練習日誌(2004年)

作成日:2004-01-10
最終更新日:

2004年、自分が楽器を練習したときの記録です。最近は練習をさぼっているので、 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 2003年の練習日誌2005年の練習日誌もあります。


中鉢聡の歌

近くのホールで中鉢聡のコンサートがあったので出かけた。 内容は紹介のページがあったのだが、今はもうない。 写真で見る通り、なかなかの男前である。最初の「女心の歌」は、 テノールがよく通り、声の振動で私の頭が物理的に痺れてしまった。 シビれる、というのはこういうことかと納得した。 その後もいい声を聞かせてくれた。「君住む町」では、舞台を降り客席を回って歌を披露していた。 こういうやりかたもあるのだなあ。

アンコール1曲目の「雪国」がまた絶品だった。吉幾三の曲と同じなのだけれど、 イタリア語で歌われたので、なんだかイタリアの御当地カンツォーネを味わっているような感覚になるのだった。

モーツァルトのピアノ協奏曲第13番の練習

いよいよピアノ協奏曲第13番に絞って練習をする。

まず第1楽章。最初は単音だがえらい堂々としている。リズムはセレナータ・ノットゥルナの冒頭に似ている。 さて、この単音のリズムが3度ずつずれて重なってカノンになると(♪静かな湖畔の森の影からー、のノリ)、 積層した厚みが出てくる。このことを指して、ジュピター(交響曲第41番)という評があるのだな、と得心する。 第4楽章の畳み掛けのことだろうか。 CDではティンパニが入っているので、ますます豪勢な感じが伝わってくる。少し後でドーッ ソラシドドッ  というユニゾンが出てくる。こんどはジュピターの第1楽章の冒頭だろうか。 ピアノが入るところは、正しく、丁寧に仕上げようとすると、何時間あっても足りない。困ってしまう。 細かな動きになる所は、K.545 のハ長調ソナタの第1楽章に似ている。さらに練習を続けると、 バカバカしい想念に取り付かれる。 細かな動きはK.310 のイ短調ソナタと同じではないか、 第2主題の動きはK.466のピアノ協奏曲第 23 番みたいだとか、 経過句はツェルニーの練習曲そのものだとか、 とにかく練習を続けるより似たもの捜しに走って終わってしまう。

さて、モーツァルトをいくつか調べないといけない、と思い、 ピアノ・ソナタ第7番ハ長調 (www.marimo.or.jp) のページを見ていたら「彼(モーツァルト)は機械のような無表情な演奏を嫌った。」という記述があった。 私は機械のような無表情な演奏をする予定だった。技術的に私は未熟なので結果としては機械的に弾けないが、 信念は変わらない。墓の下のモーツァルトに申し訳が立たない。困った。

私が避けようとしていることはいろいろあるが、一つだけ明かす。 拍の頭をとりわけ弱く弾いてしまうこと、これだけは避けたい。 やはり、モーツァルトの4拍子の音楽は「強−弱−中強−弱」である。古い考えだが、 まだ抜け切れない。(2004-11-07)

モーツァルトの練習

来年の八重洲室内アンサンブルの予定曲目は、まだ全部は決まっていない。 その中で、確実に行なわれるであろうと予測されているのが、 モーツァルトのピアノ協奏曲第13番ハ長調である。ピアノは不肖私めが弾く。

さて、モーツァルトのピアノは難物である。 私が弾く曲目は、昔からハイドン以前、フォーレ以降と言い続けてきた。 モーツァルトは、ありとあらゆるピアニストが弾いている。私ごときがモーツァルトを弾いてかまわないのだろうか。 モーツァルトを弾こうとするたびに、こんな疑問が持ち上がってくるのだった。

最近は、あまり考えないようにした。私のような一介のアマチュアのピアノ弾きができることは、 たかがしれている。楽譜に書いてある通り弾ければ、それでいいではないか。 むりやりそう思うことにした。それに、苦しく弾く姿は、モーツァルトには似合わない。 弾く方も、聞く方も、楽しみたい。それが第一だ。

そう思って、2ヶ月前からこの曲のピアノ独奏譜を練習している。超えなければいけない山ばかりである。 たとえば、分散オクターブで下降進行するお決まりのフレーズがある。 粒をそろえるのが難しい。それだけではない。ソファミレドレミドファミレドシドレシのように、 フレーズの一塊が順次進行する個所が大変だ。ハノンのように弾けばいいのだが、 いかんせんハノンは最初の2曲で挫折した。その心の傷が残っていて、未だにつっかかる。 やはり俺はモーツァルトには無理なのか。

