練習日誌(2000年)

作成日:2020-01-10
最終更新日:

2000年、自分が歌ったり弾いたりしたときの練習の記録です。最近は練習をさぼっているので 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 1999 年の練習日誌2001 年の練習日誌もあります。


F vs K

昨日(12/28)は甲斐史子さんのヴァイオリンを聴きに、すみだトリフォニー小ホールまで行った。 F vs K という名前のコンサートである。 これは、福井知子さんという作曲家と川島素晴さんという作曲家の曲対決のことである。 福井さんの 2 曲にファーニホーの曲 2 曲が前半、川島さんの曲 2 曲に近藤譲、 甲斐説宗の各 1 曲が後半に演奏された。前半は辺見康孝さんというヴァイオリニストが、 後半は甲斐史子が演奏した。辺見さんを Fenmi と発音すれば演奏家も F vs K になりますが、と川島さんか福井さんが前口上で述べていて、 辺見さんもそれでけっこうですといっていたようだ。

何を考えているかわからなかったのが、福井さんの『ヴァイオリン E線5.5cm のための音楽』 だった。考えること自体はあっぱれだと思ったのだが、いかんせん私の耳が悪すぎた。 これはつれあいには評判がよくて、風の音や掃除機の音が聞こえる、 と好意的な評をアンケートに書いていたようだ。

川島作品は、演じ方が足りないと思った。川島さんは「演じる音楽」を標榜しているのだが、 それならもっと演出を徹底すべきではないだろうか。それにしても、 川島さんの『S+Iのためのエチュード「Fragrance/Greens/City」』で、 甲斐さんが発する声ははまっていた。


千々岩さんのリサイタル

去年のちょうど今ごろに、 フォーレのヴァイオリンソナタ2番をやるということでお誘いを受けたリサイタルがあった。 このリサイタルの主である千々岩さんが、 今年もリサイタルを行なうということを伺い、つれあいと出かけた。 場所は音楽之友社ホールであった。演目は次の通り。

これから書くことは例によってたわごとであり、演奏評ではない。

ヒンデミットの曲を聴くのは久しぶりであった。 ヴィオラを弾く S 君から「白鳥を焼く男(ピアノ伴奏版)」がいいですよといわれて楽譜をもらったことがある。 その後私は練習する時間がなく、彼とは結局練習する機会どころか会う機会もなく、今に至っている。 ヒンデミットといえば、さらにその前、ピアノソナタ ト調を M 君の演奏で聴いたことがあった。 鬼気迫る弾きぶりに驚き私も楽譜を手に入れたがあまりにも難しかったので諦めたのだった。 今はその諦めからほぼ 20 年が経過している。

ヒンデミットの音楽をどのように表現していいやら、言葉が出てこない。 久しぶりということもあり、晦渋な作曲書法を頭の中に思い浮かべていたが、 思っていたよりは素直に聞けた。今思えば、去年の千々岩さんのブゾーニもちょうど同じだった。 なぜだろうと考えてみたら、これはヴァイオリンという楽器の特質なのだろう。 これがピアノ独奏曲だったら心が落ち着く部分があったかどうか。

次のドビュッシーの曲と合わせて、大戦の影響が曲の成立に関与しているとのことであった。 しかし、戦争の影響があるからどうだというのだろう。 最初から最後まで、不安定なリズムと調性とメロディーではあるけれど、 これはヒンデミットの作品の特質かもしれない。私にはわけがわからない。 たぶん同じ曲をもう一度聞いても、同じ曲かわかるかどうか。もう少し聞き込んでから 曲と演奏について判断すべきだろう。

今思い出したことなのだが、ピアノの最初がごく乾いた音に聞こえたのが印象的だった。

ドビュッシーのヴァイオリンソナタには、ある先入観がある。 「ドビュッシーは自らの手紙で、 この曲に対する創作意欲の減退を吐露している」という一文をずっと信じてしまっていた。 実際にそのような手紙があったのかどうかはどうでもいい、 ということを今回の演奏でまざまざと感じた。事実、熱が入った演奏だった。

ドビュッシーのソナタがヒンデミットより聞きやすかったのはどうしてかと考えてみた。 なんのことはない、動機(リズム・メロディー・和声)を細かく繰り返していたのだ。 なぜ今までそんな当たり前のことに気づかったのだろう。ドビュッシーは革新的ではあったけれど、 人間は繰り返さないと覚えない、あるいは繰り返しせばそれだけ心地よくなる、という性質を つかんだ上で自らの成功を確信していたのだろう、という結論を演奏を聞きながら思った。

そして、楽章の形態も流動的である。ほぼ急−緩−急に則ってはいるが、 急の部分にも緩い部分があり、緩の楽章にも急の個所がある。このあたりの心配りも、 聴衆を意識したのかもしれない。

ホリガーの「トレマ」という題名を見て、どこかで聞いたようななまえだなと思った。 演奏会会場では思い出せなかったが、今書いてみて、VOW のネタであることを思い出した。 路上にペンキで書いてある「とまれ」がステンシルの入れ違いで「とれま」になっている、 そんなネタである。もちろん、今回の音楽とは全く関係ない。

現代音楽であるから、何か変なことをしなければならない。この曲はどうかというと、 蠅や蚊の飛ぶ羽音やチョークの書き損ないで出るいやな高調波のような音を絶えず出している、 聞いているだけで大変な曲である。どう大変かというと、客が落ち着かないためかあっちこっちを 振り向いたり、せわしなくプログラムノートと舞台とに視線を交互に動かしていたり、 会場が満員で暑かったせいもあるが、せっかくのプログラムノートを団扇代わりに使って風を送っている人があったりしたほどだった。 すなわち、「トレマ」しているのは千々岩さん一人だけでなくて、会場の皆もそうだった、というわけだ。

千々岩さんは舞台で十分以上奮闘していただろうか。 最後には力が続かなくなってきていたように見えたが、これは錯覚というものであるに違いない。 というのは、人間はどんな刺激でもそれが一定量であれば長時間受け続けると その刺激を感じなくなってしまう、という法則があるからだ。 この演奏をずっと続けた千々岩さんは、この曲を弾き終えた時、本当に爽やかな顔をしていた。 大変だった割には汗も見えなかった。不思議である。

シューベルトの幻想曲は、非常に楽しく聞けた。 解説にあった通り、最初が確かに同じシューベルトの弦楽五重奏曲に似ている。 シューベルトはいいなあ、と思わず自分の年を忘れて思うのだった。 この曲に入って申し訳ないことに一部軽くうつらうつらしてしまったが、 それほどよい気持ちだった、ということである。 途中でモーツァルトのピアノソナタ K.331 の第1楽章の主題のような節が出てくることに気がついたが、 シューベルトは確信犯だったのだろうか。 私が感動したのは、最終楽章(と呼んでいいのだろうか)、 主題とその演奏が非常に立派だったことである。 この曲をどこかで手に入れてこよう。

礼奏は、ストラヴィンスキーの「協奏的二重奏曲」のある楽章と、シュニトケの「聖夜」。 そういえば、去年のコンサートで千々岩さんがアンコール曲を募集した時、 誰かが(私かもしれない)シュニトケの曲はどうですか、といったら、 「クリスマスだったら、ちょうどいい曲があるけれど、もう過ぎているから...」といっていた。 それを千々岩さんは覚えていたに違いない。 この12月24日をリサイタルの日にしたのは、このアンコールを弾きたかったからに違いないと邪推している。 さて、アンコール曲で「おや」と思わせるほどの弾き手に千々岩さんがなれるかどうか、楽しみである。


NHK 交響楽団のフランス音楽を聴きに行く

この日、NHK 交響楽団の演奏会を聴きに行った。指揮はシャルル・デュトワ、場所は埼玉会館であった。 演目は次の通り。

12 月になってから、私のホームページを見て下さっている T さんから、 N 響でフォーレのペレアスとメリザンドがありますよ、という情報があった。 私は T さんに感謝しつつ喜んで行くことにした。

