QアンドA01
 日本人は音に鈍感か

 本の中に「日本人は音に鈍感な民族」(p192)という記述がありましたが,私はけっして日本人が音に鈍感とは思いません。日本人は、外国人が左脳で聞き取る虫の音を、言語をつかさどる右脳で聞いているという分析を読んだことがあります。静寂の中、庭園の鹿威しの音を聴き、筧のしずくの音を聴き、古池に蛙の飛び込む音を聴いてきた日本人が様々な音にはたして鈍感かどうか。それに「ta,ti,tu,te,to」が「たちつてと」ではないという議論も子音母音でことばをバラバラにして分析する西洋の方法論を使用するからではないでしょうか。

 日本語の中の音の数が減ってきたというのは事実でしょう。ただ言語の豊かさは音だけでは計れません。中国が繁体字を簡体字に変更し、ピンインというローマ字表記を併用しているのも、またトルコでかつてケマルアタチュルクがアラビア文字からローマ字に変更する国語政策を断行したのも、外国の文化を受容し一方で国内において識字率をあげることを目指したからです。 さらに加えるならば、発音の出来る出来ないはやはり訓練の問題だと思います。例え日本語にない発音でも、訓練すればできるようになります。私もロシア語のr、フランス語のr、英語のcatのaもできるようになりました。日本人がたんに使っていないだけかもしれません。音も違うんだと認識して聴けば、その違いは分かります。

 日本人が外国語が苦手だという議論は、やたらと自らを卑下したがる日本人の特徴だとも思われるし、(他言語の習得はどの民族にとっても負担です。)苦手だと思う理由は多分に島国としての経験のなさと、日本人のメンタルな問題が原因だというのが、私の考えです。

 最後に、203ページに出てくる「カサ・ブランカ」はフランス語ではなくてスペイン語だと思われます。「白い家」はフランス語では「メゾン・ブランシェ」といいます。アメリカのホワイトハウスもフランスではメゾン・ブランシェと呼ばれます。綴りはmaison blancheです。


No-01 


言語脳は左じゃなかったかな。その右左に倣って言えば、私、完璧に右脳派、かな。直感でパッパとシンハラ語を聞いて話しています。脳の左派からすれば鈍感に映るかなァ。

 『熱帯語の記憶、スリランカ』は右脳派が書いた直感的・実践的なシンハラ語の本。これからスリランカへ行って日本とスリランカのために活動しようとする方のために書かれた本です。
 

 カサブランカの部分ですが、私の無知がばれてしまいました。ご指摘有難うございました。



 ※このQandA1の当時は私のシンハラ語への文法的な取り組みが始まったばかりでした。2000年に出した『熱帯語』の読者の皆さんからのシンハラ語へのお問合せをいただくようになって、それにお応えしたのがQandAの始まりです。
2000年ごろと言えば米国でのユニバーサル・ランゲージ(生成文法)の研究者の間でシンハラ口語の文法研究が盛んになっているときでした。それは当時、米国で研究を進めていた日本人を含めてのムーヴメントだったのですが、日本ではまだまだ誰も知らない言語という希少の扱いでした。すでに大学書林から文法書と会話学習書が出てはいましたが、まともにシンハラ語に取り掛かる土壌は日本では生まれていませんでした。
 この「シンハラ語質問箱」に取り上げた第一問目はそうした状況の中での『熱帯語』語読書感とそれへの私の応答す。いまからすれば、右脳左脳などという当時はやりのインテリジェンスが大手を振っていて私自身に初々しさを覚えます。読後感を寄せられる方にシンハラ語への興味を抱いていただこうとしていたのですが、右脳左脳やら発音上手は個人責任とやらで出ばなを見事にくじかれました。
 この「質問箱」を起点に読者の方から多くのご質問をいただくようになるのですが、サイトでお問合せにお応えしているうちにシンハラ語会話そのものを紹介するテキストが必要だとKhasyaReportは感じるようになっていきます。日本とスリランカはすでに密接な関係を築いていましたが、それは英語を介する関係にとどまっていて、それは外交のお仕事としてはOKなのですが、土地に根付いて暮らす人間との関係を築くには問題が多い。シンハラ語が言葉に包み込んでいる文化に触れることができません。
 それではいけないと思いました。英語でスリランカを味合っても何も面白いことには出会えない。風土に出会えないのです。南の島で土地の人と接して暮らすなら、それがどんなに短くても、どうしてもシンハラ語。シンハラ語でなければならない。
 『熱帯語』がそのシンハラ語でなければならない訳をくどくど語っていても、とうのシンハラ語を話すテクニックを記したテキストがなければ、まずはシンハラ語に取り組めない。
 そうなのです。だから、『熱帯語』から「質問箱」が生まれました。ここから、シンハラ語会話テキストの『シンハラ語の話し方』が2005年に生まれました。「質問箱」はこの後にも続いて、2011年に『シンハラ語の話し方・増補改訂』を生んでいます。こうした過程の中で『熱帯語』(南船北馬舎版・絶版)も進化して、現在、『熱帯語の記憶』はKhasyaReportからキンドルから出されています。
 この「シンハラ語質問箱」を総覧することで日本でシンハラ語がどう受け取られていたか。どう受け取られているか。そして、これからどう受け取られてゆくかが見えてきます。 KhasyaReport

※参考
 『熱帯語の記憶・スリランカ』(南船北馬舎版)の書評の一つに次のサイトの一文があります。
エキサイトブログ ことばの本の森 ニックネームkotobanohonさんの「熱帯語の記憶」評

  KhasyaReportではこの書評に対して次のように感想を開示しています。
「熱帯語の記憶」とことばの本の森