道化師のテロップ。.... 佐久間學

(08/12/18-09/1/5)

Blog Version


1月5日

Mr. Vocalist
Eric Martin
ソニーミュージック/SICP 2091

去年の末あたりに、ラジオからなんか聴き覚えのある曲がたびたび流れていました。いわゆる「洋楽」と呼ばれている外国のポップス(しかし、今ではすっかりお馴染みになってしまったこの業界用語には、いつまで経っても違和感が伴います。なんせ、日本のポップスは「邦楽」というのですからね)の新譜、男声のボーカルはもちろん英語で歌っているのですが、メロディが確かにどこかで聴いたことがあるものだったのです。しばらく聴いているうちに、それは昔今井美樹が歌っていた「PRIDE」であることが分かりました。つまり、布袋寅泰の曲を、歌詞だけ英語に直して外国のアーティストがカバーしていた、というわけです。以前、竹内まりやの曲をやはり外国人がカバーしたアルバムをご紹介したことがありますが、それと同じケース、ここでも、なぜかオリジナルは女性が歌っていたものばかりが集められています。
今回、そんな「逆カバー」(これもいやな言葉です。つまり、本来の「カバー」は、あくまで外国の曲を日本人が「真似」をしたもの、という思想の現れです)に挑戦したのは、かつて「MR. BIG」というアメリカの人気バンドでボーカルを担当していたエリック・マーティンです。このバンドが2002年に解散してからはほとんど表だった活動はしていなかったものが、いきなりこんな日本制作盤に登場、かつてのファンの間ではちょっとしたサプライズを呼んでいるアルバムです。そう、これはあくまで日本のスタッフによって作られたカバー集、残念ながら、外国の人が主体的にカバーを作りたくなるような作品は、まだ日本にはありません。
ここでエリックが歌っているのは、ちょっと前に大ヒットした曲ばかり、「今の歌」には鈍感なおやぢでも、全て、どこかで必ず聴いたことがあるはずです。中には小柳ゆきのように、非常に歌がうまくて将来が楽しみだったのに、いつの間にかシーンから姿を消してしまっているような人もいますが(いえ、実は稲垣潤一とのコラボで、杏里の曲をそれこそ「カバー」しているのを聴いて、密かに安心しているのですがね)、アーティストもバリバリのヒットメーカーが勢揃い、ある意味「懐メロコンピ」の様相です。
そんな、耳に馴染んだ曲ばかりですから、それがオリジナルの女声ではなく、男声、それも、決してソフトとは言い難いロック・ボーカルで歌われると、全く別の曲のように感じられてしまうのは、単に歌詞が英語だという理由だけではないはずです。おそらく意識的に、あえて元のアレンジを踏襲しているにもかかわらず、彼の骨太なボーカルからは、原曲たちの持つ「女性の繊細さ」などは全く感じ取ることは出来ず、もっと逞しい「男の魂」のようなものが伝わってきます。
それがちょっと度が過ぎて、オリジナルの魅力を失わせてしまったのが、中島美嘉の「雪の華」ではなかしま。この曲の中で最もキャッチーなフレーズ、サビの頭「♪今年、最初の雪の華を〜」の「は−なを」という五度上昇の音型は、彼女のはかない歌い方と相まって、見事に悲しいほどの「女の溜息」を表現しています。しかし、エリックはこの部分、オクターブ下のコーラスをつけるだけでなく、その五度上昇を二度下降に変えて、「溜息」とは全く無縁なフレーズに変えてしまったのです。
反対に、平原綾香の「Jupiter」のように、良く言えば「透明な声」、実は内容の全くない、どうしようもなく空虚なオリジナルの世界が、エリックの声によって見事に変貌を遂げたという嬉しいものもあります。ご存じ、元ネタはホルストの「木星」のとてつもなく広い音域のテーマ、それを機械的に歌った平原バージョンでは、見事に低音域が死んでしまっています。そこにエリックは、確かな命を吹き込んだのです。とても出やしない「ハイC」に果敢に挑戦している汗まみれのかっこわるさ、これこそが、「男」の美しさではないでしょうか。

1月3日

DONIZETTI
Messa da Requiem
Soloists
Alexander Rahbari/
Prague Chamber Choir
Virtuosi di Praga
PROFIL/PH08026


