イナゴ。.... 佐久間學

(15/2/23-15/3/13)

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3月13日

Something New
Marius Skjølaas/
Christiania Mannskor
LAWO/LWC1076(hybrid SACD)


この間のLAWOレーベルは、録音の面では完全に失望させられましたが、今回のアイテムはそんなことはありません。とても同じエンジニアの仕事とは思えないような、ものすごい録音の成果が味わえますよ。これは、公式サイトから「超ハイレゾ」のデータがダウンロードできるようになっていて、前回ちょっと触れたようにDSDではSACDで採用している2.8MHzの倍のサンプリング・レートの5.6MHzというフォーマットとか、それと同程度の解像度をPCMでも実現できるDXD(24bit/352.8kHz)なども購入できるのですから、そもそも録音に関しては絶対の自信があるのでしょう。
ここに収録されているのは、2009年にノルウェーで設立された「クリスチャニア男声合唱団」の演奏です。「クリスチャニア」というのは、ノルウェーの首都オスロの昔の名前ですね。指揮をしているのがマリウス・ショーロースという名前の方です。まるで焼肉(それは「上ロース」)みたいなおいしそうな名前ですが、例によって北欧の綴りからはとてもこんな発音は出てきませんね。この方はBISから多くのアルバムをリリースしている「ノルウェー・ソリスト合唱団」の指揮者、グレーテ・ペーデシェンの教え子なのだそうです。
合唱団のメンバーは、プロとセミプロを合わせて17人(ベースだけ5人)と少人数ですが、それぞれの声がとても充実しているので、とてもそんな人数とは思えないほどの豊かな響きが、録音会場の教会いっぱいにあふれかえっているのが、細大漏らさず捕えられています。それは、一人一人の声がはっきり分かるとともに、全体としてのサウンドもきっちりと伝わってくるというすごい録音です。この前のモーツァルトで見られたような音の濁りは全くなく、あくまでピュアなサウンドがダイレクトに耳に届きます。それはもう、彼らが歌っているすぐそばで聴いているような、まさに「生そのもの」の音でした。
そんな素晴らしい音で味わえるのが、8人のノルウェーの「現代」作曲家によるア・カペラの作品です。その中で聞いたことのある人は1915年生まれのクヌート・ニューステットだけです。このアルバムのライナーには「ノルウェー作曲界の長老」などと紹介されていますが、ごく最近、2014年の12月に99歳でついにお亡くなりになったそうですね。こんなアルバムを作っていましたが、「不滅」ではなかったのですね。ここで歌われている「Beata nobis」は、彼ならではの、プレーン・チャントを素材にして徐々に不協和音や無調のフレーズが忍び込んでくるという、エキサイティングな作品です。
それ以外の作曲家は、ほとんど20世紀半ばに生まれた「中堅」とでも言える方々です。この世代になるとなかなかとんがった作風は影をひそめるようですが、アルバムの最初に入っているヨン・ムースタの作品は、オスティナートをベースにしたこちらもエキサイティングなもので、なかなか楽しめます。
その他の人たちは、どっぷり「ネオ・ロマンティシズム」とでもいうような「聴きやすい」作風に浸かっている感じのするものばかりです。例えば、シェル・ハッベスタという人の「Hymni et sequentiae」という曲集の中の7つの曲では、それぞれに中世からロマン派の時代までの聖歌の歴史を俯瞰するような様々なスタイルのものを聴くことが出来ます。最後の「Veni creator spiritus」あたりでは、フランス風の変拍子やテンション・コードも登場していますね。こういう曲は、まさに男声合唱の聴かせどころ、といった感じで、その豊穣極まりない響きには圧倒されます。ただ、この合唱団にはちょっと滑らかさが欠けるようなところがあるのが、ちょっと残念です。
最後のシェル・モルク・カールセンあたりは、もろグリーグのパクリのような作風なのが笑えます。このアルバムのタイトルにある、彼らが目指した「なにか新しいもの」とは、結局はかつての大作曲家の時代に回帰することだったのでしょうか。

SACD Artwork © LAWO Classics


3月11日

Rondo
磯絵里子(Vn)
新垣隆(Pf)
SONY/MECO-1027(hybrid SACD)


