原博の音楽と著書

作成日:2001-03-19
最終更新日:

1. 原博の音楽と著書

私が管理していた掲示板で、原博の「24の前奏曲とフーガ」や、 同じく氏の著書「無視された聴衆」の話題が出ていた時期があった。 たとえば、2001 年 3 月の掲示板などがある。 少し気になったので、楽譜や音盤、著書を手に入れようと試みた。 既に持っていた全音ピアノピース「トッカータ」 以外の楽譜は残念ながら見当たらなかったが(5年前には確実にあったのに)、音盤と著書があったので手に入れた。 以下これらを聞いたり読んだりした感想を記す。

その後、全音ピアノピースではソナタ全曲ほかが手に入るようになった(2019-01-06)。

さらにその後、全音楽譜出版社から出ていたが長らく手に入らなかった「24の前奏曲とフーガ」が 2019 年 5 月に発売された。33年ぶりの復刊という。私は 7 月に買った (2019-07-22)。

2. 24の前奏曲とフーガ

原博の作品としては、ピアノのための「24の前奏曲とフーガ」が有名である。

「24の前奏曲とフーガ」あるいは別の名称で、12音の長調と短調を網羅した前奏曲とフーガ、 あるいはこれに近い楽曲を残した作曲家と作品は、 次のものがある。

私はバッハの平均律が好きである。特にどこが好きということはない。 なんといえばよいのかわからないのだが、音楽を物質にたとえれば、 平均律は空気や水のようなものに私は思える。

そんなことを考えながら前半の曲を聞いてみた(演奏は北川曉子)。氏の目指す「平均律第3集」 は成功しているように思える。 また、ある方のいう「フランス組曲の書法の平均律」というのもあたっている。 わたしなどは平均律+フランス組曲+インヴェンション(シンフォニア)+フーガの技法だと思うが、 全体に異論はない。ああ、こんなに素直な音楽があるのだと安心した。至るところで、 バッハのエコーが聞こえる。

しかし、である。やはりどこかバッハとは違う。それは私には「におい」あるいは「かおり」という、 嗅覚のことばでしか私は表現できないものである。私は、それを好ましく思う。 と同時に、なぜバッハの音楽に、平均律に徹しきれなかったのかという疑問をもつ。 氏の力量をもってすれば、明らかにそれが可能であったはずだ。

この疑問についての回答を掲示板で寄せられた方がいた。使っている和声が違うのでしょう、 ということだった。 なるほど、和声は違っていも、 機能調性であることには変わりないということなのかと自分の無知を嘆いた。 そういわれると、ジャズだってフリーをのぞけばテンションノートこそあるものの 機能調性の範囲内である。クラシックの意味での機能はないかもしれないが、 ジャズの範囲内での機能は確実にもっている。

3. 無視された聴衆

原氏の著書に「無視された聴衆」がある。手に入れて読んだ。本当にざっとしか読んでいない。 志の高いこの本をどのように読みこんでいけばいいのか、わからない。 以下、私が感じた疑問である。些末なものばかりであるので、解決の要もないだろう。

  1. p.36 「ヒンデミットの<ルードス・トナリス>もショスタコーヴィチの24曲も、 ラヴェルの一曲(=クープランの墓の「フーガ」)にも匹敵していないように思う。」とあるが、 その根拠は何か。わたしはショスタコーヴィチの24曲(前奏曲とフーガ)を、 その程度の差こそあれ、好ましく思っている。
  2. p.168 人間の長三和音や短三和音には感情的に対応する座が生得的に存在し、とあるが、 本当にそうなのか。生まれつきなのだろうか。 インドのある人たちは 3000 もの音階を区別するという。 現在の音環境が圧倒的に長三和音や短三和音を基調としているだけではないか。

この疑問について回答があったので、私なりに整理してみようとしている。

  1. 例に挙げられた作品は、機能調性で書かれていない、というだけのことである。 その作品の価値や好ましさとは切り離して考えよう、ということである。 だとすると、ショスタコーヴィチの24曲は、機能調性に則っていないのだろうか。 いくつかの作品は明らかに機能調性から逸脱しているだろう(第15番など)。 ただ、いくつかは機能調性のように聞こえる作品もある(第14番など)。 きちんとした機能調性の規則を私は知らないから、これ以上の憶測は避ける。
  2. 長三和音や短三和音と感情が対応するのは、私には後天的な要素に思える。 笙や篳篥で西洋の長音階や短音階に基づく音楽をやられると、非常に気持ちが悪い。 笙や篳篥固有の音楽を聞く分には、全く気持ち悪さは感じない。 長三和音や短三和音が静的に感情を持つのではなく、 これらの和音の連結、あるいは和音の連結の推移(転調など)が全体としてあるために、 結果として西洋音階/和声が優越的な地位にあるのだと思う。

