荒れてる肌に。.... 佐久間學

(13/1/20-13/2/7)

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2月7日

WAGNER
Jonas Kaufmann(Ten)
Markus Brück(Bar)
Daniel Rannicles/
Chor und Orchester der Deutschen Oper Berlin
DECCA/478 5189


タイトルは「カウフマン/ワーグナー」、今や世界最高のワーグナー・テノールとなったカウフマンの、有無を言わせぬ存在感を示すようなシンプルさです。ジャケット写真もおっかないこと。
DECCAからの、これが4枚目となるオーケストラ伴奏のアルバム、ここではそのワーグナーのオペラからのソロ・ナンバー(「アリア」とは言わないところの機微を感じてください)と一緒に、なんと「ヴェーゼンドンク・リーダー」が歌われています。
なぜか、今までのアルバムでカウフマンはすべて異なる指揮者と異なるオーケストラとの共演を行ってきました。ここでも全くの初顔合わせ、というか、実際にコンサートやオペラでも共演したことのないラニクルズとベルリン・ドイツオペラ管弦楽団とのコラボレーションです。しかし、この組み合わせは今までで最高の成果をもたらしているのではないでしょうか。何しろ、今までになかった、実際にオペラを日常的に演奏しているオーケストラとの共演ですから、いたるところでワーグナーならではの音を聴かせてくれています。
今回初めて気が付いたのですが、これを含めた今までのオケ伴のアルバムでは、例のショルティの「リング」の最新のリマスタリングを行ったフィリップ・サイニーがレコーディング・エンジニアを務めていたのですね。これまでのものでは録音に関してはあまりインパクトがなかったのですが、今回はちょっとすごい録音、まさに往年のDECCAサウンドを彷彿とさせる中身の詰まった音が聴かれます。あ、もちろん、セッション録音です。
ワーグナーのオペラ曲は、今までのアルバムでも取り上げられていましたから、ここではあえて重複しないように同じオペラからは別の曲が選ばれています。そこで、最初のトラックの「ワルキューレ」では、前に歌っていた一番有名な「冬の嵐は去り」ではなく「剣のモノローグ」が歌われます。しかし、これがクライマックスの「Wälse! Wälse!」というロングトーンで、完全に圧倒されてしまうのですから、単なるレパートリーの調整以上の効果を上げています。いやあ、この声を聴いてしまうともうそれだけで満足してしまいますよ。最近なんだか「カウフマンとフォークト」みたいにあちこちで同列に扱われているようですが、クラウス・フローリアン・フォークトには絶対にこんな声は出せませんて。
「ジークフリート」からは、「森のささやき」が取り上げられています。ここでは、オーケストラのすばらしさが光ります。管楽器は、フルートでもなくクラリネットでもなくオーボエでもないという、まさにワーグナーの音になっているのですからね。ホルンが「ジークフリートのモチーフ」を吹き始めたら、いきなり「リエンツィ」に変わったのにはびっくりしましたが。
「タンホイザー」の難曲「ローマ語り」も、軽々と歌ってしまうのですから、なんともすごいものです。
「ローエングリン」の「名乗りの歌」は、やはり以前のアルバムにも入っていましたが、今回は「お買い得さ」を増すためにオリジナル・バージョンの「2番付き」が歌われています。ここで書いていたリクエストが、やっとかなえられたのですね。やはり、カウフマンが歌うとちっとも冗長とは思えなくなります。以前のアルバムは2008年の録音でしたが、それ以後のこの役の実際のステージでの体験は、さらに余裕のある歌い方となって今回のアルバムに結実しています。
「ヴェーゼンドンク」を男声で歌うのは初めて聴きましたが、2曲目の「とまれ!」などはこちらの方がよりドラマティックになっていて、これもいいなと思えます。こちらも、フェリックス・モットル編曲のオーケストラがとても雄弁でした。
どこをとってもすばらしいアルバムですが、SACDでなかったことが唯一の欠点です。サイニー渾身のDECCAサウンドを、いつかハイレゾで聴かせて下さいにー

CD Artwork © Decca Music Group Limited

2月5日

SONDHEIM
Sweeney Todd
Jane Henschel(Sop)
Mark Stone(Bar)
Ulf Schirmer/
Chor des Bayerixchen Rundfunks
Münchner Rundfunkorchester
BR/900316