ヴァイオリンの小曲を集めたアルバム、しかも日本人のアーティストなんて、積極的に(消極的ではなく)聴いたりすることはまずないのですが、ここでピアノを弾いているのがあの新垣隆さんで、さらに新垣さんの「作品」も聴くことが出来るというだけの理由で、買ってしまいました。一応、「あの事件」の時には、彼の音楽そのものに対しては好意的なコメントしかなかったような気がしていたので、それがどの程度のものか、全く先入観なしに聴いてみようと思ったのですよ。SACDですし。
まず、アルバムの音を聴く前に、ブックレットのライナーノーツに面白いことがかかれていることに気づきます。ヴァイオリニストの磯さんが新垣さんのことを語る部分で、彼が2009年頃に三善晃のオペラ「遠い帆」のピアノ・リダクションを行っていたことを紹介しているのです。「遠い帆」といえば、1999年に仙台市からの委嘱で初演されたオペラで、その時の合唱団には市内のアマチュアが参加していました。その時に使った楽譜は、手書きのパート譜だったそうですが、ピアノ伴奏者はスコアをそのまま見ながら音を抜き出して演奏していたのだそうです。2014年に、やはり仙台市がこのオペラを再演しますが、その時にはそんな手書きのコピーではなく、全音からちゃんとしたヴォーカル・スコアが出版されていました。これが、新垣さんの仕事だったのですね。確かに、全音のサイトにはそのようなクレジットがあります。
もうひとつ、その磯さんの文の中でのツッコミどころが、「新垣さんから頂いた曲を意識して、このアルバムの選曲を行った」というものです。ここで演奏されている新垣さんの「新作」は、確かに片方は明るく華やかですが、もう片方はちょっと暗めで内省的という、正反対のキャラクターを持っていますから、それに合わせて、他の「小曲」も、対照的な「対」として選曲したというのですね。ところが、そのあとに林田さんという「音楽評論家」が書いている「楽曲解説」によると、この新垣さんの作品は、「録音当日に出来上がった」のだというのですね。普通に読めば、どちらかの言っていることが間違っているとしか思えない状況ですが、こういうことを追求するのはあまり意味のないことなのでしょう。
その新垣さんの作品、アルバムの冒頭に収録されている「ロンド」は、とてもキャッチーなテーマが繰り返し現れる文字通りの「ロンド」で、何の屈託もない楽しい曲です。というか、いかにも興に任せて書きなぐった、というような、聴いた後には何も残らないものです。もう1曲は、最後に収められた「哀しい鳥」という曲です。こちらは、ちょっと聴くとフランスの印象派の作曲家のテイストを取り込んだもののようですが、おそらくそんなベースで即興的に演奏されたもののような気がします。ただ、その場の空気が伝わってくるような切迫感はとてもよく表現できているのではないでしょうか。それによって心が動かされる、という次元のものではありませんが。
ところが、単なる「名曲集」に過ぎないはずの本編の方で、びっくりするような体験が待っていたのは意外でした。それは、サン・サーンスの「白鳥」。もちろん原曲はチェロと2台のピアノのための作品ですが、ここではそれをヤッシャ・ハイフェッツがヴァイオリンとピアノのために編曲した版が使われています。実は、今の今までこの版を聴いたことが無かったのですが、このピアノ伴奏のパートがオリジナルとは全然違ったぶっ飛んだものだったのですよ。そのあまりの「アヴァン・ギャルド」さに、もしかしたらこれは新垣さんが手を入れたのではないか、と思ってしまったほどです(確認しましたが、ここで演奏されていたのは紛れもないハイフェッツ版でした)。
これが、このアルバムを聴いての最大の収穫だというのが、ちょっと哀しいですね。

SACD Artwork © Sony Music Direct Inc.


3月9日

DVOŘÁK
Symphony No.9, American Suite
Robin Ticciati/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/7194(hybrid SACD)