4. 調性への回帰

4.1 調性回帰者

クラシックの延長線上としての音楽、いわゆるシリアスミュージックの一部に調性回帰への指向が見られる。 たとえば吉松隆に代表される聴きやすい音楽が注目されている。最近では佐村河内守の名前が聞かれる。 原博の再評価は来るだろうか(2013-07-14)。

佐村河内守とされる音楽を一度も聞いていなかったのにこんなことを書くとは。 今になって、影武者事件で話題になり、このまま残しておくのも恥ずかしいが、 どうせ生きていることが自体が恥ずかしいことなのだ。(2014-03-22)

4.2 原博の音楽

原博の音楽は Youtube などで聞ける。交響曲の終楽章はノリノリで、 中間部のパーカッションのソロにはたまげた。 一方、ピアノ曲は残念ながらインターネットではそれほど聴くことができない。

5. 原博の楽譜

5.1 全音ピアノピース

5.2 全音楽譜出版社

その他、「シャコンヌ」、「セレナーデ第1番」、「セレナーデ第2番」、「セレナーデ第3番」が レンタル楽譜のカタログにある。

5.3 音楽之友社

5.4 現代ギター社

6. 24 の前奏曲とフーガの暗譜に挑む

6.1 変イ長調の前奏曲とフーガ

原博の「24 の前奏曲とフーガ」が全音楽譜出版社より復刊された。めでたいことである。 祝賀のために、前奏曲とフーガの組をどれか暗譜しようと思った。 私が選んだのは、第 17 番の前奏曲とフーガ変イ長調である。 この第 17 番を選んだのは次の理由からである。

では第6番と第19番はなぜ選ばなかったか。 第6番は、前奏曲に 32 分音符が登場すること、フーガも密な書法であることを見て萎えたこと、 という点がある。 第19番は、前奏曲のヘミオラの扱いに苦労しそうだったこと、フーガが 5/8 拍子でとりにくかったこと、 以上の理由がある。

ということで消去法で第17番を選んだ。 それに、バッハの平均律の変イ長調の前奏曲とフーガは特に好きだからだ(第1巻のほうはとりわけ)。

では前奏曲 Andante を見てみよう。譜面は簡単そうに見えるが、あちこちに落とし穴がある。まず全体を把握しよう。 abc 記法 を JavaScript で実装したabcjs による楽譜と音源を最初の4小節だけ掲げる。 なお、音源でのプラルトリラーは、指示音の半音上になっている。楽典上は指示音の全音上が正しいが、 これは abcjs の仕様であり、私が変えることは非常に困難である。ご寛恕を乞う。


  1. 厳格な3声体である。
  2. リズムは3拍子で、特に2拍めに付点音符や複付点音符があることからサラバンドを思わせる。 ちなみにサラバンドとは、2拍めにアクセントがあることを特徴とする、3拍子のゆっくりした舞曲である。
  3. プラルトリラーが重要な音符に置かれている。 たとえば、上記の2拍め、特に付点4分音符や複付点4分音符に置かれている場合が多い。
  4. 下行音階を主体とし、隣り合う声部、特に中声と低声は6度や10度で平行する。
  5. バッハの第2巻の平均律の変イ長調と同じように、 変イ長調のトニカ(I)からイ長調のサブドミナント(IV)への転調が見られる。

さて、第1の点は譜読みすればわかるが、オクターブの範囲内で指は届く。 ただ、完全に音価を保持した指使いにしようとすると恐らく破綻する。 ピアノの音は減衰するので、保持されている音はある程度減衰したら離してもよいだろう。 いや、倍音を効果的に響かせるのになるべく鍵盤は押さえておきたい、というのならばそれもいいだろう。 ただ、ペダル(ダンパーペダル)の使用は最小限にとどめるべきだろう。ノンペダルでもかまわないと思う。

第2の点は、演奏者を惑わせる。どのメロディーが付点で、 どのメロディーが複付点かというのは、厳密な規則にしたがっているわけではないようにみえる。 そこで思い出すのが、次に紹介する演奏である。 ニコニコ動画にアクセスできる人は、 この原博の 24 の前奏曲とフーガをよみがえらせた soahc(8bitP) さん による、 下記で再生できる、ひたすら凄い演奏がある。聴いてほしい。

原 博 : 24の前奏曲とフーガ ③ (17~24番)(www.nicovideo.jp)

