練習日誌(2003年) |
作成日:2003-01-05 最終更新日: |
2003年、自分が歌ったり弾いたりしたときの練習の記録です。最近は練習をさぼっているので 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 2002年の練習日誌、 2004年の練習日誌もあります。
ROSCO という二人組が開いたリサイタルに行ってきた。曲目は次の通りである。
第12回朝日現代音楽賞受賞記念 ROSCOリサイタル
2003年11月9日(日)13:30開場/14:00開演/トッパンホール
【演奏】ROSCO 甲斐 史子(ヴァイオリン)、大須賀 かおり(ピアノ)
一柳 慧/シーンズ I(1978)
石田 早苗/時間の手がかり(2003/初演)
<日本現代音楽協会準会員による新作>
E.カーター/Riconoscenza (1984)
福井 知子/Schlaglicht (2002)
藤井 喬梓/蠕虫舞手(アンネリダ タンツエーリン) (1999)
T.ミュライユ/別離の鐘、微笑み...(オリヴィエ・メシアンの思い出に)(1992)
近藤 譲/冬青(2003/ROSCOによる委嘱初演)
I.クセナキス/Dikhthas Iannis (1979)
この音楽会は、 日本現代音楽協会(国際現代音楽協会日本支部)(www.jscm.net) が主催した。
前半と後半で衣装を変えていた。前半は、二人とも下半身黒のパンツで、 上半身が黒と赤の2色だった。どちらかが上が赤で下が黒、もう一人が逆だったが、 どちらがとちらだったか、忘れてしまった。 後半は、二人とも上が黒だったが、下がそれぞれ別の単色のスカートだった。 上と下を区切る線が斜めで(たぶん左が上)、スカートの下がでこぼこしていた。 こう書いても、正しい像が伝わらないだろう。 衣装を知らないと、こういうところで損をする。
一柳の作品は、情熱的に演奏されていたと思う。それにしても、他の曲の印象が強かったのが正直なところだ。 ヴァイオリンが最初ヴィオラのように低音がよく鳴っていたので気持ちが良かった。
石田の作品は、最初が印象的だった。単発でピアノかフォルテの音を間を置いて鳴らされるだけである。 私はなぜか、昔聞いたティペットのピアノソナタを思い出した。 彼のソナタは何曲もあるが、そのうちのどれかがフォルテが間を置いて鳴らされる曲だったことを覚えている。 それはよかったのだが、 時間が経つにつれて両者がもっと絡み合うと思っていたらその絡み合いが中途半端なまま終わってしまった。 残念だった。
カーターの作品は、ヴァイオリンソロで表現される妙なくねくね感が快かった。
福井の作品には、また驚いた。最初超高音のフラジオレットで始まったので、 すわ、3年前の再現かと思い、はらはらした。 (3年前とは、以前のF vs K と題された演奏会を指す)。 ところが、フラジオレットは途中で止み、その後は楽器2台の壮絶な叩き合いとなった。 実際、大須賀さんは何か楽器を叩いていたのではないかと思う。3回鋭く鳴った楽器は何かわからなかった。 最初、ピアノかと思ったが、楽器としてのピアノを叩いてもあんな音は出ない。 次に思ったがピアノの椅子かとも思ったが、音が余りにも違う。 演奏後に引き上げて行ったときに何か左手に持っていたので、たぶんカスタネットを鳴らしたのだろう、 という結論に達した。 将棋ならばどちらかが勝つのだが、これは音楽だから勝ち負けはわからない。 演奏が終わり、甲斐さんの弓の毛が2本、垂れていたことのみを記す。
休憩後の藤井作品は、これまたびっくりした。 非常灯しか見えない会場で、舞台の男性がいきなり宮澤賢治の詩を呟くのだ。 男性が退場してから音楽は続くが、 ピアノは鍵盤状の爪のひっかき音と左右のペダルの足ふみ音としての扱いが強調される。 最後には音が出るのだが、いったいこれは何だったのであろう。でも、面白かった。
T.ミュライユ作品からは、ピアノがスタインウェイに代わった。藤井作品まで、内部奏法があったためであろう。 きっと、もっと聞き込めば面白い作品だったのだろう。しかし、日本作曲家の目先の変わった音楽の印象に被われ、 よく思い出せない。
