保父、マイスター.... 佐久間學

(13/5/3-13/5/21)

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5月21日

WAGNER
Das Rheingold
Tomasz Konieczny(Wotan)
Christian Elsner(Loge)
Iris Vermillion(Fricka)
Marek Janowski/
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
PENTATONE/PTC 5186 406(hybrid SACD)


2010年から開始されたヤノフスキのワーグナー・ツィクルスの録音はこれが7巻目、ついに「リング」に突入です。ご存知のように、ヤノフスキの「リング」といえば、1980年から1983年にかけて世界で初めてデジタル録音によって制作されたものがありました。かつての東ドイツの国営企業Deutsche Schallplattenと西ドイツのEurodiscとの共同制作によるものですが、デジタル録音の機材は日本のDenon製のものが使われていたために、Denonも加えた3者の共同制作という言い方もされているようです。もちろん、日本国内では1982年の9月にDenonレーベルでLPが発売されましたね。その時の紹介ではヤノフスキは「現在最も注目を集めているポーランドの新進」となっていました。それは、当時彼が音楽監督を務めていたドレスデン州立歌劇場の歌手(もちろんオーケストラも)を起用した、完成度の高いレコードでした。テオ・アダムのヴォータン、ペーター・シュライアーのローゲ、そしてなんと、ラインの乙女のヴォークリンデなどという「端役」がルチア・ポップですからね。確かにデジタル録音が売り物ではありましたが、デジタルうんぬんよりはDeutsche Schallplattenならではの渋い音が、ショルティのDECCA盤とは対極的な魅力を誇っていたような気がします。
それから30年以上経って、「新進」は「リング」のみならず、ワーグナーのほぼ全作品を録音する「巨匠」になっていました。もちろん、録音はハイレゾPCMですから、Denon時代の16bitPCMよりはワンランク上の音も期待できるはずです。
ところが、前奏から、なんだかピリッとしない響きだったのには、ちょっとたじろいでしまいます。それこそ録音以前の問題、コントラバスの低いE♭の持続音に乗って、ファゴットが5度上のB♭の音を出すのですが、そのピッチがとてもいい加減なのですね。さらに、そのファゴットが、途中でブレスをしているのです。

確かに楽譜ではところどころでタイが切れていますが(コントラバスも)、そもそもファゴットが何十小節もノンブレスで演奏することなどできるわけもありませんから、これはワーグナーなりの「配慮」だったのでしょう。ただ、聴きなれたDECCA盤や、そもそもヤノフスキの前の録音でも、ここはしっかり続けて演奏しているように聴こえます。要は、カンニング・ブレスや、もしかしたらテープの編集によってブレスを見えなくすることで出てくる緊張感が、ここでは完全に殺がれているのです。
「聴きなれない」感じは、その前奏のあとに出てくるラインの乙女のアンサンブルでも味わえてしまいました。下の2人の声が大きすぎて、肝心のソプラノのメロディ、つまり、ルチア・ポップのパートが全然聴こえてこないのですね。これは、ライブでのマイクアレンジの問題なのか、あるいは歌手の力量の問題なのかは、分かりません。
ただ、「歌手の力量」という点では、総じて前回の録音の方がはるかに優れていたのは明らか。今回は何ともキャラクターの特色がはっきりしない小粒の歌手になっているな、という印象は免れません。特にヴォータン役にはテオ・アダムのような重みはなく、何かずる賢いとうちゃんといった感じが付きまとっています。確かにヴォータンにはそのような要素もなくはないのですが、これほどそれがあからさまに出てくるのはちょっと違うのでは、という気がします。逆に、ローゲあたりはなんだかとても偉い人のような落着きよう、これも芸達者なシュライアーに比べると違和感満載です。
オーケストラの音も、確かに部分的な音色自体はハイレゾという感じがするものの、何か全体的に押し寄せてくる魅力がありません。例のシーンの合間のメタル系の「鳴り物」を総動員した音楽は、耳が痛くなるほどの大迫力、それでいて種類の違う楽器の個々の音までがはっきり識別できるというものすごい音ですが、「だからどうした」という感想しか持てないほど、見事にその部分だけが浮いています。

SACD Artwork © PentaTone Music b.v.

5月19日

NIELSEN, IBERT
Flute Concertos
Thomas Jensen(Fl)
Giordano Bellincampi/
South Jutland Symphony Orchestra
DANACORD/DACOCD 725(hybrid SACD)


