古寺巡礼〜Banteay Kdei
 
古寺巡礼
〜 Banteay Kdei
 

   カンボジアに来て三日目。正直、そろそろ遺跡にも飽きてきた。せっかく来たのだから見れるだけ見てやろうという意気込みの反面、悲しいかな、素人目にはだんだんどれも同じように思えてくる。大きさや色、ヒンドゥー教か仏教かの違いはあるにせよ、みな寺院であることには違いないので基本的な構造が一緒。区別がつかないのも当然といえば当然だ。
 パッケージツアーではだいたい観光初日にワットとトムの二大巨頭を見学する。次いで日程の許す範囲で他の遺跡に足を伸ばすのが一般的だ。その場合、有力候補となるのが「大回りコース」と「小回りコース」のふたつ。ワットからトムへと遺跡群の東側を周遊するこれらのルート沿いには、比較的中規模サイズの寺院が点在している。もっとも、そのすべてを見ようとするとそれぞれ一日がかりとなるのは必至だから、たいていは代表的ないくつかを選んで回ることになる。バンテアイ・クデイもそんなひとつだ。
 なんて陰鬱としたところなのだろう、というのが第一印象だった。こんもりと茂る樹木が遺跡の入口を覆い隠さんばかりだ。太陽の光が遮られ、昼下がりの一番暑い時間帯だというのに驚くほど暗い。色のせいもある。木々の葉は濃い深緑、場所によっては黒に近い。遺跡も元々が黒っぽい石材で建てられている上に、黴か苔かでさらにくすんでいる。
 しかし、塔門を抜けると一転して明るくなった。周壁と木立に囲まれた前庭に光が満ちている。陽だまりというには少々強烈だが、外の喧騒と切り離されたこの雰囲気は悪くない。崩れた柱のかけらに腰を掛け、あたりを見渡す。鳥のさえずりが聞こえる。一瞬、京都の寺社の庭園にでもいるのかと錯覚してしまいそうになる。
 礎石だけが残るテラスを横切り回廊へ入ると、どこからか香の煙が漂ってきた。祠堂の一角に仏像が置かれ祭壇が設けられている。燭台に燈るろうそくが新しい。まだまだ現役の寺院なのだ。僧がいるのだろう。遠くでオレンジ色の袈裟がひらめくのが見えた。
 この回廊の壁にも数多くのデバター、すなわちクメールの女神像が刻まれている。デバターというとバンテアイ・スレイのものが「東洋のモナリザ」として特に有名だが、なかなかどうしてバンテアイ・クデイも負けてはいない。曲線の柔らかさ、表情の多様さなど、むしろこちらの方が上なのではとさえ思える。何より間近で見られるのがよい。触れることもできる。
 しかし、そうしたことがいつまで許されるかは保証の限りではない。なぜなら、バンテアイ・クデイは「今まさに崩壊の危機にある」遺跡だからだ。
 建物から少し離れて見るとよくわかる。あちらこちらが明らかに傾いているのだ。今後いかに保存していくかはすべてのアンコール遺跡に共通する課題だが、ここの必要性や緊急性は中でも群を抜いて高いだろう。何しろ、板でつっかえ棒をすることで辛うじて支えている箇所がひとつやふたつではないのだ。
「壊れかけたブロック塀みたい」
「地震が来たら一発だろうな」
「でも、美しい」
 そう、バンテアイ・クデイは美しい。恒星が超新星爆発の直前に最も光り輝くように、産卵のために川を遡上する鮭が真紅に染まるように、今まさに朽ちていこうとするその姿はとりとめもなく美しい。観光の美名の下に半ばテーマパークと化している遺跡もある中で、ここは滅び行く過去を余すところなく現在に伝えている。
 回廊を抜け、西の塔門から外に出る。振り返ると、木立の向こうに午後の陽を受けた中央祠堂が佇んでいた。寂しげに、まるでこの世にさよならを告げているがごとく。
 時間が断絶していた。今、目の前にあるものは、まさしく過去の遺物なのだと思った。
 

   
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静寂のカンボジア
 

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