テシュティ!! イスカンダラーニー 

(雨だ!! アレキサンドリア人)

第6回

佐々木敏幸(在アレキサンドリア)


自由とは…


近頃めっきり日本人の友達が少なくなってしまった。

そんな中でも、昨年日本で出会った、親友!?に近いカメラマンのオジさん、Nさんがいる。

彼は自分の写真集を作りたくって、某アジアの国を何年もかけて撮り続け、自費出版までしてしまった人だ。しかし、だからといってアマチュアカメラマンではない。

彼は、数十年フリーで主にボクシングなどのスポーツ界の写真を撮り続け生活の糧を得てきた。

日本で行なわれるボクシングのタイトルマッチ、その他ほとんどの試合や記者会見には必ず彼のひたむきな撮影する姿がある。テレビでボクシングの試合がある時などは、いつも選手ではなくリングサイドで撮影する彼の姿を探してしまうほどだ。

後楽園ホール(日本ボクシング界のメッカ)の正面に飾られてある、タイトルを持った選手達の写真は、ほとんど彼が撮ったものだ。

そう、その道では名の通った、筋金入りのカメラマン。

フリーであるが為に、生活は楽ではない。しかし、彼は自分の撮りたい、やりたい、事の為に一生をささげて生きてきた。芸術家と同じ生き様を貫き通してきた男である。

昨年無理を言って「Nさん、僕にボクシングの写真撮らせて下さい!!」そう訊ねると、快く引き受けてくれた。

後日、日本タイトルマッチのリングサイドで「彼は絵描きで、ちょっと写真の練習に来たから撮らせてやってくれ」と言って、東スポ、日刊スポーツ、毎日などの記者たちを押しのけ、僕をど真ん中に座らせて、最前線で写真の手ほどきをしてくれた…。格闘技観戦など、初めてであったにも関わらず。

「もっと近づかなけりゃーダメだ!!」そう言って、僕の頭をグイッとリングに押し出す。

血、汗、唾液…考えられるだけの、全てのものを浴びながら、必死にファインダーを覗いた。激しい打ち合い、後ろからは堅気の方ではない方々が、罵声を浴びせている…。ビビッてしまって体中がガタガタ震え続けた。

僕が意識して写真を撮り始めたのは、この時からであった。

さて、そんな彼が再度イスケンデレイヤに出発する僕の為、ひっそりとうらぶれた酒場で壮行会を開いてくれた。

「写真は足で撮るんだ。」そう、丁寧に語り掛けてくれる。

外界と自分という個人が、その対話の中にある一つの結果がすなわち、写真として残るという訳である。留まらず、向かって行かなければならない。

絵描きは自分の内なるモノを追い求めながら外と関係を作ってゆく。しかし、カメラを握った時、僕は外界と繋がるもう一つの手段を身に付けなければならない。

ファインダーを通して、もう一つのイスケンデレイヤを覗いて見ようと思った。

1ヶ月で約400枚。

仕事をしながらだけど、そんなペースで撮り続けてきた。

重くて大きい一眼レフは、街で目を引き、ひっきりなしに声を掛けられる。

イスラームでは、女の人は写真に写る事は良くない事とされる為、撮ってないのに、被害妄想的に罵声を浴びせられたり、怒られたり追いかけられた事もあった。

しかし撮り続け、歩き続けた。

最近では「いつになったら写真もって来るんだよー!?」なんて、街のそこら中で声を掛けられる始末だが…。

イスケンデレイヤでの最後の休日。金曜日の礼拝時を狙って、いつものように街へ出た。

大概の物は撮って来た。モスクの前の道を塞いでの集団礼拝を撮り終え、歩き出す。

すると、異様な物(よくあるけど…)が僕の目に飛び込んできた。

物乞いのおばあちゃんが、夏の暑い昼時に、ボロの上に鮮やかなブルーのゴミ袋を何枚も何枚も重ね着をして、こちらへ向かってくる!!
…。

!!

「ニャアーリャーー」(多分「タアーラー」こっちへ来い、と言っている。)

物乞いを撮ると、必ず道行く人に罵声を浴びせられ、怒られる。こちらの社会ではいけない事だ。

しかし、ぼくの手は自然にカメラに向かっていた。

ファインダーを覗こうとすると、そのおばあちゃんの姿に驚いてしまった。

満面の笑みを浮かべ、ニコニコ(と言うか、ゲラゲラ)笑っているではないか…。

おば「メニャー?エンテャー??」(多分、どっから来た??と聞いている)

僕「アナ??…。メニル ヤーバーン!!」(僕??日本からだけど…)

おば「マブシュート??」(多分、ここに来られて嬉しいか?と聞いている)

僕「アーー、マブスート、ハムドリッラー!!」(あー、とっても嬉しいさ!!)