プログラムの他の曲目が有名だから、最初の曲は割をくってしまうだろうなと思いつつ、 演奏の行なわれる埼玉会館に向かった。

お目当てのフォーレはなかなかいい演奏だった。以前生で聴いたアマチュアオーケストラもよかったが、 そのときは「糸を紡ぐ女」での速すぎるテンポに釈然としなかったことを思い出した。 今回の演奏では、「糸を紡ぐ女」も含め、どの曲も私にとってはちょうどよいテンポであった。 フォーレならではの和声の微妙なうつろいと管弦の精妙な響きを楽しみ、満足することができた。 シシリエンヌで面白いと思ったのは、全休止のときに、 弦より管(特にファゴット)の響きを長めにとっていたことだった。これがまろやかな感じになるのだろうか。

残りの曲目については有名だし、特に私が何をいっても何にもならないので言わない。 一つだけ、ボレロの小太鼓がオーケストラのどこにいたのか、終わるまで分らなかった。 これは恥ずかしかった。


本番

ついに 12月 2 日に行なうコンサートが来てしまった。 前日飲み会に出かけたことは皆に内緒にしておいた。 この合唱団の方はみな真面目だから、こんな不謹慎なことがばれては大事になるだろう。

私は演奏会実行委員なる役割であったので、ホールが使える 9:00 には集合していないとならない。 時間には間に合った。他の委員 2 人も既に 9:00 に来ていた。 まず、使用許可をホールの担当者に申し込むのだが、担当者「使用許可書はお持ちですか」 ホールとの折衝は別の委員が受け持っていたが、この委員はどうも許可書を家に置いてきて しまって手許にはないということだった。その旨伝えると、担当者は「わかりました。 それでは,,,」となり、特に支障はなかったようだった。この委員は私に言った。 「丸山さんのいう ISO 10006 ですね。」 プロジェクト管理の規格に ISO 10006 というものがあり、 これはコンサート実施というプロジェクトに適用できるのではないか、 ということを私は実行委員や合唱団員に宣伝していた。 忘れてしまったことを記録して次回以降の教訓としよう、ということで私に言ったのだろう。

午前中の私の役割はリハーサルの進行を仕切ることだった。 他の委員の力添えもあり、きちんとした計画はできていた。 実際は計画からの多少の逸脱はあったが、まあだいたい時間内に終わった。それでも、 リハーサルをしなくていいよというグループがやっぱりリハーサルをしたいといったり、 山台やピアノの位置の決定に時間がかかったりで、不安は多くあった。

準備が終わり、お客さんを待つばかりとなった。私の関係では私のつれあいのほか、私の母、 私の母の友人の3人が来た。私のつれあいは無性に怒っていた。その理由は後日記す。

午後 2 時が開演である。プログラムは 3 部からなっている。1 部と 3 部は全体合唱であり、 2 部は小グループである。私の心配は 2 部であり、その部の中で半数くらいのグループに 何らかの形でかかわっていた。ある時は歌う側だったり、ある時はピアノ伴奏だったり、 またある時はピアノ伴奏の譜めくりだったりした。 2 部のトップはピアノ伴奏として 出演した。最初の曲はわりあい上手くいったと思ったが、最後から4小節目、 歌手の声に聞き惚れて自分の伴奏を弾くのを全く忘れてしまった。歌手が「あれ?」という 目で私を見たので我に帰った時にはもう遅かった。 でも、最後の2小節を何食わぬ顔で弾いたので(こういうことは得意だ)、 おそらくこの曲を知らない人には何もわからなかったろう。

3 部も無事終わった。撤収には多少手間取ったものの (設営は計画していたが撤収は無計画だった)施設返却時間には余裕を残して引き上げることができた。

打ち上げには団員のほとんどが参加した。私は2次会まで出て失礼した。 途中2度も乗り過ごしてしまった。よほど疲れていたのだろう。

後記:つれあいが怒った理由はもう忘れてしまった(2016-03-19)。


合宿

今度の12月 2 日に行なうコンサートのため、合宿を「合唱の家 おおば」で行なった。 私の伴奏も出来が悪いし、私がやろうと言い出したフォーレの「タントゥム・エルゴ」も しまらないしで、がっくりきている。


井上二葉ピアノ演奏会

下のフォーレ協会コンサートに行ったときにもらったチラシで知ったこの演奏会に行った。 あっぱれなのは、チラシに書かれていた「ピアノ演奏会」という文面である。 「リサイタル」とも、「コンサート」とも 銘打っていない。おまけに、井上さんの略歴も、プログラムには全く紹介されていない。 その心意気やよし、である。

曲目は、前半にシャブリエの曲とラザール・レヴィの曲。後半にお目当てのフォーレの曲である。 シャブリエは、絵画風小品から3曲とハバネラ。 絵画風小品の中で最後に弾かれた「牧歌」は、すばらしかった。 もっとも、わたしのいう「すばらしい」はちょっと説明しなければいけない。 学生時代、わたしが所属したサークルに、 2 代下の M という少年がいた。この M 少年がこの曲を弾いていたことから、 すっかりその当時の雰囲気を思い出していたのだ。ただ、彼がこの曲でこう弾いたと記憶している ある走句が、そのときの井上さんの演奏にはなかった。あの走句は空耳だったのだろうか。 ともあれ、もし機会があればこの曲集を買ってきて自分でもさらってみよう。

レヴィの曲は軽やかではあったが、毒が極少ない。顧みられることがほとんどないのは そのせいだろう。

後半の第 1 曲は「主題と変奏」。私が生で聴いた中では、もっともいい演奏だった。 無理を決してせず、しかも鳴らすべきところはきっちり鳴らしている。 さすがである。どうやら、井上さんはデビュー 47 年目であることがわかった。

最後は「前奏曲集」。生で聴くのははじめてである。こちらにも感動した。 特に、最後の第 9 曲、どのようにアプローチすべきか、皆目見当のつかない作品を 何の小細工もなく弾いていて、なおかつ含みのある表現に達していた。驚いた。 そういえばこの曲は、「夜想曲第 13 番」と開始が似ていると思ったのだった。 あちらは弦楽四重奏曲が似合い、しかも中間部ではそれが壊される。それにたいし、 この曲は最初から最後まで弦楽三重奏の表現が似合う。

礼奏は 2 曲。フォーレの小品集から「即興」 Op.84-5 と、クープランの「葦」。

帰りに、カウンターで「田大成 ラ・ボンヌ・シャンソン」という、フォーレの曲を中心とした CD が販売されていたので、買って帰った。受付にいた二人のうち、男性の側がひょっとしてこの 田さんではなかったろうか。今思えば、サインをもらえばよかった、と残念に思うのだった。


フォーレ協会コンサート

10/31 に、日本フォーレ協会の主催する演奏会を聞きに行った。 フォーレの曲は2曲のみ、最初の「ヴォカリーズ」と最後の「三重奏曲」のみであったが、十分楽しめた。 ヴォカリーズは演奏会の最初に持ってこられたためか、多少ぎこちなさがあるようだった。 詩がなく、かなり技巧的なので、歌う方も困っていたろう。 三重奏曲の演奏には非常に迫力があり(特にチェロのうまさは特筆もの)、 今までこの曲に対して持っていたお座敷トリオというイメージが覆された。

お座敷という表現が誤解を与える可能性が高いので、補足する。 私がこのトリオを、「小さなトリオ」として捉えていた。 お座敷の中で、ちんまりとしたたたずまいで、三者が寄り添うように奏する印象を持っていた。 ところが、やはり演奏会場のトリオは違うのだ。三者が対立する図式で成立している 演奏だった、ということだった。

ところで、このトリオのうちのヴァイオリンとチェロの二人は、この日の一週間前、 営団日比谷線の上野から北千住あたりまで、乗っていたのではなかったろうか。 どうもよく似た二人組を見た。この二人はフランス語をしゃべっていた、というのも 状況証拠の一つである。これが本当だからといって、特に変わったことは何もないのだが、 このチェロのほうは大きなくせに、周りの人間を押すのでどうも周りの乗客は持て余していたように 思う。もう一つ、このチェリストはバイクのヘルメットを持っていた。