ロビン・ティチアーティは1983年生まれ。日本で言えば「昭和時代の終わりごろ」に生まれた、まだ非常に若い指揮者です。このあたりの世代にはちょっと目を離せないような才能が目白押し、なにしろ1981年生まれのグスターヴォ・ドゥダメルが、ラトルが去った後のベルリン・フィルのシェフ・レースでは最有力視されているぐらいですからね。
オペラでは2014年にグラインドボーン音楽祭の7代目の音楽監督に就任したばかりですし、オーケストラでは2009年からスコットランド室内管弦楽団の音楽監督、そして2010年からは今回のバンベルク交響楽団の首席客演指揮者を務めています。すでに多くのCDがリリースされていますが、それと同じぐらいのオペラのDVD(BD)も出ているというあたりが、彼の強みでしょう。
バンベルク交響楽団とは、これまではブルックナーとブラームスのアルバムを録音していましたから、ここでいきなりドヴォルジャークの「新世界」をメインにした録音が出たのはちょっと意外な気がしますが、そもそもこのオーケストラのルーツはチェコなのですから、不思議はないのかもしれません。要は、ティチアーティがどんなスタイルの曲にも対応できるということなのでしょう。
「新世界」に関しては、最近ちょっとした体験がありました。大ヒットしたマンガを原作にした映画「テルマエ・ロマエ」の「2」は映画館では見逃したのですが、それがやっとWOWOWで放送されたので、見てみました。原作と映画の「1」はとても面白かったので楽しみにしていたのに、これは文字通りの「二番煎じ」で、ちっとも面白くありませんでしたね。それはどうでもいいのですが、前作同様映画の中にクラシックの曲が流れてくるので聴いていると、草津温泉の場面でお湯が流れる音の中から断片的にとても重厚な音楽が聴こえてきました。一瞬、これはワーグナーの作品だろうと思ってしまいましたね。それに続いてコールアングレのソロが聴こえてくるまでは。そう、その「ワーグナーかもしれない」と思ったのは、ドヴォルジャークの「新世界」の第2楽章冒頭だったのですよ。不意を突かれてワーグナーだと思ったその金管楽器のコラールは、そこだけ抜き出せば確かにワーグナーの作風が反映されていることに気づきます。初期の作品ではそれははっきりわかるものが、このあたりのものでもやはりこんな形で残っていたのでしょう。
今回のSACDでは、オーケストラはヴァイオリンが対向配置で演奏していますから、やはり「ドイツ的」なサウンドは聴こえてきます。特に木管あたりは、なんとも重厚な音色を備えているようです。しかし、ティチアーティは、そんな音色を大切にしていながらも、おそらく普段は彼らがあまりやっていないような「ドイツっぽくない」表現にも、果敢に挑戦しているようです。例えば、終楽章でのクラリネットの超ピアニシモなどは、「フランス風」と言っても構わないほどの「エスプリ」に満ちたものでした。そんな、とても柔軟性のある歌い方があちこちのパートから聴こえてきて、とても「グローバル」なドヴォルジャークが味わえます。ちょっと前までは田舎臭いオーケストラだと思っていたのに、ジョナサン・ノットのもとで確実にしなやかさを増していたのですね。
カップリングは、「アメリカ組曲」という、初めて聴いた作品です。そんなタイトルから、アメリカ的なものを想像することは間違っているのは、すでに「新世界」で分かっていたことですが、これはいったいどこが「アメリカ」なのか、というほどに完璧にチェコの音楽になっています。単に「アメリカにいたときに作った」というだけのことなのでしょうね。でも、やはり素材にアメリカの民謡のようなものを使っているのは間違いないようで、3曲目の「Moderato. Alla Polacca」は、なんとなく「故郷の廃家」(♪幾年ふるさと来てみれば〜)のパラフレーズのように聴こえます。二足のわらじですね(それは「和尚の歯医者」)。

SACD Artwork © Tudor Recording AG


3月7日

MUSSORGSKY
Pictures at an Exhibition
Ferruccio Furlanetto(Bar)
Valery Gergiev/
Mariinsky Orchestra
MARIINSKY/MAR0553(hybrid SACD)


2009年にリリースを開始したサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場が運営する自主レーベルMARIINSKYは、スタート時点ではロンドン交響楽団のLSO LIVEと同じクルー、ジェイムズ・マリンソンをプロデューサーとするクラシック・サウンドのメンバーが制作を担当していました。それが、2011年ごろから、マリインスキーのサイドのウラディーミル・リアベンコという人がエンジニアとして加わるようになり、現在ではプロデュースからマスタリングまでのすべての作業を彼一人でこなしているように、クレジットの上では見られます。
今回のSACDでは、最新のリアベンコによる2014年の録音と、マリンソン達の初期のスタッフによる2010年の録音がカップリングされているので、おのずとその音の違いが分かってしまいます。マリンソン達が目指したのは、あくまでクリアでナチュラルな音、LSOではそれでちょっと物足りない面がありましたがMARIINSKYでは、録音会場の違いからでしょうか、なかなか良い結果が出ていたような気がします。しかし、リアベンコは、そんな「お上品」なものではなく、もっと骨太でパワフルな音を目指しているように思えます。ただ、そのために犠牲になっている部分も多く、残響成分や楽器同士の干渉の処理がうまくいっていないのではないか、というところが頻繁にみられます。ですから、正直言って完成度はあまり高くなく、「商品」としてはちょっと問題があるような印象を受けてしまいます。
ムソルグスキーの作品が3曲収められたこのアルバムでは、「展覧会の絵」と「禿山の一夜」が、そんな、2014年のちょっとおおざっぱなセンスで録音されたものです。ただ、演奏自体は非常に興味深いもの、どちらの曲も2000年にウィーン・フィルと録音していました。これは手元にあったので改めて比べてみたのですが、「展覧会の絵」ではまるで別の曲だと思えるほどの違いがありました。もちろんオーケストラが別だということもありますが、例えば今回のマリインスキー管との「古城」での誇張された表情づけや、自由に伸び縮みするテンポなどは、いかにもオーケストラとの深い信頼関係が感じられるものです。おそらくウィーン・フィル相手ではさすがのゲルギエフでもそこまでは踏み込めないという面があったのではないでしょうか。そんな丁寧な、というか、ねっとりした演奏ですから、「古城」の演奏時間はウィーン・フィルでは4分44秒だったものがここでは5分26秒にもなっています。全体でも32分だったものが35分近くまで長くなっています。
ただ、「キエフ」の最後近くで以前はショッキングに聴こえていた、バスドラムだけがちょっとずれて叩かれる部分が、今回も同じように演奏されていました。2000年当時ではそのように印刷された楽譜しかなかったので、仕方がなかったのかもしれませんが、今ではこちらこちらにあるように新しい楽譜が何種類も出版されて、その部分は完全なミスプリントだと分かってしまっているのですから、これでは演奏を云々する以前に指揮者としての最低限の資質が問われてしまいます(この件に関しては、2008年の段階で同じことをやっていたマリス・ヤンソンスも同罪です)。
「禿山の一夜」では、なんと原典版が使われていました。これも、ウィーン・フィルとではリムスキー・コルサコフ版を使っていたのですから、いかにこのオーケストラに遠慮していたかが分かります。でも、今回の演奏からは、以前アバドの指揮で同じものを聴いたときほどの荒々しさは感じられなかったのはなぜでしょう。
2010年に録音されていたのが、ショスタコーヴィチ編曲の「死の歌と踊り」です。これは繊細な録音は心地よいものの、ソリストのフルラネットがちょっと物足りない気がしてしまいます。ほんと、全ての面で完璧なアルバムなんて、なかなかありません。