凄い演奏であることは重々承知の上で、次の点が気になった。 第17番の前奏曲では、楽譜に見られる付点と複付点の区別がされておらず、 ほとんどが複付点音符として演奏されていた点である。 ただ、soahc(8bitP) さんの音価感覚は鋭いので、 あえて楽譜に書かれていることを承知して複付点としたのかもしれない。 実際、ある時代の様式のある場面では、 付点音符を複付点のように扱うのが常識だということをどこかできいたような気がする。

第3の点は当然、第2の点と密接に関連する。プラルトリラーは、指示されたその音符の音高(指示音)から始める場合と、 指示された音符の半音または全音上(まとめて先取音という)から始める場合がある。 一般に、バロックの場合は先取音が、古典派以降の場合は指示音が妥当とされるが、 こればかりは演奏者の趣味・嗜好によるものだろう。楽譜の指使いは指示音によるものと思われる (運指は Michio Kobayashi とある。チェンバリストとして有名な小林道夫のことだろうか)。 また全曲 CD を録音した北川暁子は主に指示音を採用して、場面により先取音を採用している。 私は上記 soahc(8biP) さんによる、下記の■ Praeludium ■ Nr.3 のコメントの通り先取音を採用する。 なお、soachc(8bitP)さんによる演奏はごく一部の場面で指示音を採用しているが、私は例外なく先取音から始めた。 ただし、私の演奏ではトリラーにはなっておらず、単なる前打音となっているところがあるがこれは単なるミスである。ご寛恕を乞う。
24の前奏曲とフーガ(原博) (ch.nicovideo.jp)

第4の点に関しては、暗譜をするのに役に立つ。 しかし、どこで6度から10度の、あるいは10度から6度の切り替えが起こるかがわからず、 苦労する。

第5の点に関しては、原博から J. S. バッハへのオマージュであろう。大事に弾くことだ。

次にフーガ Allegro を見てみよう。いたずらに速く弾く必要はないと思う。主題は次の通りである

前奏曲と同様に、特徴を描いてみたい。

  1. フーガの主題は前半は、せわしない16分音符からなる 5 度や 6 度のトレモロ(バッテリー)が特徴的。 後半は分散和音、ついで下行音階からなる。
  2. 主題に対応する固定した対唱はない。4分音符・8分音符の上行・下行音階が中心だが、リズミカルな対唱もある。
  3. フーガの主題の分散和音部が推移部で多く用いられる。
  4. 同じくフーガの主題の下行音階部も推移部で用いられる。特に隣り合う声部が10度で平行に下行する部分が印象的だ。
  5. バッハの平均律第 2 巻の変イ長調と同じように、変イ長調のトニカ(I)からイ長調のサブドミナント(IV) への転調が見られる。

くしくも、第4と第5の点が前奏曲と一致する。なお、フーガにおける下降音階の 10 度のフレーズは、 作曲者が意識していたかどうかはしらないが、 ラモーのクラヴサン曲集第 3 組曲の第 4 番「歓喜」(ロンドー)《La joyeuse (Rondeau)》 を思い出す。 この曲は主部が下行音階で、推移部が3度または4度のトレモロ(バッテリー)で奏される。 たまたまであろうが、この原博のフーガとは対照的な構造にあるのが面白い。

なお YouTube にて、この前奏曲とフーガの、甚だ不本意な演奏を公開している。

当初、この曲の演奏を 2019 年 8 月半ばごろにアップロードしたが、 致命的な譜読みの誤りに気づいたのでこれを削除した。 その後改めて 9 月 1 日にアップロードした。 この演奏を見聞きした諸氏が健康を害したとしても、私は責任をとれない。
原博 24 の前奏曲とフーガより 第 17 番 変イ長調 (www.youtube.com)

こんなひどいものをアップロードしたのならば、これよりはもっとましなものをアップロードせよ、 と思っている諸氏がいると思う。私だってそうしたいが、 これよりうまく弾ける見通しは全く立っていない。 この演奏をアップロードした直後に私自身が「低く評価」した。 この演奏は私の墓碑銘と思ってもらいたい、と当時は思った。

なんでおおげさなことを言いだしたか。 今年(2019 年)になって、ある催し物に出席したとき、 自分のピアノがちっともうまくなっていないことに、 いまさらながら初めて気づいたのだった。 その後、その催し物を思い出すたびに、自分の鈍感さに腹が立ってきた。 そんな自分への腹立ちが高まり、ピアノをやめてしまうことにした。 ただ、なにがしかの区切りをつけたかったので、 この曲を YouTube にアップロードした日、9 月 1 日をその区切りの日とした (くしくも 9 月 1 日は防災の日であった)。 この日を境として、ピアノを人前で弾くことはおろか、ピアノを練習することも、 無期限でやめることにした。ただし、2019-09-01 現在、将来弾くことを約束していた曲がいくつかあり、 それらは除く。ただ、これらの曲を弾くのは今年の 11 月から 12 月なので、 来年、2020 年以降はどんなピアノ曲も弾かないつもりだ(2019-09-04)。
といいながらまだピアノは練習している。しかし、練習しても下手なピアノに愛想がつきていて、 しかも練習をやめてしまうと自分が生きている意味がないような気がしていて苦しんでいる(2020-05-30)。

