練習日誌(2002年)

作成日:2002-01-12
最終更新日:

2002年、自分が歌ったり弾いたりしたときの練習の記録です。最近は練習をさぼっているので 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 2001 年の練習日誌2003 年の練習日誌もあります。


ポール・マッカートニーの実演

つれあいは、ポール・マッカートニーにぞっこんである。 つれあいの話では、 あるときテレビに「ポール・マ...」さんが出るという予告を見て楽しみにしていたのに、 出てきたのは「ポール牧」だった、という忌わしき事件があったそうだ。 それはともかく、ポール・マッカートニーが来日するので、 一緒に行きたいとわたしをそそのかした。私も生ポールを一度は見たいと思ったので、 両者の思惑が合致した。つれあいは11月14日実演の切符を2枚とった。

知り合いのピアノ愛好家のなかには、ホロヴィッツの5万円コンサートに行ったとか、 ミケランジェリのコンサートに行けてよかった、という人がいる。私はあまり大家には興味がない。 大家の良さがわからないともいえる。 ポール・マッカートニーは大物である。自慢にできるだろう。

このようにわたしの動機は不純である。つれあいは怒るだろう。しかし、まともな動機もある。 ビートルズの曲が聞きたい、その憧れがかなうのだ。

大物が出てくる前には、たいてい前座が出てくる。この実演でもそうだった。 前座は 30 分ぐらい演技をしていただろうか。 椅子に座り、前座が行う妙な演技をスクリーンで見ながら、 私が昔行った、よみうりランドの屋外コンサートを思い出した。 当時は金井克子の「他人の関係」が流行っていて、 真打は金井克子だったのだが、このときの前座が山口百恵だった。 まだ「ひと夏の経験」は出していない頃で、 一曲唄うたびに「ありがとうございました」とお辞儀していたことが印象に残っている。

さて真打ちが出てきた。 前座のときは座っていた人(わたしなど)も、ポールが出てからはみな立ち上がった。 さすがである。つれあいはかわいそうに前の人がじゃまで直接ポールの姿は拝めなかったようだ。 かわりに私がオペラグラスを使ってたっぷりと拝んだ。ポールの顔はふつうに唄っているときは端正で、 声を大きくあげて口を大きく開けたときに年期の入っていることを感じさせる。 この両者の対比が不思議だった。 たいていは、どちらの顔も若いか、老けているかだからだ。

ポールは疲れを見せない。これも不思議だった。 前半がギター(実際にはベース。小池さんの指摘に感謝する。 以下、わざとギターという表記のまま晒す)、 後半がキーボード、ピアノという構成は、 ギターを弾くときに立ち続けることによる疲れを、座ることでやわらげる工夫なのだろう。 それにしても、ギターはもちろん、ピアノもうまい。ツボははずさないので全くまいった。 歌にしても、こけたとわかったところは一ケ所しかなかった。たいしたものだ。

私はつれあいから、ビートルズの歌はもちろん、ウィングズやその他のポールの曲もかなり聞かされた。 私はビートルズの歌が曲として好きで、 ウィングズ以降は曲に深みがないような気がして聞くときに気合をあまり入れていなかった。 しかし、言い換えればそれだけ気楽に聞けるということでもあるし、事実実演を聞くと楽しい。 そんなこんなで、秋の夜長をたっぷり楽しめた。

ビートルズの曲の中で "The Long and Winding Road" を聞くと、 大学受験のためにひいこら勉強していた時のことを思い出す。 当時は高校の授業以外に大学受験ラジオ講座を聞いていた。その講座の英語では、 西尾孝、猪狩博などの有名な諸先生がいた。その中で、松山正男先生は英語の歌を題材に、 いろいろな講義をした。サイモン・アンド・ガーファンクルもこのとき知った。 ビートルズももちろんあった。取り上げられたのは2曲、"The Long and Winding Road" と "Yesterday" だった。大学受験でビートルズに親しんだというのも妙な体験だと思うが、 これは事実だ。ともかく、"The Long and Winding Road" をポールが歌い出したときに、 急に時間がうん十年前に戻ったかのように感じた。