ミュンヘンのオペラハウスと言えば「バイエルン州立歌劇場(Bayerische Staatsoper)」が有名です。朝から晩までオペラをやってます(それは「終日歌劇場」)。ただ、これは建物をあらわす言葉ではなく、プロダクションとしての名前なのだそうです。メインのオペラハウス(収容数2100人)の建物自体は「Nationaltheater(ナツィオナルテアター)」というのが正式名称になります。さらに、それ以外にも管轄下にあるオペラハウスがいくつかあります。そのひとつが、1901年にオープンした客席数1300というちょっと小ぶりの「プリンツレゲンテン劇場」です。なんでも、この劇場はワーグナーが作ったバイロイトの祝祭劇場を真似て作られたのだそうで、確かに客席は普通のオペラハウスのような馬蹄形ではなく、バイロイトのように客席がすべてステージに向けて配置された、傾斜を持ったワンフロアになっています。
そのプリンツレゲンテン劇場で昨年5月に上演されたのが、ブロードウェイ・ミュージカルの「スウィニー・トッド」です。この劇場を本拠地としているミュンヘン放送管弦楽団の創立60周年にちなんだイベントの一環としてコンサート形式で上演されたもので、もちろんバイエルン放送によってそのライブが放送されました。
この作品は「ミュージカル」ですから、アメリカ以外でのプロダクションが上演する時には、その国の言葉に翻訳されるのが普通です。日本でも何度か上演されたことがありますが、それらはきちんと日本語で歌われていました。ですから、ミュンヘンで上演される時にはドイツ語になるのでは、と思っても不思議ではありませんが、このCDからはきちんと英語の歌詞が聴こえてきましたよ。もしかしたら、この上演を企画した人たちは、この作品を「ミュージカル」、あるいは、このオーケストラが日常的に演奏している「オペレッタ」ではなく「オペラ」ととらえたのかもしれませんね。ガーシュウィンの「ポーギーとベス」がそうであるように、「オペラ」と認められればたとえ初演がブロードウェイであろうと、きちんと「原語」である英語で上演してもらえるのでしょう。もしかしたら、劇場ではドイツ語の字幕が表示されていたかもしれませんね。もちろん、作曲者ソンドハイムが同時に作詞まで担当しているのですから、英語で歌われるのが理想的なのは言うまでもありません。
実際、キャストを見ると英語圏の国の人のような名前が大半を占めています。予定ではトーマス・アレンのようなオペラ歌手もキャスティングされていたようですが、実際の公演では別の人になっています。アレンは一体どの役を歌うはずだったのか、気になるところです。ターピン判事あたりでしょうか。まさか、トッドではないでしょうね。
このミュージカルは、ご存じのように2007年にジョニー・デップがタイトル・ロールを務めた映画が作られました。それを見ているので、CDに対訳が付いていなくても、あらすじや情景はほとんど思い浮かべることは出来ます。ただ、出来れば梗概だけではなく、ちゃんとした対訳が欲しかったところです。というのも、キャストによっては映画などで歌っている人とまるで別なキャラクターの持ち主が歌っていたりするものですから、一体これは誰なのか、というところがたくさん出てきてしまうのですよね。一番違和感があったのが、ジョアンナに思いを寄せるアンソニー・ホープを歌っている人。映画でもオリジナル・キャストでも、この役は若々しく軽やかな声の人だったのに、ここではかなりドスのきいたおじさんですから、イメージが全く伝わってきません。
オーケストラはさすがに華麗さと繊細さを兼ね備えた立派な演奏を聴かせてくれますが、キャストに関しては映画版ほどは楽しめませんでした。それと、恐らく会場ではPA用のピンマイクを付けて歌っていたのでしょうが、なにか、常に出来の悪いPAからの音を聴かされているようで、落ち着きませんでした。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH

2月3日

GRAF
Flute Concertos
Gaby Pas-Van Riet(Fl)
Johannes Moesus/
Südwestdeutsches Kammerorchester Pforzheim
CPO/777 724-2