その後、2019-09-09 に上記サイトを見たら、驚くべきことに、 この演奏を「高く評価」した人が2人もいることを知った。感謝する。

その後、2019-09-27 に見たら「高く評価」した人が3人になった。ありがたいことだ。 いつかはもっとうまくなってアクースティックピアノを弾いた動画を撮りたいが、練習していないからできない。(2019-09-27)

さらにその後、2019-12-15 に見たら「高く評価」した人が4人になった。本当にありがたい (2019-12-15)。

さらにその後、2020-03-16 に見たら「高く評価」した人が5人になった。まったくありがたい (2020-03-16)。

さらにその後、2020-04-21 に見たら「高く評価」した人が6人になっていた。 なぜ増えているのか謎であるが、とにかくうれしい(2020-04-21)。

私も暇なのでずっと見ていると、2020-06-03 時点で「高く評価」した人が7人になっていた。 うれしい限りだ (2020-06-03)。

相変わらず見ていると、2020-09-01 時点で「高く評価」した人が8人になっていた。 私はほかにも原博の前奏曲とフーガを YouTube で公開しているが、この変イ長調の組だけ、 少しずつ増えている (2020-09-01)。

さらにその後、2021-04-28 時点で「高く評価」した人が9人になっていた。 (2021-04-28)

さらにその後、2021-05-31 時点で「高く評価」した人が10人になっていた。 これを機に、自分で「低く評価」することもないと思い、取り消した。 (2021-05-31)

さらにその後、2021-08-01 時点で「高く評価」した人が 11 人になっていた。 (2021-08-01)

さらにその後、2023-06-19 時点で「高く評価」した人が 12 人になっていた。 (2023-06-19)

さて、緑陽ギター日記(blog.goo.ne.jp)というブログで、 静かな夜に-前奏曲とフーガ1曲- という記事で、私が投稿した YouTube の動画がリンクされている。 原博のギターに関する作品が上記記事や他の記事で取り上げられ、 緑陽氏の原博の作品への愛が横溢している。ぜひとも読んでみていただきたい。
なお、私は一介のアマチュアであり、演奏も下手である。 (この一文は、アマチュアだから下手だ、という因果関係を意味しているのではない。 アマチュアでもうまい人が多くいるし、プロでも下手な人がいる)。 また、原博に関しては私が所持する楽譜も音源もほとんどなく、 まして研究に値する知識もない。このページが継続できるかどうか、まるでわからない(2020-05-30)。

なお、私のブログで何回かこのときの練習について記事を書いた。とはいっても、 たいしたことは書いていない。 リンク先はすべて私のブログ「まりんきょの音楽室」(marinkyo.asablo.jp)である。

6.2 ニ短調の前奏曲とフーガ

上記第 17 番を選んだ理由と合わせて第 6 番を落とした理由を述べたが、欲張ってもう一曲も練習したいと思った。 長調を一組選んだのだから短調も選ばなければという気になったのである。 結局第 6 番に取り組むことにした。 時間があれば取り組んだ結果をお知らせしたい。

懲りずに YouTube にて、この前奏曲とフーガの、甚だ不本意な演奏を 2019 年 11 月 19 日にアップロードした。 この演奏を見聞きした諸氏が健康を害したとしても、私は責任をとれない。
原博 24 の前奏曲とフーガより 第 6 番 ニ短調 (www.youtube.com)

上記ページを 2019-12-15 に見に行くと、「高く評価」した人が 1 人いた。ありがたいことだ(2019-12-15)。
その後、2020-11-20 では「高く評価」した人が2人になっていた。 さらにその後、2023-06-19 では「高く評価」した人が6人になっていた。

では前奏曲 Andante を見てみよう。譜面は簡単そうに見えるが、あちこちに落とし穴がある。まず全体を把握しよう。 abc 記法 を JavaScript で実装したabcjs による楽譜と音源を最初の4小節だけ掲げる。 音源のテンポを決めるためにメトロノームの速度を指示しているが、実際の楽譜にはメトロノーム速度は書かれていない。



作曲者がいうように、左手が二重旋律のパッサカリアである。 だから左手は覚えやすいが、右手は逆に覚えにくい。 右手はこの 0 番目の旋律が出てから次のように変容する。

