スリランカ・和平への足跡
スリランカ軍勝利後の動き2010

No.139
2010-Jan-28

MAHINDA REGIME AGAIN
マヒンダ・レジームがもたらすのは安定か、無秩序か


 スリランカの選挙はいつもアクロバットだ。結局、得票割合6対4(16地区対6地区)でマヒンダ(ラージャパクシャ)はサラット(フォンセーカ)に勝った。スリランカ南部ではマヒンダが有利に得票を重ねたが、スリランカ東部、カンディでは五分かサラット有利、ジャフナ、ワンニなどスリランカ北部ではサラットが制した。避難収容所に押込められたタミル人は投票の権利を行使できない環境におかれたから、投票率はほかの地区より50パーセントも少ない。人口の2割を占めるタミル人の権利は自由に、公平に行使されなかった。戦後復興をタミル人側にとって有利に進めるか、不利にするかの大事な選挙だったはずだが。
 選挙の施行に関してはマヒンダの側もサラットの側も不平を訴えている。選挙は行われたが自由で公平ではなかった。終わってみれば異臭が早くも立ち昇っている。

 投票の翌朝、コロンボにあるシナモン・レイク・ホテルは数百人規模のスリランカ軍と警察によって取り囲まれていた。サラット陣営が宿泊しているホテルだ。BBCはネットで軍の包囲を動画配信している。万が一、サラットが勝利を得るようなことがあったなら、ホテルに篭ったサラットとUNPの陣営は即座に軍によって身柄を拘束される予定だった。サラット陣営はホテル内で記者会見を開き、身の危険を案じて篭城しているとの声明を出した。
 軍を使った敵陣営の包囲は、かつてチャンドリカが取った戦術に似ている。2003年11月、大統領だったチャンドリカは政府を軍の威圧を使って押さえつけUNPの3閣僚を包囲した。SLFPのチャンドリカ大統領対UNPのラニル首相というねじれがあったためだ。ラニルが米国に行き、その不在を狙ったファッショだった。大統領の職権を使いチャンドリカは非常事態を宣言、ラニル政権を揺さぶり翌年4月、政権をUNPから奪った。
 今回の軍出動も臭い。チャンドリカの後継者として大統領職に着いたマヒンダだから、そのやり方が似ている。いや、強権を振り回してしかスリランカの政治は動かないのか。

 2004年、マヒンダはチャンドリカの従順な後継者として現れた。だが、マヒンダはすぐにチャンドリカの追い落としに躍起になった。チャンドリカは不法行為のかどで裁判に駆り立てられた。彼女がロンドンで買ったカーテンは彼女の秘密のマンションの窓を飾るためで、購入費は国費を横領したものであるなどとマヒンダに訴えられた。
 政権を追われたチャンドリカはサンデー・リーダー紙の助けを借りて政治の表舞台への返り咲きを狙ったが、彼女が対タミル政策に柔軟な姿勢を貫いていたことからシンハラ人の多くは彼女を支持せず、代わりに対LTTE強硬路線をとったマヒンダがシンハラ人の圧倒的な支持を得た。

 マヒンダは大統領就任当時、スリランカへの道州制導入などタミル人の自治拡充に誠意を示していた。スリランカ和平交渉の仲介役として日本が送り出した明石康がスリランカ政府とLTTEの間に立ち活躍できたのはこの時点までだった。
 マヒンダは二枚舌だった。LTTEのテロ、シンハラ軍の報復を繰り返す中、LTTEへの強硬路線をとることでシンハラ人の支持を確実にしていった。同時にマヒンダは一族で政権を独占するという傾向を強めた。軍の兵器調達に関しても汚職の疑惑が常にスキャンダルとなったが、それは彼の一族の仕業である。
 タミル人にはスリランカを渡さない、国の分割は許さない。それがシンハラ人のアイデンティティーだった。マヒンダは軍事力でこの要求を満足させたが、その一方でタミル人の虐殺やナパーム弾による病院の爆撃など、国際的に非難される戦争犯罪をもたらした。チャンネル4が選挙期間中に報じたLTTE捕虜の虐殺は国連人権委員会も調査の必要ありとした。

 本来、昨年5月の圧倒的なシンハラ軍の勝利でマヒンダの支持は100パーセントだったはずだ。それが、勝利後、間をおかずに保身の選挙を企てたのだが、選挙における彼の圧倒的勝利という期待は裏切られて4対6、5対5という得票比率の予測が大半を占めるようになった。汚職と身内びいきという二つの汚点が大きな影となってのしかかったためだ。
 
 選挙期間中、優位が保てなくなったマヒンダはチャンドリカに選挙協力を求めて接触した。チャンドリカは協力への条件として①バンダーラ一族への侮辱を公的に謝罪すること ②政権から汚職と縁故採用を排除すること ③ラサンタ・ウィクラマトゥンガ事件の真相を解明すること、の3条件を出した。
 ラサンタ・ウィクラマトゥンガはチャンドリカの復権を模索したサンデー・リーダーの編集長。昨年1月、テロで殺害された男だ。このニュースの出所はランカ・ウェブ・ニュースで、ランカ・E・ニュースと同じくマヒンダに批判的なサイドからの情報だ。ゴシップか、スキャンダルか。分かりはしない。

 大統領選挙後もスリランカは大きく揺れている。もし、シンハラ軍勝利の立役者サラットが大統領選に当選していればスリランカ国内は更に激しい混乱をこうむっただろう。かつてのアナーキーな戦場に戻っただろう。彼は戦場で勝者になった男だ。軍人は戦場でだけ軍人としての力を発揮する。
 スリランカはマヒンダ・レジームを選んだ。彼もまた、勝者であると宣言している。弁護士としての能力を駆使してチャンドリカを追い落とし、政界で戦い続ける姿は果敢だ。
 今回、元軍人に勝った。元軍人相手に軍を動かしもした。

 大統領選挙後のスリランカを待ち受けているのはやわらかなしじまか。すさまじい静寂か。