ヴォカリーズのすぐあとにラヴェルの「ハバネラの様式によるヴォカリーズ」、 同じく「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」があった。ハバネラは、ラヴェルお得意の あざといまでの異国趣味が効いていて、文句なしに楽しむことができた。 「ソナタ」は私が聞いてきた線の強調による演奏とは異なり、 和声を重視したアプローチに聞こえた。チェロのピチカートが非常によく響き、 会場全体が楽器として鳴っていたように聞こえたほどである。

残りは、フローラン・シュミット、エネスコ、オーベール、ケクランら、彼の高弟らの 作品が奏された。エネスコの歌曲がもっともフォーレのスタイルに近いように感じた。 しかし、彼のヴァイオリンソナタは、フォーレのヴァイオリンソナタとは似ても似つかない。 よくわからないものである。

休憩時間にはフォーレ協会への寄付と思って「フォーレ手帖」の最新号2巻を買った。

客の入りは6割ほど(津田ホール)。客のほとんどが後方にいたのが謎である。 後半になって、前から3列め、中央に陣取っていたオヤジがすやすや寝ていた。 それだけでも失礼になるというのに、堂々と寝息を立てやがった。 せっかくのフォーレのトリオの第2楽章の静謐さをだいなしにしやがったのはてめえのせいだ。 金返せ。


合唱練習

この日は H さんの歌唱指導ならぬ歌詞指導。ドイツ語の発音をみっちり行った。 そのあとで先生の登場。メンデルスゾーンの「おおひばり」、 ロッシーニの「ゴンドラ」、「散歩」を練習する。


河合先生のコンサート

私のピアノの師匠である河合先生がコンサートに出るというので聴きに行った。 曲目は、リゲティの練習曲集第 2 集から。 河合さんは以前からリゲティの練習曲集に取り組んでいて私も何度も聴いているが、 今回の第 2 集は初めてである。 さらったばかりからなのか、曲に鋭く切り込んでいないような感じを抱いたが、 所詮これは素人の感想である。リゲティの練習曲の様式は第 1 集とそれほど違わないようで、 安心して聴くことができた。

他に、何人かの知り合いの方々と挨拶した。

終演後は、一緒に来ていた Y 先輩と二人でワインとビールを傾けつつ、 Y 先輩の仕事や交流関係を聞いたのだった。


なんとか本番

この日は八重洲室内アンサンブルの第 13 回の本番である。演奏もさることながら、 お客さんがどれだけ来て下さるかにも興味があった、と書きたかった。 しかし、実際はいかんせん演奏のことで頭がいっぱいで、 お客さんが来て下さるかどうかということはどうでもよくなってしまったのだ。

午前中はリハーサルである。本当にこれで(特にドヴォルザークが)できるのだろうかというほど、 大変な出来である。特にドヴォルザークの最後の楽章で、 テンポを徐々にゆったりさせるところがどうしても合わない。シンコペーションとリタルダンドの複合が、 これほど大変なものだとは思わなかった。

さて本番を迎えた。お客さんは 30 人より多く、50 人より少ない程度である。 去年は高校関係の知人や後輩が来たが、今回は来ていない。勤務先の何人かにもチラシを配ったが、 彼等も来ていない。それでも、妻や母のほか、母の友達一人、合唱団関係の方三人、 インターネットで知り合った方一人の計五人の皆様が来て下さった。遅ればせながら、お礼を申し上げます。

演奏はどうだったかというと、大過なく終わったというのがまず感じたことだった。 私のピアノでは、譜めくりを頼まなかったのでちと大変かなとも思ったが、なんとかなった。 しかし、やっぱり「ラシーヌの雅歌」は自分のピアノに関しては理想とは程遠いことを感じた。 ドヴォルザークでは不満も多々あったものの、それでも精一杯音楽を作っていくことで、 わずかな喜びが味わえる瞬間があった。もちろん、そういった瞬間はすぐに崩れてしまうのだけれど。

打ち上げの席は興味深い。一次会では子ども同伴の親御さんが三組いて、子供どうし仲良く遊んでいた。 この席で、次に何を行うか皆の意見が出た。私が覚えている限りはこんな感じだった。

なかなかである。一つ、25 周年ではドヴォルザークをもう一度、という声が多かったようだ。

二次会は更に盛り上がったが、果たして何を喋ったか覚えていない。私はここで失礼したが、 更に三次会までいった仲間もいた。大したものだ。


やばいフォーレ(続き)

この日は合奏団に行く。まずモーツァルトのディヴェルティメントを練習する。 コンサートミストレスの I さんの口調がいつになく厳しい。本番が迫っていることを実感する。

そのうち、指揮者の I さんがあらわれる。今度はフォーレの「マドリガル」と「ラシーヌの雅歌」である。 このラシーヌは、弦楽器で行うことを考えて、ニ長調の譜面をわたしている。そのため、ピアノでは取りにくい。 というのは、どうも指がきちんとあるべきところに行かないからだ。変ニ長調にしたからうまくとれるとは 思わない。しかし、私にも誇りというものがある。うまくいかないのは調がニ長調であるせいにしたい。 もう一つ、このニ長調のピアノ譜面で使っている楽譜は異様にミスプリントが多い。以前の私なら曲の流れで 正しい和声でその場で弾きなおせたが、今はそうはいかない。 事前に正しいと思われる変ニ長調の譜面と突き合わせて、楽譜を直してからでないと手こずってしまう。

そういえば、昔こんなことがあった。 私が持ってきたバーバーの弦楽のためのアダージョを練習していた時のことである。 あの曲は楽譜にフラットが6つある。そのため異様に弾きにくい。あるとき、たまりなかねた団員の K さんが 私に嘆願した。「これはフラットが6つもあって実に難しい。まるさん、これを半音上げるか下げるかして 弾きやすくしてくれないか。」私は落ち着いてこう答えた。「この曲は哀悼あふれる渋い曲なのだから、 あえて弦楽器の明るい響きを消すためにこの調性をバーバーが選んだのです。調性を半音上げ下げすることは 曲を冒涜することになります」

さて、本命のドボルザークであるが、これがまためためたである。どうしよう。


パート練習で歌う(続き)

前回に引き続き、ロッシーニの男性合唱のパート練習だった。私はまん中である。他のメンバーも強力なので なんとかなる。上と下は大変そうだ。

練習の終わり近くに、混声の曲(メンデルスゾーンの「憩いの谷」「おおひばり」)では、なかなかあわない。


パート練習で歌う

きのうは合唱団。ただし全員ではなく、珍しくもパート練習。今度の演奏会で男性合唱を披露するので、 バリトンの組4人が集まって練習をした。出し物はロッシーニの Tantum Ergo。歌い終わって A さんが 「なんかイタリアって感じがしますね。」別の方が答えて曰く「そりゃ作曲者のロッシーニがイタリア人だから」 また A さん「するとこれはイタリア語ですか」わたし「はい」、あ、騙された。別の方が「ラテン語だよ」 さて、このラテン語の意味がわからないのだけれど、といわれた。私は一計を案じた。というほどのこともないけれど、 たまたま別件で持ってきていたフォーレの混声合唱曲集に同じく Tantum Ergo が載っていた。 こちらには日本語訳があったので、なるほどと納得したのだった。「いいあんちょこを持っていますね」 あんちょこじゃないんだけれどな。


残り一ヶ月

八重洲の練習を22日に行った。一応全パートが揃い、それなりの練習ができた。それにしても、 あと一ヶ月で本番を迎えることになる。時間だけは待ってくれない。 最善を尽くすだけである。次回は 8/5 。


合唱隊で歌う

きのうの 7 月 8 日に、クラシックファミリーコンサートと題して、 山田敦凱旋帰国公演が催された (チラシ(102KB))。 私はこの公演で合唱団として加わった。