SACD Artwork © State Academic Mariinsky Theatre


3月5日

MOZART
Concerto for Fl and Hp, Sinfonia Concertante for 4 Winds
Per Flemström(Fl), Birgitte Volan Håvik(Hp)
Pavel Sokolov(Ob), Leif Arne Pedersen(Cl)
Per Hannisdal(Fg), Inger Besserudhagen(Hr)
Alan Buribayev, Arvid Engegård/
Oslo Philharmonic Orchestra
LAWO/LWC1071(hybrid SACD)


LAWOという、今まで手にしたことのなかったレーベルがSACDを出していたので、ちょっと気になって3点ほど買ってみました。そもそも、この名前がちょっと謎めいていますね。これはいったいどんな意味を持った言葉なのでしょう。まさか、インスタントラーメンでは(それは「ラ王」)。
これはノルウェーのレーベルで、サックス奏者でもあるプロデューサーのVegard Landaasと、エンジニアのThomas Woldenの二人によって運営されています。レーベル名はそれぞれのラストネームの「La」と「Wo」をつなげたもの、2008年に最初のCDをリリースしていたようですね。
SACDを出すようになったのは最近のことのようですが、やはり録音には自信があったのでしょう。公式サイトではハイレゾ・データもダウンロードできるようになっています。このアルバムでは24/96しかありませんが、別のものではなんと128DSD(SACDでも64DSD)や、DXD(24/352.8)などという、大半のDACでは対応できないほどの「超ハイレゾ」のスペックのデータまで用意されています。
まあ、そんな数値はどうでもいいことで、要は聴いてよい音がするかどうかだけです。このアルバムは、ご当地オケ、オスロ・フィルをフィーチャーしたシリーズとしてスタートしたもののようですが、そのオーケストラの管楽器の首席奏者をソリストとして、モーツァルトの作品が2曲(正確には1曲)収められています。しかし、指揮をしているのは現在のこのオーケストラのシェフであるヴァレリー・ペトレンコではなく、アラン・ブリバエフとアルヴィド・エンゲゴールという2人が1曲ごとに指揮をするという、ちょっと変則的なブッキングです。録音時期に2か月の隔たりがあるので、その時に都合の良い指揮者が使われた、というだけのことなのでしょうが。
1曲目の「フルートとハープのための協奏曲」では、それほど精緻とは言えないものの、かなり落ち着いた渋い音が聴こえてきました。おそらく、全体の音をバランスよくまとめるというのが、エンジニアのポリシーなのでしょう。ここでソロを吹いているペール・フレムストレムという首席フルート奏者は、1986年に副首席奏者としてこのオーケストラに入ったそうですから、もう30年近くここで働いていることになります。まさに「レジェンド」という貫禄を誇っていて、手堅い演奏を聴かせてくれますが、やはりあちこちすり減っていて、ハッとさせられるようなスリリングな部分はまず見当たりません。というより、一応モーツァルトということでところどころに軽い装飾を入れているのですが、それをちょっと見当はずれの個所でやっているものですから、別の意味でハッとさせられてしまいます。
もう一つの曲は、有名な「4本の管楽器のための協奏交響曲」ですが、モーツァルトが作ったフルート、オーボエ、ファゴット、ホルンというソリストたちのために作られた曲の楽譜はなくなってしまっているのは、ご存知の通りです。これには「K.297B/Anh.9」という番号が付けられ、「紛失したもの」として扱われていますが、ロバート・レヴィンによって「復元」された楽譜は存在します。昔から演奏されていたものは、それを誰かがソロ管楽器のフルートをクラリネットに変更して「捏造」した「偽作」ということで、それをあらわす「Anh.C14.01」という番号が付けられています。それまでは「K.297b」と呼ばれていました。
ですから、このアルバムのジャケットや、サイトに「K.297B」とあれば、これは当然フルートが入っている編成の「レヴィン版」だと思ってしまうじゃないですか。しかし同時に、なぜクラリネット奏者の名前があるのか、という疑問もわいてきます。もちろん、聴こえてきたのは偽作である「297b」の方でした。
こちらの方、ソリストたちのアンサンブルも確かでなかなか楽しめますが、肝心の録音が、特にホルンの妙な共鳴が抑えられていなくて、完全に破綻しています。

