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QアンドA107
打消しの「ない」
シンハラ語の場合、日本語の場合



「シンハラ語の話し方」の動詞の章では打消しの「動詞未然形+ない」をシンハラ語動詞にも適用して文法めいた解釈をしていますが、そんなことってあり?


No-106 2017-Jan-31


  シンハラ語の動詞変 化を整理して、あたかもシンハラ語動詞が日本語の動詞のように活用することを解析して見せたのはJ・B・ディサーナーヤカです。それは2000年の「動 詞」というブックレットに収められた新しいシンハラ語研究でした。もっとも、ディサーナヤカは日本語の動詞に関しては表向き一切言及していませんが、彼が 前書きに記すように、ユニバーサル・グラマーの方法論に影響を受けてこの「動詞」という書(ブックレット)を書き上げたのなら、どこかに日本語の動詞の活 用表が絡んでいても不思議ではないでしょう。
 言葉には変化するものと変化しないものがある。名詞と動詞は語形変化inflectionする。語形変化は動詞の活用conjugationと名詞の屈折conjugationというようにさらに分化する。
 シンハラ語の場合、語形変化を名詞の屈折declention、動詞の活用conjugationと分けないで、すべての語形変化をワラナギーマvaranagiimaと呼びます。名詞と動詞はともに「屈折・活用の語形変化」をするということです。
 このワラナギーマ(語形変化)は名詞の場合とても規則的に運用されるのですが、動詞では変幻自在で、規則性を見出すのが困難です。ですから語形変化の中に規則性を見出して統一化する、単純化するなどということをもくろむ文法家は現れませんでした。
 ところがJ・B・ディサーナーヤカは違いました。動詞の語形変化に普遍的な秩序を見出そうとしたのです。シンハラ動詞を語根と活用部分の二つに分解し て、その上で規則的な変化を語根に見出そうとしたのです。動詞を語根と活用とに分けて捉えるという方法は旧来のシンハラ文法用語―語根prakrthiと 活用prathi-で間に合わすことができましたが、2000年に彼が試みたのはとても野心的で画期的な内容を含んでいました。
 今から思えば、マイクロソフトがシンハラ文字のユニコード化を図って、シンハラ語と英語の機械翻訳を完成させようと準備を進めていたときとJ・B・ディ サーナーヤカが出版した「動詞」の出現とが重なっています。シンハラ語の重鎮が新たにシンハラ語文法の解析と構築に乗り出した時と、シンハラ語をコン ピューター・システムにのせるためにシンハラ文法をその根源から洗いなおす若いエンジニアの現れた時とが重なるのです。

 シンハラ動詞の打消し未然形

シンハラ動詞は日本語の学校文法で表す動詞活用とうまく一致します。未然、連用、終止、連体、仮定、命令という動詞変化です。
 でも、ここで変だ、おかしいと思われた方がおられます。連用形以下はしっくりと行くが、未然形は何かぴんとこない。
 そうです。未然形はちょっと説明できないのです。打消しの活用語が「ない」と「ナェ」でうまく合致するし、語根の活用も規則的なので、気にしなければスルーしてしまう引っかかりですが、未然形はおかしい?
    「行く」の未然形は「行かない」。「行か」と「ない」に分けらます。シンハラ語ではヤナワの未然形は「ヤンネナェ」。「ヤンネ」と「ナェ」に分かれます。日本語では語根「行か」の「か」が活用して、シンハラ語では語根「ヤンネ」の「ンネ」が活用します。

  行かない      yu ka  - nai
  ヤンネナェ    ya n'ne - naee
      

 連用形以降もこの語根と活用を分けることでシンハラ動詞の語形変化を捉えることができるので日本語学校文法の動詞活用はシンハラ語動詞にも有効です。ただ、変なのは、「未然形」だというのに、なぜ打消しの言い回しがそこにあるのか、ということです。
 未然とは「未だ然らざる」ですから「打消し」を表す言葉ではありません。なぜ「未然形」が「打消し」なの?