様々なレーベルからちょっと気になるCDをリリースしているシュトゥットガルト放送交響楽団の首席フルート奏者ギャビー・パ=ヴァン・リエトの最新アルバムは、CPOからのフリードリヒ・ハルトマン・グラーフのフルート協奏曲集です。なんともレアな作品を引っ張り出してきたものです。そもそも、そんな作曲家の名前自体、ほとんどの方が聞いたことはないのではないでしょうか。フリードリンクナルトマキだったらまだしも。
1727年、グラーフはドイツ中部チューリンゲン州のルドルシュタットという街に生まれます。父親はその街の宮廷楽団のコンサートマスター(のちに、楽長となります)を務めていたヨハン・グラーフという人で、グラーフ少年はこの父親から音楽教育を受けます。特にフルートの演奏については、彼のもっとも得意とするものとなりました。
長じて、グラーフはフルーティスト、あるいは歌手として、ヨーロッパ各地で演奏を行います。晩年はモーツァルトの父親、レオポルドの生地であるアウグスブルクの楽長として、コンサート協会の設立などに尽力、1789年にはイギリスのオクスフォード大学から、ドイツ人としては初めての名誉音楽博士号を授与されています。これは、その2年後にあのヨーゼフ・ハイドンが授与されたものと同じです。生前はそれほどの「名誉」を獲得した割には、今日ではハイドンほどの知名度がないのはどうしてなのでしょう。
いや、実は彼は別の面では、かなり「有名」な人ではありました。先ほどのモーツァルトは、1777年にマンハイムを訪れる途中に、アウグスブルクに10日間ほど滞在していますが、その時にこのグラーフと会っているのですね。その様子が、モーツァルトがレオポルドに出した手紙には克明に描かれているのですよ。まず、その第一印象は「彼は実に上品な人で、ぼくなら街のなかを歩いていても恥ずかしくないような寝巻を着ていました(講談社学術文庫:吉田秀和訳、以下も同じ)」という、皮肉たっぷりのものです。そのあと、グラーフが持ち出した自作の「2本のフルートのための協奏曲」を、一緒に演奏することになります。その曲の感想はというと
「この協奏曲ときたら、耳ざわりも悪いし、自然でもない。むやみと音のなかを行進するだけで―大袈裟で、しかも魅力というものがまるでないのです。曲が終わると、ぼくは大分ほめてやりました。ほめるだけの価値はあるのです。かわいそうにこの曲を作曲するためにはさぞかし苦労もし、くそ勉強もしたことでしょう」
これが手紙という「私信」だからよかったものの、この時代にブログなんかがあって、世間知らずのモーツァルトがこんなことを書き込んでいたりしたら、誹謗中傷のコメントが殺到したでしょうね。あぶない、あぶない・・・
そんな、「天才」モーツァルトにしてみればまったく魅力の感じられない作曲家だったグラーフでしょうが、今聴いてみる分にはそんなにひどい出来とも思えません。もちろん、様式的には当時の古典派初期の範疇を一歩も出ていない穏健なものですが、真ん中の緩やかな楽章などはとても歌心にあふれています。最後に収録されているト長調の協奏曲では、それは短調になっていますから、それまでずっと長調の世界が聴こえてきた中ではかなりのインパクトに感じられますし。その前のニ長調の協奏曲が、当時のフルートでは最もよく響く調性とあいまって、とてものびやかな印象を与えられました。
もしかしたら、そのように感じさせてくれたのは、演奏していたリエトのおかげではなかったのでしょうか。彼女のゆるぎないテクニックは、ソロのすべての音符に生命を与えていますし、恐らく彼女の自作であるカデンツァには、曲本体が持っている以上の魅力が込められていましたからね。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

2月1日

MENDELSSOHN
Symphonie in d "Reformations-Symphonie"
Christopher Hogwood(Editor)
Bärenreiter/BA 9095(Full Score)


メンデルスゾーンの、「宗教改革」という副題のついたいわゆる「交響曲第5番」は、1830年の宗教改革300年祭で演奏するために、自主的に作曲した交響曲でした。。作曲は1830年には完了するのですが、結局300年祭で演奏することはできませんでした。その後、各地で演奏を試みますが実現することはなく、ベルリンで初演が行われたのは1832年の事でした。その際に、メンデルスゾーンは楽譜の改訂を行います。その後は作曲家の生前にこの交響曲が再演されることはなく、ジムロック社から楽譜が出版されたのも彼の死後、1860年ごろでした。もちろん、出版されたのは1832年に改訂された楽譜で、後にブライトコプフ&ヘルテル社からユリウス・リーツ校訂による全集版が出版(1874-7年)された時も、この初版が踏襲されています。
最近、指揮者の新田ユリさんなどがこれとは別の「第1稿」による演奏を行ったということを耳にして、遅ればせながらそのスコアの現物を取り寄せてみました。それが、2009年に出版された、クリストファー・ホグウッドの校訂によるベーレンライター版のウアテクストです。ここでは、改訂前のものを「第1稿」、改定後のものを「第2稿」と表記して、初めてこの交響曲の初期の状態を明らかにしてくれています。「第2稿」というのが、現在普通に演奏されている楽譜ですね。
まず、表紙からも明らかなように、この楽譜には「交響曲第5番」という今まで使われていた番号はどこにも見当たらず、単に「ニ短調の交響曲『宗教改革』」というタイトルになっています。メンデルスゾーンの5つの「大きな」交響曲の番号は、作曲された順番ではなく、単に出版順に付けられているだけのものですから、実質的にはなんの意味もありません。この「5番」も、実際は「2番目」の交響曲なのですね。かと言って、同じベーレンライターがシューベルトの場合に行ったように、「正しい」番号に直したとしても、それは決して世の中に浸透することはなかったという苦い経験を踏まえての、これは苦肉の策だったのでしょう。
楽譜は、「第1稿」と「第2稿」が別々に印刷されているのではなく、異なっている部分だけが「ここからここまでは第1稿」というように示されています。小節番号は「第2稿」のものをそのまま使い、「第1稿」の部分にはたとえば「137a137b〜」と、アルファベットで小節数を追加しています。そんな風に「第1稿」が復元されている部分が、第1楽章では3か所、第2楽章と第3楽章には1か所ずつあります。さらに、「第2稿」の第3楽章と第4楽章の間に、改訂の際に削除されたもう一つの楽章が挿入されています。これは、28小節から成るフルートのカデンツァで、そのまま最後の楽章の頭の「神はわがやぐら」のコラールへと続けられます。つまり、「第1稿」ではこの交響曲は5楽章形式だったのです。
しかし、最後の第5楽章(もちろん、従来の第4楽章)に関しては、ホグウッドは全く手を付けていません。メンデルスゾーンが楽譜を改訂した時には、「第1稿」の上にそのまま書き込みを行って削除や訂正を行っていますが、この楽章は、元の音が分からないほど塗りつぶしていたりしているので、もとの姿の全体を復元することが不可能なのだそうです。そこで、この楽章では巻末に「付録」として、残された自筆稿でカットされた部分が示されたものが印刷されています。
この楽譜を使って2009年におそらく初めて録音されたものが、マルクス・ボッシュ指揮のアーヘン交響楽団によるこのSACDCOVIELLO/COV 30910)です。