近藤作品(「そよご」と読む)は、他の作品から際立って落ち着いた曲である。 以前聞いた近藤の曲では、河合毅彦氏のピアノ独奏による「クリッククラック」があるのみである。 この「冬青」を聞いてみたら、確かに似た曲だった。実にいい加減な感想だが、いい加減な耳なので仕方がない。 この曲を聞いていると、ヴァイオリンのボーイングを制御することは実に難しいことだと思う。
クセナキス作品を聞いて、これまた以前、河合毅彦氏のピアノ独奏による「エヴリアリ」を思い出した。 河合氏が弾いたときのアンケートで私は「ピアニストは荒くれ馬を乗りこなす御者のようでした」と不遜にも書いた。 それと同じことを期待していた。音の迫力ではピアノソロの2倍以上であった。演奏者の迫力はどうかというと、 やはり凄かったがもっと顔色を変えても良かったのではないか。
礼奏は、初めて聞く曲。雰囲気から推して、ストラヴィンスキーが新古典主義に回帰したときの作品ではないかと推測した。 これが大当たりで、実はストラヴィンスキーの協奏的二重奏曲(デュオ・コンチェルタンテ)から、"Eclogue I" であった。
終演後お茶が出るということでのこのこ出かけ、 零の会の皆様方と御挨拶をした。 日本の作曲界に詳しい方とお話したら、「作曲家の某氏は大きな楽器が好きで、ある楽器の曲を頼んだら、 できてきた譜面がその楽器系列なんですが、 一回り大きな楽器のものになっていたんですね」という逸話を紹介してくれた。 「ということは、ピッコロ用の曲を頼んだらどうなるんでしょうか」と会話に加わった中の一人がいうと、 「きっとバスフルートの曲ができてくるんじゃないでしょうか」とはその方。 「では、コントラバスの曲をお願いしたら」と私。 「そういえば、ベルリオーズが巨大コントラバスを想定した作った曲があるそうですよ」とその方が答えた。 「どんなコントラバスですか」と中の一人。 「長さが4メートルほどあって、二階建ての吹き抜けに楽器を置くんです。上の人が弦を押さえて、 下の人が弓をしごくんです」 みな、あっけにとられていた。何かに似ていると思ったが、 これは、二人羽織ではないか。ついでにその方がいうには、 「ベルリオーズの書簡集を手に入れたんで、興味がある人に貸しているんです。 なんでも、手紙には普通自分の持っている悩みや苦悩を書くものなんですが、 彼の手紙には全然そんなのがないそうなんです」 「不思議ですね」と私が相槌を打つと、中の一人が「彼は作品に書いちゃっているんですね」 これには皆得心していた。
そんなこんな話をしていた。甲斐さんとはほとんど話をしなかったが、それでも、 元気で立派な演奏でした、ということを話した。(2003-11-09)
ROSCO のサイト(www18.ocn.ne.jp)を紹介する(2014-03-28)。
上記 ROSCO のサイトはリンク切れ。2016-03-30 現在、定期的に ROSCO の状況を発信するサイトはないようだ。
下で書いたコンサートの話は、様々な事情があって流れた。しかし、ピアノを弾けることは楽しい。 最近、ある方のおかげで、スカルラッティのソナタを新たに知ることができた。 昨日今日と、その新たなソナタ群を集中して弾いてみた。電子ピアノだけれど、あのスカルラッティの元気で、 かつ悲しい音楽と向き合うと、 大していいことがなかった人生の中にも楽しいことがあるのだと改めて認識するのだった。
午後9時からは、例によってN響アワーを聞く。ピーター・ゼルキンの弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番だった。 ブラームスの好きなS君は、こんな力の入り過ぎた曲も好きなのだろうかとふと思った。 そして、この私も高校時代は、むやみに硬直したこのピアノ協奏曲も好きだった。否、今でも好きなところがある。 しかし、その好きという感情は純粋に今のものではなく、当時好きだった若い私を懐かしむ思いだけなのかもしれない。