三が日なのに、またまた「レクイエム」とは。
ベッリーニと並んで、19世紀の「ベル・カント・オペラ」の大家として多くのオペラ(72曲と言われています)を作ったドニゼッティには、オペラ以外のジャンルでの作品も多く存在しています。しかし、たまに「フルート・ソナタ」などは耳にすることはありますが、現在ではそのような室内楽や交響曲、そして宗教曲などは全く忘れ去られてしまっています。いや、メイン・ジャンルのオペラでさえ、まだまだ上演されるものはごく限られた演目だけ、その全容が明らかになるにはまだかなりの時間が必要なのでしょう。
この「レクイエム」は、彼のライバルであったヴィンチェンツォ・ベッリーニが、1835年に33歳の若さで亡くなってしまったときに、彼とベッリーニ双方の楽譜を出版していたリコルディ社から要請があって作曲に着手したものです。しかし、ベッリーニのテーマを用いた「葬送交響曲」はそうそうに完成したものの、肝心の「レクイエム」は、未完に終わってしまいます。それは、予定されていた演奏会が、後援者の援助打ち切りのために中止となってしまったからなのです。結局この作品は、まるでモーツァルトの同名の作品のように「サンクトゥス」、「ベネディクトゥス」そして「アニュス・デイ」が欠けたままで、出版されることもありませんでした。それが出版と初演を迎えるのは、彼の死後22年を経た1870年のことでした。もちろん、それは弟子による補作の手などは加わっていない、ドニゼッティが残した未完の形で、でした。
同じようなオペラ作曲家による「レクイエム」としては、なんと言ってもヴェルディのものが最も良く知られています。そんな、オペラティックなレクイエムという外観は、この作品にもたやすく見いだせる特徴、死者を悼むにしてはなにか明るすぎる曲調には、ちょっとしたとまどいも感じられてしまいます。そんな、殆どオペラと変わらない「ドニゼッティ節」が満開になるのが、7曲目の「Judex ergo」あたりからでしょうか。ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バスという5人のソリストたちは、あるときはソロで、あるときはアンサンブルで、このあたりの劇的なテキストを華やかに演じてくれています(あいにく、ライナーにはどの曲を誰が歌っているかという情報が全く欠けています)。12曲目の「Oro supplex」などは、まさに「ズン・チャッ・チャ」のノリですから、笑えます。
5曲目の「Dies irae」は、ヴェルディなどでも見られるようなお約束の「恐怖心」を煽るために、いきなりティンパニのロールで始まる、というダイナミックな「工夫」が見られます。そして、それと全く同じことを11曲目の「Confutatis」で行っている、というのは、作品としての構成感を持たせる、やはり「工夫」だったのでしょうか。しかし、最後の曲となった「Libera me」のあとに「Kyrie」が再登場するときには、最初(2曲目)とは全く異なった音楽になっているのは、どういう意味を持つのかは、なにしろ全体の姿が明らかになっていないのですから、知りようもありません。
ベッリーニというのは、彼にとってはライバルというよりは商売敵、彼の死によって、ドニゼッティはまさにオペラ界での名声を独り占め出来るようになりました。そんな「喜び」の正直な心情が、この曲にはまざまざと反映されているのでは、と感じるのは、いけないことなのでしょうか。
ただ、13曲目の「Lacrimosa」には、明らかに浮ついていない、真の「悼み」の心を感じ取ることが出来ます。この曲を締めくくる「アーメン」の二重フーガも、なにか罪滅ぼしのように聞こえてしょうがありません。
これは、他のレーベルの10年前の音源が移行されたもの、おそらく、この曲の3度目の録音になるのでしょうか、資料としての価値には代え難いものがあります。しかし、録音はまるで圧縮をかけたネット配信のようなお粗末なもの、演奏の水準も決して高くはありません。こちらで聴くことも出来ます。

2009年1月1日

FAURÉ
Requiem
Sandrine Piau(Sop)
Stephane Degout(Bar)
Laurence Equilbey/
Membres de l'Orchestre National de France
Accentus
NAÏVE/V 5137