当日出かける前の仕度がいいかげんで、つれあいにひどく怒られた。がそれはそれとして 集合時間の30分前には着いていた。 ゲネプロでは、「ナブッコ」の最初の合唱の入りが悪く、指揮者にひどく怒られた。指揮者の形相が変わっていた。 さすがに怒られるとこちらも気分が変わる。3度目にはきちんと出た(と自分では思った)。 本番は大変だろうな。

でなんだかんだで本番が来た。上記の場所の心配は当たっていたが、仕方がなかった。

ここで一つお詫びしなければならないことがある。このページに「カラオケ道」について書いたことを、 私は守れなかった、ということだ。すなわち、この合唱団で「譜持ち」で歌ってしまったのである。 これではいけない。指揮者も見えないし、会場のお客さんも見えない。

客席は7分の入り。まあよく来て下さったと思う。私自身はつれあいの他は、知人の D さんと K さん、 それから母を呼んだ。もっと呼ぶべきだったのかもしれないが、いかんせん値段が高く二の足を踏んでしまった。

終演後は D さん、K さん、つれあい、そして私の4人でああだこうだとずっとしゃべっていた。帰りは11時となり、 これは問題なかったはずなのだが、乗り換え駅をぼっとして乗り過ごしてしまい、あわてて降りた駅をみると 戻る列車は30分後である。これでは間に合わない。タクシーを駅から拾って帰った。 最後は間抜けだったが、何はともあれ楽しい一日だった。


オーケストラを聞きに行く

きょうはオーケストラ「☆の王子様」を聞きに行く。 プログラムは、モーツァルトの「魔笛」の抜粋とブラームスの交響曲第三番だった。魔笛はそこそこ楽しめた。 が、某氏の歌がかなり素人ぽく、これはいただけなかった。ブラームスはよく健闘していたが、高音の輝きが 今一つだった。迫力はあったので、これはアマチュアオーケストラの特権だろう。


八重洲の練習

きょうは八重洲室内アンサンブルの練習に行く。 ヴィオラが来られなかったので、ドヴォルジャークはやらずに、モーツァルトを練習した。


オーケストラを聞きに行く

この日は虎の門交響楽団を聞きに行く。 創立何十年にあたるそうで、めでたいことである。 プログラムは、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」から第一幕への前奏曲、 マーラーの「リュッケルトの詩による五つの歌」、 そしてリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」だった。

「シェエラザード」の第2楽章の節は、 グループサウンズの「雨がしとしと日曜日〜」という節に非常によく似ていると思った。


オペラの合唱続き

この日もオペラの合唱の練習に行ってきた。きのうもあったのだが、場所がわからずにすごすごと帰ってしまった。 さて、プッチーニのトゥーランドットは、やはり音取りが大変である。指揮者は暗譜を要求している。 私はできると楽観的に予想しているが、他の方々はどうだろう。

この合唱の最初でソロを披露する T さんから、トゥーランドットのビデオを借りる。もう一つ、ナブッコの 合唱もやるので、ナブッコのビデオも借りる。


オペラの合唱

きょうはオペラの合唱の練習に行ってきた。その合唱団では非常に男声が少ないというので、 助っ人として行ってみた。ものは、プッチーニのトゥーランドットからである。ああ、大変だ。


若い衆

きのう、若い衆の開いた演奏会を聴きに行った。わざわざ私宛に Y 君から直接電子メールがあったので、 隠居をしている身ではあったが出かけてきた。仕事の都合で後半だけになったのは残念だった。 しかし、後半ではその Y 君の演奏をはじめ、 他の若い衆の演奏を聴くことができたのは幸いだった。 知った顔は何人かいたが、聴くときにはその知った顔のいる客席から離れ、 わざわざ舞台に向かって右の前方から2列目、ピアノの音がよく聞こえ演奏者の顔がよく見える場所に陣取った。 周りには誰もいない。これが私のポジショニングである。

この後半の演奏は、珍しく私が弾いたことのある曲ばかりであった。

さて、後半の始めはその Y 君で、フォーレの「前奏曲第1番」と「夜想曲第13番」だった。 Y 君は実は初めて見る顔で、いかにもやさ男という印象であった。前奏曲も、夜想曲も、素直でかっちりと 弾いていた。私の理想とする型の演奏だった。

次は F 君の弾く、ドビュッシーの「版画」から「グラナダの夕べ」と「雨の庭」であった。彼はいつも きちんと曲の落とし所をつけるのがうまいので、感心する。この演奏もきちんとつぼを押さえていた。

そして B さんは、ラヴェルの「クープランの墓」から「前奏曲」、「フォルラーヌ」、「トッカータ」を 弾いた。ラヴェルの曲は一部を除いて技巧的に難しい。 そのため、下手な演奏ではラヴェルのもつ特質が伝えられないどころか逆効果になることが多い。 B さんの演奏を聴くのは初めてだったが、無難に(これは褒め言葉である) こなしていた。一言言い忘れていたが、Bさんは「前奏曲」や「フォルラーヌ」で、 プラルトリラーの前打音を拍の頭において弾いていた。 私は自分で弾くときもこの通りだし、こちらが正しいと思っている。私と解釈が一致するとは 珍しいと思っていたら、B さんの専攻が17世紀後期のフランスの宗教音楽なのだそうだ。

ラス前は F' さんの、アルベニスの「イベリア」から「アルメリア」と「マラガ」。「アルメリア」は、 私の先輩の N さんが猛烈に練習していた風景を思い出しながら聴いていた。F' さんの演奏はめりはりが あり、低音もよく響いていた。「マラガ」は、急速な場面の転換をうまく描いていた。

オーラスはフルートの K さんとピアノの O 君によるプーランクのフルートソナタ。 この曲は本当にいい。演奏も落ち着いた、 流れのよいものだった。私は例によって演奏者の鑑賞もしていた。 O 君のにこやかな、くりくりした眼はいいものだ。彼は難しいパッセージでも苦しい表情をしないのが 不思議だ。

私は隠居の身であるゆえ、終演後はすぐに去るつもりでいた。とはいえ、呼んでくれた Y 君には声をかけないと 失礼にあたるかと思い、受付近くで待っていた。Y 君が現れたが、うら若き乙女達に囲まれていて、 声をかけそびれているうちに、「写真がありますので」といってその場を離れていった。 それでもしばらく待っていたら、O 君が現れた。こちらもうら若き乙女達に囲まれていたが、 こちらには強引に割り込んで挨拶をした。

弾いたことがある曲ばかりの上、「夜想曲13番」や「マラガ」、プーランクのソナタの伴奏は 限られた人数ではあるが人前で披露した曲でもある。若い衆の演奏を聴いて、 「まだまだ若い者には負けてばかりだ」と思った次第だ。


平均率

I さんからの電子メールで、読んでみましたかという問いかけのあった、吉田秀和の随筆を読んでみた。 ここに文章を要約するのは二つの理由からためらわれる。一つは著作権の違反になりかねないこと、 もう一つは私の要約が下手なこどである。以下、その随筆に関する感想をつらづら垂れる。気になる向きは 2000-05-25 の朝日新聞の夕刊を探してもらいたい。

吉田秀和が語っている、前半の、世の中の不条理についてはこう思った。不条理とはどういうことだろう。 例えば、不条理劇という分野がある。こう書くと、ものものしい現代演劇を想像するだろう。 しかし、これを英語でいえば "absurd play"、ばかげた劇、ぐらいの意味だとどこかで読んだ。 あまり不条理ということばに敏感になりすぎてはいないだろうか。 さて、不条理ということばから、吉田は条理ということばをもってきて対比させる。そして、 この世の中は不条理か条理かの区別は何だろうか、と問いかける。私も同じことを思う。 しかし、それは不条理と条理を区別しようとした心なしの結果ではない。私は単に、ものごとをやりすごす、 という怠惰な精神の結果として区別しないだけだ。昔から今まで、私は思考停止をしたままだ。 この世の中、思考すべき対象を選ぶだけで疲れる。

