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QアンドA108
シンハラ語文法基礎2


「シンハラ文法基礎1」を記してから5年を過ぎました。あの頃、「シンハラ語研究が日本では進んでいない」と書いたのですが、今は貴重な研究が多くの研究者によって進められています。その内容は…


No-108 2017-Feb-16


  日本語学からのシンハラ語研究の傾向とその周辺

 初期には平成元年『シンハラ文法概説』(花田康紀・新潟大学教養部研究紀要第20集・1989)がシンハラ語研究の芽生えを代表する存在です。

 2003年に『語順から見た日本語とシンハラ語の対照』(宮岸哲也・安田女子大学国語国文論集33号2003)が現れます。これがおそらく日本での言語研究としての論考がシンハラ語になされた最初の論文でしょう。

 これ以降、シンハラ語における名詞の格と動詞のつながりを主題にした研究が宮岸哲也によって毎年発表されてゆきます。
 2007年には、このテーマによる一連の研究に加わってVoiceをテーマにした論考がなされます。日本語学からシンハラ語の文Voiceを検証する「口語シンハラ語のヴォィス」が発表されたのです。この「ヴォイス」の中でシンハラ語の無意志動詞文への詳細な言及がなされました。
 「ヴォィス」の注釈に、J・B・ディサーナヤカがシンハラ無意志文を受動文のことだと記している-Say it in Sinhala 1993-とあります。この本はスリランカを訪れた英国人観光客向けにシンハラ口語を紹介する小さな冊子です。シンハラ無意志文が受動文とされても、それが再び本来の姿、無意志文に戻されて本来の姿を現しました。西欧の言語学者たちがシンハラ語に焦点を当て、そこに息づく特異な無意志文という言語能力を認める論文がそのころに表わされています。それが2007年の宮岸論文によって日本語学から注視されるようになりました。

 無意志文が受動文とは異なることが再認証されて後も、無意志文の前途は多難です。無意志文で用いる無意志動詞は非意志動詞と呼ぶべきだというささやかなアンチの指摘を含めて様々な検証が無意志文になされています。英語でなされる無意志文論考では乾いた論理が目立つのですが、日本語学がそれに触れるとき異なった趣きが現れます。シンハラ語の無意志文研究は日本語学からのアプローチが最も優れたものを生み出すのではないかと予感させられます。

 この時期、研究対象に取り組まれたテーマで数がもっと多いのは「授受動詞」に関するものでした。「あげる」「もらう」「くれる」という授受に関する動詞の比較言語における取組は他の言語においてもなされていますが、日本語とシンハラ語で授受動詞を対照する研究が盛んになると、そこには他の言語の授受表現とは異なる現象が表示されます。
 この研究はシンハラ語の話者が日本語を学習する際に現れる授受動詞の誤用を発見することから始まりました。日本語教育が日本の社会システムが生み出す授受表現を彼らにどのように教授するか。そして、私たち日本語を母語とする者が授受表現を、これからどう扱ってゆくのか。

 日本語とシンハラ語の比較論文の主なものをこの下に並べています。シンハラ語研究がこんな風に、短期間に広く展開するなどとは、前回の「シンハラ文法基礎1」の時には思いもよらないことでした。
 そう、思いもしない発見。だから、セレンディビティ。
 スリランカというアジア熱帯の島にシンハラ語が息づき、極東モンスーンの日本の島々には「にほんご」が息づく。これらふたつのことがあって、ふたつが偶然に出会い、ふたつの「ことば」がぶつかり合う。そこに生まれる思いもしないこと。
 シンハラ語は絶滅危惧種だ、なんて言ってた時代はとうに昔のことですよ、シンハラの皆さん。
 日本語は進化し、展開しすぎて荒れ狂うことが往々あります。現世化し、疲弊し、行く先を見失って硬直するかも知れない日本語。その日本語のカウンター・カルチャーがシンハラ語ではないだろうか、と、ふと思うこと、しばしばです。


日本語とシンハラ語に関連する論文2000-2016


シンハラ語母語話者の日本語作文に見られる格助詞の誤用とそのフィードバックに関する研究 永井絢子 2016
 シンハラ語の使用されるスリランカ社会の概論からスリランカでの日本語教育の現状紹介まで、多岐にわたる内容を含んでいます。やや冗長な前置きがありますが、「格助詞の誤用とそのフィードバック」とあるように日本語を学習するシンハラ人が起こしやすい日本語の格助詞の適用違いを数値化し、その傾向を把握して解決を図るための総論研究です。