その後は芸術劇場のマルタ・アルヘリッチとネルソン・フレーレの2台ピアノを聞く。 ラフマニノフの2台ピアノの組曲は、大学時代のサークルの腕達者な連中が好んで弾いていた。 そのころはピアノのことしか考えていなかった。仲間に向って、「流行歌は示準化石」だとわかったようなことをいい、 それはそれで仲間に受けていたのだけれど、それから20年経ち、示準化石は流行歌だけではなく、 ピアノ音楽もあることがわかった。ラフマニノフのあとはルトスラフスキだったが、 こちらも元気な女性が弾いていたことを思い出した。その元気な女性の一人は外国で腕前を披露して、 その外国の新聞にも載ったのだった。この女性は当然のことながらアルヘリッチのファンである。 翻って我が身はどうか。抜け殻だけになっている気がする。(2003-11-02)
最近、ピアノを弾いていない。といっても、 私の家にあるのは生ピアノではなく電子ピアノなのだけれど、 生ピアノはおろか、電子ピアノでさえ弾いていない。 ところで、学生時代の先輩後輩が、コンサートをしようといっている。 私はお手伝いぐらいしないと、と思って幹事に手を上げた。 困ったのは、自分で出演するか否か、近いうちに決めないといけないということだ。 希望者が多ければ弾く気が失せるが、少なければ弾きたくなるだろう。 本当はそんな考え方はおかしくて、人がどうだろうが自分の考えだけできめればいい。 しかし、会場が使える時間は有限である。
私ごときは、弾いて何かを訴えることなどできないから、弾かないのがましなのだが、 かといって人前で弾く稼業はいつやってもおもしろい。弾いてみないかという悪魔の考えが持ち上がってくる。
とはいえ、私の今の状態では、とても人前でピアノを弾くわけにはいかない。理由は次の通り。
一番大きいのは、練習していない、ということだろう。試みに、私が所属しているその先輩後輩のグループの、 大和さんのWebページを見てみた(http://homepage1.nifty.com/godowsky/)。 これだけのことをやっているのを見ると、私は裸足で逃げ出さないといけない。
それでも、なんとかしておじさんの力(=老人力)を見せつけてやりたいものだ。(2003-10-25)
10月16日、東京芸術劇場で、都響の演奏会「日本の戦後音楽研究 I 」を聞いた。
都響の案内は下記にあったが、現在リンク切れである。
http://www.tmso.or.jp/schedule/details/031017.html
零の会の I さんのおかげでこの演奏会を知ることができた。
なお、私は武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」も、 黛敏郎の「涅槃交響曲」も聞いたことがないくらい、 現代日本音楽に関しては無知であることをこの場でお断りする。
最初は、鈴木博義:モノクロームとポリクローム(1954)。乾いた、辛口の響きに魅了された。 鈴木氏がオンドマルトノの代用品として用いたクラヴィオリンの音色は、 色気が足りない。しかし、私が知っているオンドマルトノが使われる曲は、 メシアンのトゥランガリラ交響曲しかない。そして、その音色は、ヒューヒューいうだけの、 際物のような音という思い込みがある。そんなものだから、 クラヴィオリンの音色もよく判断できない。敢えて言えば、 クラヴィオリンはオンドマルトノより電気楽器に近い、つまり生楽器の音色から遠いと感じた。 にもかかわらず、管楽器や弦楽器からクラヴィオリンへ、あるいはその逆へ受け渡す時の音色が、 ごく自然につながっていた。これには驚いた。 鈴木さんは会場にはいらっしゃっていたようだが、舞台には立たなかった。
次は武満徹:ソリチュード・ソノール(1958)。武満氏の曲は、 いつの時代の作品を聞いても、どんな編成の曲を聞いても、それとわかるような気がする。 しかし、この人の音楽を聞く瞬間はいつでも、同じなのだ。 どこを切っても同じ金太郎の顔が出てくる金太郎飴のようだ。これを凄いというのか、 退屈というのかは、私にはわからない。そもそも金太郎飴に模して聞くこと自体、 おかしいと自分で反省している。