 「未だ然らざる」ではない未然形

 「まだ、そうなっていない」状態を意味するのが「未然」という言葉です。「行かない」は未然ではありません。「行く」を打ち消して「行かない」のです。 「行か」という未然形は「これから行く」という意思を表すのですから、「行か」の後にくるのは「ない」ではなくて「ば」でしょう。大伴家持の「海行かば」 です。  これが何処でどうなって「ない」が付いて打消しの「行かない」となってしまったのか。「行かない」なら未然形ではなく「打消し形」と呼ぶべきではないの か。

 「行かない」にあたる「ヤンネナェ」もまた、未然ではない。打消しです。
 この「ヤンネナェ」は文法から見ると不思議な形をしています。シンハラ文法書はヤンネナェという言い回しを正面から解説しません。どんなシンハラ文法書 も「ヤンネ」を打消しの動詞語根とは記していません。完全スルーです。誰もが日常使っている言い回しなのに文法書から見放されている? なぜ?

 シンハラ文法書は「行かない」を「ヤンネナェ」ではなく「ノヤミ」と紹介します。「ノヤミ」が「行く」の打消しです。文法と言えば文語文法しか教えてく れないのがシンハラ語。「ノヤミ」はシンハラ文語の打消しです。  シンハラ文語では打消しの場合、打消し接辞「ノno」を打ち消したい言葉の頭に置きます。これはパーリ語の文法ルールですがシンハラ語文法はそれをしっ かり継承しています。そう、シンハラ文語はパーリ語から作られているのです。「ヤナワ」が「ヤミ」になる語形変化は人称における動詞語尾の変化とやらで、 これもパーリ語の規則ですがシンハラ文法書にそのまま書き写されています。
 日本語と比べてみれば、

  行かず       yu ka  - zu
  ノヤミ    no  ya-mi


のようになります。でも、文語ではシンハラ語と日本語を比べようもありません。シンハラ文語からはちょっと距離を置いて口語に執着して話を続けましょう。

 シンハラ文法書は口語の打消し表現「ヤンネナェ」を無視しますが、J・B・ディサーナーヤカのシンハラ語エッセイに動詞の打消しに関する次の記述があります。


කියන සිංහලයෙහි රීතිය වන්නේ ක්‍රියා පදයට මුලින් 'නො' යන්න එක් කිරීම නොව ක්‍රියා පදයට පරව 'නෑ' යන්න එක් කොට ක්‍රියා පදය ද රටාවක් අනුව වෙනස් කිරීම ය.



シンハラ口語のルールでは、動詞の頭に「ノ」を置くのではなくて、動詞の後に「ナェ」を置いて活用パターンを変化させます。

මානව භාශා ප්‍රවේශය / ජේ බී දිසානායක /සුමිත ප්‍රකාශනයකි 2005 p.72


 動詞に「ナェ」を付ける「ヤンネナェ」は口語表現だということがはっきりしました。口語だから軽く扱われて、だから、文語一辺倒のシンハラ文法から疎外されているのです。
 そうだったのか、となるところですが、まだ、おかしなところがあります。「ヤンネ」という語根活用は本来、「ヤナワ」の強調形として使われます。倒置語法で「行く」ことを強調するときに使うのです。

 mama  colamba-ta  yanavaa.
 私    コロンボへ  行きます。 平叙文

colamba-ta  yannee   mamayi.
 コロンボへ 行くのは 私です。 強調文

 というような使い方をするための語形です。「ヤンネ-ナェ」は「行か-ない」ではなくて「行くことは-ない」というやや強い含みを持った言い回しなのです。

さて、ここまでお話ししたことからすれば、シンハラ語の打消し話法はこれが未然形かと問えば未然形ではありません。動詞語根から言えば強調形。同様に、日本語の「行かない」も本来の未然形ではない。
 でも、学校文法で使われる動詞活用ルールはシンハラ動詞の理解にもとても便利に使えて、覚えやすくて、実用的だし、未然形の用法はすでに打消しを表すた めの活用形とされてもいるので、どちらも「未然形」と呼んでおきます。手前勝手な未然形ですが、これが返ってシンハラ語の動詞活用を上手に覚える方法にな るのです。