スリランカ・和平への足跡
スリランカ軍勝利から大統領選挙後の動き2010

No.141
2010-Feb-14

Kavda Punnakku kaave2
マヒンダのロシア戦略


 軍の内規違反と国家反逆罪でMPがサラットを逮捕監禁した翌9日にマヒンダは国会を解散した。そして、議会議員選挙は4月8日になると言うニュースが飛び交った瞬間、コロンボの最高裁前でマヒンダ支持者とサラット支持者、警察とサラット支持者の間に衝突があった。
 マヒンダ(ラージャパクシャ)大統領とサラット(フォンセーカ)将軍はタミル・タイガーを壊滅させシンハラ社会を勝利の美酒に酔わせたはずだった。だが、勝利の酔いが醒めないうちにシンハラ人同士の「内戦」が始まった。マヒンダが勝利の分け前をサラットに与えることを拒んだからだ。スリランカの2チャンネルに当たる「エラキリ」流に言えば、「ビクター・ペレラにプンナックを食わせて満足させても、サラットにそうした騙しは効かなかった」ということだ。
 マヒンダは4月の総選挙勝利に向けて準備を進めている。マスコミによる情報操作、そして、ジャーナリストの弾圧に心血が注がれている。
 アメリカとノルウエーが人権擁護から政府軍の犯罪と報道の自由の抑圧に抗議すると、マヒンダはアメリカを脅しにかかった。
 アメリカは大統領選でマヒンダが勝利した翌1月28日にマヒンダに祝いのメッセージを贈り、スリランカ、アメリカ両国の友好の更なる発展を望むとしたが、同時に選挙運動期間中に選挙違反の目に余る行為があったとし、スリランカの法に照らして違反行為を処するように望むとのコメントを在コロンボのアメリカ大使館ホームページに掲載した。
 これに対してマヒンダが「アメリカはサラットを支持し応援したではないか」と噛み付いた。
 アメリカは大使館を通して2月11日、「大統領候補者の誰をも特別に支持していない」とし、「自由で公正で信頼の置ける民主主義のプロセスを踏むように」と更に忠告した。
 非同盟中立が信条だったスリランカだが、大統領選後のマヒンダはロシアへの距離を急速に縮めた。6日から9日にマヒンダはロシアにいた。「世界中でスリランカ政府の味方をする国はなくなったからマヒンダはロシアへ行くしかなかった」と言う、シンハラ人の若い世代の自嘲とも思える揶揄はさておいても、ロシアがスリランカ内戦の最終局面でスリランカ政府に加担したので、その御礼が第一の目的だったと言われる。
 ロシアは6日夕、マヒンダに人民友好大学(旧パトリシア・ルムンバ大学)の名誉博士号を授与した。マヒンダがLTTEを壊滅し世界平和とテロ撲滅に寄与したからだ。
 7日にはメドベージェフ大統領との会談、8日には経済省で3億ドルの軍事融資の約束を受けて、代わりにマンナル湾沖の石油開発をロシア企業に委ねると言う契約を交わし、強行軍のロシア日程をマヒンダは消化した。彼は軍備と石油開発をロシアへ委ねることで今後のスリランカの国際戦略を変え、北へと路線を変える舵を切った。
 ロシアの社会主義は長い間、進歩的スリランカ人の憧れの的だったから、マヒンダの外交戦略はスリランカ国内で好評を得るはずだった。しかし、残念なことにJVPなど旧ロシアの革命に崇敬の念を持つグループさえも、今の世代はロシア詣でのマヒンダに擦り寄ることがないようだ。マヒンダのロシアへの接近が政権の維持とスリランカの発展に巧く機能して、国民の心を捉えるかどうか。しかし、マヒンダ政権は民主主義の求心力を失っている。

 11日夕刻、コロンボ近くのマハラガマでサラット監禁に抗議するデモが行われた。警察は治安維持のために警棒と催涙弾と放水車で彼らを制した。2日前にはコロンボ最高裁前でマヒンダ支持派とサラット支持派の衝突で催涙弾と放水車を用いる高圧的な警察の取締りが行われたばかりだ。シンハラ同士の「武力による内戦」はスリランカ独立以来の慣習。LTTEとの戦いに執心した季節が過ぎれば、シンハラ社会は元の木阿弥に戻っていた。
 ただ、シンハラ同士の内戦にもこれまでと違う要素が生じている。マハラガマの場合、デモ鎮圧の様子はその一部始終が、すぐさま、YOUTUBEに流されたのだ。ランカ・トルゥースなどの小規模なメディアもこの事件を即座にウェブに載せ、ブログにもこの事件が即刻、評された。また、トゥイッターにも書き込みが行われた。マヒンダの政府は消えうせろなどという投稿が秒刻みで世界中から、英語やシングリッシュで寄せられる。マヒンダの弾圧で国内の新聞が沈黙しても、ウェブの情報が世界中に流される。こうした動きが政治圧力となるか、どうか。

 国内の混乱を憂うシャム派のアスギリアとマールワッタ、アマラプーラ派、ランマンナ派のマハーナーヤカ僧侶がサラットの開放をマヒンダに訴えている。18日にカンディで国内の仏教徒を集めてサンガ集会が催される。
 この集会が弾圧されれば、かつてシンハラ・タミル紛争の当初、コロンボのペッタでタミル人町の焼き討ちを指示した僧侶らの心意気と同じ波長を持つ僧侶が、今度は逆にテンプル・トゥリーへの襲撃をその指で指示するかもしれない。かつてのフィリッピンの市民のように政治権力への騒動が始まるだろう。戦争に勝利したマヒンダは今、シンハラ仏教界も敵に回して最大の危機に直面してしまった。