シンハラ文字は昔にさかのぼると、フェニキア文字に近い形のものがあると著書で触れられていました。それは、どんなものですか。また、H/パーカーを引用していましたが出典はなんですか。 |
No-25 2003/10/21
● コロンボの博物館では20年ほど昔、シンハラ文字の歴史をパネルで図解していたのですが、そのパネルがなくなってしまいました。あれ、分かり易かったのですけどね。 かつて流行した変体少女文字のようなシンハラ文字が登場する以前、スリランカではブラーフミー文字を使っていました。それは古代山岳仏教を伝える整地に今も残っています。ですから、その古代文字の現物を今も目の当たりにできるのです。 古代シンハラ文字を英国流考古学の視点から紹介したのがH・パーカーです。今から100年程前の事です。 パーカーは沢山の古代シンハラ文字の記録を、かれの『古代セイロン』( H.Parker / Ancient Ceylon / 1909 / reprint .1981 / Asian Educational Services ) で紹介しています。19世紀の終わりから20世紀にかけて、スリランカは古代文字の宝庫として当時の考古学者の注目を集めていたのです。 それらの古代シンハラ文字、つまりフェニキア文字がフェニキア人のものでもあり、そのフェニキア人がアメリカ大陸や世界の各地に同様の刻み文字を残している事は夙に知れわたるようになりました。 フェニキア人に関連してスリランカではこんな事が確認できます。フェニキア文字が残るアメリカ大陸に伝わる割礼の道具が、アヌラーダプラ古代都市にもあったという事です。アヌラーダプラの民俗博物館に野ざらしにされていましたが,あれはスリランカの古代王宮を発掘すると出てくるものなのです。スリランカはかつて世界を制覇した商人国家フェニキアの、その文化の片鱗を伝える土地のひとつなのです。 参照/『古代セイロン』から
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