あけましておめでとうございます。恒例の(いつから?)元旦からの「レクイエム」です。
多くの「トランスクリプション」の紹介、中にはヴィヴァルディの「四季」をレクイエムのテキストで演奏するなど、常に合唱音楽の新しい可能性を開拓してくれていた「アクサントゥス」が、フォーレのレクイエムなどというベタな曲を録音しました。一体どうしたことだろうと思わず心配になってしまいます。あれだけユニークなことに命をかけてきた団体が、そんなフツーの合唱団に成り下がってしまったなんて。
しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。彼(彼女)らは、やはり普通のグループでは到底なし得ないような、実に「ユニーク」なアプローチに挑戦していたのですから。お正月から温泉ですか(それは「湯に行く」)。
この曲の場合、バージョンの違いによって多くの演奏形態が考えられます。ここで彼らがとったのは「1893年のオリジナル稿」を、オーケストラと一緒に演奏するというものでした。今までのリーダーアルバムは、無伴奏かピアノ伴奏だけでしたから、エキルベイの指揮による正規のオーケストラとの共演は、もしかしたらこれが最初の録音かもしれません。ただ、「1893年稿」とは言っても、全く異なる2つの「版」が存在していることは、こちらをご覧にならなくても、博識な皆さまにはすでにご承知のことでしょう。これも、しっかり「アメル版を使用」というクレジットがありますから、「ネクトゥー・ドラージュ版」の方であるはず、ちょっと嬉しいことです。もう一つの「ラッター版」の方は、なにか胡散臭いところがありますからね。
同じオーケストラの伴奏でも、この「1893年稿」は、後の「1900年稿」に比べると小さな編成になっており、弦楽器もそれほど多くのプルトは必要とされてはいません。ここで演奏しているフランス国立管弦楽団のメンバーによる室内楽では、しかし、ヴィオラが12人と、それほど「小さい」編成ではありません。ですから、冒頭の重々しいアコードも、ほとんど「1900年稿」と変わらないほどの厚い響きで迫ってきます。しかも、そのアインザッツが、まるでフルトヴェングラーかなにかのような、低音から順次少しずつずれて始まるという時代がかったものですから、ちょっと度肝を抜かれてしまいます。なんという鈍重なフォーレなのでしょう。もっとも、それは日頃オーケストラを振り慣れていない指揮者による、彼女としては不本意な演奏の結果だったのかもしれませんが。
続いて出てくる合唱は、そんなオーケストラに引っ張られたせいでもないのでしょうが、いつもながらのユルいものでした。そして、テナーのパートソロが「Requiem aeternam〜」と歌い出した時、なにかネクトゥー・ドラージュ版にしては違和感があることに気づかされます。楽譜をとりだして比較してみると、その譜割りはなんとラッター版のものではありませんか。最後までチェックしてみた結果、それは、合唱パートはラッター版、オーケストラパートはネクトゥー・ドラージュ版という、なんとも不思議な選択による演奏であることが分かりました。「アメル版」と断ったにもかかわらず、全く別のイギリスの出版社からしか出ていないラッター版をわざわざ使ったというのは、どういう意図からなのでしょうか。そう、これが、彼らの「ユニーク」さの正体だったのです。
もう一つ、ここではソプラノ・パートにパリ児童合唱団を加えるという「ユニーク」なことも行っています。それは「Sanctus」と「In Paradisum」に限ったことなのですが、特に児童合唱だけとなった後者では、それは「天上の声」にはほど遠いがさつなものにしか聞こえず、とても成功しているとは思えません。
合唱が頼りない分、ソリストに期待したのですが、ピオーはまるで森麻季のような気持ち悪い「あと膨らまし」の歌い方に、ドゴーも深すぎるビブラートに、萎えてしまうばかり。

12月30日

SHOSTAKOVICH
Symphony No.5
Vladimir Ashkenazy/
Philharmonia Orchestra
SIGNUM/SIGCD135


合唱曲が専門だと思っていたこのレーベルから、フィルハーモニア管弦楽団の録音がまとめてリリースされました。新しい録音もあるようですが、これは2001年のもの、マルCでは2008年とあったので、ちょっとだまされた気分。それよりも、「東京のサントリーホールで録音」とあるのが、ちょっと気になります。果たせるかな、スタッフのクレジットを見てみると、「Tomoyoshi Ezaki」の名前が。そう、これは日本のEXTONの音源、2001年の12月に国内発売されていたCD(+SACD)と全く同じものでした。カップリングの「祝典序曲」も一緒です。

OVCL-00058(CD), OVGL-00009(SACD)
ただ、EXTONの方には「サントリーホールにてセッション録音」とあるものが、こちらでは「Recorded live at Suntory Hall」と記載されています。これは、おそらく「ライブ録音」という概念の捉え方の違いなのでしょう。実際はコンサート当日のゲネプロを録音しているのですから、「セッション」には違いないのですが、今では普通「ライブ」と言った時には、本番の録音にそういう素材も加えて編集したものを指しますからね。ちなみに、発売時の「レコ芸」での批評では、宇野先生によって「精神美不足」という意味不明の「宇野語」で一蹴されていましたね。誠心誠意演奏したというのに、あんまりです。
この同じコンビは、実はつい最近来日していました。その模様をテレビで見たら、首席フルート奏者が大好きなケネス・スミスではなく別の人だったので、ちょっとがっかりしたものです。このオーケストラは、ずっと管楽器の首席奏者が一人という体制でしたから、フルートのトップは必ずスミスが吹いている、という安心感があったのですが、さすがにこれだけ忙しいオケで毎回トップを吹くのは辛いものがあるのでしょう(実際、そんな苦境を訴えたドキュメンタリー番組がありました)、今では他のオケのように複数の首席奏者を雇うようになっています。テレビでやったのは、スミスが降り番のコンサートだったのですね。しかし、このCDが録音された2001年にはもちろんフルート・ソロは彼のもの、数々の美しいソロを持つこの曲では、彼のフルートが満喫できることでしょう。
まずは、「祝祭序曲」の、まさにノーテンキなたたずまいに、圧倒されてしまいます。ただ、このあまりの明るさは、続く交響曲のための「伏線」だったのだ、と思いたいものです。確かに、その交響曲では、見せかけだけの華やかさは全く影を潜め、穏やかで思慮深い音楽が広がっていました。
例えば、第1楽章のヴァイオリンに現れるテーマなどは、ことさら悲痛な面持ちを見せることは決してなく、ひたすら無力さを装うことに終始しています。それは、あたかも、人知れずなにかに耐えているようなはかなさを思い起こさせるものです。その後、ひとしきりの高揚感のあとにフルートに現れる同じテーマを、スミスはまるですべてを救済するもののように暖かく慈悲深い音色で吹いてくれています。このような優しい眼差しのことを「精神美」と感じられない評論家は不幸です。
第2楽章で見せる生真面目なリズムには、アシュケナージの飾らない人間性がそのまま反映されているのではないでしょうか。ひねくれたアイロニーの固まりであるこの曲に、あくまで真摯に取り組もうとしている彼の姿勢は、好感が持てます。ここでも、指揮者の思いをはき違えたような、いかにもなコンサートマスターのソロを、優しく受け止めて包み込むのが、それに続くフルートのスミスの役目です。
第3楽章も、最初のフルートの長いソロによって性格がきっちりと印象づけられます。同じテーマが、今度は逆にヴァイオリンによって奏される頃には、もはやすべてが語り尽くされていることを感じるはずです。ここまで出来上がってしまえば、フィナーレは別に小細工を弄さなくても、音楽そのものがすべてを語ってくれることでしょう。
サントリーホールの空っぽの客席に広がったDのユニゾンの残響、それが少し冷たく感じられたのは、そこにはそれを受け止める聴衆がいなかったせいなのかもしれません。