このDANACORDというデンマークのレーベルにとっては初めてのSACDなのだそうです。となると、誰が録音しているのか気になりますが、クレジットを見てみると「Timbre Music」というロゴがありました。これは、同じデンマークのレーベルDACAPOでもおなじみの、あのDXDを駆使した最強の録音チームではありませんか。フルートの録音ではなかなかSACDにお目にかかれないので、ベタな曲目ですし、演奏者も全く知らない人だったのについ手を出してしまったら、こんなところで彼らに出会えるとは。
フルートを吹いているのはトーマス・イェンセンという人です。同姓同名でやはりデンマークの作曲家がいますが、その方とは全く無関係、ここでバックを務めているオーケストラ、南ユトランド交響楽団のソロ・フルーティストです。このレーベルには、フルート関係者にとってはとっても重要なデンマークの作曲家、ヨアヒム・アンデルセンのフルートのための作品全集(7巻)を録音しています。生まれたのは1949年ですから、もうすでに還暦を迎えられていますが、しっかり現役として活躍しているようですね。
アルバムの最初は、やはりデンマークの作曲家ニルセンの協奏曲です。フルーティストにとっては、コンクールの課題曲になったりもしているほどの非常に有名な曲ですが、今まで多くの人の演奏を聴いてきても、実はあまり魅力を感じたことがありませんでした。しかし、今回は何か違います。まず、この、すべての楽器を立体的に聴かせてくれるハイレゾの極致ともいうべき録音によって、とらえどころのなかったオーケストレーションが、しっかり意味を持って伝わってきたのですね。優れた録音というのは、こういうものなのでしょう。ただの「音」ではなく、しっかり「音楽」を伝えてこその録音だということに、思い知らされます。
もちろん、この録音からは、フルートも元の音から何もなくなっていませんし、何の余計なものも加わっていないという、まさにあるべき姿で伝わってきます。そうすると、ソロのフレーズにも、今まで感じられなかった「なにか」が宿っていることがはっきり分かるのですね。このイェンセンさんは、テクニックも表現力もとても素晴らしい方で、この年になってもそれが全く衰えていません。しかも、そんなスキルをこれ見よがしに披露するというのではなく、ニルセンが書いた音符をありのままに再現することにすべてをささげているような気がします。それだけのことで、この作品が今までとは全く違った聴こえ方をするというのは、やはり同じ国民が持つシンパシーのなせる業なのでしょうか。
イベールの協奏曲についても、やはりオーケストラの存在感が今まで聴いてきたものとは一味違っていました。というか、正直とても難しいソロのパートについ耳が向きがちで、オーケストラなどどうでもよかったものが、今回はしっかりオーケストラまで聴きこんでみたくなるような録音だったのです。録音が、それぞれのプレーヤーの気持ちまでも拾い上げてくれていた、ということなのかもしれません。
となると、今度はそんな超ハイテクを要求されるソロ・パートに、まさに全力で立ち向かっているイェンセンさんの姿までもが手に取るようにはっきり浮かび上がってきます。ほんのちょっとしたほころびがあったりすると、一緒になってハラハラしたりしながら、どうか無事に最後まで吹ききってほしいと応援したくなったりするという、すごいライブ感です。
こんな大曲の間に、もう2曲演奏されていました。まず、最近とんと演奏されることが無くなったグリフィスの「ポエム」です。ちょっと「さくら貝の歌」に似ているテーマが出てきて和む曲ですね。そして、もう1曲はマルタンの「バラード」の弦楽合奏とピアノによるバージョンです。ちょっと前にパユで聴いた曲が、やはりしっかりと現実味を帯びて伝わってきましたよ。

SACD Artwork © Danacord

5月17日

MOZART
Flute Quartets
菅きよみ(Fl)
若松夏美(Vn)
成田寛(Va)
鈴木秀美(Vc)
Arte dell'arco/ADJ-035


バッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラ・クラシカといった、日本を代表するピリオド楽器の演奏団体で活躍している4人の日本人奏者による、モーツァルトのフルート四重奏曲です。モーツァルトの時代には、現在使われているようなフルートはありませんでしたから、最近ではこのように同じ時代に存在していた楽器を使った演奏もよく行われています。ただ、かつて、この「フラウト・トラヴェルソ」というピリオド楽器の演奏家たちがこぞって録音した頃は、なにか物珍しさのようなものが付きまとっていたような気がします。なにしろこの曲のモダン楽器による演奏は、かつてNHK-BSのクラシック音楽の番組のテーマ曲に使われていたり(あれはゴールウェイの演奏ですね)、街中のBGMなどでよく流れていたりしますから、知らず知らずのうちに耳にしているはずで、その音色が刷り込まれている人にとっては、ピリオド楽器の演奏はとても違和感があったのではないでしょうか。
しかし、時代は変わり、最近は交響曲などではモダン・オーケストラで聴く方がかえって違和感があったりはしませんか?ですから、このようなピリオド楽器による室内楽も、すんなり聴けてしまう土壌は育っているのではないでしょうか。今回の菅さんのトラヴェルソを聴いていると、この曲の持っているサロン風の優雅なたたずまいが、ふんわりと体を包み込んでくれるような気持になって、とてもリラックスできました。というか、細かい音符が連続しているスケールなどが、モダン楽器がある種の高圧的なヴィルトゥオーシティを感じさせてくれるのに対して、トラヴェルソによる同じパッセージにはいともコロコロとした「かわいらしさ」があることに気づかされるのですね。これが「ピリオド」の効用。モーツァルトの時代の空気まで伝わってきて(本当かどうかはさておき)、なかなかいいものです。
ところで、ライナーノーツの中で鈴木さんが、使われた楽譜について言及されていました。ここでは、通常用いられるベーレンライターの新全集版ではなく、1998年にヘンリック・ヴィーゼによって校訂されたヘンレ版で演奏しているのだそうです。そこで実際に挙げられているハ長調(K.Anh.171)の第2楽章の第4変奏後半での違いを確かめてみると、確かにフルートとユニゾンになるのは今までのベーレンライター版のヴァイオリンではなく、ヘンレ版のヴィオラの方が理にかなっているような気がします。その箇所ではフルートの1オクターブ下を弦楽器が演奏しているのですが、ヴァイオリンでは最低音のF♯が出せないので、その部分で1オクターブ高く弾かなければいけなくなってしまいますからね。ただ、これは楽譜を見ながら聴いても、ほとんど違いは分かりませんでした。
それよりも、この楽譜にはもっとはっきりベーレンライター版との違いが分かる個所があります。それは、二長調(K.285)の第2楽章のBメロ、18小節と19小節の間にあるタイの有無です。

