麺出る、自然.... 佐久間學

(13/5/23-13/6/10)

Blog Version


6月10日

MENDELSSOHN
Symphonies No3, No4
Frans Brüggen/
Orchestra of the Eighteenth Century
Glossa GCD 921117


ブリュッヘンと18世紀オーケストラとのメンデルスゾーンです。ジャケットは、前作のベートーヴェンではただのポートレートでしたが、それまでのバッハのような、ミニチュアの写真が復活です。名前をくりぬいたボードを作ったり、この写真を撮るためにはずいぶん手間がかかったことでしょう(面倒ですぞー)。
最近のブリュッヘンの演奏から想像できたように、ここでの「イタリア」も「スコットランド」も、とことん風格をたたえた重たい仕上がりになっています。「イタリア」などは、それこそ「明るい太陽のもと・・・」みたいなイメージが先行している作品ですが、この演奏にはそんなチャラついたところは全くありません。第1楽章などはまるで地を這うような堅実な運びで、浮き立つような感じなどは薬にしたくてもありません。後半の2つの楽章では幾分早めのテンポになっていますが、それは「軽さ」を演出するものでは決してなく、どちらかというとオーケストラに「苦役」を要求しているようにすら思えてくるものです。フィナーレのテンポなどは、木管などは完全に破綻してしまうほどの恐ろしさ、音楽をなめるとこんなことになるのだと戒められているような気になってきます。
もともと暗い「スコットランド」になると、その重さはさらに強調されます。軽やかであってほしい第2楽章などでも、クラリネットがなんともアイロニカルな趣を出していますし、終楽章の重さといったら、ほとんどどん底のような暗さです。その暗さは、長調に変わったとしても晴れることはありません。なんとも救いのない、だからこそ強烈なインパクトが伝わってくるものすごい演奏です。
ところで、日本の代理店が付けた帯には、「イタリア」に関して「1833年原典版」という注釈が加わっています。この曲の版については、ガーディナーのCDのところでその混乱ぶりを指摘したことがありますが、版に関してはそれほどこだわっていないはずのブリュッヘンも、ここでは何らかの主張が込められた楽譜を使っているのでしょうか。
ところが、本体を見てもそんなクレジットはどこにもありません。確かにライナーノーツには「このCDには1833年の第1稿が録音されている」とありますが、だからなんなんだ、という感じです。もちろん、聴こえてくるのはごく普通に演奏されている形のもので、ガーディナー版の日本語のライナーで茂木一衞という人が「1833年当時の原典版」と述べている、そこで初めて録音されたとされるものとは全くの別物なのですよ。改めてガーディナーのジャケットを見直してみると、その初録音は「Revised version」と明記されていますね。ということは、このライナーが間違っているのでしょうか。
もう少し調べると、この件について山岸健一さんのサイトに興味のある記述がありました。このライナーについては、1999年5月号の「レコード芸術」誌上できっちりと「誤記である」と述べられているというのです。現物を見てみると、既にほかのライターが何人もそれについて言及していることまで分かりましたよ。あのライナーを見ていろいろ考えてしまいましたが、なんのことはない、すでにこの時点でしっかり決着がついていたのですね。あくまで出版されたのは第1稿、ガーディナーやホリガーが録音したのは、第2稿だったのですよ。
このライナーは、国内盤が最初に発売された1998年に書かれたものでした。その直後にこれが間違いであることが公になっていながら、2011年にリイシューした時には、その原稿をそのまま使っていたのですね。ユニバーサル・ミュージックはこれからもリイシューのたびにこのライナーノーツをそのまま使い続けるでしょうから、茂木一衞のこの恥ずべき誤記も、未来永劫人の目に触れることになるのです。誤植が見つかれば、増刷の際にはきちんと直すという出版界の常識は、日本のレコード業界では通用しないようです。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH

6月8日

THE KING'S SINGERS
The King's Singers
SONY/88883 71720 2


キングズ・シンガーズのRCA時代のアルバムがまとめて「ベスト」としてリリースされたのは、2008年のことでした。こちらでご紹介していましたが、「ベスト」とは言っても再編集したものではなく、オリジナルアルバムの現物を5アイテム、そのまま箱に入れた、という豪快なものでした。当然、普通のCDのパッケージに入ったものが5個入っていますから、厚さは5センチ以上という、かなり大きなものです。
それは、「SONY/BMG」時代に出たものですが、その会社も今では「SONY」となって、今度はドイツのSONYから、それとほぼ同じ内容のボックスがリリースされました。これは、「Original Album Classics」というシリーズで、紙ジャケットの5枚組ですから、全体の厚さは普通のCD1枚と同じぐらいに「コンパクト」になっています。ただ、「Classics」とは言っても、「クラシック」のアイテムが出始めたのはごく最近のこと、それまではジャズやロックの「クラシックス」が大量に出ています。つまり、旧COLUMBIAのボブ・ディランも、旧RCAのエルヴィス・プレスリーも、今や同じ会社のカタログとして、このような「ボックス化」が行われるようになっているのです。
以前のボックスに入っていたのは、「Good Vibrations」(1992)、「Chanson d'amour」、「Renaissance」(1993)、「Nightsong」、「Spirit Voices」(1997)でしたが、今回は「Renaissance」がなくなって、代わりに「Fire and Water」(2000)が入っています。
したがって、今回のボックスのスパンは前作より3年伸びたことになり、その間のメンバーチェンジもかなりのものになります。まず、以前はすべてのアルバムに参加していたテナーのボブ・チルコットが、今回は最後のアルバムではポール・フェニックスに替わっている、という状況ですね。それと、この最後のアルバムには、現在も使われている「k's」というロゴが用いられていますから、単にテナーが替わった以上の変化がこのあたりであったのでは、という推測もできることになります。
そして、このボックスの最初の方には参加していたオリジナル・メンバーのアラステア・ヒューム(CT)とサイモン・カーリントン(Bar)が、3枚目以降にはいなくなっているというのも、やはりしっかりと「歴史」を語ってくれるものです。二人とも、おいしそうな名前ですね(それは、「カステラ・ヒューム」と、「サイモン・カリントウ」)。さらに、最初のアルバムが初めての参加作となったデイヴィッド・ハーレイ(1曲だけ、前任者のジェレミー・ジャックマンがまだ歌っています)は、現在では最古参のメンバーとなってしまいました。というか、ほかのメンバーで今も残っているのは、このボックスの最後のアルバムから参加したポール・フェニックスだけなのですから、いかに頻繁にメンバーが入れ替わっているかが分かります。したがって、グループ全体の魅力も、時々のメンバーによる浮き沈みは致し方のないことなのでしょう。異論はあるかもしれませんが、このRCA時代のシンガーズというのは、ある意味どん底の状態だったのではないでしょうか。
それは、ひとえにテナーのボブ・チルコットのせいだと勝手に決めつけているのですが、今回のボックスで初めて聴くことが出来た2000年の「Fire and Water」にはもう彼の姿はありません。この、スペインのルネサンス期の音楽を集めたアルバムでは、聴いたことのある曲は皆無ですが、彼らが持ち前のサービス精神で伸び伸びと歌っているのがとても心地よく感じられるものです。何か、ちょっと横道にそれていたものが、設立時の本来の姿に戻ったな、と安心できるような素敵なアルバムでした。

そんな、メンバーとアルバムとの関係を調べていた時に、ブックレットにとんでもない間違いがあることを見つけてしまいました。4枚目のアルバムのメンバーが、1枚目と全く同じものになっているのですね。本体のジャケットを見れば間違いに気づくのでしょうが、こんなお粗末なミスはNAXOSだって犯さないでしょう。


CD Artwork © Sony Music Entertainment Germany GmbH

6月6日

WAGNER
Jonas Kaufmann(Ten)
Markus Brück(Bar)
Daniel Rannicles/
Chor und Orchester der Deutschen Oper Berlin
DECCA/00289 478 5678(BD)


かつて、同じタイトルのCDこちらでご紹介していました。その時のレビューでは「どこをとってもすばらしいアルバムですが、SACDでなかったことが唯一の欠点です。サイニー渾身のDECCAサウンドを、いつかハイレゾで聴かせて下さいにー」と、エンジニアの名前をおやぢにして最後を結んでいましたね。そんな望みが、こんなに早くかなってしまうとは。DECCAには、日本語も読めるスタッフがいたのでしょう。もちろん、DECCAにとってはこれが最初のBDオーディオでないことは、ご存知のはず。そう、こちらでご紹介していたショルティの「リング」全曲を1枚のBDに収めたものが、このレーベルの最初のBDオーディオ、このころから、彼らは日本のユニバーサルに先を越されてしまったハイレゾ市場に、なんとか恥をかかずに再参入する道を模索していたのでしょう。一度見捨てたSACDをいまさら出すわけにはいきませんから、あとはBDオーディオに頼るしかありませんね(本当かどうかは、知りませんよ)。そこで選ばれたのが、その「リング」のマスタリングを担当したフィリップ・サイニーがエンジニアを務めたこのカウフマンのアルバムだったというのも、何かの縁なのかもしれません。
その「リング」の時に味わった驚きを、今回のBDオーディオでも味わうことになります。あの時には、日本でマスタリングされたSACDとも聴き比べていたのですが、それよりはるかに生々しい音が聴こえてきたのでした。今回はもちろんSACDなどは存在していませんから、普通のCDとの比較となるわけで、最初から問題にならないことは分かっていましたが、実際には、常々ハイブリッドのSACDCDレイヤーと比べている時に味わうのとは桁外れの違いがあったのですから、これは驚き以外のなにものでもありません。
最初のトラックは、「ワルキューレ」の第1幕第3場、ジークムントのモノローグが始まるシーンです。柔らかいワーグナー・チューバのアコードに乗って低弦の上向アルペジオが静かに始まりますが、その低音には、まさに「リング」の冒頭のような充実感がありました。続くティンパニの「フンディンクのモティーフ」の締まりの良さ、このあたりで、すでにCDのランクをはるかに超えた精密な音像が展開されています。そのモティーフはホルンに受け継がれますが、オクターブの上下の楽器がはっきり分かれて聴こえてきます。その合間に登場するバス・トランペットの「剣のファンファーレ」も、音色がCDとは別物、とてもまろやかです。その直後に2小節だけ聴こえるヴィオラのパッセージは、完璧な音場感の中で聴こえてきます。そして出てくる、カウフマンの声の立体感といったら。
と、そんな風に、いちいち細かいことを挙げていったらきりがありません。要は、それぞれの楽器の音が精密な塊となり、それが一つ一つ立体感を主張して現れてくるのですよ。それは、ただの「音」ではなく、フルーティストの息遣い、ハーピストの指使いといった、楽器を演奏している人の姿までをも含めたものとして伝わってくるのです。
これは、間違いなくSACDを超えた生々しさが体験できるものでした。ただ、BDオーディオすべてがそれだけのレベルに達しているかどうかは、分かりません。現に、NAXOSやCAMERATAあたりから出ているものは、CDと比較してもこれほど劇的に違いが分かるというものではありませんでしたからね。とりあえず、これから出るDGレーベルのものはどうなのか、確かめてみるつもりです。
このBDオーディオの仕様は24bit/96kHzですが、PCM以外にもなぜか2チャンネルでDolby True HDDTS HD Master Audioが選択できるようになっています。これらはマルチチャンネル用のロスレス圧縮音源ですから、2チャンネルで聴くときには何のメリットもありません。現に、PCM音源と聴き比べるとかなり平面的な音になっています。サラウンドではないのにこのような仕様を加えた意味が分かりません。