12月28日

BARTÓK
Bluebeard's Castle
Katalin Szendrényi(Sop)
Falk Struckmann(Bar)
Eliahu Inbal/
Radio-Sinfonie-Orchestre Frankfurt
DENON/COCO-70998


まだまだ「クレスト1000」は続きます。今回は1992年録音の「青ひげ」です。シュトラウスではありません(それは「青だに」?)。最初に発売されたのは1994年ですが、その時のマスターをそのまま使っているのでしょう、今のCDにはまず見ることの出来ない「インデックス・ナンバー」が付けられています。CDが出来た当初は、普通に頭出しに使う「トラック・ナンバー」の他に、そのトラックをさらに細分化するための「インデックス・ナンバー」というものが付けられていたということを知っている人は、おそらくかなり少なくなってしまったはずです。現在ではそんなものが付いたCDはまず見あたりませんし、そもそもCDプレーヤーがインデックスに対応していませんから、その存在自体がもはや完全に忘れ去られているものなのですからね。ちなみに、「トラック」と「インデックス」という2種類の頭出しを設けたのは、きちんとした曲の間や、はっきりした境目のある楽章間などには「トラック」を、そして、曲や楽章の中の、例えば新しいテーマが現れる部分のような、音楽的に特徴のある部分には「インデックス」を付けるという使い分けが、当初は考えられていたからなのでしょうね。つまり「ここから『展開部』が始まります」みたいな、「曲目解説」に書かれてあることを実際にプレーヤーのディスプレイで表記して、より理解を助けようとする啓蒙的な使い方を目指していたのでしょう。ですから、ここで発売当時のものがそのまま掲載されているライナーにもあるように、インデックスを利用して「楽曲分析」をシンクロさせようという、いかにもクラシック・マニアが喜びそうな機能ではあったわけです。そんな便利なものがなぜ今では廃れてしまったのでしょうね。そんな「お勉強」なんか必要ない、というファン層が広がったからなのでしょうか。
そんな、昔の名残をとどめているかと思うと、このCDには歌詞の対訳を収めたPDFがエキストラ・トラックとして入っているという、最新の仕様にもなっているのが、面白いところです。最近では、このような、ブックレットには収めきれない情報をインターネットで提供するということが広く行われていますが、このようにディスクの中に「同梱」してもらう方がはるかに使いやすくなりますから、これは大歓迎です。
演奏の方では、最初に前口上のナレーションを入れるという、珍しいことを行っています。他にこんなことをやっているのは、聴いたことがあるものではショルティ(DECCA/1979)とブーレーズの2回目(DG/1993)の録音ぐらいのものでしょうか。確かにここでのシャーンドル・ルカーチという人のドラマティックな語りは、聴き手を馴染みのないハンガリー語の世界へと誘うための、とても有効なイントロとなっています。
歌手の方も、ユディット役のセンドレーニはまさに「ネイティヴ・スピーカー」ですから、いとも自然なハンガリー語の抑揚を聴かせてくれています。その上に、力強い声を駆使した幅広い表現力で、とてもドラマティックな世界を作り上げています。このスタンス、ことさらストイックではなく、かといって大げさすぎないもので、よさげ。青ひげのシュトルックマンも、深刻ぶらないおおらかさが魅力的です。
そして、それを支えるインバルのオーケストラが、あるときは陰に徹し、しかし出るべきところでは思い切り主張するという、絶妙のバランスを見せています。「第4の扉」が開いてしばらくしてから現れるフルート・ソロのうまいこと。こんな存在感のあるソロは、この録音で初めて聴くことが出来たような気がします。最大の山場である「第5の扉」のフルトーンは、とてもヌケのよい録音と相まって、最高の爽快感を味わわせてくれています。殆ど気にはならない混濁ですが、前のマスターの使い回しではなく、新たにマスタリングが行われていたら、さらにクリアな音が体験出来たことでしょう。