  1. むしろシンプルになる
  2. 1. に経過音を付加し、さらにリズムを細分化したわずかな修飾
  3. 1. の旋律と2.のリズムとの組み合わせ
  4. 冒頭休符を有する 3. の旋律のメリスマ的修飾
  5. 高音部から入る短・長・短のリズムの導入
  6. 冒頭休符を有する 5. の修飾。ただし 16 音符のみ。
  7. シンコペーションを伴う 32 分音符による本格的な5. の修飾
  8. 全体が 32 分音符のみによる 5. の修飾。末尾は下降音型
  9. 前と同じく、全体が 32 分音符のみによる 5. の修飾。ただし末尾は上行音型
  10. 8 分音符と 32 分音符とシンコペーションによる詠嘆
  11. 小節冒頭に 32 分休符が置かれた分散和音中心のクライマックス
  12. 6連符による収束の準備
  13. シンコペーションを伴う、ほとんどトリルの6連符
  14. 6連符から4連符へのクールダウン
  15. 音高を落としてのクールダウンの続き
  16. トリルを伴う落ち着き
  17. 音高は d のみ

上記まとめは、8. までが偶数ページ(左ページ)に、 そして9. 以降が奇数ページ(右ページ)に配置されている。そして最後にニ長調に転調して終結する。 暗譜をするときに、ここまで細かくは書かなかったが、ほぼ上記と同じことを頭に入れていた。 そうでないと、おもしろいように順番が入れ替わってしまうのだった。

なお、楽譜の誤植と思われる箇所を述べる。24小節で譜面上の F が三か所出てくるが、 その末尾の F での本位記号(♮)すなわちナチュラルが落ちている。これは左手が F# から F♮になっていることから容易にわかるだろう。 また、26小節では右手に二か所 F が出てくるが、終わりの F にはやはり本位記号(♮)すなわちナチュラルが落ちている。

次にフーガ Allegro を見てみよう。 これはある程度速く弾く必要があると思う(私がアップロードしたテンポは遅いが、これが私の実力だ)。 特徴はここでは書けないので記載しない。 一番苦労した個所はフーガの主題が出てこない下記の箇所だったことを告白する。 音源のテンポを決めるためにメトロノームの速度を指示しているが、実際の楽譜にはメトロノーム速度は書かれていない。


ピアノが達者な人からは何ということはないだろうが、私にとって困ったのは、 休符のない密な手法や、五度で下降するヘミオラ(もどき)のスラー、中声部の左手と右手の取り合い、 細かな 16 分音符のつなげ方など、途方に暮れることばかりだった。

なお、上記の楽譜では、中声部がすべてト音記号部分で記載されているが、 実際の楽譜では、左手でとる部分はヘ音記号部分に記載されていることを付記する。

フーガにも誤植がある。21小節、中声部にテーマが出てくるが、テーマを表す T. 記号が落ちている。 たいしたものではない。

本曲のうち、前奏曲第6番の誤植について、私のブログで記事を書いた。とはいっても、 本ページで指摘したことである。まずブログで忘れないように書いて、それからこちらに転記した。 リンク先は私のブログ「まりんきょの音楽室」(marinkyo.asablo.jp)である。

6.3 イ長調のプレリュードとフーガ

上記第 17 番と第 6 番を暗譜したので、また更に欲張ってもう一曲も練習したいと思った。 残った 第 19 番イ長調である。練習をやめると宣言しながら再開するようでは懲りていない。 ただ、練習しながら、やはり自分への腹立ちは収まっていないのだ。困ったことだ。ちなみに、 全部で5ページの暗譜さえできなかった。暗譜できたのは前奏曲3ページのうち最初の2ページだけである。 残りの3ページは楽譜を見ている。 まず、前奏曲の残り1ページとフーガの前半1ページは2ページが出版楽譜で見開きになっているのでこれを見て、 フーガ後半1ページは私が手書きで写した楽譜を見ている。

まず前奏曲だが、アウフタクトで始まる軽やかな曲想である。ツェルニー練習曲 Op.299 の第35番を思い出す、 とブログには書いた。ツェルニーのほうはオクターブのバッテリーだが、 原博のほうはバッテリーの低音が同音を保持しているので弾きやすい。ちなみに、 高音を保持しているバッテリーの有名な例はモーツァルトのヘ長調ソナタ K. 332 の第3楽章だろう。

