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アンサンブル・アメデオ 第17回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 17th Regular Concert
〜アメリカの休日!〜
"Holiday in U.S.A.!"
2001年1月20日(土)18時開演
於:ティアラこうとう
 



編曲ノート

 最近は編曲も楽になった。PCのおかげである。アメデオの編曲を担当するようになって久しいが、当初はもっぱら横長の五線紙に鉛筆で書いた。鉛筆で音符を書くと、どことなく風情が出た。力強いところになると自ずと音符も厳(いか)めしくなった。たまに昔の楽譜を眺めるとその頃の懐かしい葛藤がそれなりに込み上げてくる。やはりどこかにじみ出るようなものがある。その点PCで作る楽譜は味気ない。「オーバーチュアー」というソフトである。当時秋葉原のソフマップで出会った。IT音痴なので、なにより操作の簡易性を優先させた。ハードウェアはマッキントッシュ。マックはよくバグる。機能停止あるいは作業拒否いわゆる硬直状態である。これに陥るとそれまでの作業が一瞬のうちに消えてしまう。実に空しい。

 どうしてこうなったのか。もちろんだれのせいにもできない。すべて自分が愚かだったのだ。しかし、何度かこれを繰りかえしていくと、次第に学習効果が芽生えるものである。つきあいが深まるとやがて機械にも感情のようなものがあることが分かる。錯覚であろうか?過度な労働を無理に強いると反発するのである。そして意固地になって固まる。同じ作業を無用にくり返すと、むくれて固まる。つい作業に集中しすぎて適度に情報を保存することを怠ると固まる。こうなると機械の反攻のようである。入力はキィボードで行う。ピアノのような鍵盤でメロディやハーモニィーを弾きながら入力していく。これは便利である。一応周囲に配慮してヘッドフォンをつけて、シャカシャカやる。(廻りに配慮などといっても、もそもそやるさまは、鬱陶しいことこのうえないに決まってているが.‥)ミディという便利な機械が繋(つな)がっていて、入力する音は好きな楽器の音で鳴らすことができる。入力した音も同時に鳴ってくれる。だから合奏が実現するのである。

 問題はマンドリンの音。これが無い。マンドリンのトレモロの音源は見当たらない。ぽくの機械だけでなく、他の機械こも無いようである。やはり需要のせいかしら?それほどユニークなのだろうか?マンドリンの音はいつもハープシコードの音で代用している。入力にはクォンタイズという機能が備わっている。これは、どの程度のきめ細かさで音を捕らえるかという機能である。たとえば4分音符の細かさで設定すると4分音符4つを入力すると、多少いいかげんに入力しても4分音符4つに表示してくれる。しかし逆に8分音符を弾いても4分音符にしか表示してくれないのである。16分音符の細かさで4分音符を表示するとこれは悲惨である。よほど正確に弾かないかぎリ4分音符4つには表示してくれない。自分のリズムの不正確さをそのまま表示してくれてしまうのである。うっかり油断すると、符点音符だらけになりかねない。一方便利な機能もある。代表的なのはコピー機能。いわゆるソナタ形式の再現部などは、ほとんど革命的といってもよい。コピーして貼付ければいいのである。スコアが完成すればパート譜は設定次策で瞬時に作成してくれる。ほんとうに便利になったものである。

 さて、前置きが長くなってしまった。今回の曲のことに触れてみよう。実は、必ずしもすべて今回のために書き下ろしたものばかりではない。1部冒頭の「舞踏会の乙女」は、アメデオ策6回定期演奏会のアンコールピースとして作ったものが下敷きになっている。もっともこれは実現しなかった。当時河□湖での合宿に間に合わせようと思って徹夜でやっつけた記憶があるが、アンコールにしては難しすぎた。実際、この曲のメロディをマンドリンのトレモロで表現すのは頗(すこぶ)る難しい。メロディの感じとトレモロの関係がなんともしっくりこないからである。同じ早さで曲が進むとき、違う大きさの楽器、違う長さの弦で同じメロデイを弾くようなことも、まじめに考えると気が遠くなる。(それにしても、なんとも伸びやかで魅力的なメロディである。)難しいからこそ、なんとかしたい。弾いて弾いて弾きまくると、やっと少しずつからだに馴染んでいく。こういうのは数こなして掴むしかないのである。そういう曲はアンコールでやってはいけないのである。というわけでボツになった。その後ご縁があって東京農業大学マンドリンクラブの依頼でアンダーソンの曲の編曲をいろいろ頼まれたときに、これも取り上げていただいた。今回はその際に修正した版である。

 2曲目「忘られし夢」は練習の帰りにチェロトップの深沢くんから、是非この曲やりたいと持ちかけられて実現した。当初は「野ばらに寄す」が2曲目の予定だった。この曲はいかにもクラシックで深い音楽だから、もともとポップス調の1部には浮いている感じだった。奥行きのある亨君(2部指揮者)の棒に託した方がいいにきまっていた。深沢くんの進言で一気に取りかかった。冒頭部原曲はピアノのソロではじまる。ぽくのCDでは作曲者アンダーソン自身が弾いている!しみじみとしていて涙がこぽれそう!直感的にこれはギターだなと思った。ギターの人に聞いたら、これが意外に弾きにくいのだそうだ。目立つところが弾きにくいなんて編曲としては最低かも知れない。でも、ここはギターがよいと確信している。白鳥だって優雅に泳いでいるみたいだけど、実際は一生懸命水掻きで漕いでいる。がんばるしかあるまい!