12月26日

WIDOR
Symphony No.5 for Organ
Pierre-Yves Asselin(Org)
DENON/COCO-70993


「クレスト1000」をもう一つ。昔聴き逃していたものを、こうやってまた味わえるのも良いものです。LP時代には、やはり「1000円盤」というのがありましたが、安い分、なんかいい加減なプレスで、買ってから後悔したことがよくありましたね。その点CDになってからは、なんせデジタルですので、いくら安くても音質にはなんの影響もありませんから、安心出来ます・・・と思うでしょう?ところが、実はそうではないのです。それは、ここでも何度となく書いたことなのですが、デジタルで録音したものがそのままCDになることなどは、決してあり得ないのですよ。早い話が、マスタリングの時にケーブルを変えただけで、その音はまるで変わってしまうのですからね。
そんなことなどまだ分からなかった頃、このレーベルのデジタル録音のLPで非常によい音だった福島和夫のフルート作品集(エイトケンの演奏)がCD(COCO-6277)になったので、大いに期待して聴いてみたところ、あまりにもひどい音だったのでがっかりしたことがありました。それは、録音レベルが異様に低く、全体にバックグラウンドノイズが乗っていて、LPが持っていた輝きが全く消えていたのです。今にして思えば、それはいい加減なマスタリングのせいだったのですね。
今回のアイテムに関しては、20年以上前の「これがDENON CDだ」(18CO-1055)というコンピレーションに、1トラックが入っていたものがあったので比較してみましたが、そんな音の良さのデモンストレーションのためのCDよりはるかに良い音だったので安心です。最近は、マスタリングのノウハウも確実にレベルアップしているのでしょう。
このヴィドールのオルガン交響曲、クレジットはありませんが、このCDが録音された1985年当時だと、エンジニアはオルガンの録音にかけては定評のあったピーター・ヴィルモースでしょうか。ここで使われているフランス風のカヴァイエ・コル・オルガンのフワフワした肌触りが、見事にとらえられた素晴らしい録音に仕上がっています。まるでノエルのような可愛らしいテーマがさまざまに変奏される第1楽章では、それぞれの変奏ごとのレジストレーションの変化を存分に楽しむことが出来ますし、何よりも第4楽章に入ったときの、まるで世界が変わったような軽やかな響きには、ショックすら与えられます。
ところが、第5楽章の有名な「トッカータ」になったとき、そんな美しい音に酔いしれているだけでは解決されない問題に直面することになります。このアスランというオルガニストは、音色に対する感覚は非常に鋭いものの、演奏上のテクニックにかなりの問題があることが、このがっちりと作られた曲では露呈されてしまうのです。ピアノではあんなにうまいのに(それは「アムラン」)。何よりも、この曲では一貫したテンポが維持されなければならないのに、手鍵盤のパターンの最後で常に急ぐという変なクセで、とても落ち着きのないものになってしまっています。
ジャケットの写真で分かるように、ここでは「展覧会の絵」から、最後の2曲がカップリングされています。ここでは、そんなオルガニストの欠点が、さらに増幅されます。テンポはさらにいい加減になっていて、全く収拾がつきません。おそらくピアノ版をそのまま演奏しているのでしょうが、最後の「キエフの大門」などは、オルガンで演奏するときには全く必要のない、低音を補強するための前打音をそのまま演奏していますから、ラヴェル版を聴き慣れた耳にはとても異様。さらに、後半のちょっと難しい和音になると、嫌気がさしたような明らかなミスタッチがあちこちで見受けられます。
スタッフのクレジットがなかったのは、そんないい加減な演奏の責任を、誰も取りたがらなかったからなのでしょうか。

12月24日

VIVALDI
4 Concerti for Piccolo & Orchestra
Hans Wolfgang Dünschede(Pic)
Philharmonia Quartet Berlin
DENON/COCO-70966