BD Artwork © Decca Music Group Limited

6月4日

WAGNER
Wesendonck-Lieder u.a.
Nina Stemme(Sop)
Thomas Dausgaard/
Sweden Chamber Orchestra
BIS/SACD-2022(hybrid SACD)


普通はフルサイズのオーケストラによってもっぱら演奏されている曲を、室内オーケストラの編成で演奏することで注目を集めているダウスゴーとスウェーデン室内管ですが、前作の「悲愴」では「いくらなんでも」という悲惨な出来でしたね。どんなことにも「限界」というものは存在しているのです。
今回取り上げているのはワーグナー、これこそ大編成でなければ大恥をかいてしまいそうな作曲家ですが、ダウスゴーたちはあえて正面対決は避け、巧妙な小技を使うことによって、かなりの成果を上げているようでした。
つまり、「ワーグナー集」とは言っても、メインの曲は「ヴェーゼンドンク・リーダー」という、本来はピアノ伴奏の曲がメインの扱いになっているあたりに、そんな配慮を見ることが出来るわけです。フェリックス・モットルとワーグナー自身によるオーケストレーションはいともあっさりとしたものですし、3曲目の「温室にて」などではそもそも小編成の弦楽器が使われていますから、このような室内オケで演奏しても何の差支えもありません。今や超売れっ子のスウェーデンのソプラノ、ニーナ・ステンメの芯のあるたくましい声は、そんな柔らかいサウンドの中でひときわ存在感を誇っています。
そして、インストものとしてはメインと位置づけられているのが、「ジークフリート牧歌」です。もともとは弦楽器1本ずつのアンサンブルのための編成ですから、室内オケには最適のレパートリーです。もちろんフルオケで演奏する場合もありますが、薄い管楽器をきちんと聴かせるためには弦楽器は少なめの方がいいはずです。ただ、各パート一人ずつのアンサンブルになってしまうと、逆に弦楽器がきつく聴こえてしまうかもしれませんから、この曲の柔らかさや温かさを味わいたい時には、複数の弦楽器があった方がより和みます。そういう意味で、今回の編成はまさに理想的、さらに、ホルンなどの細やかな演奏もあって、これは極上の演奏に仕上がりました。ロマンティックなワーグナーがとことん追求されていて、まさにアルバムの白眉です。
「オランダ人」序曲で、1841年の「オリジナル・ヴァージョン」と1860年の「ファイナル・ヴァージョン」とを並べて聴くことが出来るようなアイディアも、ワーグナー・イヤーならではのうれしい配慮です。「オリジナル」は、クレンペラー(1968/EMI)やバレンボイム(2001/TELDEC)のような単に「救済のモティーフ」をカットしただけのまがい物ではない真正品、サヴァリッシュ(1961/PHILIPS)やヴァイル(2004/DHM)が録音していた「フィガロ」の中の「Non più andrai」が聴こえてくるヴァージョンです。ここでは単に楽譜だけではなく、テンポ設定まで変えて「オリジナル」の姿をきちんと見せてくれています。すごいのは、「水夫の合唱」の部分が終わって「救済のモティーフ」が出てくる「retenuto」の部分。普通はここで「オリジナル」でもテンポを半分に落とすところを、そのままイン・テンポで演奏しているのです。そうなんですよね。そもそも「オリジナル」では登場人物の名前(たとえばダーラント→ドナルド、エリック→ジョージ)や設定(ノルウェー→スコットランド)からして、大幅に「ファイナル」とは異なっていましたから、音楽だって変わってしまうのは当然のことです。これも、別の意味で白眉。
最後に収録された「マイスタージンガー」の第1幕への前奏曲では、曲の方を編成に合わせるようにして小編成との整合性をはかっています。壮大というよりは「大げさ」と言った方があたっているこの前奏曲を、とことんチマチマしたものに変えてしまったのですね。正直、冒頭のハ長調のアコードのアホらしさは、こういうやり方ではより一層コミカルな味が出てきます。常々、この作品はワーグナー唯一の「喜劇」だと聞かされていますが、ダウスゴーたちはこういうやり方で、それを正面切って証明してくれました。

