にしたのでどうぞ。 末尾に 1964. 8 とあり、これが完成した年月と思われる。聴いてみると調性は意識できない。 ということは、この時期でそれほど調性回帰にこだわってはいないということのだろうか。(この項、2014-03-22)

原博 トッカータ

5. 原博の楽譜

5.1 全音ピアノピース

5.2 全音楽譜出版社

その他、「シャコンヌ」、「セレナーデ第1番」、「セレナーデ第2番」、「セレナーデ第3番」が レンタル楽譜のカタログにある。

5.3 音楽之友社

5.4 現代ギター社

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MARUYAMA Satosi