かつての日本コロムビアが残した膨大な録音を1枚1000円でご提供するという「クレスト1000」の最新リリース分から、1982年録音のヴィヴァルディのピッコロ協奏曲集です。昔から欲しくてしょうがなかったアイテムなのですが、なぜかいつも、すぐには手に入らない状態にあったものですから、やっと念願が叶いました。元ベルリン・フィルの名手、デュンシェーデの名演を、心ゆくまで楽しむことにしましょうか。今日のクレストの誕生日のプレゼントにもいいかも。
ハンス・ヴォルフガング・デュンシェーデは、カラヤンやアバド時代のベルリン・フィルの中で、まさにピッコロパートの「顔」としての存在感を誇っていました。ひげ面の、まるで熊のような男が、ちっちゃなピッコロを演奏している姿は、ちょっとユーモラス、しかし、「一発勝負」の多いこの仕事を、彼は常に完璧にこなしていました。もちろん本来はフルート奏者ですから、オケのメンバーが作ったアンサンブルの中ではフルートを吹いていました。
実は、彼がピッコロ奏者として一躍有名になったことが、今から10年以上前にありました(いえ、そんな大げさなものではなく、単にマニアの間でウケていただけの話なのですがね)。今では広く知られるようになったベーレンライター版の「第9」が出版されるちょっと前のことですが、アバドとベルリン・フィルの録音で、フィナーレの最後のピッコロのDの音が、1オクターブ高く演奏されている、と、ごく一部の人が大騒ぎを始めたのですよ。その顛末は単行本(金子建志著「交響曲の名曲・1」1997年音楽之友社刊)によってつぶさに検証出来ますが、要するにこの最後のピッコロの音をオクターブ上げるのは、新しく校訂された楽譜に拠ったことなのか、という、今となってはなんとも他愛のない議論です。結局、それはピッコロ奏者の一存によるアド・リブだったということで落ち着くわけですが、その時の「ピッコロ奏者」というのが、まさにこのデュンシェーデだったのです。
確かに「第9」には、作曲された当時の楽器では出せない高い音を、泣く泣く1オクターブ低く書いてあるところがたくさんありますから、現代の楽器で演奏するときにはそれを上げて吹くのはよくあることです。しかし、この「D」というのは、ト音譜表の上に加線を6本付けた音の、さらに1オクターブ上という、ピアノの最高音よりも高い音、プロの奏者でも、これを100%決めるのは至難の技です。それをこともなげに成し遂げたデュンシェーデには、密かに尊敬の念が広がったものです。
ヴィヴァルディの「ピッコロ協奏曲」は、本当はソプラニーノ・リコーダーのために作られたものだ、と言われています。そんな出自を明らかにするかのように、デュンシェーデのピッコロからは、この楽器特有のつんざくような音は影を潜め、そんな素朴な木管楽器そのもののような音色が聞こえてきます。そこに、リコーダーで演奏した時にはおそらく考えられないような、素晴らしい音程が加わった時、そこには完璧なまでの輝かしい世界が広がります。もちろん、テクニックも完璧、両端の楽章の技巧的なパッセージと、真ん中の楽章の叙情的な美しさは、ともに豊かに花開くことになります。中でもRV443のハ長調の曲でのめくるめく超絶技巧は、完成されたもののみが持つオーラに近い輝きを放っています。
ブックレットに載っている録音時の写真を見ると、通奏低音としてモダン・チェンバロが加わっているのが分かります。1982年の時点でも、まだこの楽器が使われていた現場は存在していたのですね。確かに、このピッコロ、そして、他のモダンの弦楽器を支えるのにこの楽器が大きく貢献していることは間違いありません。そう、この微塵の曖昧さもない均質化された演奏は現代に於いてしか完成し得ないヴィヴァルディ、そこからバロック時代の「綾」を感じ取るのは不可能なことです。

12月22日

Dietrich Fischer-Dieskau
Sings Bach
Dietrich Fischer-Dieskau(Bar)
HÄNSSLER/CD 94.201


