"" 「熱帯語の記憶」とことばの本の森



「熱帯語の記憶」とことばの本の森


 エキサイトブログの「ことばの本の森」に「熱帯語の記憶」が評されている。ランキング圏外のブログなので放っておいてもいいかあと思ったが、私の著作に初めて接する方が「熱帯語の記憶」を読まれる前に参考にされるかなとも思い、もしそうなら「熱帯語の記憶」を誤解されるなあ、と次に思い、それでは著者として少し言っておこう、と老婆心が働き、この文をしたためることにした。もとより、この文は著者の作品をご存じの方には必要以上のことなのでスルーしてください。

 評に以下のような記述があります。

かなり、バイアスのかかった考えでなかなか素直には納得しにくいものがあります。

どうにも偏りのある記述が多く、たいへん残念なことになってしまいました。

エキサイトブログ ことばの本の森 ニックネームkotobanohonさんの「熱帯語の記憶」評から 以下、太字の引用部分はこのブログから

 これ、小学校の物知り顔の先生が厭味ったらしく子供を叱っているような、陰湿な言い回しの雰囲気です。いやだなあ、と察知したのですが、「熱帯語の記憶」に触れているので、我慢して読み続けました。また、次の指摘もあります。

著者はシンハラ語と日本語が同属にあるとか、祖語が同じとは決して書いていませんが、書かないまでもそうではないかと感じているようなのです。

 あ、隠していたのにばれたか、と慇懃に叱られている子供のように著者は首を竦めます。それでも、このセンセー、邪推してるな、と子供は洞察します。どうもこの同族とか祖語とかの事柄がニックネームkotobanohonさんの怒りに火をつけてしまったかな。
 「ようなのです」の後にニックネームkotobanohonさんの文は続きませんが、何を言ってんだ、この馬鹿は!と優越感におぼれるニックネームkotobanohonさんの姿が覗いています。そして、評の最後では、「熱帯語の記憶」にあるシンハラ語の音素は日本語のそれより多いという部分に触れて、

たしかに日本語の音韻は他の外国語にくらべるとその数は少ない。これは事実なのですが、それはなにもお粗末ではないし、目を覆うものがあるわけではなく、そういう言語なのです。それなら日本語より母音の少ない言語は、もっとお粗末なのでしょうか。

と、同調を求め、「いえ、お粗末ではありません」と読み手に言わせようと誘導します。またまたお怒りです。「です、ます」調ですから、言葉は丁寧なはずですが、わざとらしい。
 また、ニックネームkotobanohonさんはこう用心しなさいと忠告もしてくれます。  

著者は言語学者でもシンハラ語学者でもありません。(中略)取り上げる語彙は恣意的ですので、やはり語呂合わせの類と見ておくべきでしょう。その意味で、本書はシンハラ語を扱いつつも、かなり特異な切り口からアプローチしているものと考えておく必要があります。

 ええ?扱いつつも、だなんて。著者にはシンハラ語を扱うなどという高慢ちきな気持ちは少しもありません。そんな言葉使わないで。シンハラ語に接して、好きになって、まるで恋しちゃったみたい。「扱いつつも」だなんて失礼な気持ち、いやですよ。著者のアプローチからすれば、評の「本書はシンハラ語を扱いつつも、かなり特異な切り口からアプローチしている」は、「本書はシンハラ語を愛した著者がシンハラ語にのめり込む中で独特の方法でシンハラ語を覚えてしまったことを記録している」となるのですけど。
 最後にこんな言葉でニックネームkotobanohonさんの「熱帯語の記憶」評は見事に締めくくられます。

ここに書かれていることの当否を100%判定するだけの知識を持ち合わせてはいませんので、シンハラ語や言語学、国語学の専門家がどのように評価するのかを聞いてみたいものです。