 3曲日「ホリディストリングス」は、いい曲でしょう!でも、これも評判がわるい。こういうのは練習していると良く分かる。そういう気持ちは切々と伝わってくるもの。やはり弾きにくいのである。今回は弾きにくい曲が多くて試練の音楽会になった。しかし、壁はみんなで乗り越えていこう!神楽坂の「ぎんれい」で久しぶりに映画を観た。「ミュージック・フロム・ハート」。バイオリンの先生がくり返し激励していた。「Practice! Practice!Practice!」。小泉信三氏語録「練習は不可能を可能にする!」これしかない。アメリカ特集ということでいろいろ曲を物色していたときに、Hyperionというイギリスのレーベルに「American Light Music Classics」というオムニバスのCDを発掘。その中にこの曲がたまたま入っていた。(ちなみにこのCDの選曲はなかなかご機嫌で、スーザの「ワシントンポスト」で始まる。たまたま「舞踏会の乙女」や「野ばらに寄す」も入っている!是非一聴をお勧めする。CD番号:CDA67067)さっそく銀座ヤマハヘ。ワ一ナーブラザーズで出版されていることを確認。最近はファックスで注文できるので運が良ければすぐ入手できる。手許に届いた代物はCDの編曲とはずいぶん異なっていた。初合奏はこれで間に合わせることに。しかし、どうしてもあのCDの流れが頭から離れない。再度ヤマハヘ…今度は貸し譜で作曲者ローズ自らの編曲バージョンがあることを発見!さっそく注文!わくわくどきどきしながら届いた楽譜を開けると…・・・すると、ありました、ありました!蘇るあの幻の楽譜!機知に富んでいて優美!終わり方がこれまたチャーミングであっさりお洒落!これしかないということで編曲やり直しとなった。

 「ウェスト・サイド・ストーリー」はいつ頃だったか、慶應マンドリンクラブ「オールKMCコンサート」合同演奏のために作ったもの。ボストンポップスのアメリカ特集のなかに収められていたメドレーの吹奏楽版が手に入ったので、これに従って編曲。Somewhereはどうしても欠かせないと思い加筆、Americaはもう少し長く続けたいと思い延長した。やはリI feel Pretyが難しい。この手の3拍子は「舞踏会の乙女」と同類で弾きにくい。ずいぶん練習したが、なかなかそれらしくならない。マンドリンで演奏するとOne Heartのような曲が美しい。本番はどうなることやら...

 2部にいこう。「ポーギーとベス」は、浦和一女OG有志で結成したマンドリンアンサンフル「ベル・セゾン」の依頼で作ったもの。もともと弦楽とフリュートの編成だっものに打楽器を加えて、慶應義塾大学マンドリンクラブで演奏した。今回はさらに管楽器を加えオーケストレーションを拡大。なお、Catfish Rowは原曲に忠実に従って長くした。とくに亨君のアイデアで単打で奏することによって新たな効果が発揮されて楽しくなった。なお、PIenty o'nuttinの後半部の中低音による和声進行部は亨君によって加筆された。原曲ではポーギーが熱唱するなかをバックで支える合唱の部分である。曲に一層の厚みが出て立体的になった。

「野ばらに寄す」はこころ休まるなごみの音楽である。感傷的で凛々(りり)しい。どこかグリーグを思わせる。原曲はピアノ曲であるがオーケストラでもよく演奏される。クラシックの大衆化に貢献したオーマンディ版をもっぱら愛聴してきたが、前述のCDでの編曲者Charles Woodhouseによるものは、弦楽中心で可憐に響く。

 いよいよ終曲。本日のメインイヴェント「ラプソディ・イン・ブルー」。これは凄い曲である。まさに、やってもやっても終わらない超大作である。いろいろ聴いたが、NYのメトロポリタン歌劇場主席指揮者ジェームズ・リーヴァインの弾き振り、シカコ交響楽団の演奏が群を抜いている。躍動感に満ちていて清々(すがすが)しい!こいう大作の場合は情報量が多くなるのでバグる危険性は高いので、3つくらいにファイルを分けなければならない。ブラスバンドのイメージが強いので、それに似せるという発想では所詮かなわないので、新鮮に原曲を捕(と)らえ直すという気概で取り組まないとやりきれない。幸いピアノスコアも手に入ったのでグローフェのスコアと両方をにらめっこしながらこもることになった。和声とリズムが楽しくてしかたがなかった。不思議なもので、普段は何気なく聞き流してしまっているようなところでも、じっくり見ていくと作曲者がいろいろと葛藤して新しい工夫を施そうとしている、いわばからくり仕掛けのようなものがあちらこちらにちりばめられていることに出会えて楽しい。さながら海辺で貝殻を拾うよう。知らず知らずのうちにギターの音が曲の重心になっていった。理想はギターがマンドリンの数と同じくらいでちょうど良いのだが..

 マンドリンは、いかに音を持続させるかにかかっているような気もしている。これは単に単打の問題に留まらずトレモロを構成するひとつひとつのダウンとアップの響きの問題である。そうでないとピアノの音と真に協奏できないかも知れない。 やはりヴィブラートが解決の鍵となるか?

 それにしても小川典子さんのピアノは冴えている。音楽とは単なる音符の羅列ではなく、ひとつひとつの音符に魂が入ることなんだということを諭してくれた。すべてのフレーズに意味を持たせること、そして音楽がいきいきと流れることを、そして何より音楽に向かうことの厳しさのようなものを示してくれた。ほんとうに、素晴らしい音楽をありがとう!

平成13年1月6日
おあなゆういち 記

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