最後のあたりで、私は持っていたペンライトを高く掲げ、3拍子や5拍子で振ったのだが、 ポールはずっと4拍子で歌い続け私の指揮を無視した。それだけのがんこさがあったから、 これだけ大成できたのだろう。(2002-11-15、修正 2010-06-12)


合唱団コンサート本番前後

いよいよ11月2日、 本番を迎えた。 朝はさわやかに起きた。つれあいは例によって不機嫌である。 なんとかなだめすかして御飯を作ってもらった。 時間も余裕を持って出た。集合は午前 10 時であったが、9 時半には着いていた。 私を含むベースパートは山台の設営担当であったが、既に有志により山台は設営されていた。

男性控え室に行くと、H さんが浮かぬ顔をしている。DAT を買ってくるのを忘れたという。 結局、昼休みに新宿まで行って買ってくることにするということだった。H さんいわく、 あれだけ準備していても抜けがあるものだ。

10:00 に練習が始まる。まだ全員は揃っていないが、始めないといけない。 M さんの指導で体操を 15 分かけて行う。

リハーサルは、最後のオペラから行う。なかなか合わない。 残り少なくなった時間で、プーランクとメンデルスゾーンをさらう。 メンデルスゾーンは土壇場で、音とり方法を変更した。当初は指揮者の調子笛によってとる予定で、 前回水曜日の練習までそうしていた。ところが、コーラスの音程がどんどん下がってしまう (わたしもそれは感じていた)。その理由は、調子笛では和声感覚がつかめず、それがつかめるまで下がってしまう、 ということだった。最初から和声がつかめれば下がることはないだろう、ということで、 本番ではピアノで指揮者が和声を叩くことにした。これでやってみると、確かに音程は下がらなくなった。

昼休みは、ホール近くで買ってきたおにぎりとサンドイッチで済ませる。誰かが「腕時計ははずすこと」 と厳命したので、みな腕時計ははずすことにした。 私は「ついでに音程もはずしていいですか」というと、M さんからどつかれた。

開場した。誰が入っているかはわからない。少しロビーをのぞくと、ポルトガルに今いる N さんが来ておられた。 挨拶をして、マリア・ジョアオ・ピレスがいるベルガイスに行ったかどうか聞いてみた。 まだだが、しばらくしたら行くでしょう、ということだった。

いよいよ来た。第一部、メンデルスゾーンである。5割程度の暗譜だったが、楽に歌えた。 とにかく音程が落ちないことを気をつけていたので、冒頭部はとくににやけた顔になったはずである。

第二部のプーランクも、まあできはよかったのではないかと思う。 完全暗譜もできたのだが、 ベースの T さんが出ていないため(Tさんはサンパウロからの出張からこちらに向かう途中)、 私は含めたバリトンはベース部分を(一部)歌わねばならなかった。 その部分は覚えていないので仕方なく譜面をちらちら見た。 あまり人の声や伴奏がどうだったか気に止めていなかったが、 第6曲“ Eja, Mater”で、F#minor に転調したすぐ後のピアノの連続和音がきちんと入っているかは気になった。 ピアニストの T さんは、きちんと弾いていたようだった。

第三部は不安な個所がいくつかあった。まず、「道化師」で必ずある個所がうまく歌えなかったが、 これはテナーと同じであったので、彼らの歌い方をまねしてなんとかなった。 「道化師」の途中からサンパウロからの出張から帰ってきたベースの T さんが来て、 芯が通るようになった。 「カヴァレリア・ルスティカーナ」では、最後の指揮者の振り方がどうも私のため方と違っていたようだった。 まあこれも適当にごまかしてなんとかなった。

アンコール(ヴェルディの「乾杯の歌」、訳は指揮の N 先生による)は、 団員が完全暗譜であったためよろめいたところもあった。 後半、合唱が分散和音のように歌うところはみな少しずつ歌詞がずれていたが、 特に問題はないようだった。当の指揮者自身だって、そこは間違ってもさほど関係ない、といったところだったし。

まあ、そんなこんなで、なんとか終わった。ベースの T さんは非常に疲れていたのだろう、 すぐ帰られた。私は、何人か呼んだ方々とお話をした。八重洲室内アンサンブルからも二人が来て下さった。 その内の一人がいうには、「合唱はこうやって終わったあとで話がすぐできていいねえ。 楽器があると楽器の片づけで時間がかかってすぐにはロビーには出てこられないから」 なるほど。挨拶が終わったあとで、合唱団の皆の記念写真を撮り、一段落する。

