勇気ある誓い

 勇気ある誓い・・・それはGGGにおける究極の行動綱領である。GGG憲章の別名とも言われている。
 GGGは各隊員の個々の「勇気」によって成り立っていると言っても過言ではない。初期における機界文明との生存闘争、その後の対バイオネット治安維持活動、そしてソール11遊星主による別宇宙からの侵略。彼らの戦いは常に強大な敵との戦いであり(バイオネットは戦闘能力という点では「比較的」対処が容易であるが、その経済力や社会力は、人類社会に深く浸透しているために異星文明に対するよりも多角的でデリケートな対策が必要とされる)、かつ敗北は決して許されない過酷な戦いでもあった。これらを戦いに各GGG隊員は、各々の、そして互いの勇気を共通の理念として立ち向かっていったのである。
 GGGの「勇気ある誓い」を言語化することは難しい。まず、内容は決して具体的に表現はされていない。少なくともGGG関係者が「勇気ある誓い」を言葉や文字にして説明したことは一度もない。ただ、彼らが「勇気ある誓い」と共に戦い続けてきた事が事実として存在するのみである。類似、あるいは誓いが文書化されたものとしてGGG憲章を挙げることも出来るだろう。だが、彼らが「勇気ある誓い」という言葉に込めた想いはおそらくGGG憲章でも表現し切れてはいない。「勇気ある誓い」とは各GGG隊員の行動理念であると共に、仲間や同僚たちとの絆をも同時に意味していると思われる。「勇気ある誓い」があったればこそ、GGGはたとえ反逆者の汚名を被っても、迅速になすべきことをなすことが出来るのである。
 おそらく、こうしていくら言葉を費やしても「勇気ある誓い」を表現することは出来ないであろう。そして言葉を費やせば費やすほど、我々は「勇気ある誓い」の本質から遠ざかっていく気がしてならない。我々に出来ることは各GGG隊員の「勇気ある誓い」に基づいた具体的な行動から、言葉に出来ない何かを感じ取ることだけなのだと、確信する。
 その意味で、GGGに対してレプリ地球においてパルパレーパパレッス粒子を用いて行った精神攻撃は、絶大な効果を発揮した。GGGの強さが個々の隊員の勇気に支えられている以上、たとえ外的要因にせよ脳の活動を極力抑制することによって、その強さの最も貴重な部分を無力化することが可能だったのである。そして「勇気ある誓い」が破られたとき・・・それはGGGが、具体的にはガオファイガーが敗れるそのときでもあったのだ。
 「人は余りに弱すぎる」とはパルパレーパの言であるが、おそらく心を殺された人間ほど弱いものはない。そして人は容易に安きに流れ、自ら心を殺してしまうものなのかもしれない。だが、そうした弱さを内に秘めるからこそ、「勇気」は無限の力をGストーンに与えるのだとも言えよう。人は余りに弱い。恐らく自身の内部に「弱さ」を置き、意識的にそれと対決することでしか、「勇気」は生まれてこないのだろう。そして、だからこそ「勇気」は強く貴重で、「勇気ある誓い」を強固なものとしてくれるに違いない。
 かくしてGGGは「勇気ある誓い」を取り戻す。パレッス粒子を克服し、自分たちを追放した宇宙の存亡をかけて、自分たちより遥かに強大な存在へ立ち向かっていくのである。