SACD Artwork © LAWO Classics


3月3日

ところで、きょう指揮したのは?
秋山和慶回想録
秋山和慶・冨沢佐一著
アルテスパブリッシング刊
ISBN978-4-86559-117-0


指揮者の秋山和慶さんの「回想録」というものが出版されました。秋山さんのほかにもう一人の「著者」の名前がありますが、これはよくある「ゴーストライター」とは異なる、ちょっと面白い立場からの参加です。この冨沢さんという方は中国新聞社の記者などを務めた方で、この本の骨子となった原稿はその中国新聞に、秋山さんへのインタビューを文字に起こすという形で連載されたものなのだそうです。ただ、それだけを読むといかにも淡々としているので、それを補うために冨沢さんが秋山さんのお話に登場する事柄に「史実」としての客観的なデータを書き加えているのです。
このやり方は、例えばゴールウェイの自伝のように、本人とゴーストライターとの記述が混然一体となっているものとは好対照です(「婚前一体」だったら問題)。ここでは、秋山さんの部分には、何か物足りなさが残ってしまうようなところがあったものが、冨沢さんの追記によって、見事に「資料」として読み応えのあるものに仕上げられているのではないでしょうか。
ちょっと驚いてしまうのは、この冨沢さんという方は記者時代には音楽に関する仕事は全くやっていなかったのに、この秋山さんへのインタビューや、その後の単行本のための執筆を行うために、音楽のことをものすごく勉強されている、ということです。これはご自身があとがきで述べられていることなのですが、それを読むまでは、その辺の音楽ライターよりもずっと確かな目に裏付けられたその筆致に、圧倒されていましたからね。
正直、秋山さんという指揮者に関しては、例えばメジャー・レーベルからCDをリリースするといったような目立ちかたはされていないからでしょうが、何か「地味」な印象がありました。テレビで映像を見たことも何回かありましたが、その指揮ぶりはとてもしなやかであるにもかかわらず、どこか醒めたところがあるような気がしたものです。しかし、この本を読んでいくと、それはかなり表面的な印象であって、実体としての秋山さんはとてつもなくエネルギッシュなキャラクターだったことがわかってきます。見かけは穏やかでも、内に秘めた情熱はハンパではないという感じですね。そこからは、あの同門の小澤征爾ほどの派手さはありませんが、確実に世界の頂点を極めた指揮者の姿が浮かんできます。
もしかしたら、秋山さんの言葉の中には「勉強」という、それこそ小澤征爾が年中使っている単語があまり登場しないのが、逆にマイナスのイメージを与えてしまっているのかもしれません。ここで、例えば「800曲は暗譜している」などとサラッと言ってのけたり、難しい現代曲をこともなげに演奏してしまう姿を見てしまうと、それもなるほどと思えます。
なによりも素晴らしいのは、秋山さんは1963年に東京交響楽団というオーケストラの専属指揮者として就任して以来、経営破綻して再建される間もずっとそのオーケストラの指揮者を続け、その関係が今でも続いているという事実です。この本では、まるでこの長いスパンの中での秋山さんの活躍の幅の拡大と、このオーケストラの充実ぶりをシンクロさせながら、巧まずして日本のクラシック音楽界の変遷を見事に浮き出しているようです。あの「題名のない音楽会」が、東響を救済する意味でスタートしたものだったことも、初めて知りました。
最後のあたりには、秋山さんが世界初演を行った例の「HIROSHIMA」に関する言及も見られます。「技術的にかなり粗末で演奏できない個所も多かった」ために、楽譜に手を入れたら、作曲家が激怒した、というのですね。この件に関しての冨沢さんの解説は、至極当たり前のものなのがちょっと残念です。その「作曲家」というのがどちらだったのか、CDで使われているのはこの「秋山版」なのか、ぜひ知りたいものです。

Book Artwork © Artes Publishing Inc.


3月1日

BEETHOVEN
Symphonies No.6, No.8
Stefan Blunier/
Beethoven Orchestra Bonn
MDG/937 1883-6(hybrid SACD)