それから打ち上げの会場へと向かう。私が「このあたり」と見当をつけたあたりにはなかった。 地図がなかったのだから仕方がない。一緒に歩いていたピアニストの T さんの携帯電話がなった。 指揮者の N 先生からである。どうもわれわれが歩いた道は違うらしい。 引き返して別の方向に向かうと無事見つかった。

打ち上げの会場については、世話役の K さんから「OB には当日配ったけれど」とということであった。 私を初めとする合唱団の方にはあまり配っていなかったらしい。K さんも、 「なかなかうまいようにはいかないねえ」ということを言っていたように思う。まあ、いろいろあるようだ。 会場「南伊太利亜厨房 パラディソ」で始まった。 全部で現役・OB 合わせて50人くらいはいただろうか。結構混雑していた。 私は例によってガツガツ食うだけだった。スピーチを求められたので、 月並みに「いい曲ばかりを歌わせて頂きありがとうございました。...」と短く答えた。 いつもスピーチは下手である。

ガツガツ食っている最中に、Y さんから「そんなに食ってどうするんですか。二次会もありますよ」 とたしなめられた。私は「食べられるときに食べておきたいし、それに二次会には行かないかもしれない」と 答えた。Y さんは、えっ、という顔をしていた。

このときはまだ言葉とはうらはらに行ってもいいとは思っていた。しかし、 近くでたばこを吸う二人組がいたこと(この二人は現役ではない)、 前回3年前の演奏会で二次会に行ったときに非常に疲れたこと (このときは京浜東北線で蒲田から乗ったら、 乗り換えるべき秋葉原を乗り越して田端まで行ってしまった)、 つれあいから「飲み過ぎ注意」と厳命されていたこと、 それに何といってももうこの合唱団で歌うことも当分なしにしようと思っているのに、 二次会での話があまり長くなるとやはり合唱団にいたいと思い直してしまうのでこれは考えものだと決意したこと、 これらのことが重なって、一次会で失礼することにした。

帰ってからつれあいの感想を聞いた。これはあとで書くことに最初はしていたが、 たいしたことではないので、書かないことにした。期待された皆様、ごめんなさい。


リブレット

今度はマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の リブレットを作る (2002-10-12)。


将棋断ち

今日は昔だったら体育の日、休みだったのにと思いつつ、勤務先に出かける。

きのうは久しぶりに川鉄東京混声合唱団の練習に出かける。川崎製鐵(以下、川鉄)は NKK (日本鋼管)と合併した。正確にいうと、 両会社は JFE という持株会社を作り、両会社は JFE の下の会社となった。 ということで川鉄の中がどのように変わったのか興味はあった。しかし、表立って変わったところは、 JFE という名称とロゴマークがある看板があっただけで、 他はほとんど変わっていなかった。 さて、先の合宿で、指揮者から「メンデルスゾーンは暗譜をしなくてよいが、イタリアオペラはそのかわり暗譜すべし」 という命令が下った。それまで暗譜を一生懸命しようとしていた努力は無駄になってしまった。 わざわざ NHK のドイツ語講座を聞き、ドイツ語会話を見ていたのに、なんということだ。

きのう団員に聞いたら、ある団員は酒断ちをしたという。偉いと思う。 私はその話をビールを飲みながら聞いていたのだ。私も何か好きなものを断とう。 タバコを断つのは楽でいいが、私はもともと吸わないからあまり効き目がない。 他に、車を断つことも考えたが、ふだんは全く車に乗らないのでこれも効き目がない。仕方なく、毎日やっていたインターネット将棋 (別名電気将棋)をやめることにした。

その代わりの時間に暗譜を試みた。 手始めに、レオンカヴァッロの「道化師」のリブレット(オペラの台本)が、 インターネットのどこかにないかと探した。その場所にあったリブレットを移して手許の楽譜と比べた。 当然のことながら、リプレットの通りには自分のパートは書いていない。困った。 わずかに手直しして自分のページに載せて、 これとにらめっこしながら覚えようという魂胆である。つれあいは「将棋断ちなんてできるわけがない」 とせせら笑っている (2002-10-10)。