なお、リッカルド・シャイーが200911月にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともに来日した時には、第5楽章もしっかり復元して「第1稿」で演奏していたのだそうですが、うっかりとしていて、そのことに気付いたのは最近のことでした。
(註:2020/3/10に一部を書き換えました。)

Score Artwork © Bärenreiter-Verlag

1月30日

LIVE IN JAPAN, 1967
Peter Paul and Mary
RHINO/R2-533277


「ピーター・ポール・アンド・マリー」と言えば、1960年代に一世を風靡した3人組のフォーク・グループです。「PP&M」あるいは単に「PPM」という略称で呼ばれてもいましたが、その後環境問題関係のタームとしてこの「PPMparts per million)」が登場し、空気中の汚染物質や食品中の有害物質含有量などの単位として大活躍を始めるころには、彼らは世の中から忘れ去られるようになってしまいました。いや、彼らだけではなく、同じようにメッセージ性を前面に出した泥臭い「フォーク・ミュージック」というジャンル自体が、「ロック」や「ニューミュージック」の波にのまれて廃れていったのです。
とは言え、「PPM」が何度目かの来日を果たした1967年には、まだまだ彼らの人気は絶大でした。コンサートは超満員、街中に張り出された彼らのポスターは、一夜にしてすべて持ち去られてしまったと言いますから、すごいものです。
その時に、1月16日の新宿厚生年金会館と、17日の京都会館でのコンサートの模様が当時の彼らのレコードの発売元であった東芝音楽工業(彼らが所属していたWARNERレーベルは、1970年までは東芝から発売されていました)によって録音され、同じ年の11月に「Deluxe/Peter Paul and Mary in Japan」というタイトルでLPが発売されました。これは、日本国内のみでのリリースで、本国アメリカでは発売されることはありませんでしたし、CD化されることもありませんでした。

それが昨年、彼らのデビュー50周年を記念して、日本のWARNERから1960年代のオリジナルアルバムが紙ジャケット仕様で発売された時に、このアルバムも45年ぶりにCDとして日の目を見ることになりました。さらに、この時に、アルバムには使われなかった音源が大量に倉庫に眠っていたことが発覚するのです。それらがWARNER傘下の、リマスタリングにかけては定評のあるRHINOレーベルによって2枚組、全24曲収録のCDとして全世界で発売されました。1枚目にはかつての日本盤と同じ12曲、そして、2枚目には全世界のPPMファンがここで初めて耳にする12曲が収録されています。
実は、この初出テイクも入っているアルバムの存在を知ったのは、山下達郎がホストを務めているラジオ番組でした。彼が所属しているWARNERの話ですから、これが出ると決まった時に、国内盤のサンプルを放送したのですね(3分ぐらい)。そこでの目玉は、そのコンサートの時にアーティストと一緒にステージ上にいた司会者のMCでした。そういう時代だったのですね。こういう「外タレ(死語)」のコンサートには、必ず通訳も兼ねた司会者がいたのですよ。PPMの場合は、歌詞の理解が必要だということで、曲が始まる前に歌詞の日本語訳を朗読していたのですが、そこまで入っていたものが放送では紹介されていました。いかにも当時の音楽事情を物語るような光景ですが、正直これはかなりうざったいものでした。でも、そんな珍しいものなら欲しかったので、同じものが輸入盤ではるかに安く手に入ることを知って、これを購入したのです。
ですから、まずそんな聴きたくもない司会者の声が入っていることを覚悟して聴き始めたら、ごく普通に演奏が始まったので逆に拍子抜けです。ライナーを読んでみると、このMCは日本盤だけのサービスだったそうです(というか、日本盤LPにあったMCもカットした、と)。まずは一安心、彼らの全盛期の演奏を、堪能しました。写真を見ると、マイクは2本か3本しか使っていませんが、素晴らしい音で録音されています。恐らく、リミックスの際に手を加えたのでしょうが、マリーの声がパン・ポットしているところもありましたしね。
そのマリーも2009年に亡くなりました。さらに、このジャケット写真の隅にかすかに写っている、ずっと彼らのコンサートではサポートを務めていたベーシストのリチャード・クニッシュも、昨年お亡くなりになったそうです。でも、彼らの音楽は、このように「最高の音質」で残ることになりました。

CD Artwork © Warner Bros. Records Inc.