 えええ?判定する知識をお持ちじゃないって、それでこれだけ高慢な評が書けるの? そうだったのか。そうか。100%判定するだけの知識がないとおっしゃりながら、かなり、バイアスのかかった考えでなかなか素直には納得しにくいとか、どうにも偏りのある記述が多く、たいへん残念なことになってしまいましたと100%断定しておっしゃっているのですけど。
 ニックネームkotobanohonさんの「ことばの本の森」上記の文は、きっと、要するに、こんな本はまがい物だから注意しなさい、とエキサイトブログ「ことばの本の森」の読者にご指導されているのだと思います。そして、きっと、「熱帯語の記憶」をペラペラ飛ばして眺めてご自身の切り口に都合のよい部分を切り取って誉れ高く断を下したのだと思います。他意あるなあ。  

 この「熱帯語の記憶」は2000年発行です。ニックネームkotobanohonさんのこの書評は2014年に書かれています。
 「シンハラ語や言語学、国語学の専門家がどのように評価するのかを聞いてみたい」とエキサイトブログの「ことばの本の森」の 2014-03-15 00:00 の日付の「熱帯語の記憶」評を締めくくっていますが、その2014年の時点でならシンハラ語をネット検索されればいろいろお聞きに(いえ、お読みに)なれたはずなのですが。シンハラ語のこと、すこしもお調べにならなかったのですね、残念です。
 2000年から2014年までの14年間に何があったでしょう。「熱帯語の記憶」の後、2005年に会話テキストの「シンハラ語の話し方」を著者は記しています。また、「シンハラ語の話し方」の増補改訂版を2011年に記しています。「熱帯語の記憶」発刊後に、シンハラ語を話したい、という要望をお持ちの方が多くおられることを知って、まとめたのが上記の「シンハラ語の話し方」です。
 この「シンハラ語の話し方」は大学で講義用のテキストとしても使われました。ニックネームkotobanohonさんがぼろ糞に評された「熱帯語の記憶」はそうした著者の現在の活動に至る発端にあります。
 ニックネームkotobanohonさんは難しい学術論文はお嫌いなようですが、ニックネームkotobanohonさんが、偏りのある記述が多く、たいへん残念、と評されるこの著者のシンハラ語アプローチは学術論文にも引用されています。

 そこでお勧めするのですが、エキサイトブログ「ことばの本の森」の愛読者がもしおられて、この評をご覧になったとしたら、どうぞ、「熱帯語の記憶」の著者のサイトKhasyaReportにもお立ち寄りください。また、著者の名前でネット検索をかけて、著者の著作に関するより多くの情報を得られるようお勧めします。

 どうにも怪訝なのですが、ニックネームkotobanohonさんは「熱帯語の記憶」の中のシンハラ語の語彙ばかりに目が集中しています。その部分だけしか読まれなかったのでしょうか。もったいない。そして、著者のシンハラ語アプローチがスリランカのシンハラ人との会話の中で芽生えていることに、本を読まれてもお気づきになれなかったのでしょうか。本当に「熱帯語の記憶」、読まれました?
 恣意も語呂合わせもあります。ニックネームkotobanohonさんは恣意がお嫌いなのですね。判定する知識を持っていない方が「熱帯語の記憶」を判定するって恣意そのものですけど。

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 先日、9月3日に、やっとわたくしのところにもコーブンドウなるS新聞広告代理業から電話が入り、センセイの「熱帯語の記憶」という「素晴らしいゴホン」をサンケーの全面広告に掲載したいという名誉ある勧誘を受けました。勧誘の文言は多くの方が各サイトで指摘する「国会図書館で見た」で始まり、「広告料は24万です」で結ばれる定型文です。実にうれしかった。遅まきながら私もコーブンドウによる全国44名の選ばれた作家の一員となったのです。そして、即座にお断りしました。南船北馬舎の『熱帯語』ですから、私に広告出すような権限はないし。
 ポツンと電話は切られました。2000年発行の「熱帯語の記憶」を今頃2015年にになって広告に載せてあげるの、お金を出せのって。とてもおかしかった。
 このときに、念のため「熱帯語の記憶」でネット検索したら上記のことばの本の森にニックネームkotobanohonさんの評が掲載されているのを発見したのでこの文を記しました。あ、あのっ、キンドル版お忘れなくってあの時の電話で言うの忘れた。(2015-Sep-06)