苦しい中にも楽しみはある。この時代の協奏曲は、カデンツァらしきものを第1楽章だけでなく、 第2楽章、第3楽章にも入れることができる。巷の録音では、モーツァルト自作のカデンツァを入れるのが通例だが、 俺がやるときぐらい、自由にやってもいいだろう。 最初は全部自分が作曲することを考えたが、 最近出かけた場で、モーツァルトの協奏曲に自作のカデンツァを作った若い衆に会った。 そこで、この曲のカデンツァを作ってみることを考えてくれないか、と持ちかけた。 うまくすれば、この若い衆のカデンツァを披露することができるだろう。 3楽章全部をまかせるのは酷だろうし、俺のも入れたい。 どう配分しようか。できてもいないものをあれこれ考えるのは楽しい。

考えだけはある。第1楽章はハ長調だから、適当なモーツァルト風の伴奏を載せて、 メロディーは「無責任一代男」にする。第2楽章はヘ長調でやはり適当なモーツァルト風に加工した流行曲を弾く。 「スーダラ節」がよさそうだ。ハイソの方向きのアイディアは別にあって、 カデンツァに入る前がトリルの連続なので、 カデンツァはそのままショパンのノクターンの第17番(Op.62-1)に突入する、というものだ。 トリルと聞いて、スクリャービンのピアノソナタ第10番に突撃することも考えたが、 残念ながら突撃するだけの腕がない。第3楽章は、今のところ全くアイディアがない。

変な空想をするより、まじめに練習をしたらどうなのだ。そんなお叱りが聞こえてきたような気がする。 ごもっともである。(2004-11-04)


ドルチェ弦楽合奏団

2004年10月16日、ドルチェ弦楽合奏団のコンサートがサンシティ越谷小ホールであった。 越谷のこの合奏団のことを、私はうかつにも知らなかった。 最近ドルチェ弦楽合奏団のYさんからメールを頂き、喜んで出かけた。 客席は満員で、人気があることがわかった。

曲目はプログラムの通りであった。 ホームページ (dolce-chamber-orchestra.com)がある。 演奏もすばらしく、越谷にこんな合奏団があるのなら毎年行くのだったと後悔した。 もちろん、辛くみればいろいろと注文もある。 しかし、合奏団のみなさんがアンサンブルを楽しくやっているのを見ると、 細かいことなどどうでもよくなってしまうのだった。

礼奏は2曲。エルガーの「愛の挨拶」とバッハの「管弦楽組曲第3番よりアリア」。


八重洲本番

2004年9月6日、八重洲室内アンサンブルの演奏会を行なった。 モーツァルト2曲、バッハ、ヴィヴァルディ各1曲で、しんどいがやりがいのあるプログラムであった。

最初のモーツァルト(ディヴェルティメントK.137)は、 練習でどんどんよくなってきたためか、なんとか聞かせることができたのではと思っている。 しかし、もちろん、完璧には程遠い。

バッハ「6声のリチェルカーレ」は、一番問題があるとされてきていた。 練習の出来がよくなかったからである。ちなみに、これは私がやろうと言い出した曲である。 他の曲とは違い、声部が絡み合っていて、落ちたらどうしようもないからである。 この曲は特に、休符の勘定をしっかりとることにしたので、私の分はなんとかなった。 しかし、自分の音程が悪いのは相変わらずである。

ヴィヴァルディの四季より「夏」は、自分達が弾いてみて新たに曲の良さがわかるようになった。 ヴィヴァルディの曲はどれも同じように聞こえると思っていた。それは一理あるのだが、 自分で弾いてみるとヴァイオリン属のメリハリがよく考えられていることがわかるのだった。

2曲めのモーツァルト(交響曲第25番)は、けっこう燃えた。交響曲であるから原曲には管のパートはあり、 これを当団の団員の方が弦楽用に編曲されたものを弾いたのである。 こういうことができる楽しさは、アマチュアならではのものだろう。私も、 昔こそオリジナル信仰であったが、最近はその考えが薄れてきた。よかったと思っている。

アンコールは、学生王子から「セレナーデ」。これもモーツァルトの編曲者と同じ方による編曲である。 ムードのあるいい音楽で、観客からも好評だった。もっとも、まだまだ練習はしないといけないのだが。

これらの曲は、アンコールも含めて、すべて初めて手掛け、演奏会にかけた曲である。 それだけに、無事終わった時の安堵感は、例年より大きかった。

ということで、打ち上げは燃えて、4時半前から飲み始めて10時までずっと同じ店で飲み続けていた。 みな、翌日の仕事は大丈夫だったのだろうか。(2004-09-06)