ベーレンライター版ではこのようにタイが入っていますが、今回の演奏でははっきりタイを外しています。確かにヘンレ版の楽譜では「タイなし」になっています。

なんのことはない、これは旧全集と同じ形です。

つまり、1962年にベーレンライター版が出版されるまで、いや、それからかなりたった時点でも、世のフルーティストはすべてここを「タイなし」で演奏していたのです。しかし、いつしかこの原典版による「タイあり」は浸透して、最近ではまず「タイなし」の演奏に出会うことはなくなりました。おそらく、CD時代になってから録音されたものはほとんど「タイあり」なのではないでしょうか。
しかし、せっかく世の中が「タイあり」に落ち着いたと思ったら、今度は「タイなし」ですって。なんともややこしいことをやってくれたもの、これで、今までの演奏は台無しになってしまいます。

CD Artwork © Arte dell'arco

5月15日

WAGNER HEROES
James McCracken, Ernst Haefliger, James King,
Wolfgang Windgassen, Jon Vickers(Ten)
Matthias Goerne, Tom Krause(Bar)
David Ward, Paul Schäffler(Bas)
DECCA/480 7062


オーストラリアのユニバーサルが出しているELOQUENCEというバジェット・シリーズの最新アイテムは、ワーグナー年にちなんだ「ワーグナー・ヒーローズ」というコンピレーションでした。同じシリーズで「ワーグナー・ヒロインズ」というのもありますよ。
こちらでは、主に1960年代以前の音源が集められていて、往年のワーグナー歌手たちがそれぞれ個性的な歌を披露しているのを楽しむことが出来ます。「ヒーローズ」というタイトルから、てっきり文字通り「ヒーロー」を歌うための「ヘルデン・テノール」が集められているのだと思っていたら、実際はバリトンやバスの歌も入っていました。「オランダ人」がヒーローというのはちょっと納得できませんし、テノールにしてもその「さまよえるオランダ人」に出てくる、ただ「舵とり」というだけで名前も与えられていない役の人がやはりヒーロー扱いされているのは、どう考えても理解できません。もっと内容に即したタイトルを付けないといけないよう
でも、アルバムのオープニングでは、一応直球の「ヒーロー」で勝負してくれています。1965年に録音されたもので、ジェームズ・マックラケンによって「マイスタージンガー」のヴァルターとタンホイザーが歌われています。オーケストラはウィーン国立歌劇場管弦楽団、録音場所はウィーンのゾフィエンザールと言いますから、まさに黄金時代のDECCAサウンドを聴くことが出来ます。エンジニアは違いますが、例の「指環」と共通した音づくりからは、この時代のDECCAではレーベルとしての確固たるサウンドが確立されていたことがまざまざと知ることが出来ます。そして、何よりもマッケラスの力強い歌い方からは、時代を超えて通用するワーグナー・テノールのあるべき姿が見事に見えてきます。おそらく、フォークトなどは半世紀経った頃にはすっかり忘れ去られていることでしょう。
次の、マティアス・ゲルネのヴォルフラムだけは、2000年のデジタル録音です。エンジニアはフィリップ・サイニーですが、もはやかつてのDECCAサウンドからはすっかり遠くなってしまった、なにか優等生のような生真面目な音しか聴こえて来なくなっているのは残念です。やはり、1967年頃のトム・クラウゼやジェームス・キングの録音に聴かれるような、殆どオーバーロードしているぐらいの生々しさの方が、聴いていて気持ちが良いものです。キングが歌っていたのは、最近よく耳にする「リエンツィの祈り」です。こんな頃から、このアリアだけは歌われていたのですね。
この中には、1950年代のモノラル録音のものも収録されています。まずは1952年に録音された、こちらはDGの音源によるエルンスト・ヘフリガーが歌う、さっきの「舵とりのモノローグ」です。これこそ、まさに「ヒーロー」からは程遠いキャラクターですが、「マタイ」などでの厳格なヘフリガーとは全然違う一面が見られて、楽しめます。
そして、やはりDG音源のモノラル録音、1953年のヴォルフガング・ヴィントガッセンの若々しい、これぞ極めつけの「ヒーロー」であるジークフリート声を堪能しましょう。ヘフリガー同様、オーケストラの音はかなりしょぼいものですが、逆に声だけは全く古さを感じさせない生々しさで録音されています。
DECCAによるモノラル録音では、1950年に録音されたパウル・シェフラーの「ヴォータンの分かれ」がありました。DGとは正反対のとても煌びやかなオーケストラの音、しかし、今聴くとあまりに細部にこだわり過ぎて、全体のバランス特に低音が弱く感じられてしまいます。これからたった10年ほどで、それは見違えるほどに改善されて、他を寄せ付けないほどの完成度を誇るようになるのですね。
そんな、この二つのレーベルの録音史までもが体験できる、興味深いアルバムです。

