フォーレ:和声的な階段

作成日:2001-09-10
最終更新日:

1. 「和声的な階段」とは

フォーレの部屋も開設後 3 年が経過した。素人の悲しさゆえ、 フォーレの曲の和声について何か書きたいと思いつつも何もできなかった。 しかし、何もないよりはあったほうがまし、という考えが頭をもたげてきた。 とりあえず、特定の曲を題材として和声を考えてみようと思った。 フォーレの和声について分析がされている成書は私の知る限りあまりない。 ドメル・ディエニーの和声分析の本(フォーレの歌曲については邦訳あり)か、 ロバート・オーリッジの研究本(邦訳なし)ぐらいだろう。そう思っていて、 和声学を私も一から勉強しないと何も書けないのではないかと思っていた。

覚悟を決めていたのだが、ひょっとして、ネクトゥーの「評伝 フォーレ」に 何か和声に関して手がかりになることが書かれていないか、と思ってちらちらと見ていた。 すると、この本の p.556 に《和声的な階段》(エスカリエ・アルモニク, escalier harmonique )という言葉で、フォーレのある種の音楽書法が 示されていた(この《和声的な階段》というのは、フォーレ自身が好んで使っていた言葉である)。 この典型例が、舟歌第 10 番の、音型の半音階下降部分であった。私がこの音型を指して 「フォーレの老人力」と言ったところである。

私が気付いた個所は、フォーレ自身で自分の手法として、癖として承知していた個所でもあった。 それならば、この《和声的な階段》をもとにしてフォーレの和声書法を理解できる術が浮かび上がって くるのではないか、そう考えてこの項を書くことにした。

2. 舟歌第 10 番の例

では、《和声的な階段》を舟歌第 10 番で見ることにする。下がその譜例である。 実に規則的な動きをしているのがわかる。

ここだけ見たり聞いたりしただけではなんとも変に思えるが、その直前の 4小節がフォーレ特有のむずがゆい和声が駆使されているので、この和声的な階段が 非常に心地よく響く。

ほかにも、ネクトゥーは舟歌第8番、第9番で同様の例を指摘している。

ネクトゥーの指摘する第8番の例は、54 小節から 58 小節にかけての次の例である。

ところが、私は「階段」の意味をもっと厳密にとっていた。 つまり、音型が半音か全音でちょうどずれている個所のことを「和声的な階段」と思い込んでいた。 私が感じた階段は、第8番の場合はここではなく、直後の59小節から61小節のことであった (この分析から、61 小節の高音部8拍めの分散オクターブで、 表裏とも変ホとなっているのは本位ホが自然なのではないかと、と思う)。 こちらのほうが、より調性を曖昧にさせる効果が高いのではないだろうか。

舟歌第9番の例

舟歌第9番でも、ネクトゥーの出した例と私の感じた例は異なる。 ネクトゥーの例は 32 小節から 35 小節の例であり、こちらは全音階を元にしたフレーズである。 一方私が感じた例は56小節から61小節の例であり、こちらはフレーズ全体が半音ずつ上昇している 例である。これを下に示す。

私がこの曲について「3本の手を思わせる」と書いたのは、この部分である。 この和声的な階段の後で、コーダが待っている。

このようにネクトゥーの例と私の例とはずれてしまったが、それはとりもなおさず、 フォーレがこの2種の意味での階段をうまく使い分けていた証拠なのであろう。

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MARUYAMA Satosi