舟歌はロマン派のキャラクターピースの中でそこそこの存在感がある。 ピアノならばショパンの名作がある。 その外にもチャイコフスキー、ラフマニノフ、 メンデルスゾーンなどの舟歌が有名である。 その中で、フォーレは13曲もの舟歌を作曲した。 ちょうど彼のピアノのための夜想曲と同じ数だけある。 他にこれほどの量の舟歌を作った人は寡聞にして知らない。
舟歌はほとんど複合拍子(6/8, 9/8, 12/8など)からできている (チャイコフスキーのピアノ組曲「四季」にある舟歌は例外で4/4拍子である)。 フォーレの舟歌もすべて複合拍子である。ほとんどが 6/8 拍子で、 いくつかが 9/8 拍子や 6/4 拍子である。 そしてリズムは付点音符を主体とし、穏かである。そんなところがフォーレの興味をひいたのだろう。 複合拍子を使えば、曲にさまざまな変化を与えられる。 またリズムそのものは単純だから、和声の構造に注力できる。 フォーレはそんなことを考えたのだと私は思う。
複合拍子による利点は、ヘミオラを使いやすいことにある。 事実、フォーレの舟歌は、第9番を除き、すべてヘミオラを用いている。 ここでいうヘミオラは、Wikipedia に説明された狭義のヘミオラではなく、 1小節内の分割を 3 + 3 と 2 + 2 + 2 に分けるタイプのヘミオラである。 (この項、2009-06-06 記載)
フォーレの舟歌は13曲もあるので、どのあたりをとればよいのか分かれるところである。 比較的印象が強いのは第3番、第5番、第9番だろう。第5番は傑作との呼び声が高いが、 実際にはめったに演奏されない。 フォーレから想像される柔らかさよりは逞しさのほうが表に出ているため、 少し生硬な感じがするからではないか。 もう一つ、技術的にも難しいこともある。特にリズムが9/8拍子であり、 その分割がさまざまな形を取っているので、演奏者にも鑑賞者にも難しそうな印象を与えている。 同時期の夜想曲第6番と比べて割を食っていて残念である。 その外、華やかな第3番、リフレインの効果が美しい第9番は聞き込む価値がある。
今まで解説のなかった第2番、第5番、第7番、第13番を新たに書きました。(2004-09-16)
アマチュアの演奏会で割合よく取り上げられる。 メロディーは中声に現れ、徹底して隣接する音列で 進んでいく。右手と左手で交互に取らないといけないので、 弾く時は釣り合いに気をつけないといけない。
左手の後打ちが、早速この曲から現れている。 さわやかだが繰り返しが多い曲だ。表情の工夫付けが足りないと飽きられる恐れがある。 墓の下のフォーレには悪いが、ルバートをかなり色濃くつけても、 この曲に関してはいいのではないか。(2004-09-16)
古今のクラシックに通じているある人が、 この曲の作曲者がフォーレだとわからなかったことがある。 フォーレの曲のなかではきらびやかな感じがする。そのため私はこの曲の練習をやめてしまった。 難しかったからである。
中間部はミラシド(またはソドレミ)で始まる。
こういってはなんだが、第 9 番と並んでフォーレの舟歌の中で最も地味な感じがする (第 10 番は地味を通り越している)。ほぼ三部形式に忠実だが、冒頭主題が帰ってくるところ、 低音は主音のAsではなく導音のEsを使っている。 これは同じ調性である変イ長調の 即興曲第 3 番や後の舟歌第 6 番でも使っている手法で、 彼のお気に入りだったのだろう。
この舟歌は最初から最後まで難しい。 まず、一貫して9/8拍子のつかみ方の難しさはいうまでもない。 また、右手の冒頭の付点音符の長さの加減が、難しい。 最後嬰ヘ長調に明るくなったあとの、はにかんだような表情の出し方もまた、大変だ。 (2004-09-16)
フォーレを知る前、先輩のMさんが、 「チャイコフスキー、ラフマニノフ、フォーレ、日本のふなうた」 と称してまとめて舟歌を弾いたのを知った (ちなみに日本のふなうたとは、八代亜紀のではなく、「船頭小唄」 であった)。あとでその演奏を聞いたところ、えらいルバートがかかっているのでびっくりしたが、 Mさんはなんといってもロシアのロマンチックな作品が好きなので、まあこういう弾き方でもいいか、 と妙に納得した。曲そのものは小粋でスマートである。腕の立つ人がひけば最高にさまになる。