CD Artwork © Universal Music Australia Pty. Ltd.

5月13日

HOLMBOE
Concertos
Erik Heide(Vn)
Lars Anders Tomter(Va)
Dima Slobodeniouk/
Norrköping Symphony Orchestra
DACAPO/6.220599(hybrid SACD)


録音が素晴らしいのが気に入っているデンマークのDACAPOというレーベルは、CDのジャケットのアートワークもとても素晴らしいものが揃っています。今回のSACDも、ほとんどそんな「ジャケ買い」状態、以前聴いたこんなアルバムとよく似た感じだったので、やはり音が素晴らしかったそのノアゴーと同じように期待できる内容に違いない、と、確信してしまいました。そんな風に、レーベルのサウンドのイメージが、ジャケットとのつながりで連想されるというのは、非常に幸福なレーベルなのではないでしょうか。
手元にあったこのレーベルのCDを調べてみたら、それらはほとんど同じ人がグラフィック担当としてクレジットされていました(フィッシャーのモーツァルト全集は別の人でした)。Denise Burtというその女性は、デンマークで活躍していますが、ニュージーランド出身だそうですから、これは普通に「デニース・バート」と発音していいのでしょうね。
そして、録音エンジニアも、ノアゴーと同じプレベン・イワンでした。ですから、録音フォーマットはやはりDXDベースということになります。これは期待できますよ。
このアルバムで取り上げられているのは、デンマークの作曲家ヴァウン・ホルンボー(1909-1996)の協奏曲が3曲です。独奏楽器はヴァイオリンとヴィオラ、そして「オーケストラのための協奏曲」です。この3曲は、すべてこれが世界初録音となりますし、「オケコン」にいたってはなんとこれが「世界初演」、つまりまだ聴衆を前にしての「生」の演奏すら行われていないものが、ここで聴けるのですね。ヴァイオリン協奏曲も、ここでは「第2番」が聴けるのですが、実は「1番」の方はまだ初演が行われていないのだそうです。そのあたりの事情はライナーノーツによると「ホルンボーの作風はあまりにも多岐に渡っているため、全てを一言で語ることは難しく、時として、その作品が不当に見過ごされてしまっていることもある」からなのだそうです。確かに、このアルバムの3曲を聴いただけでも、その作風の多様さは十分にうかがえたよう
まず、最初のヴィオラ協奏曲を聴きはじめたら、そのあまりの音のインパクトに、普通聴いているボリュームをあわてて下げてしまったほどでした。金管楽器の彷徨と打楽器の強打によるそのオープニングは、まさにこのSACDがとてつもない音で録音されていることを瞬時に知らしめるものでした。この、気合の入ったサウンドを味わうだけでも、このアルバムの価値があるぐらいです。
そんな華々しいオーケストラに導かれて入ってくるヴィオラのソロが、また生々しいこと。それこそ、「松ヤニの飛び散る」ような迫力には驚かされます。ヴィオラって、こんなに芯のある音が出る楽器だったことに、改めて気づかされます。こんなエネルギッシュな作品が再晩年、1992年のものだったというのも、とても信じがたいことです。
「オケコン」は、ほんの13分程度の、ほとんど「序曲」といった感じの作品でした。こちらは本当に若いころの1929年に作られていて、バルトークのような名人芸を聴かせるというような大層なものではなく、もっと繊細な音色の変化を楽しめるような仕上がりになっています。このあたりも、弦楽器や木管楽器のテクスチュアが存分に味わえる素晴らしい録音です。
ヴァイオリン協奏曲は1979年の作品、この曲が、アルバムの中では最も複雑な作風が感じられます。それは、まるでシベリウスのような、ちょっととらえどころのないものです。ソロのヴァイオリンにも、華やかな技巧ではなく、もっとしっとりとした情感を託されているようです。そんな深みのあるヴァイオリンのサウンドが、とても印象的です。
やはり、今回もジャケットを裏切らない素晴らしいアルバムでした。もちろん、それはSACDを聴いて初めてわかること、CDレイヤーからはヴィオラの「松ヤニ」は決して飛んでは来ません。