吉田秀和の語る後半は、バッハの作品である。なぜバッハなのだろう。前半を受けた結果、 吉田は、モーツァルトも、ウェーベルンも、ライヒも受け付けないといっている。そうして、バッハも、 受難曲という大きな曲でなく、バッハの平均率を選んでいる。ふむ。 平均率は、現代人にとって大きな曲集である。第1巻と第2巻、それぞれ24曲ある、否、前奏曲とフーガの 一対を2曲に数えれば、それぞれ48曲だ。合わせて96曲もある。ゴールドベルク変奏曲でさえ変奏は30曲だから それを遥かにしのぐ。演奏時間も長い。私がもっているただ一種類の音盤は、第1巻が2枚のLP、 第2巻が3枚のLPだった。一面が25分とすると、第1巻が100分、第2巻が150分にもなる。 マタイ受難曲より、よほど規模の大きな曲集ではないか。

以上はただの言いがかりである。平均率には秩序がある、と吉田はいう。なるほど、均整がとれている。 しかし、均整は一つ間違えば無味乾燥になる。吉田はその心配はないという。そうだろうか。

私はクラシックを聞きはじめた初期にバッハに触れた。 そうして、その均整さに憧れた。そのうち、バロックはバッハだけでないことを知った。ヘンデルやスカルラッティ、 テレマンという人たちがいた。また、バッハの元になったフレスコバルディ、スヴェーリンク、ヴィヴァルディ、 クープラン、ラモー、さらにはダウランド、バード、ギボンズ、などなど。そういった先達の歪んだ真珠の 歪みを愛でるようになった。同時に、バッハがもつその均整さを私は徐々に疎ましく感じるようになった。

バッハが歪みを露にする個所が、多少はあるように思う。たとえば、有名なゴールドベルクの第25変奏がそうだ。 しかし、平均率には、そんな個所があったろうか。そうして、私は均整さに耐えられるのだろうか。

そう思って、久しぶりに平均率を弾いてみることにした。手許にある楽譜は第2巻のみだ。 たいした腕ではないが、第1番、第3番、第4番、第22番をさらってみた。自分が鍵盤をいじると、 無味乾燥さは感じない。あるべき音があるべきところに運ばれる。その感触を指が楽しんでいる。 結局吉田秀和の言説から遠く離れてしまった。私の中では何も結論が出せない。


八重洲の練習

八重洲の練習に出かける。その前は合唱の練習があって、少しよれてしまっていた。 しかし八重洲のほうが本番が近い。それに今日は指揮者が来る。 3時から6時までみっちりしごかれる。その後普通なら飲みにいくのだが、私はわけあって帰った。 向かった先は早稲田の某教会だった。ここで某短期プロジェクトの合唱の練習があるのだった。 参加するといっていたのだけれど、既に始まってしまった練習場所に入るのはためらわれて外で聞くだけにしていた。 すると疲れてきた。申し訳ないが合唱の練習には参加せずに帰ってしまった。


天野さんのリサイタル

この日は天野乃里子さんのチェンバロのリサイタルに出かけた。場所は大田区立のホール。 つれあいは用事があったので、 毒蠍の Koike さんを誘った。 プログラムはすべてバッハの曲で次の通り。

なかなか面白く聴けた。ただ、上記の曲はかなり相対的に重いので、かなり天野さんが疲れてしまったのでは と思った。特に後半の曲についてはその思いを強くした。 もう少し軽い曲、たとえばインヴェンションとシンフォニアとか、フランス組曲とか、「音楽帳」とかを 入れてみるとよかったのではないかと思う。

アンコールの1曲めはバッハの平均率第1巻ハ長調のプレリュード。2曲めはフランスの作曲家(名前は失念)の 曲だった。フランスのバロックはみなラモーやクープランに聞こえるぐらい私の耳が悪いのだが、 それでもこのフランス曲は出色だった。天野さんはこちらのほうが資質に合っているようである。

アンケートがあったので、上記のようなことを書くと同時に、「次はD.スカルラッティをぜひ」と書いておいた。 どうだろうか。


千々岩さんのリサイタル

きのうは八重洲の練習の後、ヴァイオリンの千々岩英一さんのリサイタルに行った。 ピアノは上田晴子さんである。 つれあいも連れ出した。 場所は東京文化会館小ホール、ほとんど満員だった。 プログラムは次の通り。

私たちは会場十分前に受付前の行列に並んだ。席を確保したかったからで、実際望みの席を確保したのだが、 通常の人たちの望む場所ではない。舞台の前から3列目、最も右側の席だった。 私は八重洲の練習の後でチェロをかかえたままであったので、 チェロが他の客の邪魔にならないようにしたかったからだ。 この席は演奏者の顔もよく見えるという余禄が付いた。 否、コンサートで何が楽しいかといえば演奏者の顔が観察できることだ。音は二次的なものである。

名技性が要求されるツィガーヌは、期待に違わぬすばらしさだった。息を飲んだ。

とはいえ、クラシックで私の知らない曲を聴く楽しみもまたある。エネスコは例の「ルーマニア狂詩曲」しか 知らないので(家に帰ればピアノソロがあったかもしれないがどんなのだったか忘れた)どんな音がするのか 楽しみだった。聴いてみるとびっくり、ヴァイオリンがもっているどろどろした側面があちこちに現れていた。 千々岩さんの曲目解説でも、また後にあった打ち上げの席で千々岩さんから直接聞いた話でも、 楽譜に対する細かい指示に圧倒されるということであった。なるほど、作曲もものした名ヴァイオリニストは 数多くいるが、作曲家の観点でヴァイオリンを見て逐一楽譜に書き込んだのはエネスコしかいない、 ということなのだろう。なお、プログラムでは彼の名前はエネスコになっているが、一ケ所だけ「エネスク」の表記がある。 これはルーマニア語読みであろう。

ブーレーズの曲は、それほど違和感なく聴くことができた。 最近彼の「プリ・スロン・プリ」を聴いてきて彼の書法に慣れてきたからだろうか。 とはいえ、ヴァイオリンにたいしてきつい書法であることは、素人の私にもわかった。 なぜ暗譜でやるのに譜面台を立ててあるのかわからなかったが、曲の中でピチカートが続く個所のために 弓を置いたのをみて疑問が解けた。それぐらいもわからなかったのはまだ私が現代音楽を聴き足りない 証拠なのだろう。それにしても、こんな曲でも暗譜でできるものなのだなあ。

平の作品を聞くのは初めて(だと思う)。変則調弦を採用した理由は音楽を聞いてまもなくわかった。 この音楽ならば、この調弦でなければいけない。こんな思いがよく私に伝わってきた。 特に最初にあらわれた、G線を半音下げた開放弦の変ト音に、心が打たれた。

最後はお馴染みのブラームスであり、心地よく聞けた。なんといってもピアノの上田さんがいい。 暗譜をしている余裕からか、かなり長い間ピアノの鍵盤を見ずに千々岩さんのほうに首を回して 同じ呼吸をしようとする姿勢を何度もとっていた。その効果は抜群で、伴奏のプロを見る思いだった。

アンコールはラヴェルの「2つのヘブライの歌」から「カディッシュ」(元は歌曲)。この曲には思い入れがある。 調律師の原田力男さんが亡くなり、お別れ会が催された。原田さんはプロデューサーでもあったからか、 生前から自分のお別れ会を企画していた。その企画の一つに、 原田さんが高く評価していたヴァイオリニストの清水高師さんに、 弔いの曲を弾いてもらいたい、というのがあった。清水さんはこれに応えた。所用があり会には来られなかったが、 演奏を録音したテープを会に届けた。その曲が「カディッシュ」だったというわけだ。 私は、千々岩さんの弾く歌と上田さんが描く空間を聴きながら、原田さんの会を思い出していた。 二人の演奏が終わった後で「若いのに渋い曲をやるな」と妙な感慨を抱いた。

