フォーレ:主題と変奏 Op.73

作成日:1998-10-03
最終更新日:

フォーレと変奏曲

フォーレは大規模なピアノ独奏曲を二曲しか書いていない。 一つはバラード Op.19 であり、 もう一つはこの「主題と変奏」Op.73 である。なお、曲のタイトルに主題の調性である「嬰ハ短調」を付加している場合もある。 彼はこの曲以外に、変奏曲の形態をとった作品(楽章)を残していない。 フォーレは変奏曲が不得意だったのだろうか、というちゃちゃはさておき、この変奏曲をみていこう。

主題はABA'BA'からなる。主題の特徴は下記の通り、あまり面白みのないものである。

もっとも、変奏をするのに主題が面白くては あとの展開のしがいがないともいえる。 最初この主題を聞いた時は、 なんだか重い荷物を上りの坂道でよっこいしょと引き揚げているもったりした曲だと感じた。

ある人曰く、この曲の最初の 4 小節を聞いただけでそのピアニストの資質がわかってしまうほど、大変な曲である、と。 私はこれほどまでには考えないが、甘いのかもしれない。

全部で変奏は 11 を数えるが、最後の変奏を除いてすべて嬰ハ短調であり、主題の調と変わらない。 またフォーレ的な転調の妙が出てくるのは第 9 変奏以降である。したがって他の変奏曲と比べて変化に乏しい感がする。 ここをどう乗り越えていくかがピアニストの腕の見せ所である。 次に、各変奏の特徴を概観してみよう。 より詳しい分析は、 Pierre さんのページ (原サイトはリンク切れ。上記は web.archive.org から)を参照していただきたい。

第1変奏は、主題旋律と全く同じ旋律で最低音(ピアノではほとんど左手小指)で奏される。 テンポも主題と同じである。 右手は16分音符の対旋律であり、隣接した音階の上昇および下降によって形作られている。 主題では右手と左手が、ともに上昇や下降の方向が一致していたが、 この第1変奏では、低音上昇時は高音が下降し、低音下降時は高音が上昇している。 こういった工夫が、曲を面白く聴かせている。

第2変奏は、テンポが早くなり、動きが細かくなる。 A部分では、低音の分散和音と高音の4度順次上昇進行からなる2拍の単位が、変奏を盛り上げる。 B部分では4声が意識され、拍頭で支えるベース、 分散和音により進行を司るテナー、半音階で逡巡するアルト、 拍頭ベースより16分音符だけ遅れてカノンとなるソプラノが一体となって、緊張感を高める。 A'部分はA部分より4度高く開始される。なぜ、と思うがこれは主題部での和声がAとA'で違うためである。 主題部ではAとA'はメロディーは高さも含めて厳密に同じだが和声は違う。 この第2変奏では、和声の変化をメロディーの高さを変えることで処理した。 こういった工夫も興味深い。 この変奏ではA'部分は嬰ヘ短調から出発し、嬰ハ短調で終る。Aでは出発も終結も嬰ハ短調だから、 A'を嬰ハ短調で終らせるために、フォーレは絶妙な和声を挿入した。 右手3度の進行の部分である(ここだけ3度)。(2005-11-27)

第3変奏は、3拍子となる。3連符が1拍おきに挟まり、ヘミオラ風に始まる。 しかし、頂点部分と中間部分は、3連符となる拍は固定され、3拍子が守られる。 リズムの揺れの処理が難しい。

第4変奏は、同じ3拍子であるが、より細かい16分音符の流れとなる。 原メロディーは中声部に表れ、かつ 装飾する高音、低音はともに前打音により幅広い音型となり、 大きなうねりが作られる。 指が瞬時に、正確に移動できるような訓練が必要だ。

第5変奏も同じ3拍子であるが、流れが8分音符と緩やかになる。 メロディーは右手であるが、左手は3度または6度で右手とは反行する。 左手の重音のバランスが肝要となる。

第1変奏から第5変奏までが第1部とすれば、第6変奏からは第2部といえるだろう。 第6変奏は4拍子に戻るが、より歩みは遅くなる。 第1変奏と同様、主題は最低音になるが、オクターブで補強される。 その合間に、左手は中音で後打ちし、 右手の合の手のメロディーが少しずつ姿を変えて表れ、高貴な曲である。

第7変奏は、動きが再度生じるカノン風の4声体プレリュードである。 中間部の後打ち音型は、第9変奏のスタイルを予告している。

第8変奏は、同じ4声であるが、音の動きを極限まで減らしている。 禁欲的な時間が漂う。

第9変奏から第11変奏までの3曲は、フォーレの資質が最大限に発揮された、 この変奏曲の真骨頂である。 第9変奏は、第7変奏中間部で予告された後打ちではじまり、 高音3度の下降音形が絶妙の和声を伴い収まる。この変奏曲の白眉といってよい。 中間部は再び後打ち音型となるが、和声はより厳しさを増す。