SACD Artwork © Dacapo Records

5月11日

VERDI
Requiem
Montserrat Caballé(Sop), Bianca Berini(MS)
Plácido Domingo(Ten), Paul Plishka(Bas)
Zubin Mehta/
Musica Sacra Chorus(by Richard Westenburg)
New York Philharmonic
SONY/88765456722


SONYの「Originals」という、どこか別のレーベルで聴いたことのあるような名前のシリーズです。「別の」ほうでは、元のジャケットが斜めになってたりしましたが、こちらはまさに「オリジナル」のジャケットの完全復刻、このヴェルディの「レクイエム」では当然LP2枚組でしたから、そのダブルジャケットの表裏がしっかり再現されています。ただ、表には元の品番がそのまま印刷されていますが、裏ではこのCDの今の品番になっているというあたりが唯一の違いでしょうか。「AUDIOPHILE PRESSING」などと、LPならではのセールス・ポイントがそのまま見られるのもうれしいですね。
そして表側にはデカデカと「DIGITAL RECORDING」の文字、さらに裏側には「Recorded and edited using the 3M system.」と、録音機材まで明記されているのは、まさにこの時代ならではの現象です。つまり、これは1980年の10月にニューヨークのエイヴリー・フィッシャー・ホールでライブ録音されたものなのですが、この時期はまさに「デジタル録音」が華々しく幕開けを迎えていた頃だったのですね。これで稼ごうとしていたのでしょう(それは「ゼニトル録音」)。ここにある「3M System」とは、そんなデジタル録音の黎明期にそれまで「Scoch」というブランドで世界中の放送局や録音スタジオに録音テープを供給していた3Mが、突如発表したマルチトラックのデジタルのテープレコーダーのことです。ほどなくSONYの製品などが登場すると市場から姿を消してしまいますが、当時はこのようにメジャー・レーベルでも盛んに使われていた機材です。

もちろん、この頃はデジタル録音と言えばまだ16bitのものしかありませんでしたし、サンプリング周波数も3Mの場合は50kHzでした。まだCDの規格が制定される前の話ですからね。いや、そもそもデジタル録音の「規格」などは各社まちまちの状態でしたから、この3Mで録音されたテープは、同じ3Mのレコーダーでしか再生できません。現在では、このレコーダーは、殆ど現存していないそうですから、もはやオリジナルのデータをそのまま再現させるのは極めて困難な状況になっています。同じように、初期のデジタル録音のデータは、たとえSONYのような汎用機であっても、現在は事実上メインテナンスなどは不可能ですので、録音スタジオでは苦労が絶えないことでしょう。デジタル録音は当時に比べたら格段の「進歩」を遂げていますが、その過程で切り捨てられてしまったものを救済するすべは、もはやなくなってしまっているのかもしれません。アナログ録音であれば、一部に特殊なものもありますが、ちゃんとした規格は確立されていましたから、半世紀前の録音でもまずきちんと(テープ自体の劣化はどうしようもありませんが)再生出来るというのに。
というわけで、ジャケットこそ間違いなく「オリジナル」ですが、音の方は到底「オリジナル」は期待できないCDであることは、容易に想像が付きます。
まず、最初の超ピアニシモの部分で、バックグラウンド・ノイズがかなり聴こえるのが気になります。ライブ録音ですからそれなりの会場ノイズは乗っているのでしょうが、それにしてもこれは異常、なんか連続してホワイト・ノイズのようなものも聴こえますから、もしかしたらテープ・ノイズなのかもしれません。
そして、本体の音楽が聴こえてくると、なんともチープな音には心底ガッカリさせられます。発売当時はあれほど持ちあげられていた初期の「デジタル録音」というものは、今聴くとこんなにひどい音だったのですね。潤いの全くない乾ききった音によって奏されるトゥッティなどは、広がりのない、SPレコードにも劣るほどのレンジの狭さのように聴こえます。
演奏そのものは、合唱もしっかりしていますし、メータの若々しい音楽も堪能できる素晴らしいものなのですがねえ。ドミンゴの声も、今とは全然違うりりしさ、でも、こんな平板な録音からは、その魅力は半分も伝わっては来ません。

CD Artwork © Sony Music Entertainment

5月9日

MOZART
Requiem
Edward Higginbottom/
Choir of New College Oxford
Orchestra of the Age of Enlightenment
NOVUM/NCR1383