日本語とシンハラ語における動詞構文とその格標識の対照研究 宮岸哲也 2015
 2003年以来のシンハラ語研究の集大成。シンハラ語の動詞構文を解析することで得られる有生性と意志性の関与が日本語動詞構文にも指摘できることをシンハラ語との対照で指摘しています。
「日本語とシンハラ語はともにSOV 型言語であり、有生性・意志性の有無を動詞構文とその格標識に示すことができ、更に、授与動詞を補助動詞として用いる受益補助動詞構文を文法化させている点でも一致する」という宮岸の指摘は対照研究の一つの到達点であり、また、さらなる探求への出発点となっています。この指摘は、「それぞれの言語において、どの構文を精密化させ、発展させたのかが異なっていることを見逃してはならない。つまり、シンハラ語では有生性と意志性が関与する動詞構文を日本語以上に精密な体系へと発展させている。一方で、受益補助動詞構文については、日本語のほうがシンハラ語より文法化を深め、多様な恩恵的事態の意味解釈が可能になっている」という論に展開されるのですが、ここから刺激を受ける賛否両論の研究が続くのではないでしょうか。

 宮岸哲也・そのほかの日本語とシンハラ語の対照論文

  シンハラ語後置詞gænə の用法とその類似形態素 宮岸哲也 2013
  シンハラ語における対格表示名詞と動詞の結び付き(3) 宮城哲也 2010
  日本語とシンハラ語の授与動詞 宮城哲也 2010
  日本語とシンハラ語の収受動詞の対応について 宮岸哲也 2009
  シンハラ語における対格表示名詞と動詞の結び付き(1) 宮城哲也 2008
  口語シンハラ語のヴォィス 宮岸哲也 2007
  シンハラ語における必須要素としての共格名詞と動詞の結び付き 宮岸哲也 2006
  文語シンハラ語における従属節の対格主語 宮岸哲也 2005
  日本語とシンハラ語における場所格と与格の両形態素の意味的類似性 宮岸哲也 2004
  シンハラ語の場所格名詞と動詞の結び付き 宮岸哲也 2004
  シンハラ語の奪格・具格名詞と動詞の結び付き 宮岸哲也 2003
  語順から見た日本語とシンハラ語の対照 宮岸哲也 2003
 

現代における日本語とシンハラ語の格助詞についての一考察 Suchiththa Gunasekara 2015
 宮岸哲也の一連の動詞構文論文に触発されてシンハラ語と日本語の格助詞のいくつかを比較検証しています。検証において、シンハラ語の名詞が不定であることを表す接尾辞の-kをニパータと解して格助詞「が」に比定するなどの危うさがままあるのですが、その精緻さ加減はさておいて、シンハラ口語におけるシンハラ語のニパータがどのような意識をもってシンハラ人に使われているかと言う状況を測るには好適な資料です。客観的な発話資料による考察が行われているかという判断はできかねる論文ですが、シンハラ母語話者からの日本語の格助詞への取り組みは貴重です。いかんせん7ページと言うボリュームはテーマの大きさからするとあまりに乏しく、さあ、論文の主旨を読み解こうと思い始めるころ、考察はいつの間にか終わってしまいます。この取り組みが彼の日本語学校を通じて進んでくれるとうれしいのですが。


非意志性の表し方 シンハラ語と日本語を中心に Rathnayake Dilrukshi 2008
  ラトナーヤカの分析はち密です。研究の前提として、「無意志」を用語とするか、「非意志」を用いるかという解析用語の選択から始まります。日本語学での用語を慎重に検討し、そこからシンハラ語を読み解く作業が始まります。この解析が進むにつれて或る事実が浮かんで来ることがダイナミックな手順で語られます。それは、「日本語における非意志自動詞は、シンハラ語において非意志性を表現する動詞カテゴリーの中でほんの一部しか占めない非常に限られたものである」という認識であり、これが「シンハラ語における非意志性が日本語で形態的に表現できないとすると、どのような方法で表現しているのだろうか」という疑問へ続いてゆきます。論文ではこの問題提起に至るまでの例文がサンプルとして多くは提供されていないのですが、作業がきわめて正確であることからその不足を感じさせません。きっちりとした論理の詰めはややきつ過ぎと思えるほど正確ですが、おそらくはその正確さが、この論文の最初に指摘されるJ・B・Disanayakaのニルットサーハカ・ワーキャを日本語学の用語上の「非意志」に当てはめ断定させたのでしょう。  この研究は4年後、「非意志性の分析―シンハラ語をはじめアジア語の状況を巡って」2012というよりスケールの大きな研究業績へとつながって行きます。