3曲目は福島和夫:月魄(つきしろ)(1965)。 作曲者は、この曲について「散策に出た錦ヶ浦での体験が、 思いもかけずすべてを打ち破った。これが契機であった(後略)」と書いている。 わたしは見たこともない錦ヶ浦について、解説者が書いている名所としての錦ヶ浦の描写を読み、 勝手にその光景を自分の中で描いていた。そして、 その光景とオーケストラが鳴らした最初の音群があまりに調和したので、我ながら驚いた。 こういう体験は、日本の現代音楽ならではのものだろう。 指揮の高関健さんは、オーケストラに対して、体の向きをデジタル的に絶えず変えて、難しい曲をよく捌いていた。
休憩をはさんで4曲目は、呉泰次郎:ヴァイオリン協奏曲第3番「花」(1962)。 本曲だけが、明確な調性に基づく小品という趣であったため、浮いていた。 しかし、中にはこのような曲があってもいいだろう。少なくとも私は、この曲が置かれていて安心した。 ヴァイオリンの加藤知子さんは、楽しそうに弾いていたと思うのだが、どうだったか。
最後の曲は、黛敏郎:音楽の誕生(1964) 。「リズムの誕生」、「メロディの誕生」、「ハーモニーの誕生」 の三部からなる。 「リズムの誕生」は、打楽器の小刻みなリズムから始まる。小気味いい。それから徐々に盛り上がっていく。 ラヴェルのボレロは単調さの中にオーケストレーションを盛り込んだが、 黛氏はもっと盛り込めるものを盛り込もうとした。聞いていて、自分も興奮していた。 「ハーモニーの誕生」では、Aの音が楽器を変えて連続して現れる。それを聞きながら、 チューニングのようだと思った。そのとき、私はある問いを思い出した。 オーケストラのチューニングは、いつ聞いても美しい。いっそのこと、チューニングの経過を曲にしたものはないか。 こんな問いを、先輩のM氏にしてみた。 ピアノトランスクリプション研究の大家であるM氏から「マユズミのにあるよ」という答があった。 ひょっとして、マユズミのとはこの曲のことだろうか。そう思っていると、オーケストラの曲が止み、 静寂の中オーボエがAを奏で始めた。そして、そのAに従って管弦打楽器がさざなみのように広がっていった。 まさにこの曲だ。この演奏会に来て本当によかったと私は改めて感じた。
9月19日、オペラシティのリサイタルホールで、フランスのピアノ曲を4曲聴いた。 それぞれ違うピアニストによる演奏である。
最初はフォーレの夜想曲第1番。 最初舟歌第1番だと思い込んでいたので(なぜ思い込んでいたのかは不明)、 最初の和音が鳴ったときびっくりした。 ここでびっくりしたのは私のせいだから心を落ち着かせようとしたのだが、 どうもその後も落ち着かなくなってしまった。リズムの間合いの取り方が、 私の理想とするものとはどうしても合わなかったのだ。 中間部のダイナミクスのつけ方はよかっただけに、残念だった。 この曲は3部形式で、中間部の後は最初の楽想が戻ってくるのだが、 フォーレはピアニストには手厳しい書法で書いている。 すなわち、オブリガートとなる3声部の中声を、左手と右手の交互で連打するように指示している。 これはゆっくりであってもけっこう難しい。わたしは、「この曲の後半は大丈夫だろうか」と心配したら、 心配電波が伝染してしまったような演奏になってしまった。抜群の心配機能を持つ私のせいだとしたら、 申し訳ない。
次もフォーレで、曲は「主題と変奏」であった。演奏は達者だった。いくつか不満な個所はあった。 たとえば、第2変奏の中間部で、上声のDis-E-Fis-Gis-E-D-Cis はもっと響かせてもよかったのではないかとか、 第9変奏の右手3度の下降はもっと滑らかに表現できなかったのか、 第11変奏はもっと強弱の綾を出せなかったのか、などなど。 しかし、技術はしっかりしていたし、フォーレの世界をよく表現していた。 何よりも第7変奏で、私が以前演奏者間の異同を指摘した個所で、少し間を持たせていた。 私はこの場で、問題の音が Fis (シングルシャープ)か Fisis (ダブルシャープ)かを楽しみにしていて、 ピアニストはその私の心を見すかすかのようにゆっくりしたのだった。 音は Fis であったので私は安堵すると共に、テンポを落としたことで気持ちが通じ合ったような気がした。