イギリスには数多くの教会の聖歌隊をベースとした合唱団があって、合唱界のベースを支えています。そんな中で、先日モーツァルトの「レクイエム」の新しい録音を発表したケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団あたりは、録音の数ではおそらくトップクラスとなるのでしょう。何しろここは、昔から、イギリス最大のレーベルであるEMIの、ほぼ「専属」でしたからね。
CDのリリースでは「キングズ」と肩を並べているのが、オクスフォード・ニュー・カレッジ合唱団でしょう。1976年から指揮者を務めているヒギンボトムとの録音だけでも、80枚近くになるのではないでしょうか。こちらは、特定のレーベルからではなく、多くの、どちらかといえばマイナーなレーベルが主体。メインはCRDASVHYPERIONといったイギリスのレーベルですが、ERATOのようなかつてはインターナショナルなレーベルからのリリースもありました。しかも、なんとあのNAXOSからも、「ヨハネ」や「メサイア」を出していたなんて。
そのERATOから1996年にリリースされたAGNUS DEIという、バーバーの「Agnus Dei」をメインに据えたヒーリング・アルバムが、全世界で大ブレイクしたために、この合唱団の知名度が一気に高まったという「事件」もありましたね。このアルバムには、日本では「アダージョ・ア・カペラ」といういかにもな「邦題」が付けられていたような気がします。確かに、バーバーの作品は彼の「弦楽のためのアダージョ」をア・カペラの合唱に編曲したものでした。
「キングズ」が自主レーベルを作るより先に、「ニュー」は2008年にすでに自主レーベルからのリリースを始めていました。今回の、やはり「キングズ」よりも先、2010年の6月に録音されたモーツァルトの「レクイエム」は、その「NOVUM(ラテン語のNEW)」レーベルの5作目としてリリースされたものです。現在までにこのレーベルからは8枚のCDが出ています。
ご存知のように、この合唱団はソプラノとアルトを変声期前の少年が担当するという、典型的な聖歌隊の編成です。男声パートも、若い人たちばかりです。今回の「レクイエム」の特徴は、ソリストもすべて合唱団のメンバーが務めているという点でしょう。以前にもそのようなものはなかったわけではありませんが、それは女声のソリストだけで、男声は普通の「ソリスト」が使われていたはずです。ここでは、男声ソリストまで合唱団員という、聴いたことのある録音の中では初めての試みがなされています。
その試みは、大成功を収めていたのではないでしょうか。「Introitus」でソプラノ・ソロが「Te decet hymnus Deus in Sion」と入るところは、ホグウッド盤でエマ・カークビーが歌うのを聴いて以来、あのようなピュアな声しか受け付けないようになっていて、どんな大物歌手でも常に不満が付きまとっていたものですが、ここで歌っているジョンティ・ウォードくんには大満足です。決してコーラスから乖離しないサウンドが、とても好ましく感じられます。
アルトのジェームズ・スウォッシュくんは、さすがに低音などは苦しそうですが、それもほんの一部、とても立派な声を聴かせてくれています。男声パートは重みこそありませんが、とても爽やか、「Tuba mirum」のバスのソロが、こんなにも心地よく聴けたのは初めてです。テノールも伸びのある声、この4人が一緒になったアンサンブルは、まさに「ソリストが4人」ではなく「一番小さなコーラス」という感じで、なかなかのものですよ。
もちろん、合唱に力があるのは以前から分かっていましたから、何の不安もありません。ピリオド楽器の渋いサウンドと一体となって、とても心に響く「レクイエム」が出来上がりました。
ただ、「キングズ」のレーベルがSACDを提供してくれているのに、「ニュー」はCDというのは、録音そのものは、こちらの方がずっと「いい音」なので、すごくもったいない気がします。

CD Artwork © New College Oxford

5月7日

RE:MAKE 1
森恵
主婦の友社刊
(Album Book)
ISBN978-4-07-289087-5


1985年に広島で生まれ、高校時代よりストリート・シンガーとして活動、2005年にインディーズデビュー、2010年にAVEXのサブ・レーベルCUTTING EDGEからメジャー・デビューを果たした森恵の、初のカバーアルバムです。これを目にしたのは本屋さんの中にあるCDコーナー、出版社とレコード会社とのコラボレーションから生まれた「アルバム・ブック」という扱いですが、よくある普通の本のおまけにCDが付いている「CDブック」とは異なり、LP、つまり本来の意味での「アルバム」の大きさで作られたものです。「ブック」に相当するのは、LPサイズのブックレットということになります。
これを見れば、おそらく100人中100人が(@天野春子)この中には「12インチヴァイナル」が入っていると思うはずです。帯(実際は、帯を模した印刷)にもしっかり「LP盤」と書いてありますしね。でも、よく見るとその「盤」には「サイズ」というルビが入っています。しかも、ジャケットの隅にはCDのロゴも見られます。案の定、ポリエチレンの中袋に入っていたものは、直径12インチの丸い塩ビシートの真ん中に、爪で固定されたCDでした。これには大笑いです。見事に騙されてしまいましたよ。