SACD Artwork © BIS Records AB

6月2日

ROUSE, IBERT
Flute Concertos
Katherine Bryan(Fl)
Jac van Steen/
Royal Scottish National Orchestra
LINN/CKD 420(hybrid SACD)


このアルバムの本当のタイトルは、ジャケットにもあるように 、イギリスのフルーティストのキャスリン・ブライアンの名前が一番最初に来るものでした。実は、これは彼女にとっての2枚目のソロ・アルバムなのですが、2010年にリリースされた1枚目ではアーティスト名は目立ったものの、いともまっとうなタイトルの付け方でした。写真だってごく普通のあか抜けない女の子、という感じだったものが、今回はどぎついメークのモノクロ写真、ほとんどゴスの世界でごす。この3年の間に、いったい何があったのでしょう。

1982年に生まれたキャスリンは、15歳の時にハーディング指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズとニルセンの協奏曲を協演するほどの「天才少女」でした。奨学金を受けてアメリカのジュリアード音楽院に進み、ジーン・バックストレッサーやキャロル・ウィンセンスに師事します。2001年と2002年には、札幌の「PMF」にも参加しているそうです。そして、2003年には21歳という若さでロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席奏者に就任します。それ以後は、このオーケストラでの活動のみならず、イギリス中のメジャー・オーケストラの客演首席奏者として大活躍しています。ということで、彼女は今年で31歳、「オトナ」を強調したくて、こんなルックスに挑戦しようと思ったのでしょうか。
このアルバムのメインは、クリストファー・ラウスという1949年生まれのアメリカの作曲家のフルート協奏曲です。1993年に、キャロル・ウィンセンスとデトロイト交響楽団のために作られたもので、翌年10月に初演されています。ウィンセンスのほかに、マリア・フェドトヴァやシャロン・ベザリーによる録音もありましたね。
ラウスがこの曲を作るにあたっては、1993年にリヴァプールで起きた、幼い子供が2人のティーンエイジャーにさらわれて殺されるという事件が念頭にあったそうです。全部で5つの部分から成るこの協奏曲の真ん中の部分の「Elegia」が、そのモチーフが最も反映された部分、深い悲しみが込められた曲想で、後半のやり場のない怒りをあらわしたような激しいクライマックスには、心を打たれます。ただ、この作曲家は、レッド・ツェッペリンから多大な影響を受けたそうで、そのようなロックに由来する語法もしっかり身につけているという幅広い作風が特徴なのだそうですから、もっと「明るい」音楽を用意することも忘れてはいません。それが、最初(1曲目)と最後(5曲目)の「Amhrán」という、ゲール語で「歌」を表わす名前が付けられた部分です。そこでは、ケルト音楽風の息の長いフレーズがフルートによってしっとりと歌われて、ほとんどヒーリング・ミュージックのような穏やかさが漂っています。そして、残りの、2曲目と4曲目がそれぞれ「Alla Marcia」と「Scherzo」という、リズミカルで華やかな部分です。ここでは、フルートはとても技巧的なパッセージを披露してくれます。
キャスリンのフルートは、とても伸びのある明るい音で、テクニックも何の不安もない滑らかさです。ただ、この作品の場合では1、3、5曲目のゆったりとした楽想での表現がやや一本調子なのが気になります。まだ作品の中に入りきれていないようなもどかしさが少し感じられるのですね。
その点、次のイベールの協奏曲の場合には、真ん中の「Andante」ではたっぷり歌いこんだ素晴らしい演奏を聴かせてくれていますから、おそらくラウスの時より相性が良かったのでしょう。まだ若いのですから、場数を踏んで苦手意識を払拭してほしいものです。
ここではドビュッシーの「シランクス」も演奏していますが、これもやや一本調子のような気がします。さらに、最後のロングトーンの途中にアクセントを付けているのは、使っている楽譜に問題があるせいなのでしょう。

SACD Artwork © Linn Records

5月31日

WEBER
Der Freischütz
Christine Brewer(Agthe), Sally Matthews(Änchen)
Simon O'Neill(Max), Lars Woldt(Kasper)
Colin Davis/
London Symphony Chorus & Orchestra
LSO LIVE/LSO0726(hybrid SACD)