第10変奏は3/8拍子となり、急速な音階で推移する。 和声も次々代わり、最後には爆発する。

第11変奏は3/4拍子と4/4拍子の混合。最初で最後の転調である。しかも、シャープ7つという嬰ハ長調である。 主題は緩やかに最低音で表れるが、 長調どうしの不思議な転調が、聞く者をマッサージしてくれる。 (以上、第3変奏から第11変奏まで、2007年6月2日初稿、2009年8月1日改稿)

前奏曲集との類似性

この主題と変奏は、前奏曲集との類似性があるようだ。 特に、変奏曲の9, 10, 11の三つ組み、と前奏曲集の 7, 8, 9 の三つ組みは 性格が似ている。最初の繊細な音作り、中間の急速な推移と転調、最後の落ち着き(拍子が交替するところも含む)などが、 その根拠である。

全体を見ても、第2変奏と前奏曲第2番とは練習曲風の細かな動きがある。 また、第3変奏と前奏曲第5番では、3拍子に現れる1拍を2分割するか、3分割するかのリズムの妙が提示されている。 そして、第7変奏と前奏曲第6番では、カノンの扱いがともに見られる。

個人的体験

私はある機会にこの曲を弾いたことがある。時は1982年5月。私の演奏に触れられているアンケートが二通あった。 ひとつは「女みたいでした」。もう一つは「非常によかった」。 この曲の第 9 変奏は白眉である。それだけに緊張する。右手が三度で降りてくるところは非常に美しい。 だから私がこの曲を聞くときもここに注意する。あるピアニストはこの降りる前で間を取りすぎていた。 また別のあるピアニストは左手をミスしたため以降の演奏の集中力を失ったようだった。本当に難しい。

第 10 変奏では最初は右手が、後には左手が後打ちの和音を入れて盛り上がる。この入りのタイミングが難しく、 個人差がある。後輩のFさんがこの変奏を弾くのを聞いて、リズムがおかしいとこちらがちゃちゃを入れたところ、 いや私の方が正しいと言い合いになり、楽器屋へ行って楽譜見て決着つけようじゃないかとまでなったことがあった。 結局どちらが正しかったのかは覚えていない。俺の方が折れたのだろうか。

そうそう、逆に私がこの曲を弾いているのをFさんに聞かれたことがある。 第 9 変奏を弾いていたら「こんなふうに弾くんですか」とえらく憤慨している。 私は「ここはミスさえしなければいいところだ」と主張した。私の弾き方があっさりしすぎたらしい。 Fさんの演奏を聴いたところ、確かにゆっくり念入りに弾いていた。これはこれで立派な弾き方だと思った。

「主題と変奏」の知名度

私をフォーレの世界に引き入れてくれたSさんは、演奏会でこれを弾いたことがあるという。 そして私と言い争ったFさんやその外の方がアマチュアだが立派に弾いている。 私の知り合いのプロのKさんもレパートリーの一つに入れている。そして、 以前私も参加した桃源会の大演奏会でこの「主題と変奏」をひく方がいらっしゃった。 演奏者は高い技量をもつ OB の M さんである。 確実にこの曲の知名度は上がっている。

その1998年11月8日、Mさんのピアノで久しぶりに生の「主題と変奏」を聞いた。 Libera me の編曲をしたYさんと一緒に聞いていて、 Yさんが「これは懺悔の曲だな」ともらすのを苦笑しながら聞いていた。 第6変奏のあたりだったから、さもありなん。 Mさんの演奏はさすがであり、Yさんの「崩しかたが絶妙なんだよね。 楕円軌道で短径と長径の比が100:103くらいに聞こえてそれがちょうどいいんだ。 100:105になるともうよたよたしてしまう。」という感想に同意した。後に帰り道で一緒になった T さんとも 「Mさんの『主題と変奏』はよかった。和音がきれいだった」という話をした。まだまだ日本も捨てたものではない。

付記:日本で 2004 年まで、アマチュアピアノコンクールというものが年に一度開かれていた。 1999 年のコンクールで入賞した方の中に、本選でこの主題と変奏を弾いた方がいるようだ。(1999 8/21)

ある解釈

千々岩さんのフォーレのヴァイオリンソナタ第2番があった演奏会で、私が師匠と崇めている T さんと出会った。 この T さんは、上で M さんの演奏を讃えた方である。 なんでも、 T さんも主題と変奏を練習している最中なのだそうだ。T さんは私にこう尋ねた。