ボン・ベートーヴェン管弦楽団の首席指揮者、シュテファン・ブルーニエは、日本ではまだそれほど知名度は高くありません。1964年にスイスのベルンで生まれ、指揮者としての経験を各地のオペラハウスで積み重ねるという、今ではあまり見られなくなった「古典的」なスタイルでキャリアを築いてきた人のようです。そんな中で、2001年から2008年まではダルムシュタットの歌劇場の音楽総監督というポストを務めるまでになります。そして、2008年の8月には、ボン市の音楽総監督に任命されました。この職は、自動的にボン・ベートーヴェン管弦楽団と、そのオーケストラがピットに入っているボン歌劇場の首席指揮者に就任することを意味します。彼はボンの聴衆からは暖かく迎えられ、人気者となったため、2011年までの任期の契約は2016年まで延長されることになったのだそうです。
このオーケストラとのCDも、MDGレーベルからはシェーンベルク、ダルベール、シュレーカー、フランツ・シュミットといった「渋い」レパートリーがリリースされています。そんな中でオーケストラの名前からしたら「ど真ん中」のベートーヴェンの交響曲も、全集を目指して録音され始めました。最初に出たのは2年前の「1番+5番」(余談ですが、「5番」の第2楽章のテーマは、今の朝ドラのテーマ曲そっくりですね)、そして今回の第2集は「6番+8番」というカップリングです。とりあえず第1集はハ長調とハ短調、第2集はいずれもヘ長調ということで調性の統一が図られていますが、これは単なる偶然ではないような気がします。念のため、ベートーヴェンの場合は短調で始まっても最後は同名の長調で終わるというパターンですから、音名だけを考えればいいことになります。ただ、これからこの路線を取るには、2番(ニ長調)と9番(ニ短調)の組み合わせしか残っていないというのが、ネックですが。まあ、予想としては「3番(変ホ長調)+4番(変ロ長調)」と「2番+7番(イ長調)」という近い調性のものを組み合わせて、9番だけで1枚、というあたりになるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
録音に関しては安心していられるMDGのSACDですが、今回も期待にたがわぬ素晴らしいものでした。最初聴いたときには、ちょっとおとなしい音作りだな、と感じるのですが、聴きすすむうちに次第にその情報量の多さに圧倒されるようになってきます。時折、コントラバスやファゴットの聴きなれないフレーズがはっきり聴こえてくるのには驚かされます。さらっと心地よく聴き流すのもよし、とことん細部にこだわってマニアックに聴き込むのもよしという、リスナーの「心がけ」に対応できるヴァーサタイルな録音です。
ここで彼らが取っているベートーヴェンの演奏スタイルも、やはりそんな各方面からの要求をまんべんなく受け入れられるだけの許容力を持っている、クレバーなものでした。ホルンとトランペットとティンパニはピリオド楽器が使われているようですし、弦楽器もノンビブラートとまではいかないまでも、過度な甘さは抑えたストイックな奏法に徹しています。そして、表現も、誰とは言いませんが、初期のピリオド楽器や原典版による演奏に見られたような明らかにほかの人とは違うことをやって目立ちたいだけ、としか思えないものとは一線を画した、穏やかなものです。いや、この指揮者の場合は、そんな「穏やかさ」を出すためにどれだけの丁寧なリハーサルが繰り返されていたかがよく伝わってくるのですから、逆に真剣に立ち向かわなければいけないという油断のできないものなのですが。
「6番」では、終楽章の終わり近くでコラールが鳴り響いた瞬間に、今まであまり考えたことのなかった、この作品の緊密な構成が眼前に広がりました。こういう演奏こそが「本物」と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm


2月27日

RAVEL, LASSER/Piano Concertos
GERSHWIN/Rhapsody in Blue
Simone Dinnerstein(Pf)
Kristjan Ja()rvi/
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra
SONY/88875032452


シモーヌ・ディナースタインというアメリカのピアニストは、写真で見る限りほとんど「アイドル」という感じがしていました。しかし、実際は1972年9月の生まれといいますから、もう40を超えた「おばさん」だったのですね。調べてみるものです。もちろんご結婚もされていて、お子さんもいらっしゃるようです。とてもそうは見えませんね。このジャケット写真でベルボトムのジーンズの裾をなびかせながら歩いている姿は、どう見ても20代のギャルですよ。
この写真は、ニューヨークの地下鉄のブロードウェイ・ラファイエット通り駅で撮影されたそうですが、上にある駅名表示板がひと工夫されています。「マルS」というのが、東京の地下鉄のように、路線ごとにアルファベット表示されているマークとシモーヌの頭文字をかけているのでしょう。でも、出来ることなら、もっと「本物」らしく見えるように「汚して」欲しかったものです。
その下の、いわばアルバムタイトルにあたる「Broadway~Lafayette」という駅名が、このアルバムのコンセプトも表しています。ブロードウェイと、ニューヨークの通りの名前にまでなっている、フランス人でありながらアメリカ独立戦争の英雄となったラファイエットの名前によって、アメリカとフランスの音楽の橋渡しをしようという意味が込められているのでしょう。そこで取り上げられたのが、ラヴェルのピアノ協奏曲とガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、そして、フィリップ・ラッサ―というアメリカ人の父親とフランス人の母親を持つアメリカの現代作曲家(育ちは青森…それは「ラッセー」)のピアノ協奏曲(世界初録音)です。
2007年に、自ら制作したバッハの「ゴルトベルク変奏曲」がTELARCレーベルからリリースされ、それがビルボードのクラシック・チャートで1位を獲得するというまさに大ブレイクを果たしたディナースタインは、TELARCからは3枚、その後2010年にSONYに移籍して、さらに5枚のアルバムをリリースしました。これまでの彼女は、ソロか、デュエット、あるいは室内オーケストラとの共演だけで、フル・オーケストラを従えての録音というのはこれが初めてとなります。
そして、ラヴェル、ガーシュウィンというのも、彼女が録音するのは初めてのはずです。そのラヴェル、なんか、とても力が入っている演奏だな、という気がしたのは、まずはピアノの音がかなり目立って録音されていたせいだったのかもしれません。コンチェルトですからピアノが目立つのは当たり前かもしれませんが、この作品の場合、適度に「抜いた」ところがないと、なんだかフランスの音楽には聴こえてこないのですから不思議です。もしかしたら、それはアルバムのコンセプトを前面に出して、「アメリカ風ラヴェル」を演出したからだったのでしょうか。
ところが、ガーシュウィンの方も、今度は「アメリカ」があまり感じられません。いや、「アメリカ」というよりは「ジャズ」、でしょうか。これは、バックのオーケストラの資質なのかもしれませんが、冒頭のクラリネットソロからしていかにもどんくさいテイストで、肩に力が入りすぎているように思えてしまいます。オーケストラ全体も、低音があまりにも立派なものですから、まるでヨーロッパの「クラシック音楽」のように聴こえてしまうのは、明らかにこの曲にとってはマイナスにしか働かないはずです。ピアノ・ソロも、とても生真面目に弾いている感じ、そこからはヨーロッパ大陸のとりすましたピアニズムは聴こえても、ティン・パン・アレイの猥雑さは全く感じられません。
その間を取り持つというコンセプトで演奏されているラッサーの協奏曲には、バッハへの共感が込められているそうですが、その「コラールの引用」というのがいまいちピンと来ないので(コラールは短調なのに、モティーフは長調、とか)、何か肩透かしを食らったような気になってしまいます。