1月28日

BACH
Matthäus-Passion
Fritz Wunderlich(Ten), Christa Ludwig(Alt)
Wilma Lipp(Sop), Walter Berry(Bas)
Karl Böhm/
Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde, Wien
Wiener Sängerknaben, Wiener Symphoniker
ANDROMEDA/ANDRCD 9117


カール・ベームが1962年のイースターにウィーンのムジークフェラインで行った「マタイ」の演奏会のライブ録音です。そもそもベームがバッハを演奏していたことなど全く知りませんでしたが、この音源は以前から出回っていたようで、今回新しくリマスタリングされたものが、こんな聞いたことのないレーベルからリリースされました。
もはやプロの現場ではステレオ録音は一般的になっていた時期ですが、これはモノラル録音、しかも、すぐそばの人の咳払いのようなノイズがたっぷり入っていますから正規の放送音源とも思えません。もちろん、そのあたりの正確なデータなどは全く記載されていません。テープのドロップアウトも激しく、合唱は常に飽和していて、お世辞にも「いい音」とは言えません。いや、それにしても、この大人数の合唱は耐えられないほどのひどさです。
普通に演奏すれば3時間以上、CD3枚は必要な「マタイ」なのにこれは2枚に収まっています。最近ではテンポも速くなっていますし、CDの収録時間も伸びていますから、思い切り早く演奏して全曲2時間40分しかかからないものを2枚のCDに収録するような場合もありますが、このベーム盤はトータル・タイムが2時間27分、いくらなんでも速すぎます。
いや、いくら昔のベームのテンポは速かったからと言って、これは不可能、実はこの演奏には大幅なカットが施されているのですよ。コラールが6曲もカットされているのを筆頭に、アリアも5曲、さらにレシタティーヴォ・セッコも細かいところでカットが入っています。コンサートだから仕方がないと言えばそれまでですが、ほとんどのアリアはレシタティーヴォとワンセットになっているもので、レシタティーヴォが終わったところで肝心のアリアがちょん切られていますから、なんとも残尿感が募ります。
ソリストには、エヴァンゲリストとアリアの両方をこなしているヴンダーリッヒを始めとして、素晴らしい歌手が勢ぞろいです。それぞれに、あくまでもオペラティックな歌い方ではあるものの、バッハらしく節度をわきまえているところが好感をもてます。
この時代の事ですから、まだまだウィーン交響楽団のような普通のオーケストラが「ピリオド・アプローチ」などを手掛けることはあり得ません。今聴くとかなりヘンなところもありますが、それは我慢するしかありません。しかし、例えば39番のアルトのアリアに付けられたとても美しいヴァイオリンのオブリガートのソルフェージュが、今の演奏からはとても考えられないようないい加減なところは、かなり気になってしまいます。逆に、このようなだらしない譜割りで弾かれることによって、はからずもバッハのリズムの重要性に気づかされるのでしょうね。ただ、これはコーラス1のコンマスですが、コーラス2のコンマスがソロを弾いている42番のオブリガートはとてもきっちりしていて素敵でした。
もう1か所、60番の合唱が入るアルトのアリアでは、オーボエ・ダ・カッチャ(もちろん、コール・アングレで演奏してるんだっちゃ)2本のオブリガートが付きますが、その2人の奏者が掛け合いで同じフレーズを吹くときに、トリルを入れるタイミングが全然違うんですね。これも、当時はバロックの演奏法がオーケストラ奏者のレベルまでは浸透していなかった名残なのでしょう。49番のフルート・ソロは、完全に開き直って華麗そのもののテイスト、これはこれで許せます。
なんと言っても、このCDはヴンダーリッヒを聴くためのものなのではないでしょうか。高音でも決して抜かず、フルヴォイスで歌いきっている彼のレシタティーヴォ・セッコを聴いていると、それだけでモーツァルトのアリアを聴いているような気がしてくるから不思議です。なんたって、ジャケットがヴンダーリッヒですからね。

CD Artwork © Archipel Ltd.

1月26日

MARTIN
Intégrale des oeuvres pour flûte
Emmanuel Pahud(Fl)
Francesco Piemontesi(Pf)
Tobias Berndt(Org)
Thierry Fischer/
Orchestre de la Suisse Romande
MUSIQUES SUISSES/MGB CD 6275


1970年にジュネーヴで生まれた生粋のスイス人であるエマニュエル・パユは、デビュー・アルバムをスイスのレーベルからリリースしていました。1993年、弱冠23歳の若者がレコーディングしたものは、エマニュエル・バッハからブライアン・ファーニホーまでという、とてつもなくヴァラエティに富んだアルバムでした(MGB CD 6107)。驚くべきことに、この20年前の商品はいまだに現役盤として流通しています。