「フォーレの主題と変奏で、第 7 変奏に疑問がある。 楽譜(インターナショナル版)にはダブルシャープで書いてあるのに、ジャン・ユボーは単なるシャープで 弾いている。見解を聞かせてほしい」

私が弾いたのはかれこれもう 15 年以上前である。すぐにどの部分か反応できなかった。

家に着いてからあと、手許の春秋社版で確認した。142 小節 3 拍目、 春秋社版に ##f (fisis) として記載されている音符を、 ユボーは#f (fis) で弾いているのではないかということだろう。

上記譜面は、符尾の方向や位置など、春秋社版とは異なることに注意。 また、春秋社版を含め市販楽譜では 140 小節の第4拍、左手は G となっているが、上記譜面の通り Gis が正しい。

春秋社版の校訂ノートを見たが、この個所は触れられていない。 私が思うに、これはダブルシャープでなく、シングルシャープではないだろうか。私もシングルで弾く。 理由は特になく、直感に過ぎなかった。 しかし、直感だけだと何なので、次のように理屈を考えてみた。 この第 7 変奏の開始 2 小節の最上声部を見てみる。最初の小節(135小節)と次の小節(136小節)では、 リズムのパターンは同じでありながら、全音/半音進行のパターンが微妙に異なる対比がなされている。 これら2つのパターンが展開されるにあたり、対比の妙を描くにはできるだけ正確にいずれかのパターンに 従っていたほうが望ましい。該当の個所は 136 小節のパターンに該当するためダブルシャープでなく シングルシャープであろう (なお、最初の小節と次の小節は、上記 Pierre さんのページの譜例でわかる)。 ただ、もとのアメル版はどうなっているかわからない。インターナショナルがアメルを踏襲したといっているので おそらくは変わらないであろうが、気にはなる。本当は、墓の下のフォーレに聞ければ一番いいのだが。

なお、他のCDでどうなっているか心配だったので、NAXOS レーベルのジャン・マルタンのも聴いてみた。 ユボーと同じ、シングルの #f だった。

この T さんも「主題と変奏」を弾くことが最近わかった。これは何としても聴かねばの娘、と思ったのだが、 当日に用事を入れてしまい、聴くことができなかった。仕方なく、私がもっている3種類の演奏を聴いて、 自分ならばこう弾くという思い込みを持った練習をして、T さんの演奏を応援することにした。 どうもすいません。

付記:井上二葉さんの生演奏では、ダブルシャープだった(2000 11/23)。 CD ではポール・クロスリー、 ジャン・ドワイヤン、キャスリン・ストット、ヴラド・ペルルミュテールも同様にダブルシャープであった。 一方、猿木宜子さんの演奏では、シングルシャープであったことを付記する。

2005年11月17日に聴いた、岡田博美さんの演奏では、シングルシャープであった。 (2005-11-27)

演奏時間

ある掲示板で、 主題と変奏の演奏時間を教えてほしい、という質問が出た。 別の方が、ペルルミュテールでは 14 分と少し、という返事をした。 質問の主は、それなら私でも弾ける、という感想を述べていた。

曲を演奏するのに演奏時間だけで決めることはあまりにも危険だと思う。 なんといっても自分がその曲に合うかどうかが問題なのだから、 曲を聞いていなかったということなのだろう。 曲を聞いたこともなくよく弾けると判断したものである。

私はペルルミュテールの演奏した音盤は長い間持っていなかったが、2004年5月5日に入手した。 14 分 9 秒であった。他の演奏者を調べると、ジャン・マルタンでは 17 分 4 秒とあった。

ついでに、技巧的に難しいのは第 2 変奏と第 10 変奏、音楽的に難しいのは第 9 変奏と第 11 変奏と 私は勝手に思っている。

時間については、かくいう私も気にしたことはある。 1982 年に人様の前で弾いたとき、持ち時間は 15 分以内という制限があったので、 この曲がどれだけ時間がかかるか調べなければならなかった。第 4 変奏と第 8 変奏の繰り返しを省略すれば、 15 分以内には収まることを確認した。

主題の類似

今までうかつにも気が付かなかったが、複数の主題が上行音階と下行音階からなり、 かつ徹底的に展開されるという曲をフォーレは既に作っている。 それは、 ピアノと弦のための四重奏曲の第1番第4楽章である。 四重奏曲の第4楽章は Allegro Molto であり、速度は一定のままである。 そして、第1主題は付点音符つきの上行音階で 推移主題の後半部に付点音符のつかない下行音階でそれぞれ提示され、かつ展開される。 一方、この主題と変奏では、一つの主題に下行音階と上行音階を盛り込むとともに、 楽器間の対照による展開の代わりにリズムと速度の変化による展開を尽くしている。 両者の比較の観点からの研究が望まれる(2019-09-14) 。