シンハラ語補助動詞wa gannawa の前項動詞-日本語補助動詞テモラウとの比較を通して-宮岸哲也 2011
  Sandhya Priyadarshani の論文「スリランカ人日本語学習者の日本語習得過程に見られる授受表現の誤用分析」2008は日本語とシンハラ語の授受表現における共通点、相違点をきれいな手さばきで仕分けして見せてくれます。ここに日本語の「~テモラウ」とシンハラ語の「wa-gannawa」には共通する事項がありながらも、折り合いよくは適合しない部分があり、その理由を使役接辞のwaの存在に求め、使役という強制の意味を持つゆえに、とする箇所があります。
 宮岸哲也の「シンハラ語補助動詞wa gannawa の前項動詞」はこのSandhya Priyadarshani の「wa-gannawa」論を検証する形で進みます。誤用の原因探求の方法をその前項動詞の意味から炙り出すという作業で取り組み、ここから授受表現の誤用の理由を、前項動詞の語義と文の意味の整合性の範囲を話者が判断する結果生じるとしています。
 論の展開、その手段は両者で重なります。そして、異なる結果を生じています。
 フィールドワークの細かな作業がそれぞれの論のベースにある。論文を読む私たち自身があたかもそれぞれの執筆者となってその探求の園に踏み入ったかのように胸をワクワクとさせてくれます。私たちはこれら二つの論文のさらにその先に目を向け、耳を傾ける。宮岸哲也のこの論文はSandhya Priyadarshani の論文と照らし合わせて読むとその内容が大きく膨らみます。


日本の国語教育における五十音図の役割 ―シンハラ語ホーディヤとの比較対照― Attanayake Priyanthika 2013 
  5章で構成される「音図」に関する論文のうち1章、2章が日本語(国語)とシンハラ語の「音図」比較に当てられています。日本語(国語)もシンハラ語もBrāhmī Akṣara(ブラーフミ―文字)の音素理論を借りて音素表を作ったという指摘に始まり、50音図を作り上げた日本語(国語)とシンハラ・ホーディヤ(シンハラ語音素一覧)の成立を時間枠の下に対照しています。現代国語の50音図に至る経緯が詳しく記述されているのに対して、シンハラ・ホーディヤの成立に至る過程はJ・B・ディサーナーヤカからの簡単な引用と変遷の洗い筋書きにとどまっている感があります。日本語(国語)50音図を手放しで礼賛してくださるのはうれしいのですが、転じてシンハラ・ホーディヤを単なる字母表に過ぎないと卑下するかのような論調が1章に垣間見えるのは残念です。
 2章ではシンハラ・ホーディヤの教育が学校でどのように進められているかという報告がなされています。日本語50音の教育指針とシンハラ・ホーディヤの教育指針の違いがここで指摘され詳述されています。また、ブラーフミー文字の音素理論がどのように構築されているかが、シンハラ・ホーディヤの学校教育の中で示されること、歴史の変遷と仏教の導入がシンハラ・ホーディヤにかかわることを教えることが紹介されます。
 シンハラ・ホーディヤがF音をという新しい文字を作って取り入れることができるのに対して、日本語(国語)50音にはそうした開かれた対応がかなわない。「さ」、「は」の「音図-ホーディヤ」での位置がなぜ日本語(国語)とシンハラ語で異なるのか。そうしたことの訳がこの論文から知らされました。「結論」部分の流麗な文体と共に、この「音図」論文は平凡社の『日本語の歴史』以来の面白さです。


日本語とシンハラ語の表現構造比較(機械翻訳) Nayaka Elikewala, Samantha Thelijjagoda, 兵頭安昭、池田尚志 岐阜大学工学部 2000
 論旨が明快でシンハラ語概論を俯瞰し検算するのに適しています。シンハラ語は文節言語であり、文節構造පාදයは「単語」+「機能語」からなる、という指摘が冒頭になされますが、口語シンハラの最もラジカルでシンプルな捉えかたです。日本語の文節にシンハラ語のපාදයを対応させれば機械翻訳は原則的に可能であるという指摘と、その際の問題点の概略を主題の格、主題表現、接続表現、モダリティー、語順、語彙表現から追っています。非常に短い論旨なのですが、無意志表現に種別される与格主語文に習慣的動作を加えるべきという指摘が例文をあげてなされるなど、細部の指摘が生産的です。シンハラ人学習者への日本語教育が現場で得た情報を機械翻訳が活用できる、あるいはその逆のルートがシステムとして稼働する。多岐にわたる取り組みがクラウド化することで多言語の時代がますます面白くなってきそうです。


その他、生成文法からのシンハラ語関連論文

シンハラ口語における再帰化 Anaphoric Binding in Colloquial Sinhala / Kumara Henadeerage / Australian National University 1998
生成文法(LFG)からとらえた再帰代名詞taman、再帰動詞gannavaaの用例からシンハラ口語における再帰化を検証。英語の-selfにあたる再帰代名詞の用法をtamanの語でシンハラ口語に追って再帰化を普遍的に実証するという面白さがあります。 シンハラ語英語混在文 245

シンハラ語英語タミル語混在文 782

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参考→シンハラ語文法基礎1 2006-01-14 , 2017-02-12