御旅所波止       



 備前岡山地理家宅一枚図(文久元年1861年)に、旭川に突き出るようにして御旅所と波止が描かれています。

 備前岡山地理家宅一枚図(部分) 
  池田家文庫(岡山大学図書館蔵)   


上図囲い部分(図クリックで拡大)


 「御旅所」は、岡山藩主池田光政が正保2年(1645年)に、徳川家康を祭る東照宮を東山玉井宮に勧請し、以来220年余り続いた「権現祭り」の神輿渡御の目的地。現在、御旅所を後楽園として実施している宗忠神社「御神幸」のもっと大規模な祭礼行列だった様子。
 「御旅所」の下流側に波止と「関戸」という高瀬舟を管理する事務所があり、川には常時高瀬舟がひしめいていたとのこと。
 参考文献 「兵団あれこれ」堀崎嘉一,1992


 これも巻石構造。今の旭川堤防は昭和10年室戸台風以後に築堤されており、それ以前の旧堤は約80m西にあったようで、この波止で守られた結構広い舟溜まりだったことが想像できます。