歌曲に、オペラにと大活躍、ある意味一つの時代を築いたと言える、1925年生まれのバリトン歌手フィッシャー・ディースカウ、そんな彼がまだ20代から30代前半だった頃、1953年から1957年にかけての録音が、SWR(南西ドイツ放送)のアーカイヴからCD化されました。もちろん正価で買いましたよ(「ディスカウント」ではありません)。タイトルの通り、それは「バッハ」を歌っているものですが、全てが「大バッハ」ではなく、1曲だけ彼のおじいさん格のヨハン・クリストフ・バッハの作品が混ざっています。もっとも、それは聴いただけでは大バッハと比べての様式的な違和感は殆どありませんから、もしかしたら録音当時は大バッハの作品だと思われていたのかもしれませんね。半世紀前のバッハ、そしてバロック音楽への認識なんて、そんなものだったのでしょう。
そのヨハン・クリストフの作品は「Ach, dass ich Wassers gnug hätte in meinem Haupt」。弦楽器のいかにも重々しいイントロが、この当時の「バッハ」に対する畏敬の念をもろに呼び起こされるようで、聴く方もつい居住まいを正したくなるような気になってしまいます。そのバックで聞こえてくるチェンバロも、なんとも張りのある、まるでピアノのような音色を持ったモダン・チェンバロですから、本当に「くそまじめ」といった趣が募ります。この頃の音楽家には、ヒラヒラしたヒストリカル・チェンバロをバッハで使うなんて、思いも及ばなかったことなのでしょう。そもそも、当時は博物館以外にはそんな楽器は存在してはいませんでしたし。
そして、フィッシャー・ディースカウは、殆ど全身全霊をかけて「神聖」な歌を伝えようと、まるで修行僧のような面持ちでこの曲に向き合っているかのようです。つややかな音色でありながら、深刻この上ないこの人の芸風は、このような修練によって身に付いたものなのでしょうか。その歌は、「音楽」というよりは「お説教」のように聞こえます。
続く、ヨハン・セバスティアンの作品、前半には教会カンタータからのナンバーが並びます。最初は158番全曲(と言っても4曲しかありませんが)、終曲のコラールには、合唱も入っています。ここでももちろんフィッシャー・ディースカウの歌は生真面目そのもの、そしてそれに輪をかけて、この曲でのヴァイオリンのオブリガートが極めつけの格調の高さを演出してくれています。細かい音符が意味する装飾的なテイスト、それが教会やコンサートホールで実体となって聴衆に届けられるようになるには、まだもう少し時間が必要だったという、まさにアーカイヴならではの演奏です。
ところが、同じバッハでも、後半の「シュメッリ歌曲集」になった途端、フィッシャー・ディースカウの音楽はガラリと変わってしまいます。この「歌曲集」は、バッハ作品番号ではBWV439からBWV50769曲に相当する、通奏低音とソプラノ、またはバスのための小さな宗教曲が集められたものです。それらはカンタータのアリアのような大規模な構成を持つものではなく、ほんの内輪の楽しみ(いや、「お祈り」でしょうか)のために歌われるような素朴な曲たちです。中にはバッハが自分で作ったものもありますが、大半はそれまでにあったコラールのようなものに少し手を入れた程度、そこにはごく自然な暖かいメロディがあふれています。そんな曲ですから、フィッシャー・ディースカウは、時代様式などを飛び越えた、まさに現代人としての共感を、その曲の中にしっかり込めてくれました。例えば、ヨハネ受難曲などでお馴染みのキリストの十字架上の言葉をモチーフにした「Es ist vollbracht! Vergiss ja nicht diese WortBWV458でのしみじみとした歌は、この大歌手の心情がストレートに伝わってきて、心を打たれます。
ある時代の様式の中でしか伝わらない魅力と、時代に左右されない普遍性とを併せ持っていたものが、バッハの音楽であったことを教えられるCDです。

12月20日

Spellbound
Sharon Bezaly(Fl)
Mario Venzago/Gothenburg SO
Anne Manson/Swedish Chamber O
Martyn Brabbins/Royal Scottish National O
BIS/CD-1649


確か以前Nordic Spellというタイトルのアルバムを出していたはずの、ベザリーの最新作です。そんな「スペル」シリーズ、前作と同じ、彼女のために作られたフルート協奏曲を、それぞれの作曲家の立ち会いの下に録音した、というゴージャスなものです。今回はソフィア・グバイドゥーリナ、たかの舞俐、サリー・ビーミッシュという、女性の作曲家ばかりのラインナップである点にもご注目。もはや男は「棄てる」ものなのだとか。
実は、グバイドゥーリナの「The Deceitful Face of Hope and Despair」という作品は、以前こちらでご紹介したものと全く同じ音源です。カップリングを変えての使い回しというほかに、以前はSACDだったものが、ここでは普通のCDになっている、という違いがあります。せっかくですから聴き比べをやってみましたが、その違いは歴然たるものがありました。CDになったとたん、SACDで味わえた立体感が、全く失われてしまっているのが良く分かります。今や、このレーベルの録音はDSDとはいかなくても全てがハイビットPCMレベルの仕様になっているのですから、なぜハイブリッド盤を出さないのか、不思議です。もちろん、このヴァレーズのパクリにすぎない作品には、さらにCDで聴き直すだけの価値など全くありません。
このレーベルから世界に羽ばたいたたかのさんの新作は、師であるリゲティへの思い出として作られました。そこにはいかにもリゲティ風の混沌も見られますが、やはり彼女の本来の資質である他ジャンルからの引用が見事にこなれて散りばめられているのが、心地よい興奮を誘います。3つの楽章に別れている最初の部分「シカゴ」では、なにやら緊張をはらんだ恐ろしげな雰囲気の中から、突然ジャズのイディオムが登場したりと、彼女の感性は健在です。真ん中の部分のタイトルが「The Only Flower in the World」、つまり「世界に一つだけの花」というのは、まさしくそのタイトルの槇原敬之のヒット曲からの借用だということです。とはいっても、あの陳腐でかったるいメロディが登場するわけではなく、その歌詞の持つ世界を音楽的に昇華させたもののようですが。しかし、この明るいワルツの中にそれを感じるのは、かなり困難な気はします。そして、最後の部分は「Walking」というタイトル。彼女なりの意味が込められているのでしょうが、その中で現れる「ウォーキング・ベース」が、最も直接的にそれを語っているのではないでしょうか。
最後の「Callisto」というフルート協奏曲を作ったサリー・ビーミッシュは、エミリー・バイノンが委嘱した作品を、以前に聴いていたはずです。これは、そういう名前の妖精の物語を、4種類のフルート(ピッコロ、普通のフルート、アルト・フルート、バス・フルート)で吹き分ける、という趣向です。色彩的なオーケストレーションも手伝って、この中では最もストレートに楽しめる曲に仕上がっています。中でも、バス・フルートの不気味な響きが、意外なほどのアクセントとなっています。
今の時代、これほどまでに、世界中の作曲家から新曲を託され、それらが直ちにオーケストラを使って録音される機会に恵まれるというフルート奏者など、ベザリー以外には見当たらないのではないでしょうか。そんな「特権」に、彼女は充分に応えているかに見えます。しかし、その中に常に漂う物足りなさのようなものは、一体何なのでしょうか。なによりも、彼女の演奏を通してこの現代のフルート音楽がどんなところを目指しているのかがさっぱり伝わってこないのは、作曲家のせいなのでしょうか。あるいは演奏家のせい?はたまた「レーベル」?

