スリランカ・和平への足跡
スリランカ軍勝利から大統領選挙後の動き2010

No.140
2010-Feb-10

Kavda Punnakku kaave
マヒンダの外交戦略


 地すべり勝利でスリランカ大統領に再選されたマヒンダ(ラージャパクシャ)は4日の独立記念日にカンディでこう演説した。

「我らがワリガポラ・スマンガラ僧は1815年、ユニオン・ジャックを引き摺り下ろし我らの御旗を掲げた。我らが今、自由を持ちえたのは、この勇敢な仏教僧の褒め称えるべき行動に由来する。私は彼ら僧侶に敬意を表する。

 諸君、自由とは責任を伴うものだ。私は1月26日の大統領選挙で大勝利した。この国には様々に分かれた集団があるが、この国の総ての諸君と一丸となって国家建設に当たる決意を私は固めた。この国を経済発展させ、その利益を分かち合おう。
 スリランカは世界の観光地31選の中でベストであるという評価を得た。観光に関わる世界中の投資家をこの国に呼び込もう。この国の民は怠惰で無気力で活気がないといわれる。だが、先の戦争での圧勝はその指摘を覆したではないか。国家防衛のための戦闘で、私は戦場のヒーローたちを守り続けた。今、国家再建の時が来た。これからの私は国の再建に尽くす正直な技術者たちを守る積もりだ。国家再建は誠意と、規律と汚職根絶から生まれる。「北に春を、東に目覚めを」を合言葉にタミル地区の経済発展に最大の努力をする。これがマヒンダ・チンタナ(マヒンダの展望)だ。

 我らの外交政策は独立非同盟と言うことに尽きる。インド・中国・日本、およびその他諸国との外交にはなんらの密約もない。アフリカ・米国・中東・西欧諸国とも密接な関係を保つ。
 我の外交政策に間違いはない。私の政治は国民の為に行われた。そろそろ諸外国もわが国が行った行為に正しい理解をもつべきだ。タイガー・テロは終わったのだ。戦争を乗り越えたのだ。今こそ、協調の時代に入ろうとしているのだ。わが国を非難する諸国も、わが国との協調という黄金の時代に入るべきだ。

 私は政治で儲けようとか、国民を裏切ろうなどとはこれっぽっちも考えたことがない。国を裏切ることなど絶対にしない。国の繁栄を思えばこそテロの根絶に尽くしたのだ。ノロッチョライ石炭発電所やアッパー・コトゥマレー水力発電所の建設を決定したとき、私は政治圧力を使おうなどとは思いもしなかった。国民のためになることであれば何事にも努力するが、自身の利益の為に政治力を使うことなど決してない。

 大衆の苦しみに私は耳を傾けている。労働者階級の低賃金対策にも汗を流して取り組んでいる。不公平に対し私は断固戦う。テンプル・トゥリー(大統領官邸)の贅沢なカーペットは今、官邸を訪ねる大衆の足を優しく包んでいるではないか。

 かつてウィーラ・ケッペティポラはこの地で何者をも恐れず大衆の為に命を差し出した。私の思いも同じだ。あの時、幼子のマドゥッラ・バンダーラさえ何者をも恐れず大衆の犠牲となって命を差し出した。マドゥッラ・バンダーラのように、この国を愛するが故に命を差し出したあなたの息子や娘のことを思い出してほしい。そうした息子や娘たちに愛されて今の私があることを思うと、なんとも幸せな政治指導者であるかと、私は私自身を思う。

 皆さんに実りある明日を。
 三宝の祝福を。
 仏歯の恵があなたと共にありますよう。

 2007年にビクター・ペレラが警察庁長官に任命されてからテロの容疑者とジャーナリストに対するスリランカ政府の追及は一段と激しくなった。突然、ジャーナリストが行方不明になる。あるいは殺害されて発見される。シンハラもタミルも、市中の生活の中でその不安に駆られていた。スリランカは戦時下にあったのだから、ジャーナリストが戦場の敵兵のように命を奪われた。内戦は終結したが、その戦時体制はカンディでの大統領演説とは裏腹に今も続いている。
 8日・月曜の夜にサラット(フォンセーカ)がMP軍警察によって逮捕された。「私が大統領暗殺を企てたと言うなら逮捕してみろ」、「スリランカ政府の戦争犯罪を国際裁判所に申し立てる」とロイターに話した翌日のことだった。すでに先週、37人のフォンセーカに付いた軍人が大統領暗殺を企てたからとMPに逮捕されていた。