演奏について

ジャン・ドワイヤン

私が 1982 年にこの曲を練習していた頃に参考にしたのはドワイヤンの演奏だった。 主題の速めのテンポ、多めに使うペダルを 2002 年に手に入れた CD で聴いて、 当時の私の弾き方と同じであることを再確認したのだった。 もちろん、当時から違うこともあった。第九変奏は、自分が最善と信じたテンポよりいくぶん遅い(もっとも、 私の理想のテンポはプロのピアニストの誰よりも速い)。 もう 20 年も経ってしまうと、思い出も風化するということがよくわかった。

今聴き直してみると、ドワイヤンの演奏にも注文をつけたくなる個所があることがわかった。 ただ、妙な味付けがこの演奏にはない。それが、この曲と合うと私は信じている。 たとえば、第11変奏のあっけなさ、そっけなさはここまで他のピアニストでは徹底できないのではないか。 技術的に優れた演奏があることは百も承知の上で、これからもよく聴いていく演奏になる。

ジェルメール=ティッサン・バランタン

主題のペダリングは独特で、聴き手をはっとさせる効果がある。 第2変奏、第9変奏は、私が標準と思うテンポでしっかり弾いている。 ただ、第9変奏は、アクセントが少し唐突に聞こえる。 最後の第11変奏は、もう少し落ち着いた趣があってもいいのではないか。 全体に中低音の音が強く、高音のきらめきに欠ける。しかし、録音時代のせいかもしれない。 手が小さいためか、かなりの和音をアルペジオで弾いている。これが落ち着かなく聞こえる原因だろう。 それでも、楽しめた。

ヴラド・ペルルミュテール

演奏時間の項でも触れた通り、時間は数ある演奏の中で短い。 しかし、全体としては速い印象は与えない。 第9変奏はいい。 思い入れを抑えて淡々と歌っているが、3度の下降部分は高音のきらめきを生かしていて強い印象を与える。 また、第11変奏では声部を独立して歌わせている。これほど声部が際立って浮き立っている演奏はない。 一方で、細かなリズムの取り方は万全ではない。例えば第5変奏の最後で、 右手オクターブに対する前打音がバロック時代の奏法のように前に出てしまっている。 しかし、こういった些細なキズを除いては、模範となる演奏だろう。(2004-05-05)

岡田博美

2005年11月17日、東京文化会館小ホールで開かれたリサイタルの印象である。 どこをとっても乱れがない。無敵である。 クレッシェンドは遅めであった。つまり、弱音の部分を長くし 強音に達する直前に盛り上げるようだった(第3変奏、第10変奏)。これがいいのかもしれない。 ペダルの細かい使い方も気に入った(第8変奏)。 第10変奏では、左手に9度を要求するところがあり、楽譜によっては、 アルペジオでとるようにしている。しかし、岡田さんは同時に打っていた。 手が大きいからかもしれないが、右手で取っていたからかもしれない。 この場合はアルペジオにしないのが適切だと思っているので、我が意を得たりであった。 (2005-11-27)

ジャン・ユボー

表情は抑制されている。遅いテンポの第9変奏と第11変奏は出色だが、 早いテンポの第2変奏と第10変奏に弱点がある。特に、第10変奏の後打ちが、 最高潮の前後(p.248以降)、第2拍で出ずに、第3拍から出てしまうのが問題である。(2009-07-30)

キャスリン・ストット

技術的には申し分ない。表情も濃い。第11変奏のある箇所で、他の奏者とは違う音を弾いている。 譜読みの問題か、あるいは自筆譜を見ての解釈かはわからないが、 私は譜読みの過ちに思える。(2009-07-30)

上記の譜例で説明する(テナー声部を左手に移しているが)。 楽譜では 321 小節第1拍、アルトが前小節 Gis からのタイでつながるところ、 ストットは G に打ち直している。 これは、おそらくソプラノ H のナチュラルが G にかかるものと勘違いしたのではないか。 バスが A になっているので、Gis のタイとで生まれる増7度の響きがいい箇所であるだけに 残念だ (2009-08-02)。

ジャン=フィリップ・コラール

技術的な問題はない。表情づけと抑制のバランスが取れている。(2009-07-30)

ポール・クロスリー

技巧は冴えている。表情づけもうまく、彼の前奏曲集で感じられる嫌味は少ない。(2009-08-01)

ジャン・マルタン

落ち着いた曲作りはいいのだが、第2変奏などで要求される技術が今ひとつである。(2009-08-01)

その他

その他、未聴の音源には次のものがある。

まりんきょ学問所フォーレの部屋 > 主題と変奏


MARUYAMA Satosi