12月18日

KABALEVSKY
Symphonies 1-4
大植英次/
NDR Chor
The Choir of Hungarian Radio
NDR Radiophilharmonie
CPO/999 833-2


ドミトリー・カバレフスキーは、同じ「ドミトリー」というファーストネームを持つショスタコーヴィチの生年の2年前、1904年の生まれですから、この2人はほとんど同じ時代を生きた作曲家と言えるのでしょう。同じように潔癖性で(「ゴミトリー」、ね)、同じように体制の中で生き延びるべく作風を模索していても、カバレフスキーの作品にはあちらのような「毒」が込められることはなく、平易な外観を装うことがほとんど地の姿であったようにすら感じられます。
カバレフスキーといえば、まず真っ先に思い出すのは「道化師のギャロップ」ではないでしょうか。そんな曲は知らない、という人でも、実際には必ず生涯に何度かは聴いたことがあるはず、タイトルは忘れられてもその音楽だけは日本人のほとんどの人が知っている、という幸せな曲です。そう、それは、運動会では必ず徒競走などのバックに流れる、あの軽やかな音楽なのですよ。これを聴けば誰でも思わず走り出したくなってしまうという、ほとんど条件反射まで付いてきますね。最近ではそんなシチュエーションで「ライディーン」なども使われているそうですが、YMOと同次元で語られるカバレフスキー、なんだかシュールですね。
そんな「ギャロップ」以外には、おそらくピアノの教材程度しかその作品は知られてはいないでしょうね。しかし、彼には交響曲が4曲残されています。もちろん初めて耳にしたものですが、「ギャロップ」のイメージを裏切らない親しみやすい響きのせいでしょうか、それを収めた2枚のCDはいともすんなり聴き通すことが出来ました。そこには、チャイコフスキーから綿々と受け継がれてきたロシアの交響曲の伝統そのままの、愛すべき楽想と、贅沢で華麗なサウンドがあふれていました。
1932年から1934年にかけて作られた1番から3番までは、長さも20分程度の小規模な「交響曲」です。「1番」は、楽章は2つだけ、ちょっとまとまりに欠けるような感じはしますが、力強く迫ってくるものを押さえきれないほどの、若いエネルギーにあふれた作品です。それが「2番」になると、急−緩−急の3楽章形式となって、古典的な交響曲のようなコンパクトなたたずまいが見られるようになっています。この曲の真ん中の楽章は、とても美しい情緒をたたえたもの、冒頭でフルートによって奏でられるテーマが心にしみますが、それと同じものが最後にクラリネットによって消え入るように歌われるのが、とても素敵です。
「3番」は、実は「2番」よりも先に作られたものなのですが、これには「レーニンへのレクイエム」というサブタイトルが付いています。もちろん、これは「偉大な指導者」レーニンの死を悼んで作られたもので、2つの楽章から成っている後半の楽章には、混声合唱が加わります。第1楽章での深刻ぶった追悼の音楽には、おそらく当時のソ連の国民は涙を誘われたことでしょう。そして、第2楽章の合唱は「いかにも」という音楽です。
「4番」は、それからかなりの年月を経た1956年に完成した、4楽章の堂々とした作品で、演奏時間も倍の40分以上かかります。第3楽章がスケルツォ的な位置づけ、実際にはワルツの優雅さも持っている、しゃれた曲です。テーマの扱いも手慣れたもの、そこにはまさに職人的なエンタテインメントを感じることが出来るでしょう。最後の楽章で多用されるシンコペーションが、この作曲家の軽やかなフットワークを象徴しているかのようです。
ここで演奏しているのは、北ドイツ放送所属の2つのオーケストラのうちでも、ハンブルクのオーケストラほどの知名度はない、ハノーファーの「放送フィル」です。首席指揮者の大植英次のもと、まるでロシアのオーケストラのような力強い金管の叫びを聴かせてくれています。その分、繊細さがやや犠牲になっていると感じられるのは、カバレフスキーのキャラを強調させた結果なのでしょうか。

おとといのおやぢに会える、か。


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