演奏会の後、打ち上げがあるというので恐いもの知らずのつれあいと私はのこのこ会場に行った。 周りはほとんど千々岩さんの学生時代の仲間であろう、ほとんど私とは縁のないハイソな世界であった。 そこで食べるだけ食べて時間があれば千々岩さんと話をしてさっさと退散しようとせこいことを考えていた。 実際はどうだったかというと、千々岩さんとお話をすることができた。 千々岩さんからは、エネスコがフォーレの弟子だったということのほか、いろいろな話をして下さった。 私のほうから疑問を一つ呈しておいた「なぜ、ピアノとの現代曲はなかったのか」。 答は「いい曲がない」。ふむ。「ヴァイオリンとピアノは異質の楽器、水と油の関係だから、作曲家が苦労する」 なるほど、これならわかる。今日のブーレーズがとった書法ならば、ピアノとヴァイオリンは喧嘩して 曲にならないであろう。素人目には、こういう崩壊した曲も恐いものみたさで聴いてみたいが。 「武満さんには、デュオの曲があります。」 彼の書法なら、ヴァイオリンとピアノを混ぜ合わせるぐらい造作もないだろう。 もう一つ私から問いかけたのは「ブーレーズの曲は、傍目で聴いている分には、 ヴァイオリニストの生理に反するとは 思わないのだけれど」。千々岩さんは「ブーレーズ先生は頭がいいから、頭で作る。自分にプライドがある。 結果、ヴァイオリニストの生理に反する曲になる」これもさもありなんである。「プリ・スロン・プリ」では 最初と最後にソプラノが出てきてとても歌うことなどできそうにないフレーズもどきをなぞっていく。 あれと同じことなのだろうか。

打ち上げの席では、まねき猫の方々とも少しお話をすることができた。これはつれあいのおかげである。


指揮

5/13 は八重洲室内アンサンブルの練習に行く。ドボルザークの弦楽セレナードを練習している。 この日は第4楽章と第5楽章を練習する。なかなか第5楽章はきちんとまとまらない。


伴奏

テナーの D さんが越谷くんだりまでわざわざ訪ねてくれたので、歌の伴奏を2時間御一緒願った。

D さんの来訪の目的は2つあった。一つは、彼の知人が余興でヴァイオリンを弾くのだが、その伴奏のテープを 作ってほしいということだ。曲はクライスラーの「愛の喜び」。他のクライスラーの曲もそうなのだが、 伴奏のピアノは何気なく書かれているようで、実は難しい。何度か入れたが、いい出来のものはなかった。 この伴奏で余興をなさる方、勘弁して下さい。もう一つは、D さんが近々アメリカへ行くときに、 何か余興を頼まれたときの練習のため、ということだ。D さんの所望は、プッチーニの「誰も寝てはならぬ」と、 ヴェルディの「女心の歌」ともう一つ、Hi C で有名になった3大テナーのうちの誰かが歌う有名な歌だった。 「誰も寝てはならぬ」は有名だということだが、私は全然(いや、前に頼まれて弾いたことはあったが)曲の感じが つかめず、いいかげんな速さで出てしまった。「女心の歌」は私も知っていたので、なんとかなった。 あと一つ、Hi C の曲は忘れてしまった。そこまでやって、後半はどうしたかというと、私の趣味で 昔練習したフォーレの曲の総ざらいをすることにした。 D さんには申し訳ないが、これぐらいのことはしていいだろう。

「秋」と「リディア」は、昔練習したことがなかったのだった。あはは。でも、いいなあ。 特に「リディア」は、清楚で上品な甘さが伝わってきて、初期の傑作というにふさわしい。 最後に左手が右手より高い音階を奏することを、初めて知ったのだった。 (2000-05-08)


クラリネット

つれあいが「クラリネットが欲しい」と私にねだったのが半年前、やっと最近買ってこの日吹いてみることにした。 つれあいは四苦八苦しながらクラリネットを組み立てた。そこまではよかったが、なかなか音が出ない。 ちょっと貸してと私が吹いてみたが、やはり音はでない。きっとこれはリードの位置が悪いに違いないとみて、 リードを1mmほど前にもってきて改めて吹くと、音が出た。つれあいは私に先を越されたことにがっかりしたようで、 そのあと夜まで機嫌が悪かった。 つれあいの名誉のために記しておくと、そのあとつれあいは自分でリードを調節して、音は出せるようになった。


ウィリアム・バード

4/22は音楽関係の用事ばかり3つ舞い込んできた。そのうち一つは不義理をしてしまったが(Sくんごめん)、 残りの2つはなんとか済ませた。一つは合唱団、 今度はウィリアム・バードの4声のミサ曲を練習している。 合唱団は途中で帰り、今度は八重洲室内アンサンブルへ出かけた。ドボルザークの弦楽セレナードだけで 力を使い果たしてしまった。


メンデルスゾーン

4/5は合唱団の練習に出た。前回の練習には出なかったので何か言われると思ったら、 案の定、こんなことを言われた。「(指揮の)先生が、メンデルスゾーンの合唱曲集を もってきたんだけれど、これは<丸山くんの嫌いなメンデルスゾーンだ>と何度もいっていたよ」 で今回は面と向かっていわれるかと思ったが、そんなことはなかった。


平尾はるなピアノリサイタル

4/4は梅本敏行さん(以下、としゆきさん)の紹介による「平尾はるなピアノリサイタル」に行った。

前半のモーツァルトは最初は楽しく聴いた。そして少し考えた。 誤解を恐れずいえば、私は技術偏重派に属する。ただし、最近認知が高まっているピアノおたくの 技巧を要する曲+技巧には、敬意を払いつつ遠ざけている。私の好みは、普通の曲を(地味ならなおよし) 普通に、あっけらかんと弾くことだ。で、平尾先生はどうだったかというと、モーツァルトのリズムを 自分流に身につけている気がした。昔のわたしなら、耳をふさいでいただろう。しかし今の私は、 自分流のリズムでもいいのではないか、と許すようになっている。 いっちゃわるいが、平尾さんも「老人力」の域に入ったのではないか。

後半はプーランクのプログラム。まず「主題と変奏」。なかなか手の内に入っている曲とみえて、 ざっくばらんに進めていく姿はすがすがしかった。途中2度止まり、そのとき「ごめん」という 低い声が聞こえてきて、これが微笑ましかった。平尾さんは「エデッケ」((c)山下洋輔)なのか。 そして「仔象ババールの冒険」。ヴァセルマンさんのフランス語の語りとで、いい気分になった。

聞きに来ている人はほぼ日本人で、ほとんどがフランス語ができないはずだ。そんなもんだから、 かなりの人がこの「ババール」で、配られた台本を見ていた。で、その台本をめくるところで かすれる音がする。私はこの音がいやなので、意地を張って自分では台本をおかず、見なかった (実は隣のつれあいの台本をちらちら横目で少しだけ見ていた)。そのせいで、私がわかったフランス語は 主人公「ババール」の他は、fatiguéとか、マリアージュとか、トリステとか、ヴォヤージュだけ しかなかった。

この会を知らせて下さったとしゆきさんとは、休憩時にお目にかかることができた。としゆきさんの ホームページには何枚かの写真があるが、当日私が認識できるかどうか不安だった。私の顔の認識能力は 常人に比べて非常に劣る。 会場に着いてほどなく、私達のすぐ後ろに座った方が、その写真のお顔とよく似ていたのだが、 ひょっとして違うお人かもしれず、声をかけられぬまま前半の演奏に入ってしまった。 休憩になり、ロビーに出てみると、この方がワイングラスを手にもって飲んでいた。 ひょっとするとやはりと思い、私は黒ビールを頼んで、ひとくち飲んだ勢いで話し掛けてみると、 果たしてとしゆきさんだった。輝かしいコンクール歴から推してひょっとして...と思ったが、いざ話してみると、 気さくでとても楽しい方だった。としゆきさんには私の素性は知られていて、 共通の知人の話とか、最近テレビで見た映画の話とかをした。


次の曲

実は、八重洲で行う演奏会の曲目についてはきちんと決まっていない。 そんなもんで、3/25の練習では、腹案を持っていった。これで行きましょう、ということになった。


アマデウス

今日は知人の出演する 東京アマデウス管弦楽団 (tokyo-amadeus.jp)の演奏を聴きに行く。 演奏はなかなかよかった。特にピッコロの高音の響きがよかった。 また、チェロの中低音も健闘していた。