3番目はラヴェルの「夜のガスパール」。ピアニストは梅本敏行さん。これがお目当てでやってきた。 期待に違わずすばらしい出来だった。よっぽど弾き込んでいたのだろう。 手の内に入れている、という表現がぴったりくる。 「水の精」は目もくらむほど眩かった。 また、「絞首台」は、聴いていてなぜかドビュッシーの「沈める寺」を思い出した。 この B 音のしつこい程の連打がなければドビュッシーなのに、と思うが、 この曲はラヴェルのものである。それがどうした、といわれればそうなのだが、 この場で始めてこの第2曲を集中して聴けた、ということである。 「スカルボ」はかっこよかった。さらに、Dis-Dis-Dis-Cis-Dis の音型があちこち出てくるのに今さらながら気付いた。 実演では、いろいろなところが聴けるのだと改めて思った。
休憩前の最後はメシアンの「カンティヨジャーヤー」。この題名の意味はわからない。 南洋の響きがするので、きっとその系列の何かなのだろう。 音楽も、メシアンの響きであり、「鳥のカタログ」やら「トゥランガリラ」やらが聞こえて来そうな もので、かつクセナキスのとんでもない曲やわけのわからない曲がいろいろ混在している、 楽しい曲であった。演奏者も、デジタル的に緩みなく表現していた。
今回の記念演奏会は、旧奏楽堂である。大きなグループの一団体として参加したとき旧奏楽堂に出たことはあったが、 八重洲単独としては初めてである。
午前中の練習は、9時30分からである。家を8時に出て、チェロと重い荷物と運んでなんとか間に合った。 練習でもまだまだできない個所は山ほどある。焼け石に水であるが、練習をする。
13時に開場する。お客さんは徐々に入ってきて、 13時20分ごろにはプログラムや当合奏団の25年のあゆみの資料がすべてなくなってしまった。 13時30分の開演には受付が誰もいなくなる状況になってしまった。 ステージマネージャーも、受付も、誰にも頼んでいなかったのである。 このことで旧奏楽堂の担当者からえらく叱られた。 今後ここを使うことがあれば、気をつけなければいけないだろう。
演奏のできはどうだったかというと、まだまだである。とちりは何回もあったし、変な音がギーと鳴ることもあった。 それでもなんとかたどり着けたのは、お客さんの力が大きかったからだ。 改めて、感謝します。
アメリカのヴァイオリニストの方から、パスカル四重奏団はすばらしいからぜひ聞いてみてくれ、 という電子メールがあった。ということで、以前手に入れた新星堂発売のパスカル四重奏団第3集に加え、 第1集と第2集を手に入れた。第1集にはバッハ、ハイドンとベートーベンが、 第2集にはフランクとラヴェルが入っている。小型のラジカセから聞こえる音楽を、 腰痛予防の体操をしながら鑑賞したので、たいしたことは書けない。
第1集では、バッハのフーガの技法のコントラプンクトゥス第1番から始まる。 SP 時代の痩せた音が却ってバッハの曲想にふさわしく思える。 ハイドンの「五度」は、速いパッセージの高音部でのしくじりがあったほかは、 思いのほかまともな演奏だった。思いのほか、としたのは、 昔の四重奏団の演奏は、テンポを極端に揺らしたり趣味の悪いポルタメントを多用する、 という思い込みがあったせいである。 ベートーベンの弦楽四重奏曲第3番ニ長調になると、さすがにSPの音質では飽き足らなくなり、 もっと濃い音が欲しくなる。 大フーガでも、録音の古さとテクニックのもろさが露になってくる。 もっと古き良き時代の録音を楽しめるような聴き方がわたしには必要なようだ。 全体を聞いて、音盤の解説にあった、第1ヴァオイリンの疲れを知らないボーイング、 というのを期待していたが、今ではどこの弦楽四重奏団でもできる程度のようだ。 なお、SP の復刻版であるためか、音程が半音高い。
第2集には、フランクのピアノ五重奏曲とラヴェルの「序奏とアレグロ」が入っている。 フランクのピアノ五重奏曲は、重く、かつ長いのでなかなか通して聴くのは疲れる。 でも、ところどころにいい音型があるので、ちょっとずつ期待しながら聴くのがいいだろう。 ラヴェルの「序奏とアレグロ」は、弦楽四重奏にフルート、クラリネット、ハープがある。 そのため音色の変化が楽しめるし、メンバーも達者だから疲れない。これはいいと思う。