この前奏曲の特徴が二点ある。一つは小節内ヘミオラで、曲の転換部で 6/8 拍子を 3 つに割るヘミオラを使っている。 もう一つは半音階的な進行で、 古典では見かけないので往生する。後者については楽譜を示す。私はこの半音階進行がうまく弾けず、 演奏するにあたってはこの上昇進行に伴い腰を浮かせて体ごと右側に移動することによって切り抜けた。

フーガは 5/8 拍子である。もともと 5 拍子はロマン派後期から現われたので (フォーレ前奏曲第2番で使っている)、 バロックしか弾けない私は非常に苦手である。 それを克服するためにショスタコーヴィチの前奏曲とフーガ嬰ト短調をさらったほどである( フーガが 5/4 拍子である。毒を食らわば皿まで)。 まあそれは冗談として、とにかく 5/8 拍子の練習をしないといけないが、やはり弾けなかった。 そんな中、私が美しいと感じたのは次の43小節から47小節、 ストレッタで現れる主題を縫う対旋律の個所で、特に major 7th が出現する瞬間 (46小節第3拍、左手が A と Gis、右手が Cis の個所、Cis の前の逸音の E も重要)に心を奪われる。(2020-04-03)


他にも苦労したのが結尾でフーガの反行形が出てくる直前、 右手の上声でイ長調の下降音階を奏しながら5拍目に親指で中声の D 音を入れる個所である。ペダルは使わずに行なったが、 ペダルを使ったとしてもどのような指使いがよいのかわからない。 どう切り抜けたかは YouTube の映像を見ればわかるかと思う。

懲りずに YouTube にて、この前奏曲とフーガの、甚だ不本意な演奏を 2020 年 4 月 14 日にアップロードした。 この演奏を見聞きした諸氏が健康を害したとしても、私は責任をとれない。
原博 24 の前奏曲とフーガより 第 19 番 イ長調 (youtu.be)

この前奏曲とフーガ第19番についても、私のブログで記事を書いた。とはいっても、 たいしたことは書いていない。 リンク先は私のブログ「まりんきょの音楽室」(marinkyo.asablo.jp)である。

6.4 嬰ヘ短調のプレリュードとフーガ

最初にこの曲集を見たとき、プレリュードとフーガで5ページで完結するのが4セットあることは先に書いた。 これでいけば4番目に練習する曲は変ニ長調のプレリュードとフーガになるが、 どういうわけか変ニ長調のは置き去りにしてしまった。 代わりに練習したのは嬰ヘ短調のプレリュードとフーガだった。

プレリュードは2声のインベンション風で、バッハの平均律第1巻の同じ調のプレリュードを思い出す (思い出すだけで、似てはいない)。ただ、原のほうは、とぼけた味わいがある。 私が弾く時に気にしたのは、16分音符+16分音符+8分音符のリズム(下記の譜例では、 第1小節に右手で、第2小節に左手で奏でるフレーズである)を 8分音符をスタッカートになるべくしないようにしたことである。これは私の好みである。 あえていえば、作曲者がスタッカートをつけていないのならば、演奏者はスタッカートにする必要がない、 というのが私の解釈である。なぜこのような解釈なのかというと、 はるか昔、このような音型でスタッカートをつけて弾いたら当時のピアノの先生に 「書いてないスタッカートは弾いてはいけません」と言われた覚えがあるのだ。 いや、ひょっとしたら私が師事した先生ではなく、 NHK の「ピアノのおけいこ」でそのような指導をした先生の指示と勘違いしているのかもしれない。 さて、このような16分音符+16分音符+8分音符のリズムは、8分音符をスタッカートで弾くほうがやさしい。 ちょうどいいところで寸止めするのは、私には難しかった。

フーガは 3/8 拍子である。 メロディーはバッハの平均律第2巻のフーガと少し似ている。
原の主題:

バッハの主題
原の作品は、小節内ヘミオラを中心として組み立てられているので、 小節あたり3拍子として聞こえる場合もあれば、2拍子として聞こえる場合もある。 小節内ヘミオラであれば、3/4 拍子と 6/8 拍子の組み合わせが有名で、 たとえばバーンスタインの「ウエストサイド物語」の「アメリカ」が典型である。 この曲では、記載は 3/8 拍子だが、フーガの主題は2拍子に聞こえる。 そこで対旋律に小節内ヘミオラの3拍子を組み込むことでリズムの交錯する面白さを狙っている。 下記の楽譜は19小節2拍裏から掲げている。20小節の1拍裏から高声に主題が出てくるのだが、 右手の高声と左手の低声が2拍子で、右手の中声が3拍子という具合で、 右手で2拍子と3拍子を弾き分けるのは至難の業である。