ミュージックの日

今日3月19日は「今日は何の日」で調べたら、この日はミュージックの日であった。 これはなかなか気に入った。


グールドの映画

3月15日、テアトル銀座シネマでグレン・グールドの出てくる映画を見た。 原題は Off the record, On the record という。 行ってみてびっくり、私が着いた開演10分前には席が埋まっていて、私は立ち見になってしまった。 実際は映画館からざぶとんを借りて後ろの廊下に座ってみることができたが、スクリーンからは遠いし、 足腰が痛くなってしまった。これはひょっとして消防法違反ではなかろうか。

映画のかかる前、グールドが弾いたと思しき、平均率第1巻の変イ長調のフーガと 嬰ト短調のプレリュードが流れていた。心意気はよしとしたいが、いかんせん音が半音高い。 これではイメージぶちこわしである。

かなり長いと感じた20分程度の予告編のあとで、2編まとめた彼の映画が始まった。有名な彼の歌声 (オブリガート)がピアノを弾いているときに必ず聴こえてきたのは喝采した。だいたい、 日本のピアノ教師は、そこは歌って、などと稽古のときに口先ではいうが、実際に歌える先生は そういない。グールドのオブリガートはひじょうにうまく、リズム感も抜群である。

レコードで彼のオブリガートがうるさく聞こえると一般に認識される理由は、不必要に彼の歌を 削ってしまったからだろう、というのが私の結論である。

ところで、私は映画を見ながら、つい没入してしまった。彼の弾くバッハの「パルティータ第2番」とか 「イタリア協奏曲」とかを指を動かしながら見ていたのだ。傍からみれば迷惑だったろう。


久しぶりの本番

きょうは川鉄合唱団30周年の記念行事で、合唱団の一員として歌った。 場所は蒲田駅近くにある区の文化会館。アプリコという名前だそうだ。 合唱団はまあまあの出来だったのではと思える。 私はその他にソロの先生の伴奏のピアノの譜めくりをおおせつかった。 ソロは全部で3曲。リヒャルト・シュトラウスの作品である。 よく思い出せないのだが、おそらく「あなたの眼差しが私を見たときから」、「セレナード」、「献呈」であろう。 最後の曲は間違いない。私が伴奏したこともあり、私が歌った(!)こともあるからだ。 まん中の曲も非常に有名なはず。伴奏を聞けばなるほど、あれだとわかるのだが、いかんせん当日のプログラムにも 記載されていないのだ。

で私はパーティーが始まってからしこたま酔っぱらった。別にかまわないだろう。 合唱団の古株はけっこうみな歌えるので驚いた。みな親密な付き合いをしたのだなあと思った。 今なら、とてもこんな付き合いはできないだろう。じつは合唱団の合宿でのとある事件を思い出したのだ。 それはないしょ。


合唱団で歌う

きのう指揮をする側にいたと思ったら、きょうは指揮のもとで歌う側にまわっている。どちらも同じ自分なのが 信じられない。 バッハのミサ曲はだいたい覚えた。ロッシーニの合唱曲はあまり覚えていないけれど感触でなんとかなる。 もちろん、ほかの合唱団員は覚えることなどこれっぽっちも考えていないようだ。


久しぶりの指揮

2週間ぶりの八重洲である。普段はチェロで参加するが、ゆえあって楽器を持たずテブラで参加した。 そこでということでもないが、指揮をすることにした。本来の指揮者は4月になってから出てくる予定である。 さて、ドボルザークを振ってみたところ、疲れた。肉体的な疲れもさることながら、 精神的な疲れもけっこう大きいのに驚いた。わたしのような脳天気な者でも、けっこうこたえることがあるものだ。


音楽数題

小生のフォーレのページに興味をもっていらっしゃる方から、"Spleen"のMIDIデータをいただいた。 ありがたいことだ。テンポや強弱に気を配っていることがよくわかる。

同じくフォーレに関連した話題。Nightingale というソフトに、スコアを読み込んで Nightingale 形式に 変換する機能がある。これを使って、「シャイロック」の「夜想曲」が変換できるかを試してみた。 結果は散々で、まともに認識できた個所はどのパートにも、1小節たりとてなかった。 スコアの印刷があまりきれいではないことが主な原因であろう。

本当は、この夜想曲を MIDI に変換できたら、 あるページにおいてもらおうかなと思っていたのだ。 この部屋では、ホームページをもっている弦楽合奏団に関してのリンクを募集している。 もうすぐ、まともな八重洲のページを作ろうと思っている。 あとで見てみたら、すでにすばらしい仕上がりの夜想曲があった。もう私は何もできない。

私の所属しているあるメーリングリストで、グールドの話題が出た。 返事を書いたあとで、彼の演奏を聴いてみようとしてジャケットをあけたら、CDがなかった!


八重洲

きょうは練習に来たのが4人と寂しかった。 それでもドヴォルザークを通して練習してみた。私がいろいろきついことをいうので 「最近厳しくなったね」と言われた。私は、「いや、チャイコフスキーなら気合いで通るかもしれないけれど、 ドヴォルザークはたぶんそうはいかないよ」と答えた。いや、本当にそうだ。


河合さん演奏会

河合さんは現在愛知県にお住まいであるが、今回特別に関東のH市でコンサートを行うこととなった。 かつての仲間の S さん、T 教の主の T さん、U さん、Yさん夫妻らが客として聴きに行った。 びっくりしたのがピアノであった。ベーゼンドルファーの中型で、非常にいい音がする。 だいたい、場所がふつうの寺の集会所であるので2度びっくりした。 曲目は1月のコンサートと同じであった。アンコールは、ショパンの子守唄とプーランクの「愛の小径」と いうしゃれた小品だった。 河合さんの演奏も、前回のときよりさらによかったのではないかと思う。 ちなみに場所はこちら、書き込みは河合さんの字である。

ここまではまだいいだろう。演奏会のあとに、会場でワインとパウンドケーキがふるまわれたので 再度びっくりしたが、こちらは適当に飲み食いしてここまであろうということでいろいろ喋ったのであった。

さて帰ろうとしたのであるが、寺の方が「これから打ち上げをやるのでご一緒しませんか」 と声をかけてきたのだ。なんだかんだ迷っていたが、根がいやしい我々ゆえ、お言葉に甘えてしまった。 Yさん夫妻は用事があって帰った。しかしS,T,Uの各氏とわたしは、河合さんと寺の住職、関係者の方々と一献 酌み交わすことになってしまった。 なぜこんなことを寺でやるのかとわれわれが住職に問うと、付近の人たちの集会としてやっているまでで、 昔の寺の精神を受け継いでいるだけだ、と答えた。さらに、開くどころか、なぜ寺と何の関係のない私達を 呼び寄せてもてなすのか、とやはりわれわれが尋ねると、自分が外に出かけられないから、こうやって いろいろな人を交えて話をするのが楽しいのだ、と語ってくれた。そんなこんなで、科学のこと、科学で ないこと、荒行のこと、養老(孟司)さんや安藤(忠雄)さんや竹内(均)さんや清水(義範)さんや 今となってはよくわけのわからんことを皆でああだこうだいっていた。するといつのまにか 場にいる人が住職とわれわれ4人だけになってしまった。

そうなるとずうずうしいに輪をかけたわれわれは、ピアノを弾かせてくれと願い出た。住職はこころよく 許してくれた。奥様は「手だけはきれいにしてくださいね」と一言注意して下さった。 そうして5人はなんだかんだ弾き出した。 一番弁のたつ S さんはバッハの平均率クラヴィーア曲集第1巻より「前奏曲」 (要するにグノーの「アヴェ・マリア」の伴奏)や、 シューマンのトロイメライを弾いて、至極御満悦だった。 T さんは EL & P の「タルカス」を披露してくれた (住職曰く、自分が初めて買ったロックが EL & P だった)。 U さんは昔とった杵柄で、ゴールトベルク変奏曲の主題と第1変奏と 第30変奏、そしてベートーヴェンの28番ソナタの終楽章を弾ききった。私はフォーレの第六番の 夜想曲の最初(16音符が出てくるところは弾かなかった)とスカルラッティの K.380 (L.23) を こわごわ鳴らした。河合さんはさすがで「亜麻色の髪の乙女」をさらりと描いてみせた。

