<当時の開発風景>

堀江氏 【寺町】 開発は何名のチームだったんですか

【堀江】 僕がいた初期は、始まった頃は僕と上司ともう1人ですね。3人だったんですよ。翌年に電子ゲーム専門の課ができてずいぶん増えたんですけど。パクパクマンのLCDとかFL使ったものとかね

【寺町】 ゲームの仕様は誰、という役割わけなどあったのでしょうか

【堀江】 もう1人のほうは別のゲームやっていたり・・・、ま、仕様といっても今のようにゲームデザインというほどでもないし、野球ゲームですけど、ルールを入れるのでもう精いっぱいですよね。3OUTになったらチェンジって、それでもけっこうきびしい仕様ですよね(笑)。カウンターがいるわけだから。ファールはどうだとか、ホームランはどういう確立だとか。

【寺町】 今なら企画会議があり、厚い企画書があって、何人もの人間がプレゼンをおこなったりしてやっていくわけですが、テレビ野球はどんな感じで制作進行されていったのでしょう。

【堀江】 もくもくと仕様書書いていましたね。

【寺町】 開発のドアをあけると、みなさん下を向いて仕様書を書いておられるわけですか(笑)

【堀江】 そうですね。とにかく資料を集めて。ま、ルールはわかっているけど、わかっていないのもあるし。例外処理みたいなものがありますから、とにかく分析ですね。こういう時はこうだという場合分けをして。 絵もね。デザイナーなんていないし、グラフィックツールなんてありませんので、直接紙に書いたものをプログラマーがうつんですよね。 仕様書は、方眼紙のちょっと大きなトレースペーパーのようなものありますよね。それに四角を書いて、こういう時にどうなる、みたいな(寺町注:つまり、フロチャートですね)。後半は人数も増えました。

【寺町】 でもみなさん、やっぱり下向いて仕様書を書いておられるという?

【堀江】 そうですね。とにかく人と話するにしてもまとめなくちゃいけませんからね。 ディスカッションしているうちにできる、なんてのはウソだと思うんですよ。その時「いいな」と思っても、結局あとで、例えば現場のプログラム組む人がそれを書いてみると矛盾だらけなんですよ。だから、まず自分なりに矛盾がないかどうかを調べて、その上でおもしろさを追求するんだと思うんですけど。 けっこうね、そういうノリで後半ファミコンなんかやった時、外部の方とそういう話をすると盛り上がるんですけど、我々現場の者が聞いてると「何いってんだか」と思うわけですよ。あとで見ると矛盾だらけなんですよ。その場のディスカッションじゃおもしろいんだけど、やっぱり土台があってからの話ですよ。まず、仕様書です・・・と思うんですけどね(笑)。

【寺町】 矛盾とは具体的に?

【堀江】 当時はあまりなかったんです。システムがあんまり大きくなかったものですから。矛盾っていうよりも、これは如実な例ですけれど、制約が多いってのがありましたね。これ実は1個1個がスプライトなんですよね。1画面に21個くらい、縦列1ラインとかいろいろありまして。テレビベーダーがそれですよね。そりゃたいへんでしたね。

堀江氏 【寺町】 ま、そうやってみなさんの意見をまとめて、話し合ってNECにチップにしてもらうため提出した、と考えてよろしいんですかね。

【堀江】 そうですね。この時はまだうちではプログラムが組めなかったんですよ。ソフトまではね。それ以降はやりましたけど、これはちょっと特殊だったんで。NECにモックアップが置いてあって、あちらでしかうてなかったわけです。

【寺町】 ゲームの開発風景って、徹夜が日常茶飯事みたいな印象があるんですけど。

【堀江】 ソフトで徹夜ってのはなかったですね。

【寺町】 期間は1ソフトにどれくらいかかったんですか。

【堀江】 どれくらいかなあ。テレビ野球の頃は半年〜1年近くかかっていたと思うんですよ。モックアップの信頼性とかもあって。それがLSI化することによって、いろいろノウハウができるんですよ。こうすればこうなっちゃうんだと。そうすれば見通しがつきますよね、後半は4ヶ月〜半年くらいかなあ(忘れちゃいました)。

【寺町】 あと、開発器材はどんなものを?

【堀江】 NECのモックアップ的なものを使っていました。今ならP−ROMにかいて、すぐデバッグできますけどね。

【寺町】 そのモックアップは1台だけだったんですか。

【堀江】 そうです。

【寺町】 1台だけある、ハンドメイドの機械なわけですね。

【堀江】 大きいですよ。これくらい(寺町注:大型ダンボール1個というところ)。
端末にNECのTK−80(寺町注:当時の有名なワンボードマイコン。もちろんNEC製)がついていました。別の紙テープリーダーから紙テープを最初に読ませて「実行」。このRAMがゲーム機のROMにあたる部分なんですね。

【寺町】 整理すると・・・まず、紙に書いて、ハンドアセンブルして、TK−80経由で紙テープにして、モックに入れられて、モニターに出していたわけですか。

【堀江】 そんな雰囲気でしたね。

TK−80。左は箱に入ってるとこ

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