これは、そんな楽しい遊び心に包まれた「アルバム」でした。なんせジャケットの帯コピーの「ご唱和ください」というのにも、しっかり「ネタ」が込められているのですからね。ここで取り上げられているカバー曲は、一番古いものが1971年に作られた「風を集めて」、一番新しいものは1986年の「時には昔の話を」、つまり、すべて「昭和時代」の作品なのですよ。だから、「ご昭和ください」となるわけなのです。ここまで仕組まれたものだったら、LPと間違えてしまっても怒ったりするわけにはいきませんね(しょうは言ってもちょっと悔しい)。
全く初めて聴くアーティストだったので、なんの先入観もありませんでしたが、聴き進んでいくうちにこの人の素晴らしさに気づきます。ここで取り上げられている名曲たちは、オリジナルが偉大なだけに、これまでに多くの人によってカバーされてきたもの聴くたびに必ずと言っていいほど失望感を味わったものです。ところが、今回は、どの曲にも全く不満を感じることはありませんでした。もっと言えば、オリジナルすらも超えているのでは、と思えたものもありました。
そのように思えた最大のファクターは、彼女の「ことば」の美しさです。今の2030代のヴォーカリストで、彼女ほどきれいな日本語で歌える人などいないのでは、という気になるほどです。言いかえれば、他の人がいかに言葉を大切にしていないかということなのでしょう。例えば先ほどの松本隆/細野晴臣の「風を集めて」を、My Little Loverakkoがカバーした時などは、サビの「♪かぜをあつめて」という部分で、ありがちに「♪きゃぜをあつめて」と歌っているのを聴いて殆ど怒りに近いものをおぼえたものでしたが、森さんは決してそんな「汚れた」歌い方はしていませんでした。
山口百恵が歌った谷村新司の作品「いい日旅立ち」こそは、まさにカバーを超える名演でした。森さんは殆ど完コピに近いほどに、山口百恵の歌い方を再現しています。しかし、森さんが目指したものは単なるものまねではありません。スピーカーの前に浮かび上がったのは、山口百恵が作り上げ、かつて多くの人を魅了したこの曲の世界そのものでした。
逆の意味で荒井由美の「あの日にかえりたい」での完成度も素晴らしいものです。そこでは、オリジナルのシンガーの技量の拙さゆえに完全には伝わっていなかった作品の世界が、見事に広がっています。
そんな歌と、森さん自身のギターをはじめとするアコースティックな楽器によるサウンドは、とても柔らかく聴く者を包み込んでくれます。これだけの繊細な音だったら、マジでLPで聴きたくなってしまうのではないでしょうか。

Book Artwork © Shufunotomo Co., Ltd.

5月5日

A. und G. MAHLER
Transkription für Chor a cappella(Gottwald)
Marcus Creed/
SWR Vokalensemble Stuttgart
CARUS/83.370


クリードとSWRヴォーカルアンサンブルによる、クリトゥス・ゴットヴァルトの編曲集、最新作はグスタフ・マーラーとアルマ・マーラーの歌曲を無伴奏混声合唱に編曲したものです。ここに登場する作品の殆どのものが世界初録音で、同時に、このレーベルの母体であるCARUS出版からの楽譜の出版案内もありますから、まずは「音によるサンプル」といった販促的な意味合いがあるのは間違いのないことでしょう。これらの精緻な合唱作品が、おそらく「生」で聴かれる機会もこれからは増えてくるかもしれません。コンクールの課題曲を選ぶにはもってこいのCDなのでは。
今回は、「歌曲」とは言っても、グスタフ・マーラーの場合はその歌曲から派生した交響曲の一部としてなじみがあるものが、何曲か取り上げられています。まず、交響曲第1番の第3楽章に使われている「さすらう若人の歌」から「Die zwei blauen Augen2つの青い眼が」です。もちろん、交響曲ではカットされた前半もしっかり使われているのですが、その部分はちょっと平凡な編曲で、ゴットヴァルトらしさがあまり感じられません。しかし、中間部になると、待ってましたとばかりに16声部(4声×4)のクラスターが響き渡ります。これですよ、これ。
そして、これが初録音となる交響曲第2番の第4楽章、「Urlicht原光」です。こちらは8声部しかありませんが、シンプルにすべてのパートを合唱に置き換えて、あたかも最初から合唱曲だったかのような見事なハーモニーを聴かせてくれます。オーケストラ版では最後に入っているハープの分散和音などはあっさり削除しているのも、賢明なやり方です。
もう一つ、交響曲第5番の第4楽章の「アダージェット」でも、やはり冒頭のハープはカットされています。ゴットヴァルトによる16声部の合唱のための編曲は、これが初録音ですが、実はこの曲は、以前こちらのアクサントゥスの演奏で、1958年にジェラール・ペソンという人によって編曲されたバージョンを聴いて思い切り失望したことがありました。その最大の原因はこのハープの扱い、合唱にこの部分を取り入れるといかに邪魔になるかが端的に分かってしまいます。このアルバムにはほかにもマーラーの作品が収められていて、それはゴットヴァルトの編曲だったのですが、これが録音された2001年には、まだこの「アダ―ジェット」の編曲は出来ていなかったのでしょうか。もちろん、満を持してクリードが録音したこのゴットヴァルト版からは、オーケストラ版の持っていた緊張感がさらに昇華されて、圧倒的な静寂の世界が広がっています。
もはや完全に合唱曲としての知名度を確保した感のある「リュッケルト歌曲集」からの「Ich bin der Welt abhanden gekommen私はこの世から忘れられ」は、このチームによる2004年の全く同じライブ音源がCARUSHÄNSSLERという2つのレーベルからのアルバムに収められていました。今回の2012年のスタジオ録音では、より腰の据わった深みが味わえるのではないでしょうか。
アルマ・マーラーの歌曲が3曲演奏されているのもうれしいところです。いずれも後期ロマン派の和声感をしっかり味わえる秀作、無伴奏合唱で歌われることによって、そのハーモニーの美しさは倍化されています。1曲目の「Die stille Stadt静かな街」などは、グスタフ顔負けの激しい感情の起伏も味わえます。
ゴットヴァルトの編曲では、密集したテンション・コードが頻繁に顔を出します。それを録音でとらえるのは至難の業なのでしょう。とは言っても、ここで、まるでmp3のようなチープな音しか聴こえてこないのはとても残念です。いくらCDでも、これではひどすぎます。せめてSACDだったら、もう少しストレスのない音が楽しめたでしょうに。音にこだわると、どうしても不満が残ってしまいます。