なんだかんだいって、相変わらずピアノの前に立つと我を忘れてしまう私達だった。

最後に住職自慢のオーディオ装置を聴くことにした。S さんの提起する「CDとレコードの音質の違い」、 「真空管アンプとソリッドステートアンプの音質の違い」なんか、本当にわかるのかなという問いかけに 答える形で、住職がいろいろと聞かせてくれたのだ。まず最初はケンプの「皇帝」をレコードで聴いた。 次にレコードとCDとで、打楽器中心の現代音楽のようなものを真空管アンプどうしで聴いて比較した。 音の違いがあることは私にもわかったし、S さんも、みなもわかったようだ。ただ、自分がどちらを よしとするかは、まだ各自の中での判断はつかないようだった。住職の言うには、「CDは絹豆腐、 レコードは木綿豆腐だ。CDはのど越しがいいかもしれないが、味わいが少ない。レコードは味わいが ある」という(もう聴いた時によっぱらっていたから喩えの細かなことは忘れてしまった)。 ちなみに、時間も押し迫っていたため真空管とソリッドステートの聴きくらべまではできなかったが、 レコードとCDの区別より、もっとよくわかるという。

ということで、お寺を辞したのはかなり遅くなってのことだった。ちなみに私は終電車でかろうじて 帰ることができた。


カラオケ道

以前「カラオケ道」なるものについて書きたいと記した。一ヶ月立ったこともあり、書くことにした。

だいたい芸人たるものは、客に尻を向けてはいけない。 指揮者が唯一の例外であり、その他は素人であろうが なんだろうが客の目を見て芸をするのだ。ところが、カラオケは芸であるにもかかわらず、客を見ない。 あれは何だろうか。

私は昔からカラオケが嫌いだ。なぜかというと、伴奏がばかだからだ。 昔の流しのギターならば、客の調子に合わせて伴奏をしていた。 カラオケのカラは脳みそがカラという意味なのだろう、 音程が悪くてもリズムがずれてもおかまいなしである。ああいうのは、ピアノ弾きのはしくれたる私には 非常に腹が立つ。

私がカラオケなるものに初めて行ったのは社会人になってからだ。 どういうわけか私の所属した部門の長は ピアノを弾く人だった。なんでも学生時代にアルバイトでタンゴを弾いてかなり儲けたらしい。 そんなことはどうでもいい。ある飲み会があり、 この人が行きつけのスナックに行こうと私を誘ってくれた。 後についていって入ったところ、 ピアノはあったがカラオケ装置の台として使われておらず、 ピアノの蓋が開けられない状態だった。 カラオケが嫌いになったのはこの象徴的な一件があったからだ。

カラオケが嫌いだからといっても、酒は好きだからどうしたって二次会、三次会と行く。そういう場で カラオケが置いてあるのはごく当たり前のことになった。そうすると、私も歌わざるを得ない。 そんなこんなで何を歌えばいいのかわからないままに過ごしていたある日、こんなことがあった。

職場の飲み会だったか、学生勧誘だったかで、二次会へ行った。その席で先輩が「氷雨」を歌った。 その方はいい低音で歌ったのだが、いっては悪いが音痴だったのだ。 しかもただの音痴ではなく、 カラオケのメロディーのちょうど短三度低い音程で最初から最後まで歌い切ったのだ。 わたしはこの歌にいたく感動した。この事実を誰彼となく話したくてたまらなくなったのだ。

そして、翌日、職場の机に「氷雨」とメモをして置いておいた。 これを見た職場のおじさんが、「お、まるちゃん、 氷雨歌うの、じゃ俺あしたテープもってくるから、今度の飲み会までに練習しておいてよ」 と有無を言わさず畳み掛けてきた。 私は前日のできごとを言うわけにもいかず、適当に返事しておいた。 一応部屋に帰ってから練習はした。

さて、飲み会で「氷雨」を披露することになった。まじめに歌ったあと、そのおじさんがいうには、 「だめだめ、心がこもってない。歌う時には相手を見ないと。何をいいたいかを、 ちゃんとお客さんの目を見て探るんだよ。」 かくして、飲み会には私が必ず「氷雨」を歌うことになってしまった。

このできごとがきっかけで、 私は歌詞を(少なくとも一番は)そらで覚えている歌しか歌えなくなってしまった。 それはどうでもいいのだが、最近のカラオケは自分だけがなりまくっている奴が増えてきた。 まるで自分のストレス発散の場にだけ場を利用しているようだ。これでは迷惑だ。しかし、皆のてまえ、 そんなことはいえない。大体、うるさくて伝わらない。

少なくとも一番はそらで覚えているという厳しい条件がついたため、持ち歌は非常に少ない。 私の持ち歌は次に限られてしまった。

こうやって挙げたからといって、喜んで歌うのではありませんから、念のため。 学生時代、隣の研究室にはかたぶつの先生がいた。カラオケへいったら何も歌う歌がなくて、 君が代をアカペラで歌ったほどである。君が代は嫌いだが、この先生は見習いたい。


ドヴォルザークの曲

本当の練習日誌を書くのは久しぶりのような気がする。

土曜には何人かが集まって、2時間でドヴォルザークの弦楽セレナードを通して弾いてみた。 とてもできるはずがないだろうと思う。

とはいっても、やはりあとの飲み会で、ああでもないこうでもないという意見が出る。 大丈夫だろうか。


河合先生のコンサート

河合先生のコンサートにつれあいとともに行ってきた。 会場にはかつての仲間が大勢いた。 その他、零の会の方々も来ていた。 私はKoikeさんと同じテーブルにつれあいと座った。 全曲楽しむことができた。個人的にはいろいろ思うところがあるが、それらをここで記しても仕方がない。

演奏会後、あとはかつての仲間のうちの何人かと打ち上げに行った。最初の話題は阪神・淡路大震災であったり、 JCOの事故だったりと、卒業してから社会に出てきたということを実感するものだった。 みんなの話し方も、内容も面白く、たちまちのうちに時間は過ぎてしまった。この仲間の恒例通り、 飲み物も食い物もすべて平らげてからお開きとなった。

翌日メールを見たところ、Koikeさんが演奏会の感想をその日のうちに送って来てくれたのに気が付いた。 ありがたいことだ。わたしもKoikeさんと 全く同じ感想をもった。


初練習

八重洲室内アンサンブルでドボルザークの弦楽セレナードをやることになった。 練習しなければならないのではないかと思い、久しぶりに自宅で練習することにした。 チェロを開けたら弦が弛んでいて、調弦に30分以上かかってしまった。 第1楽章の緩いところだけ30分程度練習する。

チェロを練習したのはもう一つ、ピアノの師匠の Y さんからデュオをやろうと持ちかけられたこともある。 以前はピアノ2台でやっていたのだが、 なかなかピアノが2台あるところがなく、今は私がターヘなチェロでやることになっている。 で、以前に Y さんに買ってもらったバルトークの「ルーマニア民俗舞曲」のヴァイオリン編曲版があったので、 自宅で少し弾いてみようと思った。チェロでは全く弾けない。 それでも、それらしい音を出していると気分がいいので、 真似事をやってみた。下の人は迷惑だろうな。

一時間ほど音を出していたら気分がよくなって、フォーレのチェロソナタを少し (第1番の第3楽章と第2番の第1楽章)弾いてみた。 自分で弾いてみると、聴いているだけでは気付かなかったところが見えてくる。それにしても下手だなあ。

まりんきょ学問所まりんきょと音楽 > 練習日誌(2000年)


MARUYAMA Satosi