その後パユはEMIとアーティスト契約を結びますが、昨年、久しぶりに古巣のレーベルに録音を行いました。スイスを代表する作曲家、フランク・マルタンの「フルート作品全集」という2枚組のCDです。全部で7つの作品が収録されていますが、マルタンが最初からフルートのために作ったものは1曲しかありません。
その唯一のオリジナル曲である「フルートとピアノのためのバラード」は、1939年にジュネーヴ国際音楽コンクールの課題曲として作られました。その時にこれを演奏して優勝したのがアンドレ・ジョネだったんじゃね。さらに、1948年にも、オーレル・ニコレが同じ曲を演奏してやはり優勝しており、現在では、フルーティストにとっては欠かせないレパートリーになっています。
1939年9月のコンクールでの「初演」を聴いた指揮者のエルネスト・アンセルメは、すっかりこの作品のファンになってしまい、自分でオーケストラとフルートのための編曲を行い、同じ年の11月には今回のアルバムでも演奏している彼のオーケストラ、スイス・ロマンド管弦楽団と、当時の首席奏者アンドレ・ペパンのソロによって「アンセルメ版」の初演を行いました。しかし、マルタン自身はこの編曲はあまり気に入らなかったようで、1941年に自ら弦楽器とピアノのための編曲を行っています。ところが、1944年にUNIVERSALから出版されたピアノ版の楽譜には、先にオーケストラ版があったようなタイトルの表記になっています。これはいったい何なのでしょう。

そんな、いわく付きの3つのバージョンが、このアルバムでは一度に並べて聴くことが出来ます。確かに、アンセルメの編曲はあまりに色彩的過ぎて、ちょっと引いてしまいますね。たしか、ペパン自身の録音(Cascavelle/VEL 2001)もマルタン版のようですから(未確認)、これは貴重です。

もっと貴重なのは、ごく最近になってやっとその存在が明らかになったという「バラード第2番」です。マルタンはいろいろな楽器のソロによる「バラード」というシリーズをたくさん作っていますが、1938年に最初に作られた「アルト・サックス、弦楽オーケストラ、ピアノ、ティンパニ、打楽器のためのバラード」を、1940年頃にフルートのためにソロの音域を縮めて編曲したものです。ただ、その自筆稿は2008年にマルタンの未亡人マリア・マルタン(この方はフルーティストだそうです)によってやっと発見されました。世界初演は2009年に行われ、楽譜もUNIVERSALから出版されました。このパユの録音が、恐らく世界初録音でしょう。聴いた感じは「1番」より演奏はやさしそうな気がします。これも、ピアノ・リダクション版が一緒に収録されています。
もう1曲、オリジナルはヴィオラ・ダモーレ(!)とオルガンという「教会ソナタ」も、オルガン版と、デザルツェンスという人が編曲した弦楽オーケストラ版が演奏されています。緩−急−緩−急という4つの楽章で出来ているのが本来のバロック時代の「ソナタ・ダ・キエザ」ですが、ここではゆったりと流れる部分が、軽やかな舞曲を挟むという形になっています。フルート版はマリアさんのバースデイ・プレゼントだったそうですね。
放送局が制作したためでしょうか、何の潤いもない録音は長時間聴き続けるには辛いものがあります。そんな音によって、パユのルーティンな演奏で同じものを2回も3回も聴かされるのは、レアな曲目に対する好奇心がないことにはとても耐えられるものではありません。

CD Artwork ©c Fédération des coopératives Migros

1月24日

XIAN/The Yellow River Piano Concerto
CHEN, HE/The Butterfly Lovers Piano Concerto
Chen Jie(Pf)
Carolyn Kuan/
New Zealand Symphony Orchestra
NAXOS/8.570607


洗星海のカンタータをもとに、殷承宗などが「集団編曲」したとされるピアノ協奏曲「黄河」の新録音が出たので、さっそく聴いてみようと思ってCDに針を下ろしたら(あくまで比喩ですからね)、冒頭から素敵なフルート・ソロが聴こえてきました。え〜っ、「黄河」の頭って、こんなんだったの、と思ってしまいましたよ。確か、第1楽章の始まりは荒々しいイントロのあと「レ・ミ・レミ・シ」と一本指でも弾けそうな舟歌のテーマが出てくるはず、こんなかわいらしい始まり方ではありませんからね。でも、ジャケットを見ると、確かにトラック1からトラック4が「黄河」、トラック5が「バタフライ・ラバーズ」と書いてあります。もしかしたら、別のCDが入っていたのでしょうか。たまにそんなことがありますからね。
あわてて次のトラックに飛ばします。すると、そこからはちゃんと「黄河」の第1楽章が聴こえてきました。ということは、これは改訂版?そういえば、第3楽章は竹笛のソロで始まったはずですから、それをフルートで吹いて、順序を変えたのでしょうか。でも、もう少し飛ばして先のトラックの頭を聴いてみると、そのソロはトラック4で、竹笛ではなくピッコロによって演奏されていました。さっきのフルート・ソロとは全然別の音楽です。念のため、最後のトラック5に飛ばすと、そこからは、「黄河」4楽章のあのノーテンキなテーマが聴こえてきましたよ。ということは・・・
なんのことはない、この「黄河」は別に改訂版でもなんでもなく、単にトラックがカップリングの「バタフライ・ラバーズ」と入れ替わっていただけなのですよ。つまり、
ということです。
もちろん、レーベル面にもジャケットと同じトラックが印刷されていますし、日本の代理店が付けた「帯」にも、この件に関しては一切触れられていません。でも、もしこのCDを聴いていれば当然発売前に回収していたでしょうから、そもそも現物を聴いていなかったのでしょうね。いや、聴いても気がつかなかったとか。情けないですね。そんな人が解説の中で、「豊かな文化に支えられた中国、どのような状況に於いても、美しいものを愛する心は不変であることを願うばかりです」などと、偉そうに最近の日中関係にまで言及しているのには、大爆笑です。これでは小学生の作文以下、帯解説をなんだと思っているのでしょう。
今まで、男性ばかりによる勇壮な「黄河」しか聴いていませんでしたから、今回の指揮者もピアニストも女性という演奏はなにか新鮮なものがありました。何しろ、いきなりさっきの「舟歌」のテーマで、2回目の「レ」にしゃれたトリルがかかるのですからね。この曲から、なにかソフトな情緒を味わうのも悪くはありません。
1958年に陳剛と何占豪によって作られた「バタフライ・ラバーズ」は、中国に古くから伝わる梁山伯と祝英台との悲恋の物語(死後、二人は蝶になるのだそうです)を描いた単一楽章のヴァイオリン協奏曲でした。それを1985年に陳剛がピアノ協奏曲に作り直したものが、ここでは演奏されています。そう言えば、さっき聴こえたフルート・ソロは、まるで軽やかに飛び回る蝶のように聴こえなくもありません。迂闊でした。今まで一度も聴いたことはありませんでしたが、ヴァイオリン版はこのレーベルや系列のMARCO POLOレーベルには、CEO夫人西崎崇子のソロで何度も何度も録音されています。その最新のものは2003年録音のNAXOSですが、その時のプロデューサー、バックのオーケストラ、さらには録音会場まで全く今回と同じ、つまり、このアルバムは西崎盤の流れを汲むものだったんですね。それでこんなミスを犯すなんて、CEOの顔に泥を塗るようなものではないでしょうか。関係者には、女子はバタフライ・ショーツ一枚になって踊り、男子はバタフライ100mを泳ぐという過酷な罰ゲームが待っています。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.