サー・コリン・デイヴィスは、この4月に85歳で故人となられました。最後のポストとなったロンドン交響楽団の首席指揮者・総裁として、このLSO LIVEレーベルからは50枚近くのSACDをリリースしてきましたが、その最新のものが、この、2012年4月に録音された「魔弾の射手」です。実は、それよりもっと新しい、同じ年の6月に録音されたベルリオーズの「レクイエム」は、すでに市場に出回っています。はたして、それ以降に録音されたものは残っているのでしょうか。
ウェーバーの「魔弾の射手」といえば、「最初のドイツ・オペラ」として有名な作品ですが、序曲や第3幕で歌われる「狩人の合唱」などが独立した曲として親しまれている割には、オペラ本体はそれほど頻繁に上演されているわけではありません。でも、序曲の中に登場するテーマが、物語の中では何度も聴こえてきますから、初めて聴いた人でもある意味「デジャブ感」によって簡単に入って行けるのではないでしょうか。ただ、冒頭のホルン四重奏による本当に有名なテーマは、いくら待っても出てきませんからご用心。
ただ、「オペラ」とは言っても、この作品はモーツァルトの「魔笛」と同じように、「ジンクシュピール」という、普通のセリフの間に音楽が挟まっている形をとっています。この辺がイタリア・オペラとの最大の違い、あちらはレシタティーヴォ・セッコとして全てのセリフを歌にしていますが、ドイツ人にはそんなことはちょっと恥ずかしくてできなかったのでしょうか。セリフはセリフ、歌は歌、ときっちり分けたい性分なのかもしれませんね。
という、ある意味この作品のキャラクターであるセリフが、このSACDではすべてカットされています。いや、そもそもこのライブ録音の元の演奏自体が、コンサート形式ということもあってセリフの部分はカットしていたのですよね。確かに、セットの中で衣装を着た人たちがセリフをしゃべっているのなら分かりますが、燕尾服を着た人が譜面台を前にしてセリフというのは、かなり恥ずかしいものなのでしょう。その代わり、コンサートでは英語のナレーションが入っていたそうですが、それもSACDではカットされました。
そうなると、本来は物語の進行がセリフで語られているので、歌だけを聴いているとあまりの唐突な展開に戸惑ってしまうことでしょうが、それは「お約束」ということで、前もってきちんとあらすじなどは頭に入れておく必要があります。なんたって、クラシックを聴くときには、それなりの「予習」が必要なのですから。
ですから、逆にこのような録音では、物語にとらわれずに純粋に音楽を楽しむことが出来ることになります。素朴な、まるで民謡のような有節歌曲から、本格的なアリア、さらには合唱と、振れ幅の大きな音楽が目白押しですから、対訳を見なくても十分に楽しめるはずですよ。
ここでは、コンサートということで、かなりの大人数の合唱が用意されています。正規の団員以外のメンバーも加えた120人の合唱は、それはものすごい重量感で、オペラハウスではなかなか味わえない迫力を届けてくれます。「婚礼の合唱」や「狩人の合唱」はまさに聴きものです。
ソリストでは、マックス役のオニールが伸びのある声でさすがですし、カスパー役のヴォルトが巧みな表現を聴かせてくれています。それに比べると、女声たちはちょっと張り切り過ぎて音程がヤバくなっていたりして、いまいち、これはライブならではの疵でしょうか。
録音は、今までのこのレーベルの音から一皮むけて、アナログ的な生々しさが加わったものになっていました。最近では「high density DSD」というクレジットが見られるようになりましたが、これはおそらくサンプリング周波数がSACDで使われている2.8MHzではなく、その倍の5.6MHzDSDということなのでしょう。まさに最強のスペックで、何のストレスもない素晴らしい音が楽しめます。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra

5月29日

PENDERECKI
Piano Concerto・Flute Concerto
Barry Douglas(Pf)
Lukasz Dlugosz(Fl)
Antoni Wit/
Warsaw Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.572696