おば「ハンドリニャー」(多分、それは良かった!!と言っている)

写真を撮っても良いか聞いたところ、よく理解してくれないが、なんでも良いから好きにしろ…というような事を言っている。

そして終始にこやかに笑い続けているのだ。

僕は撮らなかった。

彼女は、お金が欲しくって近づいてきた訳ではなく、単純に興味があって、ニコニコ笑って近づいて来ただけなのだ。

あの巨大な一輪の花のような、鮮やかなブルーの身なり。

わずかばかりのお金をあげれば、きっと撮らせてくれたかもしれない。

それまで、ずっと誰も撮れないようなものや、変な物ばかり探して撮り続けてきた。でも、その大きなチャンスに撮る事ができなかった。

きっと僕には「写真」は向いていないのだ。

だけど、Nさんの教えてくれた「外界と繋がるすべ」だけは、カメラを持ち歩き続ける事で、身に付けて来られたのかもしれない。現像されてくる写真はその残骸、あるいは過程でしかないのだ、きっと僕にとって。

物乞いの老婆が、満面の笑みを浮かべて笑っている。

例えば仮に、僕がここで長い間、何かと勝負していたとする。

イスケンデレイヤを後にするその前日、僕は完全に負けてしまった。

勝ち負けが仮にあるとしたならば、あの老婆をきっかけに、僕は完全に負けを認めてしまった。

とかくイスラームは、外界から戒律や(女性など)人権などの不自由さを指摘される。

しかし、ずっと「この生き易さは一体何だろうか?」と考え続けてきた僕に、最後に教えてくれた。言語化し、結論づけてくれた。

「自由」

ここには「失敗する自由」がある。「過ちをおかす自由」がある。

汚い物や悪い事に蓋をせず、万物は「現実」として受け入れるべき人間社会の事実だ。

ここでは、それを絶対に排除しない。全てを受け入れる事がすなわち、当たり前の事なのだ。

だから、誰も他人を責めたりなんかしない。(だから問題ごとだらけだけど…)

言いたい事を言いたいだけ言い主張する。(でも僕はジャッキーチェンではない…)

お金持ちだろうと、物乞いだろうと、人としての尊厳を持って生きている。(だからと言って、人のせいにばっかりすんなー…)

ここで日々体感し続けた事は、きっと想像を超える、一人の人間の生き方としての「自由さ」だったのかもしれない。

明日カイロを発ち、日本へ帰る。

人生にハッピーエンドなんてありゃしない。

成功者だろうが物乞いだろうがなんでもいい。

この「自由」の意味を、これからも忘れずに生きてゆきたい。

僕は僕であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 
 

 知は力なり
 

「物事を知り、知ろうとすればするほど『わからない』という事がよくわかってくる」

かつて沢木耕太郎は、長い旅の途上に、このような言葉を残し、自らの行く末を戒めた。

思えば、より未知なる精神世界を求めて、ただ闇雲に外へ出ようともがき始めたきっかけは、彼のその言葉からだったのかもしれない。

その言葉の根底に流れるもの…。

せっかく作家としてのスタート地点に立ったにも関わらず、全てを投げ捨て、あての無い旅に出た彼と私では状況も違うであろう。

しかし、まがりなりにも僕はアレキサンドリアで20代の後半のほとんどを過ごしてきた。

イスラーム、掟、砂漠…。

そこに一体何があるというのだろうか。

それ以上に、自分は何者なのか。

正しい事とは一体何なのか、信じられる物とは一体何物なのか。

誰がどのように物事を言いきる事ができるのか。

マスコミか、教科書か、はたまた偉人のお言葉か…。
 

己の目で感じ、その空気を食らい、歩みで聞くほかない。

そして、その確実な積み重ねは、同時に苦しみを伴ってゆく。
 

人は、知恵を得れば得るほど悲しくなり

真理を知れば知るほど悲しくなる
 

想像を絶するような多くの経験もした。

でも、やっぱりわからない。

あらゆる矛盾と、その禅問答の中にこそ真実が埋もれている。
 

そして、

知は力なり
 
 

さようなら、アレキサンドリア

ありがとう、アレキサンドリア

我が愛しのアレキサンドリア
 


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