(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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すいげつあん 水月庵 | | |||
すいげつろう 酔月楼 | | |||
すうしん 崇信上人 | 「遙かに彦嶺の崇信上人の茶酒室に題す | 南畝集3 漢詩番号0475 | ③164 | 安永5年 1776/02/ |
すがや ちゅうすけ 須賀屋 忠助 | 「竹堂手記抄録一 壬戌七月既望舟遊一行名字 須賀屋忠助 楽地堂」 | 零砕随筆三 続日本随筆四巻 | ④212 | 享和2年 1802/07/16 |
すぎうら せいがい 杉浦 西厓 | | |||
すぎた げんぱく 杉田 玄白 | 「杉田 翼 鷧斎を哭す | 南畝集19 漢詩番号4277 | ⑤423 | 文化14年 1817/04/17 |
すけしち 介七 | 「雉子橋の北、第四原に介七なる者有り。地に木床を安じて、日々に茶菓を売る。之を亡友十千亭に聞く。頗る書を読むを解し、好んで文選を読むと。余、日々に其の地に来往すること十余年、未だ一書を披くを見ず。勃窣たる一野翁なり。壬申季夏十一日、府より退いて、翁の林下に偃臥し、黒甜正に熟せるを見る。偶々風の一巻を翻へすを見れば、則ち文選なり。是に於いてか始めて亡友の言の妄ならざるを信ず。嗚呼、堂々の士大夫にして、字碑没(じひな)き者、顧みて一売茶翁に恥ぎざらんや | 南畝集18 漢詩番号3650 | ⑤246 | 文化9年 1812/06/11 |
すずき 鈴木 (鈴章甫) | 「鈴章甫の四川営作の吏に従つて三河に之くを送る 借問遊方従使者 何如侍坐在庭闈」 | 南畝集5 漢詩番号1024 | ③351 | 天明1年 1781/09/ |
「鈴木生三河に之くを送る 若し村中に入て万歳に逢はゞ 君に憑つて伝語す御平安」 | 壇那山人藝舎集 | ①471 | 天明4年刊 1784/ | |
すずき 鈴木 (隣家) | 「十月十八日夜、二西隣の鈴木氏火を失す。災、籠中の二孔雀に及ぶと聞く | 南畝集18 漢詩番号3700-1 | ⑤262 | 文化9年 1812/10/18 |
すずき 鈴木 (新倉村住) | 「新倉鈴木氏の園中の竜隠松に題す 【武州豊島郡有題新倉邑】(割注棒線で抹消) 甸服只今帰井税 高標何必受秦封」 | 南畝集7 漢詩番号1478 | ③508 | 天明8年 1778/08/ |
「新倉の鈴木氏を訪ふ | 南畝集9 漢詩番号1789 | ④105 | 寛政4年 1792/03/ | |
すずき きんじべえ 鈴木 欣兵衛 | 「鈴木欣次兵衛表徳を赤貫といふ。ことし神無月廿日頓滅ときゝて【欄外。鈴木氏県令手代】 「浄諦院鈴木氏以俗名置句頭【狂名赤つらといへり。欣次兵衛なり】 【衛士ノ士平仄失躰故姑仮師字】」 | 万紫千紅 六々集 | ①277 ②217 | 文化11年 1814/10/20 |
すずき はくとう 鈴木 白藤 | | |||
すずき ふよう 鈴木 芙蓉 | | |||
すずき ゆうじん 鈴木 猶人 | | |||
すだ こうき 須田 公暉 | 「須田公暉の遙かに大夫人の八十を寿するを聞き、此を賦して賀を寄す 万里遙通青鳥使 従他郷国隔河山」 | 南畝集5 漢詩番号0930 | ③320 | 安永10年 1781/03/ |
すみだがわ はんえもん 隅田川半右衛門 | 「すみだ川半右衛門がやどりにて松梅に月を画がけるはしらかくしを 同じやどりのかけ物に東方朔の画あり。その上に何ものかしたりけん、ほとゝぎすと発句を書そへたり | 紅梅集 | ②370 | 文政2年 1819/06/30 |
すみとも 住友 (京都) | 「別子山の図に題す。京師の住友氏の為にす | 南畝集13 漢詩番号2357 | ④283 | 享和3年 1803/09/ |