おなじみ、ヴィットとワルシャワ・フィルによるペンデレツキ、今回は割とメジャーな、ということは、すでにほかの録音があるピアノ協奏曲とフルート協奏曲とのカップリングです。まずは例によって「帯」についてのツッコミから。ここではピアノ・ソロはバリー・ダグラスというバリバリに有名なアイルランドのピアニストですが、フルーティストに関しては全く聞いたことのない名前、ポーランド生まれといいますから、それっぽいスペルで表記されています。実はここに書いた「L」は、文字に斜め線が入ったPCでは下手をすると文字化けしてしまうポーランド語特有のアルファベットなのですよ。これは「エル」ではなく「エウ」という文字で、英語の「W」に近い音の子音です。ですから、このフルーティストの名前は決して「帯」に書かれているように「ルーカス」などと呼ばれることはなく、「ウーカシュ」という、ほとんど別人の名前のように発音しなければなりません。フルネームだと「ウーカシュ・ドウゴシュ」ですね。確かに、さるフルートメーカーのサイトに、この帯のような「ルーカス・ドゥルゴスツ」という表記が見られますが、別の、もっと信頼のおけるメーカーでは、ちゃんと「ウーカシュ・ドウゴシュ」となっていますから、これはそんないい加減な表記を信用した担当者の完全なミスですね。
「帯」への突っ込みは続きます。ここで担当者は、ピアノ協奏曲でこのチャイコフスキー・コンクールでの優勝者がペンデレツキなどを演奏していることにさも意外なフリをしていますが、実は、彼がこの曲を演奏したCDは、すでに2003年に録音されているのですよ。このサイトでもこちらで現物を紹介しているぐらいですから、プロである帯原稿担当者がこれを聴いていないわけはないのですね。ただ、この時には改訂前のものを演奏していたものが、今回は2007年に改訂された楽譜を使っています。プロならば、むしろそのあたりきっちり押さえるべきなのに。
手元に楽譜があるわけではないので、初稿と改訂稿の違いを正確に語ることは不可能ですが、とりあえず耳で聴いただけではっきり分かる違い、それも、かなり重大な変更があることは確認できました。それは、曲の大詰め近く、今回のCDではトラック8の「Andante maestoso」の終わりの部分です。ここでは、まるでチャイコフスキーの「1812年」のクライマックスのように、ロシアの聖歌のようなものが壮大な盛り上がりを見せるのですが、初稿ではそのあとに前もって録音されていたたくさんの鐘の音が鳴り響きます。ところが、改訂稿ではその部分がスッパリとカットされているのです。ペンデレツキとしては、つい調子に乗ってすっかりチャイコフスキーの世界に入り込んでしまったのでしょうが、あの鐘の音があったのでは、あの部分がもろ「1812年」のパクリであることが誰にでも分かってしまいますから、冷静になった時にこれではいくらなんでもまずい、と気が付いたのでしょう。これは、とても賢明な判断でした。今さらそんなことにこだわってどうするのだ、と言う気もしますがね。
そして、そのあとも、初稿ではこれももろラフマニノフのパクリである冒頭のテーマが現れて、そのまま終わるのですが、改訂稿ではそのあともうひとくさり、いかにも深い情感をたたえたように聴こえる部分が演奏されてから終わっています。
フルート協奏曲の方は、1992年にランパルのソロによって初演されています。実は、この曲は、「なんと」このNAXOSレーベルにすでに1997年にペトリ・アランコによって録音されたものがあるのですね。今回の「ドウゴシュ」の演奏は、アランコ盤とは録音のポリシーが全然異なっていて、ソロや、それに絡む別の楽器がとてもはっきり聴こえますから、同じ曲なのに全く別の味が楽しめます。「帯」の担当者は、自社製品なのにきっとこのアランコ盤(8.554185)は聴いたことがなかったのでしょう。


CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

5月27日

WAGNER
Organ Fireworks
Hansjörg Albrecht(Org)
OEHMS/OC 690(hybrid SACD)


ワーグナーの作品をオルガンで演奏しようというアルブレヒトの企画、今回は以前の「リング」に続いて、ワーグナーの舞台作品の序曲や前奏曲を集めて一つの作品のように聴かせるという、ユニークなものでした。ちょっと変則的な交響曲のような5楽章の構成で、第1楽章は「Introduktion」で「タンホイザー」序曲、第2楽章は「Adagio」で「パルジファル」前奏曲、第3楽章は「Scherzo」で「オランダ人」序曲、第4楽章は「Intermezzo」で「トリスタン」前奏曲、そして第5楽章は「Finale」で「マイスタージンガー」前奏曲という割振りです。まあ、なんとなく分かるような、分からないような当て方ですが、このようなアイディアはアルブレヒト自身のものなのでしょう。
彼のアイディアはもう一つあって、ライナーの中では、なんとアルブレヒトとワーグナーとの「対談」が実現しているのですから、驚きます。「今のオルガンの技術はすごいですよ!」みたいなことを「巨匠」と語っているのですからね。
そのライナーのトラックリストを見て気になったのが「WWV」という文字です。ホームページじゃないですよ(それは「WWW」)。おおかた察しがつくはずですが、これはワーグナーの作品番号ですね。「Wagner-Werk-Verzeichnis」の頭文字をとったもので、最近新しく録音されたCDではよく見かけられます。実際は、ジョン・デスリッジ、マルティン・ゲック、エゴン・フォスという3人の音楽学者にはよって編纂され、1986年にSchottから出版された「Verzeichnis der musikalischen Werke Richard Wagners und ihrer Quellen(リヒャルト・ワーグナーの音楽作品の目録と、その資料)」という書籍に掲載されている作品リストで、作曲年代順に番号が付けられています。文字通り、ここにはワーグナーが作ったすべての曲が収められていて、その数は全部で113曲にも上ります。しかも、「リング」などはそれだけで「WWV86」と一つの番号、それぞれの作品は86aから86dとなっていますから、今普通に上演されるオペラだけでは番号は10個もないことになります。他の作品がそんなにたくさんあったのですね。せっかくのワーグナー・イヤーなのですから、そんな「オペラ以外」の作品の全集みたいなものを作るレーベルがあってもいいのでしょうが、今のところ、そんな話は聴こえては来ません。WWV113は児童合唱なのだそうです。ぜひ聴いてみたいものです。
ということで、WWV63の「オランダ人」からWWV111の「パルジファル」までが並んでいるわけですが、実際にそれぞれの曲の編曲を行ったのはアルブレヒトではなく、20世紀初頭にアメリカで活躍したイギリスのオルガニスト、エドウィン・ヘンリー・ルメアと、ブルックナーのオルガン曲(オリジナルと編曲)を演奏したCDなどをリリースしている現代のオルガニスト、エルヴィン・ホルンの2人です。誰がどの曲の担当なのかまでは分かりませんが、「パルジファル」あたりはちょっとセンスが違うような気がするので、もしかしたらホルンさんの仕事なのかもしれません。
確かに、この「アダージョ」は、編曲も演奏もとても素晴らしいもので、比較的珍しい曲ですので、コアなワーグナー・ファンでなければ、最初からオルガンのために作られたものだと思うかもしれないほど、オルガンに馴染んでいます。聴きなれた人でも、ここからまるでフランクのオルガン曲のような味わいが感じられて、驚かされるかもしれませんよ。
ただ、その他の曲は、やはり本来のオーケストラ・バージョンをなぜわざわざオルガンで聴かされなければならないのか、という思いについかられてしまうような、ありふれた、というか、ちょっとインパクトに欠けるものでした。トランペットの合いの手は、いったいどこに行ってしまったのだろう、とか、有名な曲ならではの辛さがつい露わになってしまいます。
それと、相変わらず「帯」の校正はいい加減。


SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH

5月25日

WAGNER
Der fliegende Holländer
Dietrich Fischer-Dieskau(Holländer)
Marianne Schech(Senta), Gottlob Frick(Daland)
Sieglinde Wagner(Marie), Friz Wunderlich(Steuermann)
Franz Konwitschny/
Staatskapelle Berlin
BRILLIANT/94664


今まで幾度となく再発が繰り返されていた旧東ドイツのレーベル、「VEB Deutsche Schallplatten Berlin」原盤の「オランダ人」が、ついにBRILLIANTから発売されてしまいました。まとめ買いをすると、この2枚組の全曲盤が税込911円で買えてしまうのですから、まだ聴いたことがなければ手が伸びてしまうのは当然のことです。なにしろ、フィッシャー・ディースカウがオランダ人を歌っているというユニークなキャスティングですからね。
これが録音されたのは1960年、さっき書いたこのレーベルは、当時の東ドイツの唯一のレコード会社、つまり、国営企業でした。頭にある「VEB」というのが、そのことをあらわす「Volkseigener Betrieb(人民公社)」の略号ですね。つまり、企業の名前としてはその後の「Deutsche Schallplatten Berlin」ということになるわけで、多くの場合「Berlin」は省かれて単に「Deutsche Schallplatten」と呼ばれていて、それがレーベル名にもなっています。「ドイツ・レコード」ですね。そんな風に言う人は誰もいませんが(「このレコード、どいつんだ」「おらんだ」とか)。ところが、日本ではなぜか「VEB」がレーベル名だと思っている人が多いのですね。何か別の言葉の略号だと勘違いしているのでしょうが、これはとてもみっともないことです。
もちろん、現在はこの企業は存在していません。ここが保有していた音源は、基本的には「Berlin Classics」というところが引き継いでいるのでしょうが、こんな風に流れ流れてBRILLIANTからリリース、などというケースも出てくることになります。
そんな素性ですから、音はあまり期待できないのでは、と思って聴き始めたら、これが意外に素敵な音だったのにはちょっとびっくりしてしまいました。確かに、いい加減なマスタリングでオーケストラなどはちょっとキンキンした音になっていますが、これは最近の大レーベルのCDでもありがちなことで、もしきちんとしたマスタリングを施したSACDで聴けば、さぞ素晴らしい音なのだろうな、と思えるような音だったのですね。歌手の声などは、ヘタなCDよりずっと存在感が感じられますし。
実は、このレーベルは音に関しては昔から定評がありました。大昔ですが、わざわざ2トラサンパチのオープンリールにして販売されていたほどですから、かなりハイグレードのオーディオファイルの鑑賞にも耐えうるクオリティを持っていたわけです。その片鱗を、こんな格安なCDでも味わえるのは、とても幸せなことでした。
さらに、これはスタジオ(ベルリンのグリューネヴァルト教会)でのセッション録音で、音場設定などにもかなり配慮されていることも良く分かります。それこそ、同じ時代のカルショーのDECCA盤を彷彿させるような、人物の動きまでがきちんと分かるような録音ですから、嬉しくなってしまいます。
そして、なんと言ってもキャストが豪華。なんせ、ヴンダーリッヒが「舵とり」の役なのですからね。最初に出てくるモノローグは絶品、この役はここしか出番がないと思っていたのですが、最後の方にももう一声堪能できる場所があることを、初めて知ったぐらいの、ものすごい存在感です。同じテノールの役であるエリックが、なんとも情けなく聴こえてしまいます。
そして、フィッシャー・ディースカウの「オランダ人」の登場です。いやあ、これはものすごい「オランダ人」、おそらく、彼はこの役の「不気味さ」を出すために、あえて少し抑えた歌い方をしていたのでしょうが、それでもなおかつとてつもない感情のほとばしりが伝わってきます。往年の名ソプラノ、マリアンヌ・シェヒのゼンタが聴けるのもうれしいことです。
ベルリン・シュターツオーパーの合唱団は、ことさら荒っぽい歌い方を強調していますし、オーケストラの管楽器も今では聴けないような骨太の音色で力強く迫ります。それらはコンヴィチュニーの武骨な音楽と見事にマッチして、言いようのない迫力を放射しています。