将棋断ちに関していえば、インターネット将棋はやらなくなって久しいが、コンピュータソフトとの対戦は今でもしている。(2016-03-20)


千葉ニュータウン中央での催し

ある方からのお誘いで、千葉ニュータウン中央にある、 北総花の丘公園(www.cue-net.or.jp)内の「花と緑の文化館」という建物の中で、 催し物があるから出てみてはということで出かけた。 (しかし、私はこの公園の名前も、建物の名前も知らされていなかった。 わかったのは、本物グランドピアノではなく、電子ピアノしかないということだけであった)。 私はこのときのために、 スカルラッティのソナタイ長調とフォーレの夜想曲第11番を練習して出かけた。

ところが、私を誘った方が、今日になって都合が悪くなって出られなくなったという。 おかげで、私が弾かなければならない曲目が急に増えた。準備していた曲がなかったので、 昔練習した曲と最近練習した曲をまぜて披露したが、練習していなかった曲のできは悪かった。 おまけに、時間進行がぜんぜんわからなかったので、 本来披露するはずだったフォーレの夜想曲第11番は、 結局弾かずじまいだった。がっかりである。 ちなみに、独奏で弾いた曲は次の通り。

当日いきなり頼まれて弾いた伴奏曲は次の通り。

「からす」なんて弾いたことが一度もなかった。ある方が編曲した楽譜を見ただけである。

ともあれ、疲れた。せっかく練習したフォーレの夜想曲第11番は、どこで弾こう。 ただ、今冷静に考えれば、聴衆はもともとこの公園に遊びに来て、 たまたま催しがあったから来た方たちだから、 あのような曲を弾いても全く見向きもされなかったろう。だから、弾かなくてよかったのだ。 それに、シューベルトの曲は、後で聴衆の方に「あの曲はよかったですねえ」と言われたから、 なぐさめられた。

帰りは、当日出演する予定だった方に途中まで送ってもらった。 私はめったに車には乗らないのだが、どういうわけか鉄道ではなく車に乗りたくなった。 その車の中で、モーツァルトの弦楽四重奏曲と、 ブラームスの弦楽五重奏曲の弦楽合奏版を聞かせてもらった。 これも収穫だった(2002-09-29)。


吉野直子 ハープリサイタル

今日は、標記のリサイタルを聴きに行った。 せっかく越谷に住んでいるのだから、斎藤雅広さんといい、今日の吉野さんといい、 越谷で行われる、名声のある方々のリサイタルを聴きに行かない手はない。 別の用事を(こっそり)断ってこちらにした。 曲目は次の通りである。

これを見ておわかりの方がいるだろうか。 とにかくこのフォーレの「塔の中の王妃」が聴きたかったのだ。

私の頭の中には、ニカノール・サバレタの流れるような淡々とした演奏が刷り込まれている。 最近買ったマーカス・クリンコのそれは、どこか頼りなく、心に届くものが少ない。 吉野さんの演奏はどうだろうか。固唾を飲んで待っていた。 サバレタの演奏に比べてかなり音の伸縮が大きく、自在であった。 このような演奏の解釈の仕方があるのかと、 改めて思った。それからこの曲はハープオリジナルとはいえ、 ハープの特性を十全に活かしているとは言いがたいのではないか。かなり難しいのではないだろうか。 ペダルの動きが他の曲と比較してもかなり頻繁だったようである。

ロビーで、フォーレの「即興曲」が入っている吉野さんの「ハープ リサイタル」というCD を買って、 リサイタル終了後サインをしてもらった。女性ばかり並んでいる列で待っているのは恥ずかしかった。

なお、アンコールは私が予想した通り「ドビュッシーのアラベスク第1番」であった (2002-09-21)。


ピアノの練習

今日から久しぶりにピアノの練習を再開することにした。練習するのは次の2曲である。

  1. スカルラッティ ソナタイ長調
  2. フォーレ 夜想曲第11番

私はこの二人の作曲家のホームページを開いていることもあり、久しぶりに合わせて取り上げてみたくなった。 近日ある場所で弾くことになるのだけれど、それはまあいい。 それにしても、難しい。スカルラッティは、あっけらかんとした何も考えて無さそうな曲だが、 それを伝えるのに技術がいる。フォーレは、知らない人が聞いたら現代音楽と勘違いしてしまいそうな曲である。 どうすれば「この世を超えた」感情を伝えることができるのだろうか、悩んでしまう (2002-09-15)。