 サラット逮捕の報道はスリランカ国内紙では国営のデイリーニュースを除いてすべてがトップ扱いだった。国営のデイリーニュースだけはマヒンダのロシア訪問をトップ・ニュースにしていた。
 マヒンダ(ラージャパクシャ)は6日から3日間、ロシアを公式訪問した。この訪問でロシアはマヒンダに新たな軍備とすでに供給済みの武器補修の為に3億ドルを援助すると約した。これに対してマヒンダは8日、マンナル沖の石油ガス開発にロシア企業ガスプロムが着手することをガスプロムのモスクワ本社でミレルCEOと協議、事業計画を受け入れた。マンナル沖の石油ガス開発は各国が興味を示していたがついにロシアの手に落ちた。ロシアは念願だった南西アジアの海域制覇をやっと手にしたことになる。四半世紀前にボイス・オフ・アメリカの電波基地をスリランカのウィラナウィラの地に作った米国はロシアにリードを許したことになる。
 高名なロシアン・ティはスリランカなくては生まれない。マンナル沖の石油ガスもまた、そのように言われる日が来るか。

 マヒンダのスリランカ政府はロシアと中国に急速に接近している。非同盟中立は今度の内戦で崩れ去った。ヒューマニズムを尊重してスリランカ軍の戦争犯罪をとがめる米英やEU各国とは、以前から距離を置いていたマヒンダだが、その距離は更に広がった。
 英国のBBCとチャンネル4はスリランカ政府軍の戦争犯罪を非難する。アルジャジーラも戦争犯罪に関して正確な報道を努めている。だが、ロシアも中国もスリランカ政府が国内少数民族の反乱を抑えたことを高く評価している。中国では昨年の十大ニュースにスリランカ内戦を上げた。日本は、政府もマスコミも、関与をひたすら抑えた。

 内戦が終結した後のスリランカには大きな希望がある。マヒンダ・チンタナがもくろむ経済の進展は単なる夢ではない。その夢の原動力となるのは観光と鉱物資源と石油の採掘だ。スリランカの観光はエコ・ツアー、コミュニティ・ツーリズムの分野で最先端にある。チタンの原料となるイルメナイトは東海岸のタミル地区に無尽蔵に眠っている。ここに来て石油開発が進めば世界の最貧国の一つであるスリランカは、あっという間に経済力豊かな国となるだろう。
 スリランカ独立記念日にマヒンダはスリランカの統一と北部地域の経済的な戦後復興を強く訴えた。それが成し遂げられるならマヒンダの政権はスリランカに多大な貢献をすることになる。かつてスリランカを率いた政治家の誰もが遂げられなかった政治と経済の回復と言う難問を解決するマヒンダだけが獲得できる栄誉である。

 日本は民主党新政権の岡田外相がスリランカ政府に内戦終結を祝う文書を送った。国内問題を速やかに解決すれば復興資金を援助すると約束した。

 コロンボの日本大使館はそのホームページに日本の援助を写真付きで並べ立てた。戦後復興のために用意した民生支援の援助と融資だ。
 それはこれまでおよそ見たことのない内容だった。復興援助契約をスリランカと交わす度に日本の大使とスリランカ側の代表は握手を交わす。国際儀礼だ。その儀礼のツー・ショット写真が記念アルバムのように日本大使館のホームページのトップに延々と掲載されていた。その写真群は9日には削除されたが、在コロンボ日本国大使館のホームページが記念アルバム化したことには思わず赤面させられた。これが日本の実力かと思うと恥ずかしい。

 サラットの末娘アパルナがブログを立ち上げた。「お父さんは何処?」と末娘が書いている。「父を家から連れ去ったのは、スミット・マナワドゥ少将。タイガー壊滅の作戦に失敗して117名の兵士を失った人。それで父に降格させられたのを恨んでいる。父がどうしているか、心配でしょうがない」と今日、ブログに書いている。
 タミル人の戦争難民としてロンドンへ渡り、長い間沈黙していたMIAと同様、不可解なままに父を失った娘が、MIAのように沈黙を破り戦争の悲惨を語り始めた。