CD Artwork © Sony Music Entertainment


2月25日

ZOFORBIT
A Space Odyssey
ZOFO(Eva-Maria Zimmermann, 中越啓介)
SONO LUMINUS/DSL-92178(BD-A)


なんか、いろんな文字がごちゃごちゃになっているジャケットですが、「ZOFO」というのが演奏家の名前です。「ゾフォ」とでも読むのでしょうが、もちろん團伊玖磨とは無関係(それは「ぞふぉさん」)。それに、惑星なんかの軌道を意味する「orbit」とを組み合わせて作った言葉が、アルバムタイトルになっています。これだけで8文字ですから、太陽系の「惑星」をすべて置き換えられるぞ、という悲しくなってしまうほどの陳腐なデザインですね(ご丁寧に、ちょっと外れた軌道に「冥王星」までが)。
その「ZOFO」という略語の正体も、いろいろ考えるのもばからしいほどのくだらないものでした。正解は「20-finger orchestra」ですって。「20」を「ZO」に置き換えるというのは、べリオの「Opus No. ZOO」からの影響でしょうかね。疲れることをやってくれたものです。
その名前にもあるように、これは「20本の指」、つまり4本の腕でピアノを弾くという、ピアノ連弾の形、スイス人のツィンマーマンと日本人の中越啓介という男女が2009年に結成したペアチームです。写真を見ると、別に美男美女というわけではないのに、何かファッショナブルなセンスが光っていて、ビジュアル的にもなかなかのものですし、もちろん演奏もそんな外観を裏切らない華やかな名人芸が光っています。
ジャケットでも分かる通り、このアルバムのメインは、ホルストの「惑星」です。ホルスト自身が作った楽譜としては「2台ピアノ版」→「オーケストラ版」→「ピアノ連弾版」という3つの形が知られていますが、ここではそれらをすべて参考にして新たにこの二人が編曲を行った「ZOFO版」が使われています。今まで2台ピアノ版も含めて多くのピアノ・デュオの演奏を聴いてきましたが、これはその中でも最高位に置かれる素晴らしいものに仕上がっています。変拍子、ヘミオレといった、この曲独特のリズム感に、目の覚めるような鮮やかなスキルで切り込んでくるところなどは、まさに現代ならではの「惑星」という爽快感があります。「木星」なども、有名な聖歌の部分をこともなげにあっさりと処理しているあたりが、とても潔くていい感じ。このテーマを演歌調でこってりと歌い上げている某シンガーのいやらしさが耳についていた人にとっては、これは格好の「口直し」になるのでは。
テンポもかなり速めなので、オーケストラ版とは全然イメージが変わって聴こえてきます。というより、100人のメンバーによるオーケストラでは絶対に出来るはずのない精密な表現が成し遂げられていることに、おそらくオーケストラの奏者などは嫉妬感を抱くことでしょう。もちろん、そこまで感じさせることのできるピアノ・デュオは、なかなかいません。
この「惑星」を挟む形で、エストニアのシサスクの「The Milky Way」と、アメリカのクラムの「Celestial Mechanics」という、同じ編成のやはり宇宙がらみの作品が演奏されています。ただ、編成は同じでも、ここで彼らが行っているのはピアノの弦に異物を挟んで音を変えるという「プリペア」という操作です。世代の異なるこの2人の作曲家の、それぞれの「プリペア」の妙を、楽しめますよ。若いシサスクは、あくまでサウンドとしての面白さの追求、ケージに近い世代のクラムは、そこにもっと別の世界を込めている、といった違いでしょうか。余談ですが、最近さる自称「現代音楽演奏家」が、このようにピアノに手を加えることを「プリペアドする」と言っているのをネットで見つけてしまいました。なんと恥ずかしい。
そして、最後にはやはりアメリカの若い世代のデイヴィッド・ラングの「Gravity」という、まさに宇宙ならではのタイトルの、下降スケールが「重力」をあらわしている穏やかなピースで、「宇宙の旅@キューブリック」の幕が下ろされます。
BD-AとCDが同梱されていますが、もちろんBD-Aで聴きました。そのディスプレイで録音スペックが間違って表記されていたのが、ちょっと目障りでしたね。