八重洲本番

ついに八重洲室内アンサンブルの本番を迎えた。自分のチェロパートも大いに不安があったが、 さらに不安だったのがソロのシューベルトである。この予感は見事に適中した。 最初のOp.90-3 では右手の粒がきれいにそろわないし、左手のベースもつぎつぎと面白いように外れる。 テンポは伸縮自在といえば聞こえはいいが、 自分が弾きにくいところだけ間延びして指が滑るところだけ速くなるものだから、音楽にならない。 本当にがっかりである。 Op.90-4 は不安がさらに増大した。この日の午前中の練習でもうだめになることはわかっていたが、 分散和音の粒が本当に揃わない。右手の下降分散和音は同音連打があるので極めてそろえにくい。 練習不足が露呈してしまった。つれあいなど、同じ音型がこんなに続くとは思っていなかった、といっていた。 これは遠回しの表現ながら、退屈してイヤになったということだろう。

哲学者でアマチュアのジャズピアニストである土屋賢二さんは、「自分のライブは入場料をとる自信はないが、 退場料ならとれる自信がある」とエッセイでいう。 演奏途中でどうしても退場したい観客は退場料を支払わないとならない仕組みがあれば、 私でも確実に退場料がとれる。

打ち上げは2次会までだったが盛り上がった。 1次会は藍屋、2次会は養老乃瀧で、沖縄料理が多く出た。どう盛り上がったかは覚えていない (2002-08-25)。


シューベルト

ランバート・オーキス(Lambert Orkis)のピアノフォルテによるシューベルトの即興曲を聞く。 ピアノフォルテの音は、軽くて聴きやすいときと中身が詰まっていないようで飽きてしまうときがある。 今回の録音でも、その両方を感じた。軽々しくピアノフォルテの音の好き嫌いを言うのは早すぎる。 なんといっても、生の音を聴いていないのだから (2002-07-07)。


日本フォーレ協会

日本フォーレ協会の主催する演奏会に出かける。たまたま、千駄ヶ谷の駅近くで atyim さんと会い、 開場までのしばらくの時間を「優しい歌」に関するおしゃべりなどして過ごす。プログラムは次の通り。

  1. バラード op.19、夜想曲第11番 op.104-1、舟歌第4番 op.44 徳丸聡子(pf)
  2. 夕べ op.83-2、ひそやかに op.58-2、グリーン op.58-3、不滅の薫り op.76-1、夢のあとにop.7-1 山田暢(Sop)、犬伏純子(pf)
  3. 僧院の廃墟にて op.2-1、トスカーナのセレナーデ op.3-2、讃歌 op.7-2、この世 op.8-3、あけぼの op.39-1、墓場で op.51-2 三林輝夫(Ten)、鈴木靖子(pf)
  4. ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番 op.108 田島まり子(vn)、徳丸聡子(pf)

前半は1.と2.、後半は 3. と 4. が演奏された。最初の徳丸さんのピアノは、歯切れのいい、さっぱりした演奏だった。 多少はミスタッチもあったのが残念だった。もう少し粘ってもいいのかもしれないと思ったが、 このあたり、多少は物足りないぐらいがむしろ味わい深くていいのだろうと思い直した。 山田さんのソプラノは、ちょっとえぐい芯があるものの聞きやすく、表情づけもうまかった。 「消え去らぬ薫り」は息継ぎが非常に難しく、最初の息継ぎの直前の音が十分のばせなかったのが 気になった。でも、そんなことは取るに足らない。十分に楽しんだ。 三林さんのテナーは、あまり声質としては好みではない。「イ」の音がナマに近く聞こえる、 すなわちベルカントとして確実に響くようにはなっていないのではないかと気になった。 しかし、表情付けや朗唱スタイルはいい。今回はなかったが、「秋」などがいいのではないか。 ヴァイオリンソナタ第2番は、最初事件が起き、途中で止まってしまった。 しかし、再度冒頭からやり直したことで気負いが消えていったのだろうか、 白熱したピアノとヴァイオリンの戦いが繰り広げられたように感じた。 そして、私はその緊張感をひたすら楽しむことができた (2002-06-06)。