NHK 教育テレビのギル・シャハムのリサイタルを見た。仕事をしながらのついでで聞き流そうとしていたら、 どこかで聞いた和音が流れてきた。これはひょっとしたら、 と思ったら案の定コープランドのヴァイオリン・ソナタだった。 コープランドの室内楽なんか日本では生きている内には聞けないなあ、と思い込んでいたら、 そんなことはなかったのだ。驚いた。仕事をそっちのけにして聞いてしまった。
第一楽章は少し粗いところもあったが、あの清清しい雰囲気に浸ることができたのはいい気分だった。 第二楽章は緩やかな歩みが好ましく、コープランドの世界に入っていた。 第三楽章はライヴならではの「のり」が溢れていた。実演を逃してしまったのは残念だった。 そして、聴衆の中に、このコープランドのソナタを期待していた人たちがどれだけいたのかを知りたくなった。
なお、私が聞いたライヴは、 どうやら http://www.israel.co.jp/event/gil-shaham1.htm (リンク切れ) にあったリサイタルの録画のようだ。 こちらを見てさらにがっくり、フォーレの曲も演奏したではないか。 この日私は一体何をしていたのだろう。ちゃんこラーメンのある店に昼間行ったことしか書いていない。 まったく、なさけない。
小生が所属している川鉄合唱団の練習合宿に 2003 年の3月29日行ってきた。内輪の演奏会も兼ねている。 前回書いた歌の伴奏も、その内輪の演奏会の練習であった。
場所はこの合唱団定宿の、河口湖にある「合唱の家 おおば」。 そこで19組(全体の合唱を入れると20組、 指揮の先生の飛び入りを含めると21組)ものグループがさまざまな歌を披露してくれた。
中でも印象深かったのは、モーツァルトの6つのノットゥルノだった。 これは、十年前にこの合唱団に入って私が最初に練習した曲だったからだ。 そのときは歌ではなくてピアノを担当していた。まだその頃は今より若かったのだという、 あたりまえの事実を改めて思い知った。
他にもいろいろと記したいことはあるが、なんといっても内輪のことであるからここでは取り上げない。 それでも、私がこのときピアノ伴奏を仰せつかった作品だけ、備忘録として記す。
この合宿をもって、私は1年間の休みに入る。4月から Poco a poco 合唱団と名前を変える。
合唱団の方が独唱を披露するのでその伴奏を頼まれた。聞いたことのない曲だったが、非常に美しい。 伴奏しながら聞き惚れてしまった。
場所は越谷の北部公民館。日付は2003年3月23日。
久しぶりにチェロの練習を家でした。つれあいが「どうしたの」と聞くぐらい、非常にまれなことである。 というのも、このあいだ土曜日の八重洲の練習で、 全く弾けなかったからである。レスピーギの「古風な舞曲とアリア第三組曲」であり、 以前にも弾いたことがある。しかしそのときは、弾けたとはいえなかった。 今度もまた弾けないままくり返すのはいやだ。
練習といっても、運指を確かめ、うまくいかないところはよくなるまで何度も指の運動をくり返しただけである。 時間にして、高々40分だけであった。それでも、非常に疲れた。 これからも、もっと練習しないといけない。
NHK 教育テレビで、東京文化会館で収録されたブーレーズとロンドン交響楽団の音楽会の様子を聞いた。 最初はブーレーズの「弦楽のための本」。いかにも現代音楽しているが、聞きやすい。 ただ、多分に私の耳が衰えている可能性もある。 次は、ポリーニを独奏者に迎えたバルトークのピアノ協奏曲第1番。 昔はエアチェックしたテープでよく聞いたものだ。 わたしはついぞバルトークの曲を得意とすることはなかったけれど、憧れだけはずっともっている。 高校のころは本来多感な時期なのだろうが、大学受験とあって感受性が押しつぶされていたようだ。 そんななかわずかに見つけた楽しみが古典音楽を聞くことだった。そんなことを思い出していた。 最後は、ストラビンスキーの「火の鳥」。私は3大バレー曲の中では、 「火の鳥」や「春の祭典」よりも「ペトルーシュカ」が好きだ。弱い、という罵詈雑言は甘んじて受ける。 でも、「火の鳥」も最後はかっこいい。そんなことも高校のころはよく思っていた。(2003-01-05)
まりんきょ学問所 ≫ まりんきょと音楽≫練習日誌(2003年)