暗い情念で貫かれているかのように最初は聞こえるが、 聞き込んでいるうちにそれほど重くないことがわかる。 高音と低音のバランスと交差が絶妙である。特に、 中間部、左手から右手に受け渡される音階が美しい。 また後半で、一度付点2分音符のみになる場面があり、その増和音(オーギュメント)にドキリとする。 (2004-09-16)
この曲を弾き終わってどこかおかしいと思った。 その理由は最後がフォルテで終わっているからだ。 フォーレのピアノ独奏曲でフォルテで終わる曲は、 ヴァルス・カプリス全曲と即興曲のいくつかを除けばこの曲ぐらいである。 それはともかく、元気な舟歌であるこの曲も好みである。
pierre さん(web.archive.org)の、 この作品の分析((web.archive.org))を見ると、 変奏曲とある。これには気が付かなかった。 なるほど、主なフレーズがあちこちで現れ、生気が与えられていくようすは、 変奏曲としての構造があったからだと納得がいく。
そして、変奏曲と関連して前から不思議に思っていることなのだけれど、 この曲のほとんどで、2小節または1小節(場合により1/3小節)のフレーズ(動機)が、 繰り返されている。 つまり、2+2の構成で計ったように割り切られている。例えば1〜2小節と、3〜4小節、 後者は前者のリフレインではあるが、リズムが多少変型されている。 その他にも、リフレインの味付けとして平行移動もあり、 また左手の和声は驚くほど変化していることもあるが、 ほとんどの場合右手の上下運動の相対的な音型は替わらない。ここでまとめてみよう。
提示 | リフレイン |
---|---|
1-2 | 3-4 |
5-6 | 7-8 |
9 | 10 |
11 | 12-13 |
14 | なし |
15-16 | 17-18 |
19-20 | 21-22 |
23-24 | 25-26 |
27-28 | 29-30 |
31+0 | 31+1/3, 31+2/3 |
32-33 | 34-35 |
36-37 | 38-39 |
40-41 | 42-43 |
44-45 | なし |
46-47 | 48-49 |
50 | 51 |
52-53 | 54-55 |
56-57 | 58-59,60-61 |
62-63 | 64-65 |
66 | 67 |
68 | 69 |
70-71 | 72-73 |
74-75 | 76-77 |
78-79 | 80-81 |
82 | 83 |
84-87 | なし |
このように、徹底的にリフレインに執着しているにもかかわらず、 それほどしつこい印象はない。さすがの作品である。
なお、フォーレの音楽書法をまとめた論考和声的な階段も参照するといいかもしれない。
この曲は渋さの極みである。 老人のつぶやきのように同じ音形がそのまま繰り返されたり、 半音下がるだけで延々続けられたりする。フォーレの老人力がもっとも発揮された曲であり、 そんなこの曲が好きである。
フォーレのピアノ独奏曲のなかで最も私にとっては難解である。 調性音楽の極北とまで思えるほどだ。 聞いていてこうなのである。弾こうとするとト短調を無視した転調の連続で譜読みに難渋する。
彼の曲の中で最も音域が広い。 下はピアノ最低音より半音高いだけのBから、上はピアノ最高音より半音低いだけの Hまで、ほぼ8オクターブにわたる。 最後の穏やかな解決は、フォーレがこの曲を書いてきた疲れを癒そうとしたからではないか。
難解な舟歌11番の後では、 平明な舟歌を12番、13番と二つも書かないと気が済まなかったらしい。 舟歌第12番(変ホ長調)の春秋社版の説明には、こんな解説がある。サン・サーンスは、 39小節にあるバスのEs音が再現部である85小節では欠落していることを指摘し、 意図的なものかとフォーレに言った。 フォーレは不注意の結果であることを認めたが、重大な誤りではなく、 このままならば87小節Esの価値がそれだけ増すことになる、と付け加えたともいう。 このエピソードは二人の人となりを表していて、おかしい。
この結果、85小節の Es を弾くべきか、弾かないべきかの議論がある。 ピアニストの井上二葉さんは、弾かない立場を取っている(詳しくはフォーレ手帖 第11号参照)。 私も弾かないほうがよいと考える。フォーレの他の曲でも、再現するときに根音を主音ではなく、 属音にする手法を用いて、効果を上げているからである。たとえば、即興曲第3番の再帰、 舟歌第4番、第6番の再帰などがある。
なお,この曲は2通りの作品番号がある.書籍により,まちまちである.
