フォーレ:中期歌曲

作成日:1999-12-11
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はじめに

フォーレの中期の歌曲は、力強さや寂寥感、劇的迫力、 緻密な音作りなどが至る所に見られる。 有名な「月の光」(Op. 46-2) は 別ページに書いたので、他の曲をとりあげる。

贈物

Op. 46-1。Es の主和音と Ges の主和音の交代で規則性と意外性を紡ぎだしていく。 簡潔なのか凝っているのかわからない。ポピュラー曲にもなりそうなぐらい 近代感覚に富んでいるが、どこか高貴な面持ちもある。

前半のゆったりした部分と、後半の多少動きがある部分からなるが、 雰囲気はほとんど変わらない。 フォーレ独特の和声の推移により、夜に語られる恋がひそやかに語られる。

Op.51-1。フォーレにしては珍しく激情型の曲 (他には「捨てられた花」など)。 ある人は、意識した割には効果が上がっていない、と評した。 わたしも同意するのだが、フォーレは敢えてこのような曲も冒険して作曲したからこそ、 後期になって、作曲の達人となったのだ。

墓地で

Op.51-2。詠嘆型の典型例。緻密な和声に始まる。中間部は感情が高ぶるが、 その高ぶりに比べ音の量と厚みは少ないので、非常に表現が難しい。 導入部が再現され、静かに終わる。

憂鬱(スプリーン)

Op.51-3。「巷に雨のふるごとく」で始まる詩はヴェルレーヌの中でもとびきり有名だ。 その詩に付けたフォーレの曲は けだるさがすみずみに溢れている。 同じ詩にドビュッシーも曲を付けた。こちらはいきいきしている。 憂鬱の捉えかたでこうも違うのかと驚かされる。 フォーレの曲は、左手と右手で1/4拍ずれた単調な伴奏音形をくり返しているようだ。 しかし途中で三連符に変わり、さらにもとに戻ったりする。聞いている方は退屈しない。 下記が冒頭の部分である。

参考として、ドビュッシーのピアノ組曲「子供の領分」から「雪は踊っている」の冒頭を掲げる。

両者の根底にはフランソワ・クープランの 「ティク・トク・ショクあるいはオリーヴしぼり」(Le tic-toc-choc, ou Les maillotins) に代表される、フランス流の鍵盤楽器のテクニックがあるのだろう。 この曲はクラヴサン曲第3集第18オルドルにおさめれている。

ばら

Op.51-4。何の屈託もなく始まる歌い出しから徐々に新しい側面があらわれる。 そのあと急に転調して伴奏がアルペッジョの下降音形になり、 おおらかなメロディーを披露して盛り上がる。 伴奏の最後もしゃれている。

祈りながら

作品番号がない。祈りながら(En prière)は、ステファン・ボルデーズ(Stéphan Bordèse)の詩による。 落ち着いたアルペジオであり(「シャイロックの歌」と似たアルペジオ)、神への祈りが伝わる。 大意は「主よ、私を見捨てることなかれ。憐れみ給え。姿を現し給え。私は苦しみたい。十字架で死にたい。」

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MARUYAMA Satosi