さて、このフーガはヘミオラが横溢するのは全4ページのうちの前半2ページに限られ、 後半2ページはほとんどヘミオラが見られない。なぜかを考えてみると、 ヘミオラをフーガに組み入れるのは非常に神経を使う作業なので作曲の根気が続かなかったのではないか、 というのが見立てである。 もちろん、プロの作曲家である原の作品にたいしてわたしのようなアマチュアが評価を即断するのは実にタワケなことではあるので、 こんな見立てが真実でないことを祈る。ただ、私がこの曲を弾いていると、 前半2ページで非常に疲れるのである。特に2ページ目の中段で、 小節外ヘミオラが出てくると私の混乱は頂点に達する。ただその後はほとんどヘミオラが登場しないので、 なんとか続けて最後まで行きつけるのだ。ちなみに最後にヘミオラが登場するのは、 フーガの主題が拡大して現れる個所で、この拡大の提示が完了すると同時に曲も終結する。 (以上、2020-05-27作成、2020-05-28, 2020-06-27 修正)。
演奏(www.youtube.com)

6.5 ニ長調のプレリュードとフーガ

プレリュードは耳に心地よい 6/8 拍子のカノン風小品だが、弾くのは思いのほか難しい。 高音のメロディ―を中音に受け渡すときに、高音の一部を保持しないといけないので、 指使いを相当工夫しないといけない。左手をうまく借りてくるのは当然だが、 それでも大変である。ダンパーペダルを使うとある程度は緩和されるが、 今度はペダルのかけ具合が肝要となる。 練習では、ダンパーペダルは使わないことにした。

フーガの主題は、バッハのオルガン曲であるプレリュードとフーガ ハ長調 BWV 545 のフーガと酷似している。 この酷似そのものについてはさほどこだわる必要はないだろう。なお、原のほうは二重フーガになっている。 この4声のフーガは、手は届くのだが、ときどき現れる意表をつく転調と狭い音域に重なる繋留音に苦心している (この項、2020-05-27)。 その後、転調は慣れたが、狭い音域に重なる繋留音はどうにも弾きこなせない。

練習はしていたが、この曲がなかなか覚えられずアップロードに時間がかかってしまった。 前回から約半年たっている。演奏(www.youtube.com) (2020-11-21)

私が生きているうちにこの24組のプレリュードとフーガすべてを弾くのはあきらめたが、 できれば公開している演奏は何かの関係でまとめてみたい。 今考えているのは、近親調による関係でまとめることである。 なお、ここでいう近親調は主調に対し、同主調のほか平行調、属調、下属調を指すものとし、 属調平行調と下属調平行調は近親調からは除いて考える。これには三つのルートが考えられる。

一つは同主調をなすヘ長調とヘ短調を追加するものだ。 ヘ長調は平行調でニ短調とつながり、ヘ短調は平行調で変イ長調とつながる。 こちらは二曲ですむことと比較的曲が取り組みやすいという利点がある。しかし、 まだ両者の曲の魅力を十分にとらえているとは言い難い。

二つ目ののルートは、ロ短調、嬰ト短調、ロ長調を追加するものだ。 この3調性どうしが近親調であることは容易に確認できる。そして嬰ト短調が変イ長調の同主調として、 またロ短調がニ長調の平行調として接続できる。こちらのルートは、私にとっての曲の魅力が伝わりやすい。 特にロ長調の組はご機嫌である。難点は、まず3組を覚えないといけないこと、 そして短調の2曲が特にフーガで重いことである(ここまで 2020-09-01)。

第三のルートは、属調-下属調の関係にある。嬰ト短調と嬰ハ短調を追加するものである。 これは 2020-09-10 に初めて気付いたのだが、 嬰ト短調からは同主調の変イ長調に接続し、嬰ハ短調からは下属調の嬰ヘ短調で接続しているから、 これもある。曲数は2曲であるが、どちらも短調で重いのが気になる。 また、嬰ハ短調の前奏曲はすでに本物のピアノにより実演した YouTube の動画がアップロードされている。 達者な演奏だ。 これと比較されてしまうと私のほうが非常に分が悪い。もう少しここに挙げてある曲を弾いてから決めよう。