CD Artwork © Brilliant Classics

5月23日

MENDELSSOHN, A.
Choral Works
Frieder Bernius/
SWR Volkalensemble Stuttgart
HÄNSSLER/SACD93.293(hybrid SACD)


メンデルスゾーンの無伴奏合唱曲を集めたアルバムですが、有名な「おお、ひばり」などは入っていません、なんてね。実は、「メンデルスゾーン」とは言っても、あのフェリックスではなく、アルノルト・メンデルスゾーンという人の作品集なのでした。もちろん、そんな珍しい名前ですからフェリックスに関係がないわけではなく、ご想像通りの同じ一族のメンバーです。正確には、フェリックスの父親の弟(叔父さん)の孫ですから、いとこの子供、こういうのはなんというのでしょう。少なくとも、代理店のインフォに登場する「はとこ」でないとこだけは確かです。
常々思うのですが、音楽家の名前というのは、なんと特徴的なことでしょう。つまり、現在普通に見られる名前で、有名な作曲家と同じ名前の人は異常に少ないのでは、と思うのですが、どうでしょう。メンデルスゾーンさんも、だいぶ前にウラジーミル・メンデルスゾーンというヴィオラ奏者を見かけたら、やはりその方はこの一族の子孫でしたしね。あとは、「ブラームス」さんも珍しいのでは。映画監督でヘルマ・サンダース=ブラームスという人がいますが、この人だってやはりあの「ブラームス」の子孫なのだそうです。「モーツァルト」なんて名乗る人がいたら、絶対に関係者だと思ってしまいますしね。
日本人でも、作曲家にしかいないような珍しい名前がありますね。「伊福部」とか「黛」とか、最近では「佐村河内」なんて、読み方すらわからないようなのもありますし。でも、日本人の場合「山田」とか「佐藤」、「高橋」といった、ごくありふれた名前もありますから、許しましょう。
アルノルトが生まれたのは1855年ですから、マーラーが生まれる5年前ですね。すでにフェリックス・メンデルスゾーンは8年前に他界していて、世の中は「後期ロマン派」へ向かおうとしていた頃です。
彼は、最初は法律家を目指しますが、後に音楽家への道を進み、フランクフルトの音楽院の教授なども務めます。この時の生徒の一人に、パウル・ヒンデミットがいたそうです。作品は、オペラや交響曲などそれなりにあるようですが、メインは教会音楽のようですね。
この特徴的なデザインのジャケットでおなじみのSWRヴォーカルアンサンブルの作曲家シリーズは、確かずっと芸術監督のマルクス・クリードの指揮で録音されてきていたはずですが、今回は重鎮、フリーダー・ベルニウスの指揮です。ここで彼が選んだアルノルト・メンデルスゾーンの作品は、「ドイツ・ミサ」と、「宗教的合唱音楽 Geistliche Chormusik」です。
「ドイツ・ミサ」は、文字通りドイツ語によるミサ曲。ラテン語の典礼文をそのままドイツ語に訳したテキストが使われています。「Gloria」は「Ehre sei Gott in der Höhe」、「Credo」は「Der christliche Glaube」といった具合です。ただ、「Sanctus」に相当する「Heilig」では、最初の方に見慣れないテキストが入っていたり、「Christe, du Lamm Gottes(=Agnus Dei)」のあとにもう1曲「Schlußgesang」が加わっています。これはもう、もろルネサンスあたりの音楽をリスペクトしていることがすぐ分かる、対位法を前面に押し出した作品です。
「宗教的〜」の方は、タイトルからも分かる通り、シュッツの作品の精神をその時代に再現したような仕上がりです。なんでも、シュッツはアルノルトのアイドルなのだとか。ここでは「待降節のモテット」、「クリスマスのモテット」、「公現祭のモテット」の3曲が演奏されていますが、それぞれ合唱、ソリ、コラールなどが組み合さわれていて、楽しめます。「待降節」では、バッハでおなじみのコラールが、その時代からバロックを眺めているような装飾が施されて、この作曲家の立ち位置が明確に示されています。
この合唱団の硬質のサウンドが、何のストレスもなく伝わってくる素晴らしい録音、やはり、合唱はSACDでなくては、と、痛感させられる音でした。

SACD Artwork © SWR Media Services GmbH

おとといのおやぢに会える、か。


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