#446 ささやかに楽しむ東京五輪

2021/08/01

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 思えば、東京への五輪招致が2013年に決まってからというもの、実際に開催されるまでは、呪われているとしか言いようのない道程であった。

 大会エンブレムに「パクリ」騒動が起きて決めなおされたり、新国立競技場の建設費が高すぎるという声が出てデザインが変更されたり、招致を巡る贈賄疑惑によりJOC会長が辞任したり、女性蔑視とも取れる発言により組織委員会会長が辞任したり、五輪開閉会式のアイデア出しでの不適切な演出案を指摘されて演出統括担当者が辞任したり、過去のいじめ自慢の記事により開会式の楽曲担当が辞任したり、ホロコーストを揶揄した過去のコントが原因で開会式の演出担当が辞任したり、まさに開催直前まで関係者が次々と退場していく有様であった。

 何より、元々開催される予定だった2020年にCOVID-19のパンデミックが発生し、史上初の一年延期が決定された上、2021年になっても国内の感染状況は悪くなるばかりで、公道での聖火リレーが軒並み中止されたり、ぎりぎりまで判断を遅らせた挙句にほぼすべての会場で無観客となってしまうなど、本来想定していたものとは随分と違った形での開催になってしまった。

 前回東京で五輪が開催されたのが57年前。したがってそのことを経験として知っているのは60歳以上の世代である。戦後から脱却した高度成長期に行われた自国での五輪開催の「古き良き想い出」を持つ世代と、そんなことを実感として持っていないその下の世代とで、五輪の自国開催に対する思い入れは最初から全く異なるものであった。そして、事実上の政策決定権を持つ前者の世代が五輪開催を進めようとするほど、眼前のコロナ禍による閉塞感も相俟って、五輪に関するネガティブな話題の方が注目され、後者の世代はますます冷めた気持ちになってしまうという、ある意味で世代間対立の不幸な図式になってしまったのではないかという気がする。

 一方で、五輪への出場を目指して日々精進を続けてきた選手たちにとっては、国内を二分する世論の中、最後までその舞台が用意されるかどうかもわからず、その不安な気持ちたるや察するに余りあるところである。自分たちは当然ながらその舞台に立ちたいという思いが強いであろうところなのに、その気持ちを表明するのも、開催反対派の人からいわれのない誹謗中傷を浴びせられかねない雰囲気があって、精神的にもつらい日々だったことと想像する。

 私自身はと言えば、これまでもあまり五輪というものに夢中になる方ではなく、賛成反対以前にあまり関心を向けてなかったのだが、ふと開会式での選手の入場行進を見ていて、世界を覆うコロナ禍の中、世界中の200以上の国と地域から選手たちが苦労しつつも競技のためにはるばる日本にまでやって来たのだと言う事実に思い至り、今更ながら心動かされたというのが正直なところである。

 直前まで無関心だったのが、始まった途端ににわかに関心を持って熱戦を追いかけるというのは、過去のサッカーやラグビーのW杯の時と同じパターンであり(2002年2006年2014年2018年2019年)我ながら全く進歩がないのであるが、サッカーやラグビーの単独種目でのW杯と違って五輪のすごいところは、多種多様な競技があちこちの会場で毎日同時並行で行われているということである。

 そしてその経過をフォローしてくれているのがTOKYO2020公式サイトなのであるが、ともかくこのサイトは情報の更新が早い。いくつかの競技はテレビで生中継されているのであるが、それと見比べてもほぼ遜色ないくらい、試合経過や結果がほぼリアルタイムで反映されるのである。NHKをはじめ各放送局でも特設ページが設けられているのであるが、放送局のページは自局で放映している競技以外の情報はすっぽり抜け落ちていたりするので、公式ページの方が見ていて断然面白い。事前にはあまり注目されておらずテレビでも生中継されていないような競技で、日本人選手があれよあれよと勝ち進んでメダルを取ったりするのを公式ページでいち早く確認すると、文字だけの情報でも嬉しくなってしまう。

 そして自国開催であるから、競技はほぼ我々が起きている時間に行われるものであり、あちこちで行われている競技の進行状況や記録をモニタしていると、それこそ一日中目が離せなくなってしまう。

 そうした記録の一つ一つは、1万人を超える選手たちがそれぞれ全身全霊をかけて勝負に挑んだ結果であり、さらに大会運営を支える多くの人たちが奮闘してきた結果でもある。それを思うと、エアコンの効いた部屋でそれをささやかに見て楽しんでいるだけの自分が何だか申し訳ない気持ちにもなってしまう。国内のコロナ禍の状況も厳しくなっている中、一市民としては、感染拡大防止のため、おとなしくWebやTVでささやかに熱戦をモニタしつつ、開催されたからには最後まで無事に大会が行われることを願う次第である。


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