新東京室内オーケストラ第17回定期公演

2004年9月3日、紀尾井ホールで標記の演奏会があったので出かけた。

前田二生(指揮),藤原由紀乃(Pf),赤池 優(Sop),谷川佳幸(Ten),松平 敬(Bar), 新東京室内オーケストラ(Orch),新東京室内合唱団(合唱)

ベートーヴェンの生は久しぶりに聞いたが、いいものだ。特にピアノ協奏曲はいい。 トランペットが出番がなくて鷹揚に構えていて、第3楽章になっておもむろに気合を入れる姿が面白かった。 藤原さんのピアノは、いたずらにオーケストラと競うものではなかった。これも私には好ましかった。 ただ、第3楽章は、もっと鋭角的な演奏を期待していた。

石井 歓の作品は、思ったより聞きやすかった。松平 敬さんのバリトンは、さすがだった。

堀江真理子 フォーレの肖像

2004年6月17日、日本大学カザルスホールで標記の演奏会があったので出かけた。 すべてフォーレの作品である。 プログラムは前半がチェロソナタ第1番、ヴァイオリンソナタ第2番、 後半がチェロ独奏で「ロマンス」、「シシリエンヌ」、「エレジー」そして三重奏曲であった。 フォーレ協会の演奏会案内には「パピヨン」も記されていたが、当日プログラムにはなかった。

細かなことは気が向いたらそれぞれの曲のページで記す。 チェロソナタ第1番は、リズムの扱いが多少乱れたところがあった(第1楽章)にせよ、 曲の性格をつかんでいた。特に第3楽章はよかった。長いカノンの部分は決まっていた。 ヴァイオリンソナタは、美音を生かした格調高い演奏であった。フレーズの取り方にわずかに違和感があったが、 ツボが押さえられていた。同じく、第3楽章がもっともよい演奏であったと感じた。 小品3曲は、ダイナミクスが考えられていて、申し分ないできだった。 三重奏曲は、ヴァイオリンとチェロの息が合っていて、今まで聴いてきた演奏の中で一番よかった。 特に第3楽章は、ピアノが急速に回転する伴奏がからまわりぎりぎりのところで押さえられ、 躍動感あふれるチェロとヴァイオリンが一体となったり絡み合ったりして、 興奮した。最後の和音でピアノがFisの音をしくじったためか、アンコールも再度この第3楽章が奏された。 2回めはさらに余分な力が抜けたようで、軽やかな感じが出ていた。最後の和音もアンコールでは正確だった。 やはり、行ってよかった。

気になることがあった。チラシで、チェロソナタ第1番、三重奏曲ともに、調性が二短調と印刷されていたが、 正しくはニ短調である。コンピュータで見ると分かりにくいが、 印刷はアラビア数字2に対応する漢数字の「二」であるが、調性は音名表示だから、ひらがなの「に」に対応する、 カタカナの「ニ」でなくてはならない、というわけだ。 コンピュータでは、フォントのサイズを大きくして、書体を明朝体にすればわかる。


日本フォーレ協会

日本フォーレ協会の演奏会に行ってきた。前半が若きフォーレの作品、 後半が晩年のフォーレの作品であった。 日本フォーレ協会(www.faure.jp)のWebページからプログラムは辿れる。

まず最初は、フォーレ最初の歌曲「蝶と花」のほか4曲。少し歌がフラット気味になったり、 ピアノ伴奏に抜ける音があったりしたほかは、十分楽しめた。 それにしても、「ネル」は、歌もピアノ伴奏も難しいことがよくわかった。 もう一つ、「愛の夢」で、途中から歌を中断してしまったのは残念だった(伴奏は終わりまで演奏していた)。

次はヴァイオリンソナタ第1番。ヴァイオリン、ピアノとも男性で、優雅かつ繊細な演奏だった。 テンポはゆっくりめで、振りは大仰に見えたのだが、その実流れる音楽は非常に楽しいものだった。 息使いがしっかり聞こえて、却って安心できた。

休憩後は、晩年のフォーレの歌曲から「ヴォカリーズ」他4曲。前半のソプラノより、オペラを思わせる表現だった。 特に後半の「波に漂う花」「随伴」の劇的な盛り上げ方は、これらの曲に対するイメージを変えてしまった。 これら2曲はソプラノの歌としては初めて聴いたからかもしれない。

最後は弦楽四重奏曲。どの楽章も颯爽としていて、気持ちよかった。特に、ヴィオラの出す音が太くて逞しく、 気に入った。一方で、チェロは線が少し細く、 おまけに第2楽章で10小節あまり1拍先に進んでしまうミスを出してしまったので、残念だった。 このチェリストだけフランス人(あとは日本人)であるため、練習の意思疎通がうまくできなかったのではないか、 というのは穿った考えだろうか。とはいえ、第3楽章の快適な曲づくりは、今まで聴いた中では最高だった。 (2004-06-10)。