1月22日

PETRASSI
Magnificato, Salmo IX
Sabina Cvilak(Sop)
Gianandrea Noseda/
Orchestra & Coro Teatro Regio Torino
CHANDOS/CHAN 10750


ノセダがCHANDOSレーベルで展開している「Musica Italiana」というシリーズでは、20世紀のイタリアの作曲家をシリーズで紹介しています。音楽用語がすべてイタリア語であることからわかるように、かつては音楽の中心地はイタリアでした。あのモーツァルトも、まず身に着けたのはイタリアの様式だったのですね。しかし、時代が進むにつれて「音楽=イタリア」という図式は次第に意味を持たない概念となっていきます。20世紀初頭の作曲家の作品に対してわざわざ「Musica Italiana」などと言わなければならなくなったのは、まさに「イタリアの音楽」の凋落ぶりを象徴しているのではないでしょうか。ブルーノ・マデルナ、ルイジ・ノーノ、ルチアーノ・ベリオといった「現代音楽」のスターが現れるのは、もう少し先のことです。
いずれにしても、ダラピッコラやカゼッラといった、中途半端な知名度を持つ作曲家に続いてノセダが取り上げたのが、ゴッフレード・ペトラッシでした。この作曲家は、少なくともイタリア人の間では、新しく出来たホールに名前が付けられるぐらいですから、かなりの人気があるのでしょう。1904年に生まれ、2003年に亡くなったという長寿ぶりも、あるいは功を奏したのかもしれません。ストラヴィンスキーに影響を受けた「新古典主義」をベースに、イタリア的な色彩感を加味した作風、というのが一般的な評価のようですね。合唱曲では、エドワード・リアのナンセンス・ライムをテキストにした「ナンセンス」という作品が有名でしょうか。中世のマドリガルを模した軽妙な佳作ですが、グリッサンドなどを多用して独特な効果をあげているのが当時としての「新機軸」だったのでしょう。
「ナンセンス」は第二次世界大戦後の作品ですが、このアルバムには大戦前、1930年代の2つの作品が収録されています。いずれもオーケストラと声楽のための大規模な宗教曲、1940年に完成した「マニフィカート」と、1936年の作品「詩篇第9篇」です。
ソプラノ・ソロと混声合唱、オーケストラのための「マニフィカート」は、なんとこれが世界初録音、作られてから70年以上も経ってやっと「お茶の間」で聴けるようになったのですね。まず、冒頭の弦楽器の応酬から、いかにもイタリア的な明るい音楽が現れますが、続く合唱はそんなノーテンキなものではなく、ちょっと退廃的な陰を落としているあたりが、「新古典主義」と言われる所以でしょうか。これを、もしさらりと「現代的」に処理をしていれば、あるいは得も言われぬ魅力が漂ったのかもしれませんが、このオペラハウスの合唱団はなんとも情感たっぷりに、というか、殆どコントロールがきかないほどの厚ぼったい表情で歌っているものですから、なんとも暑苦しい音楽に終始しています。
ソプラノ・ソロは、わざわざ「ソプラノ・レッジェーロ」という指定がある通り、軽やかな声でコロラトゥーラを披露することが期待されています。しかし、この人もやはり軽さには程遠いドラマティックな声の持ち主でした。その声で歌われるかなり無調のテイストの強いメロディは、なんとも重たい印象しか与えてくれません。4曲目のソロなどは、オーケストラの木管による繊細な伴奏に彩られた、とてもきれいな曲なんですけどね。ジャズ風のリズムに乗ってひっそりと終わる最後の曲も、肩透かしを食らったようで印象的。
「詩篇」になると、音楽は一変して分かりやすいものに変わります。まず、編成がオーケストラから木管楽器がなくなり、メインは金管の響き、そこにピアノが2台加わります。このオケのサウンドはとてもきらびやか、それがミニマル風のオスティナートを繰り返すと、そこに広がるのはまるでオルフの「カルミナ・ブラーナ」の世界です。オルフの作品も完成したのは1936年、この2曲の間には、何か関連性があったのか、ご存知の方はおるふ