CD Artwork © Carus-Verlag

5月3日

HOFFMEISTER
Flute Concertos Nos. 21 and 24
Bruno Meier(Fl)
Prague Chamber Orchestra
NAXOS/8.572738


今回のCDでフルートを吹いているブルーノ・マイアーのサイトに行ったら、このCDのジャケットが2種類ありました。一つは「インターナショナル・エディション」、もう一つは「ドイツ・エディション」なのだそうです。このアイテムの場合は、「ドイツ」の方が「インターナショナル」より10ヶ月も早くリリースされていました。
このレーベルでマイアーが取り組んでいるのは、フランツ・アントン・ホフマイスターのフルート協奏曲の全曲録音です。モーツァルトが生まれる2年前、1754年に生まれたホフマイスターは、最初は法律家を目指して勉強していましたが後に音楽家、あるいは楽譜出版業者として、ウィーンで活躍することになります。そのどちらの職業にも比類ない才能を発揮したというマルチ人間でした。作曲家としては9曲のオペラ、60曲以上の交響曲、40曲以上の弦楽四重奏曲など、あらゆるジャンルで膨大な作品を残しています。協奏曲の分野でも、有名なヴィオラ協奏曲をはじめ、フルート協奏曲だけで25曲も作っているそうです。それこそ、同時代のモーツァルトのピアノソナタを、フルート四重奏曲に編曲したものなどは、多くのフルーティストが録音していますね。
フルート協奏曲に関しては、現在入手できるCDはほとんどなく、番号などはかなり混乱している状況にあります。唯一手元にあるイングリット・ディングフェルダーが1979年に録音したENIGMA/BRILLIANTCD(左)には、「ニ長調」と「ハ長調」の協奏曲が収録されているのですが、「ニ長調」の元になったNONESUCHLP(右)のライナーノーツには「1800年に作られた『第6番』」と書かれていて、今回の「24番」が作られた1795年より後の作品となっているのですからね。このCDに関してはもっと不思議なことがあって、「ハ長調」を聴いてみたら、それはランパル校訂の楽譜がIMCから出版されていた「ト長調」の協奏曲と全く同じものでした。

そんな風に、何が何だかわからない状況ですから、今回のNAXOSによる「全集」には大いに期待できるところなのですが、とりあえずこの「第1集」のライナーを見たところでは、今回の収録曲がどのような位置にあるのかという全体像は全く分からなかったので、ちょっとがっかりです。それでも、この「21番」と「24番」さらに、ドイツではすでにリリースされている「第2集」に入っている「161722番」の5曲が「世界初録音」であることだけは分かります。
しかし、もっとがっかりしたのはこの演奏家です。モイーズ、ジョネ、グラーフというそうそうたる名人に師事したこのスイスのフルーティストを聴くのは今回が初めてですが、昔はさぞやしっかりしたテクニックと音楽性を持っていたのだろうな、とは思えるものの、もはやそれはすっかり過去のものになっていることを痛感せざるを得ないほどの、どうしようもない演奏だったのです。最初のトラック、「第24番」の第1楽章ではオクターブの跳躍が頻繁に現れます。これはホフマイスターの得意技、これが決まらないことにはこの作曲家の曲は演奏できないのですが、これがまずボロボロなのですよ。第2楽章のレントは全く歌えていませんし、第3楽章のロンドは信じられないほど遅いテンポで、軽快さがまるでありません。要は、自分が吹けるテンポで演奏しているだけなのですよ。
ですから、帯解説を書いた日本の代理店の担当者のような、何も知らない人にとっては、これは「驚くほどの超絶技巧が駆使されているわけではありません」という風に思えるのでしょうね。でも、さっきのディングフェルダーの演奏を聴いたり、実際に自分で吹いてみたりすれば、それはとんでもない誤解であることが分かります。ホフマイスターがそういう作曲家だと思われてはたまったものではありません。そういうフルーティストであるマイアーが、協奏曲を全曲録音しようとしているのですから、これはかなりヤバいこと、「まあいいや」では済まされません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

おとといのおやぢに会える、か。


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