淡交フィルハーモニー管弦楽団

お誘いがあり、2004年6月6日、 淡交フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に行ってきた。 すばらしい演奏だった。特に、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」はかっこよかった。 チャイコフスキーの「くるみわり人形」「交響曲第五番」も、心が弾み、いい気分になった。


異素材コラボレーション

フォーレを始めとして、 いろいろな話題を私に提供して下さる U さんからの情報で、 2004年5月29日、「異素材コラボレーションvol.3」と題された演奏会に行ってきた。 副題は、〜フランスのベル・エポック(1) フォーレとラヴェル〜 となっている。 会場は同仁教会(護国寺駅近く)、曲目は次の通り。

入場料は無料であった。 そのためか知らないが、ピアノ四重奏の曲目解説は私のホームページのものがそのまま使われていた。 どこかで読んだ文だと思ったが、まさか自分のものが出ていたとは。

それはともかく達者な演奏で、 特にフォーレの2曲は玄人はだしといってよい。私の使っているコンピュータはときどき「艶そう」と変換してしまうのだが、 それほど艶があった。ピアノ五重奏曲の第3楽章では、思わずうるうるしてしまった。

どうでもいいことを書く。ピアノ五重奏曲の第2楽章が始まってから、私の前に大きめの蚊が止まった。 その蚊は、 最初のメロディーから中間部ロ短調の部分が終わるまでのおよそ8分間、ずっと静止したままだった。 美しい音楽に聞き入っていたのだろう。

なお、フォーレの四重奏曲でヴァイオリンを弾いた方のホームページがある。 カノンの潮風日記(www.k2.dion.ne.jp、現在はリンク切れ、 https://web.archive.org/web/20060822022008/http://www.k2.dion.ne.jp/~imladris/04.05.htm をどうぞ。) 練習の過程が語られている。 大変な練習をこなしていたがわかる。頭が下がる思いだ。


感想

2004年5月8日、八重洲室内アンサンブルの練習に行った。 練習前、団員の K さんが、「去年の演奏について感想が載っていたホームページがあるよ」 といって、 http://homepage3.nifty.com/matsumo2/music/page6ve.htm を見せてくれた。 このホームページでmatsumo氏のおっしゃることはその通りである。練習しなければ。

注:上記はリンク切れ。現在は コンサートの感想 2013 年 (matsumo.my.coocan.jp)からつながる。 (2012-07-15)


聴音

下の「披露宴」で書かなかった話がある。 お客さんから「これこれの曲を聞かせてもらえないか」というリクエストがあったのだが、 これに応えられなかったのだ。 その曲とは、ペ・ヨンジュン主演の「冬のソナタ」の挿入曲の一つである。 悔しい思いをした。ということで、そのときヴァイオリンを弾いていた I さんも同じく悔しかったのだろう、 「冬のソナタ」の挿入曲のヴァイオリン版を買ってきたのだった。 I さんはそしてその版をマルヤマに貸すので、弦楽合奏用に編曲するよう、と私に頼んだ。 何とかこの連休を使って編曲を完成しようとした。たまたま、NHKでペ・ヨンジュンへのインタビュー番組があり、 音楽も奏でられるというので、録画しておいた。聞いてみると、ヴァイオリン版に乗っていない曲がある。 「初めて」という曲だった。まずこれから仕上げてやろう、と思い何回か聞いてみた。 私のような枯れた人間にはくすぐったい曲だが、 たまにはこういう曲も八重洲室内アンサンブルでやってみるのもいいだろう、そう思ってとりかかったのだが、 メロディーは追えない、リズムは取れない、和声は掴めないの三重苦で、情けなかった。 3分弱の曲に3時間ほどかかって、 やっとピアノ譜らしきものができた。今度はこれを弦に編曲しないといけない。これも時間がかかるだろう。

私がピアノを習っていたころ、ピアノだけでなく、聴音のレッスンもやらされた。 単旋律のメロディーを追うこと、進行のない和声を聞き取るところまではやった。 ピアノの練習はいいところなしだったが、聴音はわりあいできたことは自慢だった。その聴音も、 今はだめになってしまった。翌日のこどもの日を前にして、 昭和は遠くなりにけり、と妙にひとりごちた。(2004-05-04)