CD Artwork © Chandos Records Ltd

1月20日

Gloria in excelsis Deo
Sky du Mont(Narr)
Ulfert Smidt(Org)
Jörg Breiding/
Knabenchor Hannover
RONDEAU/ROP7011


タイトルの「グロ〜〜〜リア・イン・エクシェルシル・デ〜オ」というのは、ご存じクリスマスには必ずどこからか聴こえてくる有名な讃美歌の一節ですね。この部分はミサの通常文からとられたラテン語ですが、曲は確か「荒野(あらの)の果てに」とかいったはずです。ちょっと気のきいた人だったら、このサビの部分を二部合唱にして歌ったりしていたことでしょう。
なんで今頃クリスマス?でしょうが。これはハノーファー少年合唱団がおととしのクリスマス、というか、その1ヶ月前から延々と続く「アドヴェント」の期間に行われたコンサートで演奏したものを、CDのために去年の1月にもう一度演奏して録音したものなのです。だから、1月に聴いても問題なんかありません。
1929年生まれのハノーファー在住の作曲家、ジークフリート・シュトローバッハという人が、このコンサートのために作った一連のクリスマス・キャロルのコンピレーションが、この「Gloria in excelsis Deo」です。もちろん、その辺の出来合いの寄せ集めでしかないコンピレーションCDのような志の低いものではなく、これはかなり手のかかった、それ自体が「作品」と言えるようなものでした。全体は「アドヴェント」、「聖マリア」、「キリストの誕生」、「牧人」、「どこでもクリスマス」という5つのテーマにそって進行、古今東西のクリスマス・キャロルを編曲したものばかりではなく、シュトローバッハ自身のオリジナル曲も入っています。合唱だけではなく、オルガンの伴奏やソロも交えて、バラエティを持たせることも忘れてはいません。極め付きは、曲の間に入る、スカイ・ダモントという渋い声の俳優(キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」に出演していたそうですが、写真を見ても思い出せません)による、聖書からのクリスマスの物語の朗読です。これがまるで受難曲のエヴァンゲリストのように聴こえます。
この合唱団は「少年合唱団」とは言っても、テナーとバスのパートには「青年」やかなり高年齢の「大人」まで加わっていますから、いわゆる「児童合唱」に見られるような不安定なところは全くありません。大人の声もとても若々しく、少年の声とよく混ざって柔らかい響きを醸し出しています。たまに団員によるソロも現れますが、これもとても安定した声で楽しめます。
そんな、ハイレベルの合唱に対して、シュトローバッハの編曲もなかなか手の込んだところを見せてくれます。例えば、最初のキャロル「Macht hoch die Tür」では1回目はとてもきれいなユニゾンでシンプルに歌われたものが、2回目では見事なハーモニーが加わったものが聴かれます。3回目ではさらに趣を変えて、ソプラノパートがキャロルとは全く別のオブリガートを聴かせてくれますよ。
「マリア」の中では当然登場する「アヴェ・マリア」と「マニフィカート」はシュトローバッハ渾身のオリジナル作品です。「アヴェ・マリア」では、テノール・ソロがプレーン・チャント風のナレーションを歌う中、ソプラノ・ソロとメゾ・ソプラノ・ソロのデュエットが聖母マリアと天使ガブリエリの対話を歌います。そのバックにはもちろん「Ave Maria」のテキストによる美しい合唱が流れているという、見事な構成です。
「マニフィカート」は、このアルバム中最も長大な作品となりました。これはじっくり聴いてみてちょうだい。二重合唱によって歌い交わされるポリフォニーには、圧倒されますよ。
後半の「牧人」あたりからは、タイトルの「荒野の果てに」などの聴き慣れたキャロルが目白押し、それぞれが、ユニークなオルガンのイントロや、ていねいなコーラス・アレンジで、とても聴きごたえのあるものになっています。
ザルツブルク発のキャロル「Still, weil's Kindlein schlafen will」でソロを歌っているレナート・イーバーハイムというボーイソプラノの歌はすごすぎ、あのボブ・チルコットみたいに、何年か後には、別の形で音楽シーンに登場しているかもしれませんね。

CD Artwork © Rondeau Production

おとといのおやぢに会える、か。


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