1997年11月
 最近気がついたのだが、Quadra650でスペシャル→システム終了にしてもモニタは暗くなるのにハードディスクの電源が落ちていないのに気がついた。周辺機器も含めてOAタップに接続し、SWを取り付けて一気に落としていたので気がつかなかった. これは後の
MacTreeMLで解決しました。システムを7.6から7.6.1にアップデートした事によって、7.6.1の68KマシンでRAMディスク使用時にシステム終了できないというバグのためでした. RAMディスクの使用をやめるか、システムを7.6に戻すかでしたが、結局、システムを7.6に戻しました.

1997年9月11日
 7500/100のCPUを604e/180MHzに 交換.

譲り受けたQuadra650の状態は、230MB/64MBでした。手に入れたら早速内部の点検です.これは鉄則!SIMMスロット4基に32MB、8MB、8MB、8MBとオンボードに8MBです。HD、電源等をはずし、ロジックボードが全部見えるまでバラシ、内部のほこりを除去。LCの余った16MBSIMMを8MBと差し替えて、合計72MBになりました. また、内蔵230MBHDをLCで使用していたLogitecの1GBと交換.

PowerMac7500/100とLCII改475に加えて、3台になってしまったマック.折しも1月から家でもISDNでインターネットをLCII改475で繋いでいましたが、PowerMac7500/100を家のメインとしてインターネットに接続、Quadra650は仕事用、LCII改475は子どものゲーム用にすることにしました.

1997年3月
 またまた私のマックなお師匠さんは、ついにミニタワーマックが欲しくなり最後の在庫のPowerMac 8500/180を購入.それまで使用していたQuadra650はかくして、私のところへ転がり込んできました。実は私も、その格安な8500/180を欲しかったのですが、時すでに遅く、在庫はなくなっていました.

'96年2月1日
 身代わりのPowerMacintosh 7500/100
 罪滅ぼし(?)に、というわけではないが、7200か7500を格安で売ってくれることになりすぐに7500に飛びつく.かくしてパワーマックユーザーに!

マックで看護婦を釣る?
 ところが待てど暮らせど、いっこうに連絡がない。こちらから連絡を取ると、こんな説明だった. Quadra 800の持ち主はある病院の医師で、PowerMac8500を買うので、それを下取りに出すという契約だったのだが、とつぜん(?)そのQuadra 800を看護婦さんに売ったかあげたかしたらしい.で、下取りはなくなったということらしい.

1996年2月
 ちょっといわくつきで、PowerMacintosh 7500/100を入手!
 95年の暮れ、出入りのコンピュータ関係の業者の人からQuadra 800の中古が入る、との情報にすぐに飛びつき連絡を待っていました.いま使用しているLCII改475はFPUがなく、Photoshopのフィルタに制限があったり作業に時間がかかって、もう少しパワーのあるマックを欲しいと思っていました.そこへ、この話.

1994年3月 ついにMacユーザー!

 Quadra650を購入のために手放すという職場の同僚(わたしのマックの師匠!)からMacintosh LCIIをゲット.CPUは68030/16MHz 、メモリは8MBの30ピンのSIMM1個とオンボードの4MBで合計12MBなのに10MBしか認識しないというものでした.

 すでに発売されていたLC475のロジックボードアップグレードが発表されていました。それまで、MS-DOSでLotus1-2-3や一太郎を使っていた者からすれば、MacintoshのGUI (Graphic User Interface)は驚きでした.MS-DOSの拡張子からの解放は非常にインパクトがありました.しかし、予備知識として聞いていた爆弾の出現や、フリーズには苦しめられました.それでもMS-DOSにはない魅力にあふれ、特にグラフィック処理や印刷は優れていました・


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