BD-A Artwork © Sono Luminus LLC


2月23日

SIBELIUS
Symphonies 2 & 7
Thomas Søndergård/
BBC National Orchestra of Wales
LINN/CKD 462(hybrid SACD)


BBCというのは、ご存じイギリスの公共放送です。日本のNHKのような組織でしょうね。どちらも組織の名前を冠したオーケストラを持っていますが、日本の場合はその「NHKなんたら」は、例えば天皇が亡くなった時には全員喪服を着てブラームスかなんかを演奏するあのオーケストラしかありません。
しかし、イギリスの場合はそれが5つもあります。ロンドンの「BBC交響楽団」を筆頭に、スコットランドのグラスゴーには「BBCスコティッシュ交響楽団」、マンチェスターには「BBCフィルハーモニック」、そしてウェールズのカーディフには「BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団」、さらにはキース・ロックハートが率いるポップス系の「BBCコンサート・オーケストラ」というのが、その内訳です。
今回、LINNレーベルに初登場の「BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団」は、これまでにもBISやCHANDOSから多くのアルバムをリリースしていましたし、何よりも数代前の首席指揮者が日本人の尾高忠明さん(現在も桂冠指揮者として、名前が残っています)だったということで、親近感があったオーケストラでした。
2012年からこのオーケストラの首席指揮者となったセナゴーは、1969年生まれのデンマーク人。例によって、この綴りと日本語表記との間には、かなりの隔たりが感じられますが、北欧の言葉なのですから仕方がありません。「d」を発音しないのでしょうね。彼は、そもそもは打楽器奏者で、1992年には王立デンマーク管弦楽団のティンパニ奏者となりますが、1996年に指揮者に転向します。2009年から2012年までノルウェー放送管弦楽団の首席指揮者を務め、現在はロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席客演指揮者のポストにもあります。
BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団(略称はBBC NOW)は、14型・3管編成という中規模のオーケストラで、放送オケならではの多様な活動を行っています。放送用の録音を行うためのBBCのホール、「ホディノット・ホール」は、350人程度のお客さんを入れることもできるホールですが、BBC NOWはリハーサルもここで行っています。今回の録音セッションにも、もちろんこのホールが使われました。ステージとメインの客席(椅子は可動式)は同じ平面にあってまっ平ら、天井もそんなに高くなく、適度な残響を伴ったクリアな録音ができそうな空間です。
今年の末には生誕150年を迎えるシベリウスの交響曲の最新のアルバムには、最も演奏頻度の高い「2番」とおそらくビリから数える方が早いマイナーな「7番」が選ばれていました。このカップリングから予想されるのは、このチームによる交響曲ツィクルスの完成でしょうか。
まずは、このホールのアコースティックスを最大限に取り込んだ、LINNのスタッフによるいつもながらの冴えた録音に注目です。ちょっと少なめの編成の弦楽器をたくさんに見せるような姑息な手段は取らず、あえて一人一人の楽器がきっちりと聴こえてくるような精密なやり方で、逆にメンバーそれぞれのテンションを集約してオケ全体の力を見せつけるというものすごいことが、ここでは行われています。それによって、どこのパートもごまかすことを許されないシベリウスの音楽にとっての必須条件が、見事にクリアされているのです。
そんな音の中から聴こえてくるセナゴーのアプローチは、最近はやりの「スタイリッシュ」というものでしょうか。街でよく配ってますね(それは「ポケットティッシュ)。この言葉をショスタコーヴィチで使うとアホかと思われて見識を疑われますが、シベリウスでは十分に褒め言葉になりえます。「2番」の終楽章のあまりにもキャッチーなテーマ(「あったかいんだからぁ」のコード進行と同じという意味でのキャッチーさ)を、盛り上げるかに見せて冷ややかに扱って聴く者をじらしているあたりが、たまりません。「7番」では、最後の最後の「シ→ド」という解決を、まるで「マタイ受難曲」のように聴かせるセンスが、超スタイリッシュ。

SACD Artwork © Linn Records


おとといのおやぢに会える、か。



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