八重洲の練習

二ヶ月ぶりに八重洲の練習に行く。これからは必ず出かけるようにしないと。 きょうは最初にエルガーのセレナード、残りをバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。

練習後は一部の人間で例のごとく飲み屋に行く。今日は家にやってきた鳥の話で盛り上がる。

帰りの電車で、一緒になったSさんに、バッハの協奏曲で気になったスコアの個所を伝えた。 Sさんも気になったらしく、私の乗り換える駅でわざわざ降りて検討して下さった。 頭が下がる思いである (2002-05-25)。


斎藤雅広ピアノ・リサイタル

昨日の耳直しというわけではないが、 斎藤雅広ピアノリサイタルを聴きに行った。場所は南越谷サンシティホール(小ホール)。 プログラムは斎藤さんのホームページにある プログラム(www.masahiro-saitoh.com)のDプログラムに近いが、実際は次の通り。

●ピアノで綴る世界旅行●

( 休 憩 )

●ピアノはじめて物語●

( アンコール )

きのうの猿木さんの分と合わせても十分おつりが来るだけの内容だった。 最初の「火祭りの踊り」からして、例のルービンシュタインのパフォーマンスで沸かせてくれた。 そういえば、つれあいと私がいたサークルに S さんという先輩がいて、 この方もこの「火祭りの踊り」で両手を忙しく上下に往復させていたなあ。 他にも、知っている曲、知らない曲ともどもピアノの演奏だけにとどまらない芸を出してくれて、 私達は大いに楽しんだのだった。

この会場で、斎藤さんのピアノによる CD を買った。 ドボルザークとシューベルトのピアノ五重奏曲が納められているアルバムである。 この解説にサインをしてもらった。「フォーレの部屋のまるやまです」と挨拶をすると、 斎藤さんは「ああ、まりんきょさんですね。」とハンドルネームで御返事された。

これだけの内容の演奏会に立ち会うと、私も何かやらなければならないと血が少し騒いだ。 リストは難しそうだけれどさらう価値がありそうだ、 ラフマニノフは昔ちらっと練習して断念したけれどやりなおそうか、 バルトークは斎藤さんには当然かなわないとしても バルトークのスペシャリスト O くんには追いつけるだろうか、 などいろいろと考えるだけで楽しいのだった。

今、そのCD を聴いている。ちょうど「ます」の第4楽章にさしかかったところだ。 落ち着いて聴ける室内楽もまたいい (2002-05-11)。



フォーレとスカルラッティ

猿木宜子ピアノリサイタルを聞きに行った。場所はカザルスホール。 プログラムは次の通り。

スカルラッティソナタ K.9, K.27, K.96
ショパン夜想曲第7番、第9番、ソナタ第2番
フォレヴァルス・カプリス第2番、主題と変奏
スクリャービン練習曲集より Op.42-1,2,3,4、ソナタ第7番「白ミサ」

これらの選曲は、スカルラッティを除いて「夜の音楽への誘い」 として意図されたとのことである。

スカルラッティとフォーレをやるというのでこれを逃したら部屋の主人の名が廃る。 のこのこと出かけた。しかし、演奏はあまり筋がよくなかった。 最初のスカルラッティからして少しずつ間違える。自分が弾きにくいところはさっさと飛ばす。 自分の腕の衰えを認めたくない弾き方と言えばいいのだろうか。それが悲しかった。

スカルラッティは、短調の最初の2曲、特にロ短調のソナタには湿り気が足りない。 プロたるもの、このスカルラッティは完璧にひけなければならないはずなのに、 お座なりなところがかなりあり、私は満足できなかった。

ショパンの後休憩になった。私の前に大学生と思しき小太りの若者二人が座っていて、 その一人は、 「感想と言ったって、これじゃ何も言えないよな」と少し怒ったように言った。 何か感想を言わなければならないのだろうか。

