間違いだらけのうどん屋選び


恐るべき以後

 恐るべきが評判になり、山越の行列客のためにうどん屋ができようとする今(冗談です)、憂うべきことが二つある。一つは本物のうどんがあまりに知られていないことである。金子元知事、大平元首相はうどんを大いに宣伝したが、それ以後、行政、観光業界はうどん以外のものを広めようともがき、マスコミも香川=うどんだけという県外におけるイメージを否定的に報道してきた(少なくとも私はそう感じた)。外国人がほめてくれないと自国に価値を見いだせない日本人の縮図のような香川県人にとって、(東京だけが日本と信じる)東京人たちに、まだまだ知られていないうどんを語る勇気を持つ人は恐るべき以後の今でも少ないようである。
 もう一つは、穴場うどんを紹介して、客が増えて味が落ちることである、天然記念物にさえなりそうなうどん屋の味を何軒衰退させたことか。恐るべき以後、うどん屋巡りをする人が増えたが、誰もが知ってしまうと穴場が穴場ではなくなる。味が伴わなくなると飽きられると思う。
 こんなことを考えていたとき麺通団の田尾団長が「山越と蒲生は有名になって跡継ぎができた、我々は少なくとも2軒の寿命は延ばした」と慰めてくれた。香川県人みんながみんなうどんを詳しく知っているわけではない(日本人がみんな浮世絵や相撲に詳しいわけではないように)、それに伝統芸能だって守るだけでは発展は無い。所詮衰退するものは放って置いても衰退する、それが10年後か明日かの違いだけか、こう考えることにした。

そばが好き、うどんが嫌いなあなたへ

 昔、ある市長選で優勢だった候補者が落選した、落選の理由はいろいろあったが、私は候補者インタビューで「うどんが嫌い」と答えたことにあると堅く信じている。香川県の人でうどんが嫌いなという人は、近所のうどん店の普通のうどんしか知らない人が多い。
 私はそばも食べるが今のそば業界は嫌いである、あまりにも生活から離れすぎている。江戸庶民の娯楽の歌舞伎をいつの間にか芸術にしてしまったように、江戸庶民の食べ物そばをいつの間にか庶民の口に入らなくしている。金丸座の人気をみれば、生活に密着という重要性がわかるであろう。県外の人でそばが好きうどんは嫌いという人は、東京あたりでの讃岐風うどんや観光化したうどんは食べたであろうが生活に根付いた本物のうどんを食べたことがない。
 そんなあなたに最適の本が出版された、『うまひゃひゃ さぬきうどん』(さとなお著=コスモの本)である。そば好きの著者が讃岐うどんにはまるまでを書いてあるので、一度読んでみてはいかがだろうか。彼は讃岐うどんを誠実にみている。
 さとなおが訪れた79軒の中で評価の高かった15軒のうち、あまり紹介されることのないを4軒の感動の模様を引用してみる。

 マスコミがたまに取り上げるとうれしくて必ず見、いい加減な評論に「分かっとらんのおー」といつも言っている香川県人、どうも讃岐うどんは分かりにくいもののようで、東海林さだおの『男の分別学』のうどん王国・讃岐(オール讀物1993年7月号文春文庫『行くぞ!冷麺探検隊』に収録)は何を伝えたいかよく分からなかったし、椎名誠は『その店には沢山のメニューが並んでいたが、ぼくは迷わず「生醤油」を注文した。』(新宿赤マント「うどんを食いつつ考えた」週刊文春平成3年11月21日号文春文庫『おろかな日々』収録)ではかなりいい線行ってたが『海を見に行く第20回、第22回、瀬戸内きまぐれジグザグ旅』(週刊現代1998年9月26日10月10日)で何故かその知識と感動が後退したようだった。
 雁屋哲+花咲アキラ
の『美味しんぼ』でもうどんを本格的には扱ってくれないし(日本全県味巡り期待しているが、士郎とゆう子がかな泉で讃岐うどんを食べながら山の中に昔ながらの店があると教わり、水がよく、薪で炊く山内でこれが究極だと感動しているところへ雄山が現れ、おまえたちは甘いと言われ、地粉(香川県産)の水車にたどり着くという筋書きになるといやだなあ)、山本益博はいまだに大阪の「はがくれ」だ(『食べてばっかり』週刊現代1994年9月10日号、『うまいの、なんの!』週刊現代1998年11月21日号)。蕎麦通がうどんに目覚めたことではさとなおの先駆者たる勝谷誠彦の「うどんの都」讃岐を往く(dancyu1997年4月号『いつか旅するひとへ』潮出版社に「蕎麦通殺しうどん地獄」として収録)が目を引くくらいのものだった。
 おいしい店で感動し、まずい店をまずいと言えるさとなお、あの村上春樹エッセイ以来久々に香川県人以外が自分の感動でさぬきうどんを語っている。そば好きもうどんが食べたくなると思う(グルメ本と思っていたが宮脇書店の扱いは文芸書である)。 

昔の方がおいしかったというあなたへ

 バブルの頃ならうどん屋巡りなんてものははやらなかったと思います、バブルがはじけ金もなく共通の目標も無くなった今、マイブーム、あるいは思い出を求めることがはやっている。でも先代はうまかっただの地粉は風味があっただの思いでばかりにこだわっていては未来を築く可能性も閉ざしてしまいます。継承は大切だが独創も必要。もっともうどん屋は文化活動をやっているのではありません、商売をやっているのです。

あの店まずかった、絶対にここがおいしいというあなたへ

 一番の理由は行った時間が悪かったということ。うどんは刺身より生ものです、時間がすべてです。もし出来立てを食べておいしくなかったら、店主の体調でも悪かったのだと思います。もし、もう一度行ってでもまずかったら、それは好みの違いです。私にもよく紹介されおいしいと言われる店で嫌いな店があります。ただ、テレビや雑誌に載ったから必ずおいしいと言うことはありません。善通寺の山下なんかS級の店ですが載りません(最近は少し登場するようになりましたが)、谷川とか中村、マスコミ受けするのはそれなりのロケーションが必要なのです。
 それと問題は行ったことがある近所の店と2,3の有名店のたかだか20,30軒の中で一番おいしいということです。そんなあなたには『さぬきうどん全店制覇攻略本』(ホットカプセル)が出ました。うどん屋はこんなあるのです、一番の店を語るにはせめて100軒は行きましょう。そして人の意見でなく自分がおいしいといえる店を見つけましょう。
 何度か書きましたが、県外人で100軒以上行った人を少なくとも3人知ってますが、香川の人にはまだ会ってません。

それでもうどんが嫌いというあなたへ

 ここまで読んできてうどんが嫌いという人はいないと思いますが、うどんを好きになるのはうどんを食べるしかありません。うどんは生活の一部です、体の中をうどんが流れるようになるまでうどんを食べましょう。何事も慣れです。