6.6 ト長調のプレリュードとフーガ

フーガの主題、どこかで聞き覚えがある。

そうだ、シューベルトの「弦楽四重奏断章」だ。

6.7 ハ長調のプレリュードとフーガ

この原の曲集の全曲 CD は2種ある。そのうちの1種はおそらく私家版であろう。 したがって、広く流通しているのはもう一つの北川暁子のピアノによる CD だろう。 こちらの CD に対する評が Amazon で見られる。そのうちの一つによれば、 第1番の前奏曲からブランデンブルク協奏曲の引用?が聞こえ、 フーガではモーツァルトのカルテットに酷似した主題が現れる。 という。 私はものを知らないし耳がわるいので、 ブランデンブルク協奏曲の引用が出てくるとは知らなかったが、 言われてみればなるほど、この 3/8 拍子の原の前奏曲は、 バッハのブランデンブルク協奏曲第3番の第3楽章 12/8 拍子に似ていることに今更ながら気づいた。 ちなみに、モーツァルトのカルテットの酷似した主題については未だにわからない。 ハ長調の弦楽四重奏曲は K.157 と K.465 (不協和音)の2曲は聞いたことがあるが、 K.157 ではないだろう(第1楽章はドレミミ ミレファミレ、第2楽章は短調なので該当せず、 第3楽章ドミレシ ドミレシだ)。K.465 の第1楽章は(不協和音部を過ぎてから)、 ドードレミソーファ、レーレミファラーソだ。第2、第3、第4楽章もここでは書けないが違う。 もう少し探してみることにする。

6.8 ホ長調のプレリュードとフーガ

プレリュードは、8分音符*2+4分音符の音型が、 スカルラッティのソナタ K.322 を思い起こさせる。

6.9 嬰ハ短調のプレリュードとフーガ

嬰ハ短調の調号はシャープが4つである。ただでさえ対位法的な曲は譜読みが難しいのに、 シャープが多いとシャープにすべき音がどれかわからなくなり、譜読みに苦労する。 おまけに自然的短音階が採用されていると第6音と第7音にシャープがつくため、 必然的にダブルシャープまで頻繁に出てくることになり、譜読みの苦労に拍車がかかる。

前奏曲は上の譜面にある通り Vivace である。譜読みが難しくてしかも Vivace では指が回らないので困る。 ただ、鍵盤上の指の置き方に無理が生じることが少ないのが救いだ。曲想は違うが、同じ調号であるホ長調の ベートーヴェンのピアノソナタ第30番の第1楽章を思い出す。

次にフーガを示そう。3声である。

フーガは Adagio である。主題にポツンと置かれた 16 分休符の解釈がなかなか難しい。 そして主唱にはなく、応唱(答唱)のみ現れる主題冒頭のテヌートがある。 このテヌートは、応唱の変応部を強調する意味で付けられていると思われるが、 これを出すのは16分休符の解釈と合わせて難しい。なお、 上の楽譜では、テヌート記号が五線譜の第5線と重なって読めないが、実際にはある。 そして、上の楽譜の一番下の段で左から2小節(通しでは13小節)の2拍裏が、渋い。 中声が Ais を保っているところに高声が Fis-A となっている。この A と Ais が衝突して、 なんとも苦い和声を形作っている。大人のフーガである。この苦い和声と同様の効果は、 嬰ト短調フーガでも出てくる。

久しぶりに曲をアップロードした。演奏(www.youtube.com) (2021-06-01)

6.10 嬰ト短調のプレリュードとフーガ

嬰ト短調の調号はシャープが5つである。嬰ハ短調のところで書いた譜読みの苦労は、 この嬰ト短調でより増す。だからといって、アルベニスの「ラ・ベーガ」のように変イ短調で書かれたら、 これはこれで困るから、嬰ト短調で我慢するしかないだろう。前奏曲は静かな曲調に思えるが、 実際には mf で始まる。淡々とした音の流れが気持ちいい。

ところが、20小節から速い音の流れと奔放な転調が始まるので困ってしまう。

ここを何とか乗り切れば詠嘆の場面が現れ、やっと落ち着ける。

フーガはどうだろうか。Andantino だから何とかなるだろうか。いや、4声だから指の自由度は少ないし、 嬰ト短調だから頻発する臨時記号にも悩むのではないか。

速度は Andantino だから Moderato よりは遅い。しかし、Andantino は Andante より速いはずだ。 もったりしてはいけないということだ。これが、私にはつらい。

上記は 23 小節から25小節にかけての譜面だ。23小節はフラットで緊張が弱められるが、 24 小節は逆にシャープで緊張が高められる。そして、24小節 4 拍裏で、アルトの嬰ト Gis と、 テノールの重嬰ト Gisis が衝突するところが、なんともいえず、苦い。嬰ハ短調のフーガで指摘した、 苦い和声の、もう一つの例証である。

嬰ハ短調と合わせて、久しぶりに曲をアップロードした。演奏(www.youtube.com) (2021-06-01)

6.11 イ短調のプレリュードとフーガ

プレリュードは Lento の速度指定がある。冒頭の4小節を示したが、バスの動きが半音ずつ下降していることもあり、 センチメンタルな雰囲気が漂う。

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MARUYAMA Satosi