フォーレはどうだったか。主題と変奏では、肝心の第9変奏や第11変奏にミスが目立った。 しかし、指の動きの細かい第2変奏や第10変奏は、けっこうきちんと弾けている。 そのあたりのアンバランスさに私は戸惑った。

スクリャービンは私にはわからぬところが多い。練習曲はけっこういい線をいっているのでは ないかと思った。有名な Op.42-5 を取り上げなかったのは、自信がなかったからだろうか。 「白ミサ」には、いやらしさがもっと出ていてもいいのにと思った。ないものねだりだろうか。

アンコールはスカルラッティのソナタ K.20 。2拍子の快活さがほとんど感じられなかったのが 残念だった(2002-05-10)。


シューベルト

NHK テレビで内田光子のピアノリサイタルの録画を見る。 シェーンベルクの「3つの小品」のあと、ピアノソナタト長調 D.894 をやっていた。 この曲はシューベルトのピアノ曲中でも好きで、 D.958 ハ短調、D.664 イ長調、D.960 変ロ長調の次あたりに位置する。 (D.894 と同じ程度好きなのが D.784 イ短調)。ああ、これだけ長いのがいいなあと 素直に思ってしまう(2002-04-21)。


合奏

久しぶりにつれあいのクラリネットを聞く。けっこう上達したものだ。 「俺のピアノと合わせてみるか」といって、I remember Cliford, 黒いオルフェ、 夢の後に、シチリアーノと合わせてみる。前二者のスタンダードナンバーは こちらも普通に合わせられて当然のはずだが、コ−ド進行を全く忘れていた。 まだまだ修行が足りない


合宿

3/16, 3/17 と合唱団の合宿に行ってきた。なかなかメンデルスゾーンの曲が覚えられない。 おまけに、土曜日の晩にいろいろな意見が出るものだから、 わたしとしてはどうしていいかさっぱりわからない。


ブラームス

八重洲室内アンサンブルの方から誘われて、3月8日にブラームスの室内楽コンサートに出かけた。 場所は、日本たばこ産業のビルにあるアフィニスというホールである。 クラシックのコンサートに行くのは半年ぶりぐらいではないだろうか。

曲目は行って初めて知った。ホルン三重奏曲とピアノ四重奏曲第3番であった。 前者は高校生のころ何度も聞いていたが、後者はたぶん初めて聞く。

前半のホルンを聞いて、ホルンは本当にボーッとしたいい音が出るなあと感心した。 私の性格にはピアノもチェロも合っていない。トロンボーンやホルンの音色に憧れる。 最終楽章にときどき全休止が出てくる。 そこで、ヴァイオリンの徳永さんが息を吸って合図をするのだけれど、 知っている曲だから自分も息をしてしまい、鼻息が周りに聞こえたに違いない。 周りには迷惑だったかもしれないが、こうしないと安心して聞けないのだった。

後半のピアノ四重奏曲第3番は確かに初めてであった。配られた解説の通り、 ベートーベンの交響曲第5番の動機が使われていたことがよくわかった。そんなにも、 ブラームスはベートーベンが好きだったのか。

帰りには誘って下さった方と新橋でしこたま飲んだ。


うっかり

1 月の初め、フォーレの曲(歌曲とピアノ独奏曲)ばかりを集めた演奏会に出かける予定でいた。 1 月 5 日とあったので、この日を待って出かけようとした。最後の確認で案内状を見たら、 なんと 1 月 6 日であった。残念、 1 月 6 日 はすでに所用があり、はずせない。 泣く泣く演奏会をあきらめた。年の初めからついていないが、所詮は自分で間違えただけのことだ。

その代わりといってはなんだが、家にある「優しい歌」の各種録音を集めて聴き比べをしてみた。 なかなか面白い。好みの程度は異なるが、好感が持てる歌でも不満な個所はあるし、 あまりなじめない演奏でもすばらしいところはある。 なかなかことばで言い表わすのは大変なことだ。

全然関係ないが、出てきた腹を絞るため、筋力トレーニングである「クランチ」を始めた。 なぜ音楽の練習日誌のところに出てくるか、と訝る方もいらっしゃるでしょう。 答は簡単。腹筋を鍛えることで声がよくなる(可能性がある)からです。

後記:もちろん今は、クランチをしていない。(2016-03-20)

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