後期:翌日、楽器屋に行ったら、「冬のソナタ」の楽譜が山積みされていた。それも、 フルート版と複数のピアノソロ版があった。そのうち、ある楽譜を取って中身をみると、 『始まり』という曲があった。これが、俺が覚えている『初めて』と同じ曲だろう、 と推測して旋律を追ってみた。「編曲のせいかかなり違って見えるけれど、この曲だな」と私が呟いた。 すると、つれあいが他の楽譜を取って言うには、「『始まり』と『初めて』は違う曲でしょう。 見てごらん」なるほど、両方が載っている楽譜があり、当然違う曲だった。 そして、『初めて』は、私が聞いた曲そのものだった。ボケがますます進行している。 ご長寿早押しクイズがますます近付いた。(2004-05-05)


アマデウス

2004年のある日、八重洲室内アンサンブルの何人かの仲間が、演奏会で弾く曲を決めていた。 私はそのときいなかったのだが、「今練習している曲だけだと時間が余る」ということがわかった。 そこで「ではモーツァルトの交響曲第25番をやろう」という声があがったという。 そのあとすぐに、チェロのパート譜が送られてきた。そして、4月17日の練習となった。 みんな、映画「アマデウス」は見ているから、最初だけはそれらしく弾ける。 しかし、その後がわからない。特に、第2楽章以降は無知であった。 やはり、モーツァルトは大変である。(2004-04-20)


披露宴

3月6日に、八重洲室内アンサンブルの有志で、団員の親戚の披露宴で曲をいくつか弾いてきた。 八重洲で弾く時には、途中の休憩を除いて披露宴の最初から最後までずっと引き続けていることが多い。 ほかの弦楽合奏団ではどのようにしているのか知らないが、今回はヴァイオリン2本、 チェロ1本とピアノ1台でこんな曲を弾いた。

私はピアノを担当し、ソロでもいくつか弾いてきた。トロイメライとか、 イン・ア・センチメンタル・ムードとか、「いつか王子様が」とか、そんな曲である。

いろいろハプニングはあったが、ここでは記さない。私が情けなかったのは、 「亜麻色の髪の乙女」を弾きはじめて、あちこちボロが出てしまったことである。 この曲ならなんとかなる、と思っていたので、自分の衰えを感じてしまい、我が身を嘆いた。 冷静になれば弾けるかと思い、翌日家で弾いてみたら、同じように弾けなかった。 嘆きはさらに増した。(2004-03-07)


曽根麻矢子・古部賢一 デュオ・リサイタル

1月10日、新越谷にあるサンシティ小ホール(以下サンシティ)で催された、曽根麻矢子・古部賢一のデュオ・リサイタルに行った。曲目は、 以前のサンシティのクラシック・ティータイムコンサートのページなどにあったが、今は見えない。 お二人ともうまかった。曽根さんは特に、ソレル2曲とスカルラッティの演奏が圧巻だった。 ソレルの間にスカルラッティの曲を挟んだ魂胆がわかったような気がした。 私はあまりソレルの曲を評価していなかったが、今回の曲と演奏を聴いて、 ソレルもスカルラッティに負けず劣らず、伸び伸びとした作品を遺していたことが分かった。 古部さんのオーボエも輝かしい。 特にジェイコブのソロでは、スローな何曲かがオーボエの音色を十分に楽器から引き出して、 堪能させてくれた。二人とも美男美女で、しかも音楽が卓越しているのは、 神は人を不公平に作ったということの証であろう。 なお礼奏は、テレマンのソナタと、もう1曲(作曲家失念)。

休憩時間中、地元のCD屋が販売している演奏者のCDのうち、 私は曽根麻矢子の「バッハ トッカータ」を買った。 古部さんのを買ってもよかったのだが、彼は男前だから同性として許せなかったため控えた。 「バッハ トッカータ」のCD写真と中身は、 適宜インターネットで調べてもらいたい。 この写真、誰かに似ていると思って、つれあいに聞いてみた。「氷川きよし?」 そのとおり。このCDにサインをもらうことを考えて演奏会終了後サインの列を眺めた。 およそ20人くらい並んでいた。これだけならさほど待たないと考えたのだが、 面倒になってやめ、その代わりに買ったCDを聴くことにした。

非常によい。音楽が躍動している。ちょっと残念だったのは、 嬰ヘ短調のトッカータのフーガ部分[Presto e staccato]が、 少し緩やかに弾かれていることだ。 しかし、これは曽根さんが自分の感性に従った判断だったという。そう思うと、 これはこれで納得できる。

これを聴いて、久し振りに電子ピアノを弾いてみた。ニ長調とハ短調のトッカータである。 手は全然動かないけれど、やはり燃えるなあ。(2004-01-10)

まりんきょ学問所まりんきょと音楽≫練習日誌(2004年)


MARUYAMA Satosi>