著者 | 書籍名 | 作品番号表記 |
---|---|---|
フィリップ・フォーレ=フルミエ | フォーレ・その人と芸術 | 106 または 105-2 |
エミール・ヴュイエルモーズ | ガブリエル・フォーレ 人と作品 | 105-2 |
ジャン=ミシェル・ネクトゥー | 評伝フォーレ 明暗の響き | 105 bis |
Robert Orledge | GABRIEL FAURÉ | 106bis |
ウラディミール・ジャンケレヴィッチ | 音楽から沈黙へ フォーレ 言葉では言い表し得ないもの…… | 105 |
アルフレッド・コルトー | フランス ピアノ音楽1 | 106 |
井上和男[編著] | クラシック音楽作品名辞典 | 106bis |
美山良夫、藤井一興 | フォーレ全集2 舟歌 | 106bis |
なお,CDの解説では,調べた限りすべて 106 bis 表記であった. (ユボー,コラール,ストット,藤井,クロスリー,ヴォロンダ)
平明に作られているが、捻りが効いている。 冒頭は、右手の子守唄風の旋律に対して、左手では一拍めがほとんどが休符である。 この一途さはさすがフォーレである。 中間部は、右手は相変わらずのんびりしているのに、 左手で半音の同時衝突が頻繁に起こる。ぎくしゃくしている。 フォーレの異なる時代がぶつかっているようでもある。 そして、再現部は高音部の32分音符が旋律にまとわりつく。何ともいえずいい感じがする。
こう書いてきたが、一口で総括しにくい作品だ。(2004-09-16)
私はジャン・ユボーの演奏を標準として聴いている。 癖がなく、妙な飾りもない、安心できる演奏である。
1999 年には、NAXOS から出ているピエール=アラン・ヴォロンダの演奏を聴いてみた。 内声を浮き上がらせるのがうまい人である。 第10番など、最初の右手のリズムが全体を通して貫かれている ことがこの演奏を聴いて初めてわかった。 リズムのとりかたには癖があり、少し無造作である。 第3番の右手の6連符が拍の間におさまりきらずにはみ出て 聴こえるのは好みではない。また第13番の中間部の解釈は少々突飛だ。
藤井一興の演奏は、ところどころにフレージングの工夫などの洒落っ気を滲ませてはいるが、 全体としては隙がなく、しっかりしている。
第12番では、速めのテンポのなかでかなり速さをゆらしている。 また、レガートとノンレガートの対比、強弱のやや突飛な強調など、 融通無碍という印象が強い。ここまでやられてしまうと、ついていけるかのぎりぎりである。 それでも、昔の奏法はよかったと妙な羨望も覚える。 ピアノ五重奏曲の録音から想像する、ゆっくりとおとなしい演奏をするという思い込みは、 独奏では見事に覆された。 このような癖のつけかたは邪道かもしれない。昔の演奏の面白さはこのようなところにもある。 (以上、2002,1,13 )
第9番を聴いた。全体的に落ち着いたテンポで、特に内声の弱音が美しい。 細かなパッセージで、低音と高音が同時に打鍵すべきところ、低音が先に打鍵されるのが気になる。 (2009-06-20)
第9番を聴いた。細かくテンポを揺らし、また音色もよく制御している。 細かなパッセージのテンポの揺れが気になるが、ヴォロンダほどではなく、 かなりよい気分である。 (2009-06-20)
第9番を聴いた。他の演奏と比べ、テンポは中庸かつ、一定である。 ニュアンスの弾き分けは弱いが、その分音楽の流れが聞こえ、私の好みである。 ただし、細かなパッセージで楽譜とはずれているところがわずかにある。 (2009-06-20)
第9番を聴いた。テンポは快速で、興が乗るとさらに加速するが、自然である。 声部の違いの強弱は目立たないが、声部全体の強弱の幅は大きい。 舟歌の流れが滑らかという意味では、最も優れていると思う。 四分音符と八分音符の組み合わせ、すなわち2:1のリズムの2の部分がマイナスαとなる、 つまり、つんのめり加減になる場合が聞こえるので、それが惜しまれる。 (2009-06-20)
作曲家として知られている彼のピアノは、快速であるが、穏健である。 また、全体の構造をつかむような演奏に感じられる。(2009-08-09)
そのほか、私が持っていない音源には次のものがある。